★毛を逆立てた青い目の仔猫【弟3】
BL部分はシリアスになりがちですみません。このお話はコメディです。
はぁ、と深く息を吐き、レオンが僕を見据える。
いや、おそらくレオンは、僕の向こう側に、貴族というものを見ていたのだろう。
自分たちの何百、何千倍も多くいるはずの平民たちを従順な家畜と同じように考え、彼らの思考や心理など歯牙にもかけず笑っている、貴族という愚かな種族を。
「君たちは平民と一括りにしているけれど、それがそもそもおかしいよ。貴族だって家の力も様々で、個々人の能力も大きく違うのに」
薄く笑いながら、レオンは歌うようにいくつもの名を挙げた。平民の中から現れた、歴史上の偉人や悪人たちの名を。
「彼らがなぜそこまで無茶ができたか。それは、守るものを持たなかったからだよ」
多くのものを持つ貴族たちほど保身と安定を目指し、大博打は打たない。だから時折現れる、能力と強運に恵まれた、何も持たない平民に負けるのだと、レオンは言い切った。
「ねぇ、アラン。君に分かるかな?……一番恐ろしいのは、失うものを持たず、満たされず、飢えている野良犬のような人間なんだ。その人物がただの愚者ならば良い。けれどもし、神の悪戯で、身分にふさわしからぬ優れた能力を持つ者だったとしたら……」
暗い声で囁いたレオンは、眉間に深い皺を刻み、恐ろしい想像を振り払うかのように首を振った。
「持たざる者っていうのはね、生きるために、そして少しでも上へと這い上がるために、なんでもするんだよ」
まるで何も知らない幼児に語りかけるように、レオンは僕にそう告げる。そして悲しげに目を伏せて「そういう人間の恐ろしさはよく知っている」と、自嘲混じりに吐き捨てた。
「そうは言っても……トムというのは、平民の中では比較的恵まれた者だと言うじゃないか。裕福ではないが健全な家庭で育ち、能力も高く、今や特待生として学園に通っている。このうえ、何を求めると言うんだ」
「ふふ、さすがアラン。生まれながらの貴族の発想だね」
純粋な疑問から告げた問いかけに、レオンから心底呆れたと言うように首を振り、皮肉げに片方の口角を上げた。
「特待生として学園に通えていることをありがたく思え、と?君たちは、生まれながらに貴族であるというだけで学園に通えるのに?」
「っ、な」
あまりにも当たり前すぎて考えたこともなかった。
だって学園は、最初から貴族のために作られた学びの園なのだ。そこへ僕ら貴族は、有能ならば平民にも優れた教育を与えてやろうと、寛大な心で迎え入れてやっているのだ。
自分が無意識にそう考え、驕っていたことに気付かされ、ぞわりと背筋が冷えた。
「ねぇ、考えてもごらんよ?同学年の誰よりも優秀な少年が、なぜ平民であるというだけでそこまで見下されなければならない?むしろ、なぜ……自分より無能な人間たちが、貴族の家に産まれたと言うだけで特権を貪っているのかと、怒りや苛立ちを感じていないと、なぜ思える?」
「レ、オン……」
恐ろしく悍ましい予言じみた言葉に、僕は目の前の義兄弟の顔を直視できなかった。掠れた声で名前を呟くと、レオンはふっと冷めた顔で笑って目を伏せる。
「そいつの内面まではわからない。今の環境にちっとも満足せず、何を利用しても成り上がろうとしているかもしれないだろう」
「だ、だが、それはまぁ、……姉様もある程度は織り込み済みだろう。人間関係というのはもちつもたれつ、つまりは、互いに利用し合って成り立つものだから」
必死に自分を落ち着かせながら、僕は笑みを作って、思考を負の方向に暴走させるレオンを宥める。
「なぁレオン、やはり気にしすぎだと思うぞ。王太子妃教育も受けている姉様が、平民相手に遅れをとるほど愚かだとも思えない」
「ははっ、……『しょせん、相手は平民だ』とね。俺が怖いのは君たちの、その油断だよ。自分より下等だと舐めてる相手に対して、本質的に人間はそこまで注意を払わないからな」
どれほど僕が言い聞かせようとしても、レオンは馬鹿にしたように笑って首を振るばかりだ。
「アラン、君だって、賢い平民にお貴族様が利用されるなんて考えたことがある?平民に貴族が倒されるとか、殺されるなんて、考えてもいないだろう?」
「レオン、落ち着け。流石に思考が飛躍しすぎていると思うぞ」
僕が落ち着かせようと手を伸ばして一歩歩み寄れば、レオンは反射のように一歩後退る。それがまるで心の距離を表すようで、ぐさりと胸が痛んだ。
だいぶ心を開いてくれたと思ったけれど、まだレオンは僕らとの間に高い壁を作っている。僕らはしょせん貴族だ、と。
「姉様は少々善人かもしれないけれど賢いし、社交もお手のものだ。これまでも社交界では何度も陥しいれられかけたが、一度も負けたことがないんだぞ?ああ見えて強かな人だ。もう少し信頼してもいいだろう」
「義姉様がお得意なのは、貴族や王族間での駆け引きだろう?義姉様は、学園では少女らしく、気を抜いて過ごしていらっしゃるようだし、友人相手に警戒しているとは思えない」
「うーん……」
何と説得しても頑として聞き入れないレオンに頭を抱える。さてどうしようかと頭を悩ませていたら、レオンは苦々しげに呟いた。
「そもそも、お義姉様は、あまりにもトムという少年ひとりに、強い好意を抱きすぎだと思わないのか?」
「は?」
ぽつりと落とされた言葉の不可解さに、僕は顔を上げる。
「出会ってからずっとトムという名前ばかりが出る。他の友人の名がほとんど出ないなんて、異常だ」
「姉様はまぁ、子供の頃はちょっと、完璧主義すぎて同年代からは怖がられていたからな。立場も相まって友達が元から少ないから……初めての、家や派閥が関係ないお友達は嬉しいんだろうさ」
レオンの発言の意図が分からず、僕は内心で首を傾げながら自分の考えを伝えた。
「父上が調べて白だったんだ。トムの裏に何かいるってことはなさそうだし、今のところ姉様に悪い影響があるわけでもない。気にしすぎだろ」
「たとえ彼の裏に何もなくても、彼自身が義姉様に横恋慕して、もしくは義姉様を利用しようとして、清純で無知な義姉様をたぶらかそうとしている可能性だって、ないわけじゃないだろ!」
「たぶらかす、だって?」
また突飛なことを言い出した、と思わず僕は眉を寄せる。
レオンの言葉は僕には不可解極まりなく、まるで姉と仲の良い人間に嫉妬している幼児の戯言のようだと思えた。
「姉様をたぶらかすって言ったって、あの美形で完璧人間な殿下を婚約者に待つ姉様を、凡庸な容姿の平民が落とせるとは思えないけどな」
「そういう先入観が危険だと、何度言えば伝わるんだ!」
地団駄を踏まんばかりのレオンが、きつく眉根を寄せて吐き捨てた。
「あれはおかしい。何か外的な力が加わっているとしか思えない執心ぶりだと思うよ」
「外的な力ぁ?」
断言するレオンに、僕は呆れ混じりに笑った。
「まさか、魅了魔法を使っているとでも?そんな御伽噺の世界の話を」
「違う」
絵本に描かれている夢のような話をするものだ、と僕は揶揄うように笑った。しかしレオンは短く否定して、真面目な顔で首を振る。
「たとえば……娼館では、媚薬と銘打った幻覚剤や興奮剤が、いくらでも出回っている」
「は!?それこそありえない!姉様にそんな違法薬物が使われていたら、我が家も王家も気づくだろう」
「……それだけじゃない」
笑い飛ばす僕に、レオンは陰のある顔でぼそりと呟く。
「相手を、自分に夢中にさせるような思考支配や洗脳の技術も、裏社会にはいくらでも転がっているんだ」
目の前の美しい少年の言葉とは思えない内容に、僕は目を丸くしてしばらく押し黙った。そして僕から目を逸らしたまま泣きそうな顔で俯いている義兄弟に、そっと尋ねた。
「レオン……君、なぜそんなに詳しいんだ?」
「……簡単な話だよ」
どこか投げやりに、レオンは薄い笑みを血の気のない唇に浮かべて口を開く。
「俺の家は貧しくて、俺は愛されていなかった。だから親は俺を使って、金を儲けようと考えた。売られる前に、幸いにも親は死んだけどな。高く買ってくれる裏の人間との繋がりはあった」
売られる前に。
そうあっさりと告げるレオンに、僕は息を呑む。僕の従兄弟は、侯爵家の高貴な血をひいたこの美しい少年は、貧しさのために親に売られかけたと言うのか。
呆然とする僕の前で、レオンは淡々と続けた。まるで何でもないことかのように。
「いやまぁ、そうでなくても、あの辺の貧しい人間はたいてい裏の人間と繋がっていたんだ。俺は顔が良かったから、外向きの仕事で使い勝手が良かったんだろうなぁ。……ははっ、あとはもう推測できるだろ?」
苦笑いで言うと、にやりとわざとらしく厭らしい笑みをうかべて、レオンは僕を真正面から挑むように見た。
「つまり俺は、娼婦たちにその手の薬を売ってる側だったんだよ」
露悪的な言動とは裏腹に、ひどく悲しげな目をしたレオンが虚に笑う。
「お前たちが家族として受け入れたのは、そんな汚い過去がある人間なんだよ……ごめんな?」
随分と投稿が空いてしまいすみませんでした。実生活がバタバタとして余力がなかったのですが、ネトコン一次通過の喜びのあまり、なんとか戻ってきました。最終話までプロットはあるので、のんびり頑張ります。




