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★知らない感情を教えてくれる人【王太子2】



私は人の感情を読み取ることはできても、理解ができない。

実感を伴って納得することがない。


果たして、こんな()()()()()()()()が、王になっても良いのだろうか。


そう嘆いた私に、トムは笑って言った。


「それはあなたの咎ではありませんよ、殿下」


意図を理解できず首を傾げる私に、トムはクスクスと笑いながら口を開いた。


「周りの大人が皆、冷静であり、感情を出さぬように心がけている環境で育ち、しかも『理性的であれ、心を揺るがすな、感情を表に出すな』と言われるばかりで育てば、そうもなりますよ。人間、心というのも周囲から学ぶものでございますからね」


思いがけないことを言われて、私はかすかに瞠目した。


「心を、学ぶ?普通の人間は、みんな生まれ持っているものではないのか?」

「人間の感情なんて、全て周りから学習したものでしょう。知らないのならわからなくても仕方ないと思いますよ」


当たり前のように続けたトムは、心底同情するという顔で、私に向かって「お気の毒ですねぇ」と言い放った。


「教えてもらっていないのに、なぜ分からない、と言われるようなモノです。せめてサンプルや参考資料くらい欲しいですよねぇ」


ケラケラと笑いながら続けるトムに、私は目から鱗が落ちる思いだった。


「どうすれば、いいのだろうか?何か良い参考書を知っているか?」

「参考になる()なんて、周りにたくさんいるではありませんか」

「ひと?」


眉を顰める私を、トムはおかしそうに笑いながら見上げた。


「知らないから教えてくれないかと、素直に尋ねればいいではありませんか」

「王族がみだりに弱点を曝け出すものではないだろう」

「殿下の弱みを握ってやった!だとか、そんなひどいことを考える人間ばかりではありませんよ」


なぜか知らないが、トムはずっと笑い転げんばかりに楽しげだ。私の懸念を簡単に否定するトムを、相変わらず随分と無礼な奴だなぁと呆れる。しかしトムからさ悪意がまったく感じられないので、問題だとは思わなかった。トムの笑いにはむしろ、母親が赤子の失敗を微笑ましいと笑うような大らかさがある。トムと向き合っていると、神の手のひらの上で遊ばれているような、安心感があるのだ。


「簡単なことです。あなたが信頼する相手に()()、その本音をぶつければよい」

「信頼……難しいな。私にできるだろうか」


眉間に皺を寄せてため息を吐く私を、トムは笑いを噛み殺すような顔で、目を細めて見つめた。


「お気づきではないのかもしれませんが、殿下の抱く()()は、もう既に感情ですよ?()()、という名のね」

「……たしかに」


気づいていないだけで、私の中にも感情はあるのかもしれない。


「殿下、本来はわりと感情豊かな人なんだと思いますよ。ガッチガチに押し込めているから取り出して認識できないだけで」

「なるほど……トムに指摘されなければ、ずっと認知できなかった気がするよ」

「あはは、素直な方ですねぇ!その調子でぶつかってみたら、()()()()()()()()になるのはすぐですよ」


トムは平民の触れ合いのように、ぽん、と私の肩を叩いて力付ける。そして自信たっぷりに断言した。


「僕には()()()()()()()()も、きっと教えてくれる人がいますから」


そう、すぐそばに。


小さく囁かれた言葉がやけに耳に残った。








「感情を、教えてほしい?」

「あぁ、そうだ」


恥を忍んで依頼した時、カールは少しだけ驚いたように瞠目したが、すぐに納得して頷いた。


「殿下は、御幼少の頃より王族としてたゆむことなく感情を制御する訓練を重ねていらっしゃった。その成果でしょう?王となるあなたが、ただびとのように感情を抱く必要があるのですか?」

「王となるからこそだよ、カール」


怪訝そうに首を傾げるカールに、私はいつものように微笑み、もっともらしく頷いた。


「人を理解するには、その心を理解せねばなるまい。人間らしからぬ王が国を支配すれば、きっとどこかで無理が来る。その時が私は恐ろしいんだよ」


本当はただ知りたいだけだった。けれど私は、カールを前にもっともらしいことを言って、にっこりとお願いした。

まるで、命令のように。


「良き王となるために、人の心を学ばせてくれ」







私が感情を学ぶたび、カールとの間には諍いが増えていった。

怒りやもどかしさ、苛立たしさややり切れなさといった感情は、カールとの関係の中で認識したものだ。

これまで漠然とした靄のなかで生きてきた私にとって、それらの鮮烈で鋭利な感情は新鮮だった。


カールとの関係で、私は多くのものを学んだ。

そしておそらく、その中で最も私を苦しめたのは、カールに対する嫉妬、羨望、憧憬……そんな名状し難い、ぐちゃぐちゃとした感情だった。






「すまない、今回のことは私が悪かったんだ」

「え?」


ある日、喧嘩の後でいつものように謝りに来たカールに、私はとうとう本音を吐露した。


「……私は、八つ当たりをした」

「八つ当たり?」


私が告げた言葉にに、カールは微かに瞠目した。思い当たる節がないと言うように、不思議そうに首を傾げる。そんな反応に苦笑しながは、私はぽつぽつと語った。


「あぁ、私にはないものを持つ君が羨ましくて……私はずっと、君に憧れていたんだ」

「え?……わ、私に、憧れ!?」


動揺したカールが、唖然とした後で私の言葉を鸚鵡返しに繰り返した。そしてそのままポカンと口を開けている。滅多に見せない間抜け面に、私は思わず緩やらかに口元を緩めた。


「なぜそうも驚く?」

「そりゃ驚きますよ」


言い争いになった時ですら、カールは多少眉を寄せるだけで取り澄ました顔ばかり見せる。そんなカールの戸惑う様子に、この男の素顔を引き出せたような気がして、私は少しばかり愉快な心地になった。


「どうしてですか?私があなたより優れていることなど、そうありません。試験の成績くらいですよ?」

「ふふ」


眉を顰めて理解に苦しんでいるカールに、私は小さな苦笑をこぼす。

なるほど。持つ者は、持たざる者の気持ちがわからないものらしい、と。


「君は強いから、憧れていたんだ」

「強い?」

「あぁ、情が強く、意志が強く、曲げることのない己自身がある。君を形作る精神が、とてもはっきりとしているだろう?」


内に激しい炎を宿しておきながら表面的にはしごく冷静に、穏やかに振る舞うことができる。それは私の理想だ。内も外も、常に凪のような私とは違う。


「羨ましかったんだ。……私は自分というものがないから」




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