★死んだ恋人の手がかり【叔父3】
「まさか……いや、でも、まさか」
ぶつぶつと呟きながら、私は玄関へ続く廊下を歩いていた。マリアの友人から聞いた情報に動揺し混乱の真っ只中だった。あまりに思い当たる節が多すぎたのだ。
「すみません!お待ちください!落とし物です」
ふらふらと廊下を歩いていたら、瑞々しい声に呼び止められた。
「カフスボタンを落とされてますよ!」
「え?あ、ありがとう」
晴れやかな笑顔で渡される釦を、作り笑顔で受け取る。可愛い姪の友人だけれど、今はあまり愛想良くできそうになかった。
もしかしたら彼かもしれない。
彼は生きて、実はすぐそばにいたのかもしれない。
そんなわけがないと思いながらも、妄想じみた思いつきは消えず、落ち着かけなったのだ。早く一人になって、思考を整理したかった。
「じゃあね」
「ねぇ、おじさま」
「え?」
早々に立ち去ろうとしたのき、あまりにもナチュラルに、親しげな呼び名で呼ばれて困惑した。何かおかしいと警戒心が起きるが、続く言葉に霧散する。
「おじさま、ルーク先生が気になるのですか?」
「あ、いや、その」
予想していなかった質問に動揺し、口籠もる。これでは肯定しているようなものではないかと己を笑い、私は肩をすくめた。
「私の……友人の状況に似ていてね。でも、もしそうだとしても、彼は会いたくないだろうし」
はるかに年下の少年相手に、モゴモゴと言い訳じみた言葉が溢れ、ひどく情けない気分になった。しかし、トムが続けた言葉に、私の時が止まった。
「先生は、自分の名前も忘れてらしたんです。助けられて名前を聞かれた時
『りゅー』としか言えなかったらしくて。だから、似た音をとって、先代の神父様がルークと名をつけたと聞きました」
「えっ?」
「ですので、今の本名は確かに『ルーク』なのです。けれど、記憶を失う前のお名前のことは、僕たちは誰も知りません。だから、もしかしたら本当に、そのご友人かもしれませんよ?」
どくん、どくん、と心臓が早鐘を打つ。思わず胸を押さえて呼吸を整えた。そんな、馬鹿な。これじゃあ、あまりにも……私の妄想そのままではないだろうか。
「よろしければ、ご案内しましょうか?」
「い、いのかい?」
無邪気な言葉がまるで悪魔の誘いのように感じ、ごくり、と唾を飲む。
「ええ。……遠くから見て、そのお方かどうか確認してから、また考えればよろしいじゃありませんか」
ひっそりと囁き、凡庸な容姿の少年は、やけに嫣然と微笑んだ。
***
「……ぁ、あ、あぁ……まちがいない。彼だ」
遠目からみても、すぐにわかった。
もちろん姿はだいぶ変わっている。
顔には大きな傷があり、足を引きずり、髪には艶がなく白いものが多く混ざってる。
けれど、彼だ。
優しい微笑みも、周囲を包み込むような暖かな空気も、私の覚えている彼のものだ。
「連れてきてくれて、ありがとう。トムくん」
「いえ」
よかった、生きていた。
あまりの安堵と衝撃に、身体中の力が抜ける。情けなく近くのベンチに座り込み、私は帽子を横に置くと、両手で顔を覆う。泣き出してしまいそうな喜びを、奥歯を噛み締めて耐えた。
「声をかけなくて、よろしいのですか?」
「いいんだ。……平穏に暮らしているのに、邪魔したくない」
「そうですか」
励ますでもなく責めるでもなく、トムはただ穏やかな相槌を打つ。
「彼にとって僕は、消してしまいたい過去そのものなのだろうから」
静かに続きを待つトムの気配に、ざわめいていた心が、なぜかすぅっと落ち着いていく。つい心を許してしまう空気、これは何なのだろうか。だから、つい。
「彼は、私の恋人だった」
私は思わず、口が滑ってしまった。
「私のせいで彼は……アンドリューは、殺されたんだ」
私はまるで懺悔でもするかのように、これまで誰にも話したことのない心の内を、会ったばかりの少年に語ったのだ。
「私の青く身勝手な恋心の暴走と、運命や妻……当時の婚約者や彼女の家を憎む他責思考の考え方が、私の周りの皆を不幸にしてしまったんだ」
ぐしゃり、と手の中の帽子を握りつぶす。
「私には、彼に声をかける資格などないのだよ」
私の長い懺悔の後、少年は穏やかな声で呟いた。
「でも今、ルーク先生は生きています」
「え?」
振り返れば、私を見つめる瞳には蔑みも怒りもない。トムはただ私の心を見通すように、どこまでも深い眼差しを向けている。
「これもきっと、神のお導きなのでは?」
にこっと笑い、トムは小さく首を傾げて、私を柔らかく見上げた。
「もうあなたは十分に苦しんだ。そして自分だけの感情で動かず、周囲のことを、ルーク先生のことを思いやり、身を引こうとしている。……きっと神は、あなたの愛を許して下さいますよ」
彼の後ろから、光が差しているような気がした。




