★死んだ恋人との逢瀬【叔父4】
「ルーク先生!」
「おや?ト、む……」
トムの後ろに立つ私を見て、絶句したように硬直するアンドリューに、私は確信した。彼は、記憶を失ってなどいない、と。
「そ、ちらは?」
揺れる瞳で、必死に私から視線を逸らし、小柄な少年に声をかける姿。
「学院でできた友人の、お身内の方です。ルーク先生に教えて頂いた僕のマナーや作法が素敵だと言ってくださったから、嬉しくて!僕の大好きな自慢の先生をご紹介しようと思って連れてきたんです」
アンドリューが喜んでいないことを察したのだろう。私が望んで来訪したのだとすれば、アンドリューが怒るとでも思ったのか、にこにこと笑いながら、トムが私を庇った説明をしてくれる。
「こちらの方は、平民の教育や福祉にも力を入れていらっしゃるそうで、先生のご意見を聞きたいと仰って。是非お願いします!そうしたら、教会の蔵書に児童書や参考書も増えるかもしれないし!」
「トム!まったく……教え子が随分と失礼いたしました」
窶れ、傷を負ってもなお美しいアンドリューは、平静を装って私に告げた。
「どうか中へお入りくださいませ。……ゆっくり、お話いたしましょう」
侯爵家の頃とは比べものにならないほど安物の茶葉にも関わらず、どこか懐かしい味の紅茶を飲む。教会の中の静かな客間で、私は何から話して良いのか決めあぐね、アンドリューをチラチラと見るばかりだった。
「……はあ」
そんな私に呆れたのか、アンドリューは諦めたように苦笑する。そして私を見つめ、懐かしい穏やかな声で告げた。
「お久しぶりでございます、カーティス様」
「……アンドリュー、やはり覚えているのだな」
「ええ、最初の頃は本当に忘れておりましたが」
肩をすくめて小さく笑い、アンドリューはふぅとため息を漏らした。
「いっそ忘れたふりをしようかとも思いましたが、騙されてはくれないでしょう?」
「あぁ。目が合った時に、忘れていないのだと思ったよ」
眉を落としてアンドリューが「やっぱり」と呟く。
「あまりにも突然で、咄嗟に繕えませんでしたからね……。それに、ここまでいらっしゃったからには逃げられないのだとも思いました」
「……逃げたかったのか?」
悲痛を滲ませた私の問いかけに、アンドリューはため息混じりに首を振った。
「いいえ……と言うよりは、逃げなければならなかったのです、私は」
「どういうことだ?」
眉を顰める私に、アンドリューは苦笑する。
「私の存在は、あなたの微瑕となる。だからです」
微瑕。かつての若い頃だったならば、確実に否定しただろう。だが、今は彼の言いたいことが分かるから、私は力なく肩を落とすしかなかった。そして、ぽつりと呟いた。
「そうだとしても、私は……私は、君に逢いたかった。ずっと」
「私は……あなたに、会いたくはありませんでした。もう二度と、私を見つけて欲しくはありませんでした」
「そうか」
強い拒絶の言葉に、私は机の上に組んだ己の手をじっと見つめる。そしてしばらくの沈黙のあと、絞り出すようにポツリと呟いた。
「……やはり、許せない、か?」
「え?」
「君を……アンドリューを死に追いやった私を、許すことなどできない。当然だ。……すまなかった、もう来ない」
年甲斐もなく泣き出してしまいそうな己を嗤いながら、私はアンドリューと目を合わせないようにして、席を立った。
これ以上ここにいるわけにはいかなかった。アンドリューは、私との再会を望んでいなかったのだから。
けれど。
「ち、がいます!逆です!」
慌てて席を立ったアンドリューが、私の背中に向かって叫んだ。
「……逆?」
意図を掴みかねた私が振り向けば、アンドリューは唇をかみしめて、悲痛な目で私を見返した。
「私は……見られたく、なかったのです。こんな、姿……っ」
「え?」
こんな姿とは、どういう意味だろうか。
私が困惑していると、アンドリューは暗い顔で自嘲するような笑みを浮かべた。
「だって、私はみっともなくて、……随分醜くなったでしょう?」
「アンドリュー?君のどこが醜いんだ?」
私は意味がわからず名前を呼ぶ。全てを奪われ、全てを失っても、アンドリューはしなやかに生きてきたはずだ。
自暴自棄にもならず、教師として身を立てて城下の子供達に生きる知恵を教え、健やかに導いている。公爵家の入婿として役に立たなかった私より、よほと立派だ。
しかし、そんな私の困惑を、アンドリューは諦念と悲哀の混ざった目で見返した。
「説明しないと分かりませんか?……あの頃の私は、顔に傷もなく、体も健康で、身分の他は、あなたの隣に立っても恥じることはありませんでした。けれど今は、顔に大きな傷を持ち、手足もうまく動きません。それに比べて……あなたは、変わらず美しい」
苦しげに告げられた言葉に目を見開く。
「し、しかし、君の傷は、私のせいで」
「あなたのせいではありませんよ。それに、そうだとしても、関係ないのです」
アンドリューの全ての不遇は私の責任なのだと言っても、かつての恋人は否定し、そして力なく首を振る。
「私は、せめて美しい思い出のまま、あなたの記憶に残っていたかった。こんな惨めな、哀れを誘う姿ではなく」
したたるような絶望を湛えた瞳に、私は言葉を失った。




