勇者が死んだら大変な事になった
『――勇者の死亡を確認。十二時間以内に蘇生の見込みがない場合、この世界はやり直しに入ります』
天から降り注ぐそんな言葉を聞いて、魔族という種族の王――魔王はあんぐりと口を開けた。
何これ?
魔王の部下達も不思議そうに首を傾げている。
「魔王様、何ですかこの声」
「さあ……神様とかじゃない?」
「え~、俺もっと優しい声の神様がいいっす。何か今の声、無機質っていうかぁ」
「ああ~、分かる。どうせなら疲れた時に聞くと癒される系の声がいいよな~」
そんな話をしていると、勇者一行の仲間で唯一生き残っている僧侶が、両手を胸の前で握って、はらはらと涙を流し始めた。
「ああ……始まってしまった……」
絶望感をたっぷりと込めた声色で呟く彼女に、魔王は片方の眉を上げる。そして靴音を響かせて彼女に近付くと「ねぇ、ちょっと僧侶さん」と呼びかけた。彼女は魔王を見上げて指で涙を拭う。
「はい、何でしょう?」
「何でしょう、じゃなくてね。始まってしまったってどういう意味だ?」
「今聞こえた神のお言葉の通りです。これからこの世界は三年前の勇者の旅立ちの日まで遡り、今までの時間はすべてなかった事にされます」
「……はい?」
質問の答えは返ってきたものの、意味はまったく分からない。どうして勇者が死亡したら、勇者が旅立つ日まで時間が遡るというのだ。
その方法だけを推測するならば、時間を操る魔法をかけられる――という事だろうか。しかしそんな魔法は聞いた事がないし、そもそも世界なんて範囲で魔法を使える者もいない。
神でなければあり得ない。
そこまで考えて魔王は「あ」と口を開けて天を仰いだ。
(この僧侶の言葉が世迷言でなかったとしたら――つまり本当に、今の声は神か?)
部下の質問に「神様じゃない?」なんて、ふわっとした返答をしたが、その可能性は高い。
だがしかし、やはりにわかには信じられない。
神なんてものは基本的に自分達に対して不干渉だ。魔王も神に祈る事はあるが、それは自分達の気持ちが楽になるから祈っているだけだ。祈ったからといって神が何かしてくれるわけではない――と魔王は思っている。
目の前の僧侶のように、神を信仰している者達を馬鹿にするつもりはないが、魔王自身の考えはそうだった。
「神様ねぇ……」
「あなたは神を信じてらっしゃらないのですか?」
「勧誘みたいな言い方はやめてくれよ。……まぁ、いるってのは信じているぜ。だけどそれだけさ。祈りはするが、それだけだ。自分の事は自分でやる。神に助けてもらう必要は特にないからな」
ちなみにこれは魔王の持論というより、魔族全体がこの傾向の考え方をしている。魔族は基本的に実力主義なのだ。
とはいえ何でも力で解決するというわけでもなく、何代か前の魔王が「さすがにまずい」と尽力したおかげで、ちゃんと話し合いも行われるようにはなっている。
魔王がそう言うと、僧侶は感心したように頷いて「だから神は私達の方を選んだのですね……」と呟いた。
「というと?」
「自分に縋る者を助けた方が、優越感に浸れるでしょう?」
僧侶はすっぱりとそう言い放った。この僧侶、清楚で穏やかそうな雰囲気をしているが、意外と癖が強いのかもしれない。
おおよそ聖職者から出るような言葉じゃないなぁと魔王が軽く引いていると、
「だから私達人間が有利になるように、神が世界を動かしているのですよ」
と言った。
「っていうと、何だい? 神様は俺達に滅べって言ってんのかい?」
「そういう事ですね」
「とんだ邪神じゃねーか」
うへぇ、と魔王は顔をしかめる。僧侶の言葉が正しければ、今後はもう祈るのはやめようと思うくらいの事である。
「それが本当なら、そちらさんとしては楽なもんだな」
「そうでもありませんよ。だって、すべてなかった事にされるのですから」
勇者の死という失敗が帳消しになって仲間が生き返るのだ。勇者一行側からすればずいぶん都合が良い事だろう……と魔王は思ったのだが、彼女は首をゆるゆると横に振る。
「……気が狂いそうなのです」
「え?」
「だって、もう二十回も繰り返しているのですよ!」
僧侶は頭を抱えてそう叫んだ。魔王は「えっ」と目を丸くする。
「そ、そんなに……?」
「そんなにです! 勇者はお人好しで優しくて、とても素敵な方です。ですが……ですが……」
「ですが?」
「詰めが……甘い……っ!」
僧侶の言葉に魔王は「ああ……」と納得した。戦っていて確かにそんな感じだったのだ。
例えば勇者の攻撃で魔王が多少押され気味になると、気を抜くと言うか……。
長い旅路の末に、ようやく魔王を倒せると確信したら、そうなるのは分からないでもない。
(まぁ、俺はそんな甘い事はしないけど……。というか二十回……へぇ、そんなに俺、勝ちまくってたのか、フフ……)
なんて自我自尊をしつつ魔王が頷いた――が。
それにしても二十回も勇者の旅をやり直しているとは、なかなか狂気的である。
魔王にはその記憶はないが、どうやらこの僧侶はそうでもないようだ。
「僧侶さん、もしかして二十回分の戦いを全部覚えているのか?」
「一人くらいそういう仲間がいた方が、勝率を上げるのに良いだろうと……神が……」
「ああ……。……いや、ならもうちょっと何とかなったんじゃない?」
それだけ繰り返していれば、魔王達の戦い方だってしっかり覚えられているだろう。
何が得意で、何が苦手か。そういうものを研究して勝てるように、しっかりと道筋を描けば良い。
――まぁ、さすがに倒されたくはないけれど。
「頑張ったのです。私も、苦手分野でしたが頑張ったのですよ……。ですが仲間達の癖が強くて。そもそも勇者の仲間に選ばれるくらいなのです。腕っぷしも我も強い……。その仲間達の関係を上手く取り持っていたのが勇者なのです。私はそれをフォローして……それで、そこにリソースを割き過ぎて……っ」
「もう勇者以外、解雇したらいいんじゃない?」
魔王は真顔でそう言った。魔王が知る勇者一行は連携も取れていて仲も良さそうだった。だが僧侶の言葉から察するに、ここへ辿り着いた時にはそうなっていただけで、道中は相当苦労したのだろう。
彼女のうんざりとした声を聞いて魔王は少し気の毒になった。
(まぁ、この人もたいがい癖は強いけど……それは、あれかな。神のせいだな)
勇者を勝たせるために記憶を保持したまま何度も何度も時間をを繰り返す。そんな重責を負わされれば、性格だって歪むだろう。
「それでも投げ出さなかったんだなぁ、僧侶さんは」
「……私の大事な仲間ですから」
僧侶はそう言って少し微笑んだ。
先ほどまで嘆き悲しみ、だいぶうんざりとしていた様子とは違うその姿に、これが彼女の本来の顔かと魔王はしみじみ思った。
「なら、どうする? またやり直しまで待つかい? それとも僧侶さんが俺を殺すか?」
「えっ、殺されてくれるのですか?」
「嫌だよ。嬉しそうな声を出すんじゃないよ」
パッと明るくなった僧侶の顔に魔王はぎょっと目を剥いた。同情するんじゃなかった。
魔王は、ハァ、とため息を吐くと、
「お前だけの力じゃ無理だと神が判断したから、やり直ししようとしているんだろ」
と言うと僧侶は「そうですね……」と肩をすくめた。この分だと冗談でも「いいよ」なんて言おうものなら、本気で殺しにかかってきそうである。
やはり、なかなか癖が強い。
「また最初から始めるの……嫌だなぁ……」
そう思っていたら、僧侶はぽつりと呟いた。疲れ切った声だった。
(それもそうか。仲間が死ぬところを、何度も何度も見てきたんだもんな)
彼女も仲間に思うところはあれど、本当に大事に思っているのだろう。
勇者一行が旅立ったのは今から三年前。長命な魔族からすれば短い時間だが、人間からすれば違う。その時間を彼女は二十回も繰り返しているのだ。
――正気でいる方が難しい。
それでも彼女は仲間のために、努めてまともであり続けた。実力主義の魔族社会において彼女の精神の強さは称賛すべきものだ。
なので。
「蘇生すりゃいいんだな」
魔王がそう言うと、僧侶は「え?」と首を傾げる。
「さっきの声。勇者を蘇生すりゃ、やり直しがないんだろ」
「それは……そうですが……」
無理でしょう、と僧侶は目を伏せる。
この世には蘇生魔法というものは存在するが、扱いがとんでもなく難しい代物だ。必要な道具を揃えるのだって大変だし、蘇生魔法を完成させるまでの時間だって相当かかる。とても十二時間で何とか出来るようなものではない。
それは魔王だって理解している。普通の蘇生では無理だ。
「僧侶さんよ。お前が信仰している神が言う、蘇生の定義って何だい?」
「死した者が再び命を取り戻す事です」
「取り戻すってのは、どういう状態だ?」
「どういう……記載はありませんでしたが、今までと同じ状態になれば良いのではないでしょうか?」
「となると細部は結構曖昧だな。よしよし」
「……何を考えてらっしゃるのですか?」
訝しんだ目を向けられた魔王は、ふふん、と胸を張る。
「死霊魔法だ」
死霊魔法とは、簡単に言えば死者の肉体に仮初の命を与えたり、魂を利用したりして、ゾンビだのゴーストだののアンデッドを作り出す魔法である。
「勇者を……アンデッドにしようと仰るのですか!?」
「今直ぐに用意出来て、一番簡単に出来る蘇生方法がそれしかないんだよ。それでいいなら俺がやってやるよ、使えるし。死んだばかりの今なら、魂がまだ肉体にくっついているから上手く行くと思うぜ。実際に俺の母親はそうしてた」
「結果は……?」
「蘇ったぜ。うちの両親は今もラブラブだ」
僧侶の言葉に魔王はニッと笑ってそう返す。僧侶は力が抜けたようにへなへなと床に座り込んだ。
「そう……そうですね。どうせやり直す事になるのなら、一度くらい、そういう事をしてみても良いかもしれません」
「お、意外とノリがいいね」
「私ももう疲れまして……。そもそも勇者の死がやり直しのトリガーになるのなら、一度くらいそれを先延ばしにして……この先の人生を歩んでみたい」
胸に手を当てて僧侶は微笑んだ。儚げな雰囲気も纏ったその美しさに、魔王は思わず目を奪われる。
「ちなみに術者に危害は加えられないからね。ってわけで俺を倒す事は出来なくなるから、そこだけはちゃんと理解しといてくれよ」
「例外は」
「おーい、隙あらば殺そうと考えるんじゃないよ。術者を殺せば、俺がアンデッドにした連中は皆まとめて塵になるわ!」
魔王は顔をしかめてそう返す。見惚れるんじゃなかったと心の底から後悔した。
しかし僧侶は気にもせず、楽しそうにクスクスと微笑んだ後、何を思ったか立ち上がり、近くに落ちている勇者の剣を拾い上げた。
「……それは、とても素敵ですね。あなたが生きている限り、再び殺される事がなければ私達は死ななくなる」
「おい――?」
「ありがとうございます、魔王。この二十回のやり直しの中で、こんなに優しい言葉をかけてくれたのは、今のあなたが初めてです。ですから――私達の事を、どうかよろしくお願いいたします」
そう言って僧侶は、手に持った剣の切っ先を自分に向け、何の躊躇もなく心臓に突き立てた。
あっ、と魔王は思ったが止める暇もなかった。
「……思い切りが良すぎる」
称賛すべきところなのか、呆れるところなのか実に悩ましい。
ハァ、と魔王はため息を吐くと、
「死霊魔法を使う。すぐに準備をしろ」
と部下に指示を飛ばしたのだった。
♪
「……なんて事がありましたねぇ」
「あったなぁ」
勇者一行の敗北から六十年後、魔族と人間の争いはすっかりなくなって平穏な時代が訪れていた。
そんな中、綺麗な花が飾られた魔王城の執務室で、魔王は僧侶とソファーに並んで座って、お茶会を楽しんでいる。
そう――あの時、魔王が使った死霊魔法は無事に成功し、勇者一行はアンデッドとして蘇ったのである。
「勇者達さぁ、最初は何度も何度も俺に向かって来るから、すげぇ面倒だったなぁ」
「一度思い込んでしまうと、言っても聞かないところは治らなかったのですよね。あれでもマシになったのですよ」
「マジかよ。めちゃめちゃ大変だったじゃん、それ」
「大変だったのです」
その時の事を思い出したのか、僧侶は憂い顔でため息を吐いた。
そんな彼女もしっかりアンデッドだ。リッチという存在に変質している。生前よりも肌の色が白くなったが、それ以外は容姿にあまり変化はない。
ちなみにこれは魔王が指定した姿ではない。蘇生魔法を使うにあたって、対象がどんなアンデッドになるかは術者側で指定が出来ないのだ。何でも本人の性質や状態が絡むらしい。彼女の仲間達はデュラハンやレイス、スケルトンになっていたりする。
「ですが神のやり直しは回避されました。本当に感謝しております」
「いいって。もう何回目よ、それ」
「あら、聞き飽きました?」
「照れるんだよ」
「まあ」
うふふ、と僧侶は微笑む。
……かわいいなぁ。
彼女の笑顔を見て魔王はぽつりとそんな事を思った。
「実は……今朝、久しぶりに神の声を聞いたのです」
「え? マジで?」
「はい。旅をしていた頃は時々、夢の中に現われてアドバイスをいただく事があったのですよ。ですがアンデッドになってからはそれがなくて。久しぶりでした」
「ふーん? 何て言ってたんだ?」
「これでようやく安心できる、と」
「へぇ」
勇者が魔王を倒さなくても平和になった事で考えを改めたのだろうか。
その言葉から考えると、ひとまずしばらくはやり直しが起こる事はなさそうだ。
出来れば気まぐれなんて起こさずに、ずっとそうしてもらいたいものである。
そう思いながら魔王は紅茶を飲んだ。僧侶が淹れてくれた甘いミルクティーだ。
「二十回分のやり直し。その六十年、ずっと苦しかった。ですが今、こうしてやり直さない六十年が経ってとても楽しいのです。ありがとうございます。あなたのおかげです」
「俺はお前達をアンデッドにしただけさ。それが嫌なら聖水を被るなり、魔法で消え去るなり、好きにすりゃ良かったんだ。だけどお前達はそれをしなかった。だからこうして六十年生きているんだよ。俺のおかげじゃないさ」
死霊魔法で行動を縛る事は確かに出来る。けれども何事にも抜け穴はあるのだ。例外はないと、あの時彼女には言ったが、あるにはある。
だからそれを見つけて自ら死を選ぶなら、それもそれで仕方ないなと思っていた。特にアンデッドになったと知った時の、勇者達の荒れっぷりと絶望は大きかったから。
けれども勇者達はそれを選ばなかった。
――僧侶が必死で説得したからだ。
再び魔王を殺そうとする彼らを、衝動的に死を選ぼうとする彼らを、僧侶は必死で止めて説得した。
そのおかげで勇者達は今では楽しそうに人生を――まぁ、アンデッド生と言った方が良いかもしれないが――満喫している。
「自分の事を想ってくれる仲間がいるってのは良いもんだな」
「あら。私だって、あなたの事をそのつもりで想っていますよ? もっとも仲間ではなくて、妻としてですけれど」
僧侶はそう言うと魔王の頬に、ちゅ、と口付ける。とたんに魔王の顔が真っ赤になった。
「おまっ! 大胆!」
「三十年も夫婦でいるのに、あなたは本当に、ずっとかわいらしい。私に告白してくださった時のお顔もとても素敵でしたよ」
「いやいやいや、それ、男に言う言葉じゃないからねっ?」
「うふふ。だって、かわいかったんですもの。私がアンデッドになった一年後くらいからずっと好きでした、なんて言って」
「忘れてくださいお願いします!」
くすくす笑う僧侶を見て、からかわれた事が分かった魔王は肩をすくめる。少しして、つられて笑い出した。
「あの長いやり直しの中で、あなたが私に、何よりも大きなものをくださいました。ありがとうございます。そして……」
僧侶は魔王に凭れかかって、そっと耳に口を近づける。
「愛しています、私の旦那様」
「だからっ! 大胆!」
「うふふ。嫌いじゃないでしょう?」
「お前限定でね! 愛しているよ、俺の奥さん!」
リッチになった影響なのか、どうにも妙に積極的だ。もちろん悪い気はしないけれど。
そう思いながら魔王は妻を抱きしめて愛おしさを感じると同時に、二十回分のやり直しの中で一度も彼女に手を差し伸べなかった自分のぼんくらっぷりを思い出し、自覚し、ひっそりと反省しているのだった。
おしまい