★浅ましい望みを胸に秘め【兄4】
ガサッ
「……チッ」
しばし呆然としていた私は、背後の茂みからした物音に舌打ちを漏らした。
どうやら、良くない場面を見られてしまったようだ。
「誰だ」
「あ……すみません、昼寝しておりまして」
鋭く誰何すれば、どこか見覚えのある小柄な少年がモゾモゾと現れた。
「君は、マリアの」
「友人のトムです。ご無沙汰しております」
ぺこり、と呑気に頭を下げるトムの姿にひとまず胸を撫で下ろす。敵対派閥の人間ではなくてよかった。
「はぁ……酷いところを見せたな」
「そんな酷い場面でしたか?」
「王家と侯爵家の仲違いだ。大した醜聞だろう」
物分かりの悪い平民に、うんざりしながら自嘲まじりに教えてやれば、
ケロリとした顔でトムは笑う。
「そんなの、仲直りすればいいじゃないですか」
「仲直り?」
気軽に言われた台詞に、私は苛立ちを抑えられなかった。
「そんな簡単なものじゃない。私は学友として選ばれ、殿下のお側にありながら、殿下を……怒らせてしまった」
「うーん?」
あまりにも不恰好な己に、唇を噛み締める。もっとうまく、殿下の心を和らげることもできたはずなのに。意固地になったせいでこの結末だ。
落ち込んでいる私を、トムは首を傾げながら見つめ、そして苦笑した。
「あの……カールさま。僭越ながら、友達との喧嘩の仲直りについて、助言させて頂いてもよろしいですか?」
「え?友達、との、喧嘩?」
「ええ、したことがないでしょう?」
先ほどの諍いに、思いがけない軽やかな表現をされて、私は困惑に瞬いた。
「十代半ばを過ぎても声を荒げて喧嘩をするなんて、可愛らしいじゃないですか!お二人が仲良しの証拠ですよ」
「可愛……?」
どうやら私と常識というものが違うらしい。トムという平民の発言は、何が言いたいのかさっぱり要領を得なかった。
「私たちは、もっと身分にふさわしい言動をとるべきだったね。みっともないところを見せてすまなかった。では」
困惑ばかりが募った私は、早々に話を切り上げようと試みた。しかし。
「みっともなくなんてないですけどね。真剣に相手を想い合う人間同士なら、ぶつかるのは当然ですし」
「……え?」
呟くようなトムの言葉が気に掛かり、私はつい足を止めてしまった。
「僕からしたら、お二人とも、まるで普通の平民みたいな喧嘩をなさるんだなって思えて、笑っちゃいましたけれどね。歳の離れた弟を溺愛する兄……いや、溺愛する恋人との痴話喧嘩みたいでしたよ」
揶揄うように言ってくるトムに、私は動揺を顔に出さないのが精一杯だった。
この少年は何を言っている?何を察している?何を考えている?
マリアの友人だが、場合によっては、対処しなければならないかもしれない。
そんな私の内心の嵐も知らず、トムは呑気に言葉を続けた。
「相手のことを大切で、大好きだからやり過ぎちゃうんですよね。空回りは愛の証、ですよ」
くすくすと笑いながら、先程の私の悲嘆を笑い飛ばし、平民の少年は大したことではないと言い切った。
「単純なことです、謝ればいいんですよ。あなたのことが大切すぎて、つい手を出しすぎてしまったんだ、これからは事前に相談するねって、言えば良いだけです」
「……そんな簡単な話だろうか?」
あっさりしたアドバイスは、思いの外胸に響いた。私がぽつりと問いかけると、トムは力強く頷いてくれた。
「今はまだ簡単に済む話だと思いますよ?でも、何事も人間関係はスピード感です!間に変な人が入ったりして拗れる前に!早く謝っていらっしゃいな」
乳母が幼子を嗜めるような言い方に毒気を抜かれた私は、妙に素直にコクリと頷いていた。
そんな私を見て、トムは嬉しそうに笑う。まるで本物の聖母のように。
「仲直りは早めが肝心ですよ〜」
「あぁ……ありがとう」
「驚いた。君がそんなに素直に出るとは」
走って追いかけ、トムに言われた通りに素直に謝れば、殿下はやけに驚いた顔で私をまじまじと見つめた。
殿下の中の私は一体どんな人物なのだろうと思ったが、聞いたら落ち込みそうでやめた。
「誇り高い君がこんなにも早く頭を下げにくるとは、正直思っていなかったよ」
「非を認めるべき時は認めます」
気まずい思いで告げる私を、殿下は面白そうな顔をして見つめた。
「でも、カールはそれか正しいと思ってやったのだろう?」
「……黙秘します」
多少の、いや、かなり私情が混ざっていた自覚のある私が視線を逸らすと、殿下はおかしそうにくしゃりと笑った。
「ふふ、なんだその気まずそうな顔は」
「……殿下への忠誠心が空回りしたようで」
「あははっ」
なんとも決まりが悪く言葉を濁す私に、殿下は弾けるような笑い声をあげた。
そしてやけに嬉しそうに私を見て、にやりと笑った。
「いいよ、許す。良い臣下をもって、私は幸せだな」
「……もったいないお言葉です」
殿下が人前では見せないような、晴れやかな笑顔を真正面から直視した私は、あからさまに動揺してしまった。
顔に血がのぼり、心臓はどくどくと早鐘をうつ。
「私は殿下のためにこの身を捧げると決めておりますので」
「そりゃありがたい」
早口で続けた私を面白そうに眺める殿下の、白い首筋から目が離せない。
あぁ、この感情を主従関係だけでおさめられなくなる日は、そう先ではなさそうだった。




