★警戒心の強い野良猫【弟2】
家族の揃う夕食の席。
我が家のムードメーカーである姉が、今日も生き生きと話していた。
最近の話題はもっぱらトムという友人のことだ。
「それで、トムが魔法薬学で作ってくれたクリームが素晴らしい保湿力で、女学生の間で大人気になってしまいましたの!なかなか手に入らなくなってしまったので、困っておりますわ!」
身分もあいまって、なかなか親しい友人ができなかった姉は随分とトムに入れ込んでいるらしく、毎日のように話題に上った。
「あらまぁ、マリアがあんまりにも絶賛するから私も欲しかったのですけれど、しばらく難しいかしらねぇ」
「お母様の分はもう最初に頼んであるから、明後日には貰えますわ!」
残念そうに頬に手を当てた母に力強く言い切り、そしてさもおかしそうに笑いながら姉は嘆く。
「でも私の追加分はまだ先になりそうですの。もうそろそろなくなっちゃうから困ってしまって。最初にもっと貰っておけば良かったわ!トムが大変かしらって遠慮してしまったの……」
「あはは、トムくんは平民だろう?彼にとっては良いアルバイトなのだろうね」
「そうらしいですわ。今月いっぱいは魔法薬学が自習期間だから、学校の備品で授業中にできるし最高なんだ!って言ってて、逞しくて驚きました」
材料費と些細な手間賃のみでトムが作ってくれる化粧品が、高位貴族である姉にとっても大層高品質らしい。
平民にとっては貴族の「些細な手間賃」はさぞや大金だろう。トムという者は良い小遣い稼ぎを見つけたものだ。
そう思いながら、僕は聞くともなしに姉と父の会話を聞いていた。よく話題に出てくるトムについて、父はどうやらかなり買っているらしく、「良いお友達が出来たね」と頷いている。
そこへ、兄が「こら、マリア」と口を挟んだ。
「自習期間じゃなくて、学生たちの自由研究期間だろう?」
姉の言葉に兄が呆れた声で訂正を入れた。
「教授は各自が興味のある分野を深めるようにと言っていると思うぞ」
「でも、トムにとっては好きに魔法薬学の器具を使って遊べて、お小遣い稼ぎもできる最高のご褒美月間なんですって。ふふ、さすがに図太すぎて笑ってしまいましたわ」
姉の朗らかな笑い声が食堂をきらめきに包む。根っから明るい善人の姉は、そこに居るだけで空気を明るくする。家族はみんな目を細めて頷き、楽しげな姉を見守っていた。
「でもトムは本当に凄いと思います。だって私にはとても無理ですもの!研究課題を完成させるだけで手一杯ですわ」
「私もむりだなぁ。我が家は魔法薬学と相性が悪いのかもしれないね」
肩をすくめてお茶目に笑う姉に、兄はくすくすと笑いながら同意する。繊細な薬品と魔力の調整が必要な魔法薬学は、比較的衝動的かつ相当感情的な気質の我が一族には向いていないのだ。
「マリアはお友達なのに、先に貰えないのかい?」
「あら、ちゃんと順番は守りませんと。割り込み禁止ですわ!高位貴族の私が無理を言ったら、追随して平民を後回しにしなさいなどと言い出す子が出てくるでしょう?だから私が率先して順番待ちをしていますの!」
堂々と胸を張る姉に、兄は笑い出し、父と母が微笑ましそうに頷く。
「マリアは偉いなぁ」
「立派な心掛けよ、マリア」
そんな朗らかな食卓で、一人だけ難しい顔をして深刻そうに考え込んでいる人間がいる。
レオンだ。
学園に入学した姉が、平民の男子学生と親しくなったことに、一番危機感を抱いていたのは義弟のレオンだった。
「……お義姉様と一番仲の良い方は、男性で、しかも平民なのですね。侯爵家としては、よろしいのですか?」
母と姉が夜のお手入れのために去った男たちだけの談話室で、レオンが口を開いた。
「あはは、あの子は気にしない子だからねぇ」
レオンですら気にする点を気にしない姉を微笑ましそうに笑い飛ばし、火酒を揺らして父は言った。
「私たちもマリアのお友達と聞いて、色々と調べたが、本人の評判も良いし、ご両親もまっとうな人柄で、ついでに七代遡っても平民だ。我が家が対処を考えるような、おかしなところとの繋がりも見えてこない」
娘の友人に対する調査としては行き過ぎにも思われる内容を当然のように口にして、父は優美に微笑した。
「トムくんは生まれる場所を間違えたとしか思えないような、ひどく優秀少年、というだけのようだ」
傲慢な台詞を当然のように言い放つ父に、レオンは無表情のまま視線を落とした。天使と溺愛する姉が不在の場で、父はいかにも貴族らしい、少し残虐な顔をする。
「大層優秀な学生で、王太子殿下の覚もめでたいと聞く。平民初の首席で、既に複数の分野でいくつもの論文を出しているとか……いやぁ、驚く話だけれどね」
ありえない話ではない、と父は続ける。実際過去にも、稀代の天才と呼ばれた優秀な平民が宰相になった例がある。なにしろ、学園への平民の特待生入学制度はその宰相が作り上げたものなのだ。いろいろとトラブルも多い仕組みだが、トムという人材を拾い上げることが可能だったと思えば、やはり歴史の中の偉人は先見の明があると言えるのだろう。
「彼はおそらく、将来的には相当出世するだろう。あらかじめ繋がりを得ておくのは悪くない……というか、下手に対立派閥に取り込まれるよりはこちらで庇護しておくのが得策だろう」
ひょいと肩をすくめながら、父はレオンに笑う。貴族的な論理を教えようとでも言うように。
「トムくんとの交流の中でマリアの視野も広くなるし、有能な人材を青田買いできそうだし、まぁ良いのではないかな?」
別に結婚したいと言い出したわけでもない、節度をわきまえた友人ならば別に気にすることはないと、父はレオンの不安を笑い飛ばした。
「マリアが彼に抱いているのは純粋な友情のようだし、もともとマリアは現実主義だからね。身分違いの恋などというドラマに夢中になるような夢みがちな子でもない。そもそも王太子殿下の婚約者だしね、間違いは起こりようもない」
姉には学園内でも、侯爵家の侍女はもちろん、王家からつけられた公的な護衛、そして、影と呼ばれる監査役が付けられている。相手が男であれ女であれ、ふたりきりになることは不可能だ。
「彼が悪いことを考えているようならば、まぁその時にはよく考えるがね」
この話は終わりだと言うようにグラスを傾けて、父はレオンの剣術の進み具合について話題を振った。穏やかに話を促す父に、レオンはいつもの物静かな微笑を浮かべて従順に答えている。その内心は、穏やかなものではなかったかもしれないが。
きっと、両親は平民など問題ではないと思っていたのだろう。
もし悪さを考えているようならば、片付ければいい、と。
僕も兄もそうだ。
けれど、レオンは「トム」の名が姉の口から出るたびに、不安そうな顔をしていた。
姉はそれを姉思いな義弟だと、ホクホク顔で受け入れていたけれど、僕にはわかる。
レオンは、心底平民の男を警戒していたのだ。
「なぁ、お前。なんでそんなに恐れているんだ?姉様は別にその男に惚れてるわけでもないし、今の段階で警戒するほどの情報はないだろう。何か分かってから対応しても、十分間に合うさ」
なにせ相手は背後に大物が潜んでいるわけでもない、ただの平民の少年だ。そう笑う僕に、レオンは暗い目を向けた。
「ねぇ、君たちは貴族ってだけで、なんでそんなに強気でいられるんだい?」
「そ、そりゃあ」
権力も財力も兼ね備え、建国以来の歴史をもつ権威のある侯爵家だ。そのうえ、次期王妃を擁する我が家が強気でいなければどうするのだと、僕は引き攣った顔で笑い飛ばそうとした。
けれど、レオンは「そんなものは、平民には関係ない」と嘲笑する。
「ねぇ、アラン。平民を、馬鹿にしすぎない方が良いよ。……持たざる者というのは、恐ろしいんだ」
そう告げたレオンのアイスブルーの瞳は、祖父そっくりに冷たく凍えていた。
震災に怯えていたりギックリ腰になったりで、すっかりご無沙汰して申し訳ありません。
そして弟ズのことを忘れて、完結させようとしていました。読み直して気づいたので、現在慌てて書いております。この二人が一番難しいなぁ後で考えよう、とか思っていたら……(おばか)。




