9ルーク先生って誰?……ね、ねぇ叔父様どうしたの?
「おや、お友達かい?」
「あ、叔父様!」
自分の中の違和感と危機感をなんとか宥め、やっと落ち着いてトムとあんこパーティー、じゃなくてお茶会をしていたら、叔父様が箱を片手に現れた。
今日も父に報告をしに来ていたらしく、帰る前に顔を出してくれたのだという。
「こちら、私のお友達のトムですわ。学年主席ですのよ」
「おや、それはすごいね」
パチパチと剽軽に目を瞬いて、叔父様はくしゃりと破顔する。人好きのする笑みを浮かべた叔父は、箱の中から菓子を取り出して「頑張る子たちには、これをあげよう」とウインクした。
「あら、可愛い!これは何ですの?」
「砂糖を固めたお菓子だよ。ちょっとこちらの砂糖菓子とは製法が違うらしい」
やっぱり……これ落雁?よね?こっちの世界にもあるんだ。
私がまじまじと眺めていると、叔父はトムに小箱を渡して柔らかく笑いかけていた。
「この豆のお菓子と違って日持ちもするし、お友達もお土産にどうぞ」
「あ、そんな!僕は平民ですので、お気遣いなく!そ、それに、このお菓子を見るのが初めてでして、食べ方が、ちょっと」
わざわざ叔父が皿に取り分けてくれたものだから、トムは大いに慌てていた。パタパタと両手を胸の前で振って、まるでパニックを起こした狸のようである。
「お菓子に身分など関係ないさ。それにほら、これは手で食べても平気だよ」
自分も一つ手に取り、カリッと齧る叔父は、姪の欲目を差し引いても若々しくて男前だ。かっこいい。
……だ、大丈夫かな。
最近叔父と親しく接するたびに、そこはかとない不安がよぎる。この人も攻略対象な気がして仕方ないんだよね。あんまり肩入れしすぎないようにしないと。
私がそんなことを考えている間に、トムが覚悟を決めたのか、皿に手を伸ばしていた。
「で、では……頂きます」
そう呟いて、トムは恐る恐る落雁もどきを齧る。
「……君は、平民とは思えないほどテーブルマナーが綺麗だね」
叔父の言う通り、トムの仕草は、口元に運ぶ指先も、ナフキンの使い方も、何気無い動作の全てが十分に洗練されている。しかし。
「……どこか懐かしさを感じるよ」
「懐かしさ?」
不可思議な発言をしている叔父に私は内心首を傾げつつ、トムに向かって笑いかけた。
「あ、そうね。トムは何でも卒なくこなすから忘れてしまいそうになるわ」
「あははっ、ありがとうございます。でも、付け焼き刃です」
「既に身に馴染んでいる振る舞いわ、付け焼き刃とは言わないだろう。……とても美しいよ。私ですら、心惹かれる」
「……え」
心惹かれるって何?叔父様?
ちょっと待ってこれはどういう意味?
褒め言葉としてはおかしくない?
明確な理由はないのだが、本能的な危機感が反応して、たらりと冷や汗が垂れる。しかし顔を引き攣らせた私をよそに、二人の会話はスムーズに進んでいった。
「本当ですよ!学院に入学が決まった時に、教会で神父様に教えて頂いただけですから」
「教会で?読み書き計算だけでなく、テーブルマナーも教えてくれるのかい?それはすごいね」
「いや、普通はそんなことないと思うんですけど、僕は特別勉強が好きだったので、隣町の教会のルーク先生に勉強なども見ていただいていたんです」
「へぇ、そんな立派な方がいたとは、知らなかったよ」
叔父は感心したように頷いて、トムに話の続きを促した。
「ふぅん、その方が君の先生だったのかい?」
「はい。体は不自由な方なのですが、知識はピカイチで、勉強したい子供はみんな隣町まで通っていました」
「あら、お体が不自由だったの?」
トムの話に引き込まれていた私は、先ほどまでの危機感も忘れて、ため息混じりに呟いた。不自由な体での教会勤めはさぞ体に応えるだろう。庶民が通うような教会での仕事は、ほぼ肉体労働なのだから。頬に手を当てて、もう一度ため息をつく。たいそうお気の毒な方だ。
「ルーク先生は、きっと元は貴族だったのだという噂があるくらいで。左足と左腕が動かせないのに、ものすごく身のこなしが上品なんです。良いお家に奉公に出る子とかも、習いにきてました。無償で教えてくださるのに、忍耐強くてお優しい方で、教え方もとってもわかりやすくて!わざわざ遠くから学びに来る子たちもいましたね」
「ほぉ、立派な人がいるものだねぇ」
慈善事業にも熱心な叔父らしく、何度も頷いて感心している。
「ぜひお会いしたいものだ」
「え?あぁ、それは……難しいかもしれません」
しみじみと呟いた叔父様に、トムが困ったように笑った。
「昔、事故に遭って崖から落ちてしまったそうで。その時の怪我が原因で左半身が不自由で、左側のお顔にもたくさん傷やひきつれがあるので、人前に出るのがお好きではないのです」
「崖……?」
その言葉に、ひゅっと叔父は息を飲み、じっとトムを見つめた。纏う空気を変え、怖いほどに真剣な眼差しを向ける叔父に、私は静かに動揺した。
「ルーク先生という方は、……崖、から落ちたのかい?」
「はい、そうらしいです」
「何年前に!?」
「え?……じゅ、十年以上は前だと思います。僕が物心ついた頃には、もういらっしゃったので」
鬼気迫る叔父の様子に少し尻込みした様子で、トムが答える。叔父は「十年以上……」と呟くと、トムの肩を掴み、顔を覗き込んだ。
「そ、そのひとの、ルークというお名前は、本名なのかい?」
「え?さぁ……僕たちはルーク先生と呼んでおりましたが、詳しいことは」
引き攣った顔で視線を彷徨わせながら、トムが言葉を探している。どう答えるべきか悩んでいるのだろう。
「その人はどんなお顔だい?髪の色は?目の色は?」
「叔父様?どうなさったの」
「どうして崖から落ちたと言っていた!?」
「叔父様!?落ち着いて下さいませ!トムが怯えておりますわ!」
あまりにも強引に詰め寄る叔父の異様さに、私は叔父の袖を引き、悲鳴じみた声で制止した。
「す、すまない、知り合いなのではないかと」
ハッと我に返った叔父がそう呟き、私はますます血の気が引く。
え、待って叔父様、崖から落ちて行方不明の知り合いとかいたの!?
何その裏設定!なんかいわくありげ!怖い怖い!絶対聞きたくないし知りたくない!
「ルーク先生は、記憶がないんです」
「え?」
やだぁー!なにそれ!めっちゃフラグぽい!どんなフラグなのか全く見当がつかないけど!まだ顔も見てないモブなのに!でもモブキャラでそんなバックボーンもってる人いる!?いねえよなぁ!?
私が心の中に某キャラを召喚している間にも、話はどんどん進んでいった。
「崖から落ちて死にかけた記憶や、昔の知識なんかはあるらしいんですが、過去のこととかはさっぱり思い出せないらしくて。教会で治療された後は,そのまま神父として教会で働くことになったと聞いています」
エピソード記憶が抜けてるってやつ?なんか漫画で読んだことある気がするけど、よく分からないな。そんなことあるんだなぁと思った記憶しかない。つまりその先生の発言が嘘か本当かもわからない。
「そうなの。随分と、その、ルーク先生のことに詳しいのね」
そんな個人的なことまで教えてくれるなんて、トムはルーク先生とものすごく親しいのかしら。そう思いつつ私は首を傾げたが、トムは「あはは」と軽く笑って首を振った。
「違う違う、ルーク先生の鉄板ネタなんだよ。子供達は小遣い稼ぎによく薬草を探しに崖の近くに行くからね。崖から落ちると危ないぞ!って脅すために,この話を何回もするんだ」
いつも通りのトムの笑顔で、やっと私も落ち着きを取り戻した。叔父は難しい顔で俯き、しばらく考え込んだ後で作り笑顔を浮かべた。
「あ、いや、すまなかったね。楽しいお茶会の邪魔をしてしまったね。おじさんはもう失礼するよ」
よろよろと去っていく後ろ姿に眉を顰める。
叔父様ったら本当にどうしたのかしら。
あんなに真っ青な顔をして、心配だわ。
そう思っていたら。
「あれ、このカフスボタン、叔父様のものじゃないかな?」
「え?あ、そ、そうかもね」
トムが机の上にキラリと光る釦を見つけた。
「僕、ちょっと届けてくるよ。まだ近くにいるだろうし」
「え?あ、ええ、ありがとう」
使用人に頼めば良いのに、と言えばよかったのに。頭が空回りしていた私は気づいていなかった。
トムが叔父様との接点を自ら掴んだのだということに。




