出来損ないの吸血鬼は希少種の黒狼に愛を囁かれる
「陽を浴びて砂にならないなんて」
「しかも、血と薔薇以外のモノからも生気を吸い取るのでしょう?」
「なんて気持ち悪い」
「恥さらしめ」
「一族の出来損ないが」
少年を囲む、見目麗しい容姿端麗な大人たち。だが、その口から出るのは罵りと蔑みと侮辱。
「おまえはその血を残すな。穢らわしい」
一族の長からの命令。
どんな罵倒にも耐えてきたが、これだけは我慢できなかった。
優秀な血筋を絶やさぬこと。優秀な血を取り入れ、残していくことが誇りであり、存在意義でもある。それを否定されることは、死よりも耐え難い屈辱。
だが、長の命は絶対で。
少年は反論することもできず、銀髪をなびかせて屋敷を後にした。
~※~
柔らかな日差しが差し込むサロン。
お花畑のようにうら若き少女たちがお茶を嗜む。
「お聞きになりまして? 王女が近衛騎士と恋に落ちたらしいですわ」
「まぁ! 騎士とはいえ、身分が違いすぎでは?」
「ですが、恋は盲目と申しますし。陛下の言葉も届かないとか」
「それは大変」
甘いお菓子とともに恋愛話で盛り上がる。
貴族の中でも名家で有名な女子が集う、お茶会。見目麗しくも可愛らしい少女たち。その中の一人がずっと黙っている銀髪の少女へ声をかけた。
「ラミア様はどう思われます?」
話を振られた少女が紅茶の思案するようにカップへ視線を落とす。
光を弾く粉雪のような銀髪がサラリと流れ、長い睫毛に縁どられた儚い紫の瞳に儚さが漂う。白磁のように滑らかな肌は太陽の光で輝いて見えるほど。
「身分については難しいですが、一度は燃えるような恋に身を焦がしてみたいですわ」
そう答えながら顔をあげて微笑む。
妖精のような、今にも消えてしまいそうな美しさに、その場にいた少女たちが見惚れる。洗礼された仕草と容姿に、同性と分かっていても感嘆のため息がこぼれ落ちた。
少女たちがうっとりとラミアを見つめる中、お茶会の主催者であるガーネットがハッと意識を戻す。
黄金に輝く髪に、意思の強いキリッとした青い瞳。目鼻立ちもハッキリとしており、可愛いというより美人。しかも、この少女たちの中では一番聡明で中心的な存在。
そんなガーネットが空気を変えるため話題を振った。
「そういえば、王城で開催されるパーティーに出席されます?」
「私は婚約者と一緒に出席する予定ですわ」
「その時期は領地に戻らないといけなくて……」
「私も先約がありまして」
「ラミア様は、いかがされますの?」
訊ねられたラミアが困ったように首を傾げる。
「まだ迷っておりますの」
「でしたら、私とご一緒に出席しません? 婚約者が仕事で出席できませんの」
「まぁ。ガーネット様とご一緒に? ぜひ、出席させていただきますわ」
そう嬉しそうに微笑めば周囲の少女たちが頬を赤らめて微かに俯く。
「領地へ戻るのは時期をずらせばいいですし、私も出席しようかしら」
「私も先約は日にちをずらせば……」
予定を変える少女たちへラミアが表情を綻ばせる。
「まぁ。みなさんと社交界でお会いできるのが楽しみですわ」
「えぇ」
にこやかに微笑む少女たち。
その姿を見つめる紫の瞳が怪しく光ったことに誰も気づかなかった。
~※~
屋敷に戻ったラミアがヒールを脱ぎ捨て、ペタペタと大理石の廊下を歩いていく。
そこに、パタパタと羽音をたてながら飛んできた蝙蝠がポンッという音とともにメイドになった。
「おかえりなさいませ、ご主人様」
黒髪を一つにまとめた真面目そうな少女が頭をさげる……が、ラミアは無言のままメイドの前を通り抜けた。
どこか不機嫌そうな表情で歩きながらイヤリングを外し、無造作に放り投げる。
「あー!」
顔を青くしたメイドが床にイヤリングが落ちる前に慌ててキャッチした。
「もう! そこら辺に脱ぎ散らかさないでくださいって、何度も言っ……あ、また!」
苦言が終わる前にネックレスが宙を舞う。キラキラと煌めく大きな宝石。床に落ちたら宝石が割れてしまう。
「えい!」
どうにか空中でネックレスを捕まえて安堵するメイド。
それを気にする様子なくラミアがドレスを留めている紐を外していく。バサリという音とともに、身にまとっていたドレスが空気を孕みながら床に落ちた。
白い足が抜け殻となったドレスをまたいで進む。
大きな足にキュッと絞まった細い足首。そこから伸びる形のよいふくらはぎ。その上には引き締まった太ももに、軽く割れた腹筋。薄くはないが厚くもない大胸筋に広すぎない肩。
裸体となって現れたのはドレス姿からは想像もできない少年の体だった。
「あと、次の社交界用のドレスを手配してくれ。色は……そうだな、水色で。あと、装飾品は銀と紫だ。金や緑や青は外せ。自分の髪や目の色を僕が身に着けていると勘違いした男どもが群がってくる」
ドレスをまとっていた時より数段低い声。清水のように澄んだ声が薄暗い屋敷に響く。
「それより、宝石を投げないでください! 壊れたら、どうするんですか!?」
メイドの懇願をラミアが平然と聞き流す。
「壊れたと言えば、誰かが貢いでくる」
「もう! 今をときめく社交界の華であるラミア様が実は男でした、なんてバレたらどうするんですか?」
プンプンと可愛らしく怒る声に、軽い声が返る。
「吸血鬼とバレるよりマシだろ」
より優秀な血を探すため、優秀な人間が集まるという貴族の社交界へ。
一族の長から血を残すなと、命じられたが、それより優秀な血を欲する本能の方が勝った。
一族の土地から遠く離れた国で、最初は男の姿のまま貴族の社交界へ潜入した。だが、寄ってきたのは猫を被った女たち。甘く雌をアピールしてきたが、それでは本質が見えない。
ならば同じ女の姿であれば、より深く相手のことを探れるのでは?
そう考えたラミアは中性的であった顔を活かしてドレスをまとい、貴族のお茶会に紛れ込むようになった。
「より優秀な雌を見つけるためだ」
「決め顔で言われましても裸では、ちょっと……」
メイドの指摘にラミアが額に手を当てて苦悩した表情を作る。
「はぁ……僕という素晴らしい存在にとって、服は余計なんだ。それが分からないとは、所詮は蝙蝠か」
「はい、はい。では、分かるモノに見てもらいましょう」
呆れ混りにドレスを拾いながら言うと……
「わふ!」
待ってました、と言わんばかりに奥から大きな犬が駆けてきた。
「なっ!? 来てたのか!? 結界はどうなった!?」
「所詮は蝙蝠ですから。結界の維持を忘れておりました」
ツンとした返事にラミアが叫ぶ。
「絶対、ワザとだろ……って、やめろ! 舐めるな!」
大きな犬が嬉しそうに前足をあげてラミアに飛びつく。
踏ん張らないと一緒に倒れそうになるほどの巨体。立ち上がったらラミアと同じぐらいの身長がある。
闇夜のように青みかかった黒い毛。触れればフワフワで素肌にも柔らかく馴染む。
そこに浮かぶ、満月のように丸々とした金の目。ラミアしか見ておらず、大きく尻尾を振り、全身で喜びを表現している。
「最初の警戒心はどこにいった!?」
出会いは裏庭。足を怪我して動けなくなっていた。
手当をしようとすれば唸り声をあげ、近づけば噛む、とばかりに威嚇をする。
それでも、根気強く話しかけながら、食べ物も毒はないと目の前で食べたものを与え、どうにか手当までこぎつけた。それから徐々に距離が縮まり、怪我が全快した今では、こうして全身で甘えてくるほど。
ただ、どこかで飼われているのか、姿を消していることの方が多い。
始めに姿を消した時、ラミアは「せいせいした」と虚栄を張っていたが、その落ち込み様は目に見えていて。どんな食事も受け付けず、メイドがこのままでは餓死する、と苦悩したほど。
だが、犬は数日で姿を現した。
そのことにラミアは安堵しつつも胸の前で腕を組んでツンと顔をそらした。
「し、心配なんてしてないぞ。ただ、せっかく助けたのに、そこら辺で野垂れ死なれたら意味がないからな」
その言葉の意味を理解したのか、犬は数日おきに姿を見せるようになった。時間は夕方のことが多く、朝には夜露の香りを残して消える。
そんな経緯で親しくなった大きな犬が長い赤い舌でべろんべろんとラミアを舐める。それも、最初は顔だったのが、徐々にさがっていき……
「や、やめっ! どこを舐め……あっ、はっ、そこは……やめ、んぅ……」
声がだんだん甘くなり……
「やめろぉぉぉぉお!」
「きゃぅぅん!」
ドスの効いた声と犬の悲鳴が響いた。
~※~
「……まったく」
意識を切り替えて社交界が開かれている王城へ。
広間では人々が談笑しており、その中を歩いていく。水色のドレスに銀と紫の宝石で飾った姿は人々の注目を集める。だが、ラミアの目的はそこにない。
「ガーネット様はどちらに……」
良家の息女であり、優良な血の持ち主として目をつけている。婚約者がいるらしいが、そこは自分の美貌をもってすれば、どうにでもなること。
そう考えながらガーネットを探していると、男が馴れ馴れしく声をかけてきた。
「やあ、ラミア。俺があげたネックレスは?」
振り返れば伯爵家の放蕩息子で有名な青年。しかも、ラミアの存在を知ってからは、社交界へ頻繁に顔を出して絡むようになり、婚約者にすると豪語している。
だが、そんなことなど知らないラミアは微笑みながらも、心の中で悪態をついた。
(あげたんじゃなくて、押し付けたんだろ。あんな趣味が悪いネックレスなんて付けるか)
ラミアは軽く膝を折ると、憂いを帯びた顔で言葉を返した。
「ネックレスに合うドレスがなくて……」
「では、今度ドレスをやろう。色は我が紋章と同じ赤だな。次の社交界では、それとネックレスをしてこい」
チラリと男の胸にある刺繍を覗き見する。そこには、朱色の赤で盾と蛇が描かれた紋章の刺繍が。
(そんな明るい赤が僕に似合うわけないだろ! 美的感覚を磨いて、赤ん坊からやり直してこい!)
威圧的で偉そうな言い方に苛立ちながらも、表情は穏やかなまま話を続ける。
「そこまでしていただくわけには……お気持ちだけで十分ですから」
「遠慮するな」
「いえ、遠慮ではなく……」
ただでさえ目立つラミアが困ったように会話をしている。それは周囲の人々が気にするには十分で。
自然と集まる視線を感じていると、男が執着混りの目で睨んできた。
「そのアクセサリーは、他の男から貰ったものか?」
「いえ。私の家にあったものです」
実家の屋敷を出る時に失敬したものなので、嘘は言っていない。
だが、男はラミアの言葉を信じず。
「嘘を言うな! そのドレスも他の男から貰ったのだろう!?」
「貰い物ではありませんが……そもそも、私がどのような物を身につけようと、あなたには関係ありませんよね?」
不思議そうに首を傾げるラミア。遅れて銀色の髪がサラリと流れる。
その美しくも愛らしい様相に男は見惚れかけて、大きく首を横に振った。
「うるさい! おまえは俺がやったものを着ていたらいいんだ!」
その発言にラミアは思わずポツリと呟いた。
「え? あんな、ダサいのを? 無理」
小さな声だったが、男の耳にはしっかり届いていて。
「なんだと!?」
怒鳴り声とともに男が手をあげた。そのまま、ラミアの頬にむけて振り下ろされる。
(すぐに暴力に訴えるとは。低俗で短絡的思考すぎるな)
男の手を避けることは造作もない。だが、ここで殴られれば、この男との縁も切れる。それどころか、王城で開催された社交界で暴力沙汰をおこしたとなれば、それ相応の処罰がある。
瞬時にそこまで考えたラミアが男の平手打ちを受けるためにかまえる。
「キャー!」
見守っていた淑女たちの悲鳴が響く中、衝撃にそなえていると……
「待て」
痛みの代わりに、鋭い声が入った。
視線をずらせば、王家の親衛隊の騎士服を着た青年が男の腕を持っている。
「クレイディ親衛隊長!」
誰かが青年の名を呼んだ。
「クレイディ……隊長?」
こぼれた言葉とともに紫の瞳が青年の姿を映す。
風に舞う青黒の髪。涼やかな淡い金の瞳。まっすぐな鼻筋に薄い唇。太い首に、鍛えられた逞しい体躯。眉目秀麗という言葉がこの上なく合う。美形の一族の中で育ったラミアでも一瞬、見惚れてしまうほど。
そこに、深みのある落ち着いた声が響いた。
「王城内での暴力行為は禁止されている。よって、然るべき対応をとらせてもらう」
淡々とした言葉に男が吠える。
「俺を誰だと思っている!? 離せ!」
男が全身を揺らして逃れようとするが、クレイディはビクともしない。
「誰であろうと関係ない」
「この、王家の犬が!」
噛みつく勢いの男にクレイディが無表情のまま問う。
「それは王への侮辱になると理解しての発言か?」
「親衛隊ごときが何を言って……」
冷えた金の目が射抜く。
その圧力に男がたじろいだところでクレイディが部下に命令をした。
「連れていけ」
「ハッ!」
「やめろ! 何をする!? 俺はドラグロ家の息子だぞ!」
左右を騎士に挟まれて連行される男。その光景を周囲の人々が冷ややかな視線で見送る。
「ドラグロ家と言っているが、それほど力もないだろ」
「父親は頭を抱えていたからな」
「今度こそ勘当か」
さりげなく聞こえてくる話を聞きながら、ラミアはクレディへ頭をさげた。
「危ないところを、ありがとうございました」
その言葉に、ずっと鋭かった金の瞳が柔らかくなる。と、同時に広間がざわついた。
「あの、クレイディ親衛隊長が笑った?」
「鋼鉄の親衛隊長が?」
「鉄仮面のクレイディ隊長が?」
幽霊でも見たかのように顔を引きつらせたまま愕然とする人々。
だが、ラミアは周囲の状況よりも、満月のような金の瞳が気になった。どこかで見たことがあるような、キラキラとした輝きを放つ目。そして、どんな香水でも再現できない夜露の香りが鼻をかすめた。
「……まさか」
落ちた呟きにクレイディが澄ました笑顔になる。
「失礼します」
突如、逞しい腕がラミアを抱き上げた。
「ま、待て。どこへ……」
ラミアの言葉を遮るように薄い唇が耳元で囁く。
「声に気を付けてください」
素の声が出ていたことに気づき、慌てて両手で口を塞ぐ。
そこでクレイディが控えていた部下に声をかけた。
「気分が悪くなったそうだ。休むために別室へお連れする」
「はい」
「あとは任せた」
「ハッ!」
美男美女の絵になる光景。思わぬ眼福な光景に、状況を忘れてうっとりと眺める人々。その中にはラミアが探していたガーネットの姿もあり……
(しまった! 優秀な雌が!)
どうにか腕から下りようとするが、クレイディの力はかなり強くビクともしない。
こうして二人は感嘆のため息を背に受けながら広間を後にした。
~※~
「なんで、ここにいる!?」
別室に運ばれたところでラミアは地声で叫んでいた。
部屋には二人きり。他の目を気にする必要はない。
「さて、何のことでしょう?」
それなのに、青黒の髪を揺らしながらワザとらしく金の目を細くするクレイディ。
「誤魔化しても無駄だぞ! おまえ、犬だろ!」
「犬とは失礼な。黒狼です」
人の姿になれる人狼。その中でも希少種である黒い狼。
だが、ラミアから見れば人になれる獣、という種族で一括りになる。
「大差ない! それより、下ろせ!」
「はい」
素直な返事にラミアは少しだけ拍子抜けした。もっとゴネると予想していたのに。
だが、グレイディはソファーに近づくと……
「なぜ、こうなる!?」
そのまま下ろされると思いきや、ソファーに座ったクレイディの膝の上に座らされた。
この状況にラミアの声が荒くなる。
「一緒に座る必要はないだろ!」
「ですが、こうしないと逃げられそうなので」
「だからって……」
窓から差し込む月光が青黒の髪を淡く照らす。金の瞳が覗き込み、筋の通った鼻が頬に触れそうなほど近い。そして、犬の時と同じ夜露の香りが全身を包む。
なんとなく恥ずかしくなったラミアが逃げるように顔を背けた。
(あ、相手は犬だ。何も気にすることなんて……)
すると、無骨な太い指が白い顎をクイッと上へ向かせた。まっすぐな金の瞳に胸が跳ねる。
「吸血鬼は霧になって隙間から逃げられますからね」
正体を見破られていたことにラミアの熱が一気に下がった。
「……気づいていたのか」
「太陽の下を歩ける吸血鬼は初めて見ましたが」
その言葉にラミアがフッと笑う。
「僕は、特別なんだ」
「知ってます」
当然のように断言するクレイディ。
その男前な表情に。自信に溢れた金の瞳に。挫折、屈辱、無念さなど知らない力強さに。
ラミアの中で怒りが、不満が、噴きあがっていく。
『気持ち悪い』
『恥さらし』
『出来損ない』
散々言われてきた言葉が脳内を駆け巡る。
忘れようとして、忘れられず。逃れようとして、逃れられず。
ずっと、ずっと、捕らわれてきた。
(何も知らないくせに……)
震えそうになる手をキツく握りしめる。
(大丈夫。僕は、特別なんだ)
ずっと自分に言い聞かせてきた言葉。自分は特別なのだ。他の吸血鬼とは違うのだ。だから、陽の下を歩けるし、血や薔薇以外からも生気を摂取できる。
こう考えることで、どうにか保ってきた自尊心。
でも、どれだけ言い聞かせても不安は消えない。影のように追いかけてきて。鍋の底にある焦げのようにこびりついていて。常に自信を奪おうとする。
そんなラミアにクレイディが言葉を続けた。
「あなたは特別ですから」
「いい加減なことを言うな!」
ラミアが怒鳴りながらクレイディの膝から飛び降りた。そのまま怒りに任せて喚き散らす。
「僕のことを何も知らないくせに、知った風に言うな! おまえも、あの男と同じだ! 勝手に僕の表面だけを見て、勝手に理想の僕を作り上げているだけだ!」
歯を食いしばり銀髪で顔を隠しながら俯く。
「本当の、僕は……僕は…………」
言葉が終わる前に、無骨な手が白い頬に伸びた。
「あなたは特別です。どんな吸血鬼より優秀な血を求める。その姿は高潔で、どの吸血鬼より、気高い」
思わぬ言葉にラミアの反応が遅れる。
「……気高い?」
初めて言われた言葉。
「はい」
顔をあげれば、目の前には柔らかな微笑み。
その見守るような眼差しに、噴き出していた鬱憤が鎮まる。ずっと腹の底で渦巻いていた感情が溶けていく。縛り付けていた鎖が解け、心が軽くなる。
「……僕は、醜くないのか?」
こぼれた言葉にクレイディが手の甲で頬を撫で、髪をさらう。
「こんなに美しいのに?」
不思議そうに首を傾げながら銀の髪を指に絡める。
「血や薔薇以外の生気を吸い取るぞ」
「他の吸血鬼には出来ないことができる。凄いことです」
「陽を浴びても砂にならないぞ」
「昼を楽しめる素晴らしい体です。そうだ、今度デートをしましょう。遠乗りがいいですか? それとも、街で流行りの菓子の食べ歩きをします?」
思わぬ提案にラミアが笑う。
「おまえには情緒がないのか? デートに誘うなら、もっと雰囲気を作ってから誘え」
「犬ですから」
開き直ったような声音にラミアがますます笑う。
「狼なんだろ?」
「ですが、あなたのためなら犬にもなります」
そう言うと、端正な顔が甘えるように銀髪に埋まった。そんなクレイディを拒否しないまま、ラミアが話を続ける。
「残念だが、僕は犬を求めてない。求めているのは、優秀な雌だ」
「私は優秀ですよ?」
紫の瞳が訝しむように睨む。
「だが、おまえは雄だ。雄が相手では血は残せない」
すると、銀髪の隙間から金の瞳だけが鋭く覗いた。
「……知ってますよ」
低く真剣な声とともにラミアの体がさらわれる。ふたたびソファーの上の住人となり、背後から太い腕が抱き込む。
「何を知っているんだ?」
首を傾けて後ろを見れば、クレイディの口角が獰猛にあがり、白い歯が覗いていた。獲物を前にした肉食獣のような気配に、最強の種族の一つである吸血鬼のラミアの背中がゾクリと震える。
「優秀な雄が現れたら、あなたはその身に新たな生命を宿すことができる」
言葉とともに大きな手が下っ腹を撫でた。その手の動きが肌を舐めるように這うが、不思議と嫌悪感はない。むしろキュンと熱が集まる。
雌の吸血鬼であれば、こぞって奪い合うであろう。それだけ強く、美しく、優秀な血の匂いを漂わす雄。
しかも、吸血鬼を屈服させるだけの生命力。
(たしかに、こいつが相手なら僕の血を残すことも……いや、いや! 僕は男だ! 雄に屈服などしない!)
認めたくないラミアは視線を室内へ巡らせた。王城ということもあり、王家の紋章が描かれた家具や装飾品が飾られている。
そこで、王女が近衛騎士と恋に落ちたという話題を思い出す。
(そうだ。これだけの外見だし、王女が惚れるのも納得だし、男の僕より王女の方が良いに決まってる)
沈んでいく感情を隠すように、ラミアは紫の瞳を鋭くして睨んだ。
「王女と恋仲なんだろ? 僕ではなく王女のところへ行け」
犬の姿の時にあれだけ懐いていたのに、それが他人に取られると思うと腹立たしくなってきた。
(あれだけ、何度も屋敷に来て、全身を舐めてきたくせに)
拗ねたようにプイッと顔を背けたラミアに対して、クレイディが意地悪そうに訊ねる。
「もしかして、ヤキモチを?」
「なっ!? んなわけないだろ! この高貴な僕がヤキモチなど!」
慌てて否定すると、澄ました顔が返ってきた。
「まぁ、王女と恋仲なのは副隊長のほうですし」
「……そうなのか?」
「はい。ですが、あなたが心配するのであれば」
言葉を切ったクレイディがソファーから下りて片膝を床につく。
そのまま、ラミアの手をとって顔をあげた。真っ白な細い手を包み込む大きな手。慎重に、壊れないように触れているのが分かる。
見つめていると青黒の髪が揺れ、薄い唇が手の甲に落ちた。
「あなただけの犬となりましょう」
まるで騎士が忠誠を誓うような言葉と態度。
その言葉に、その態度に、絆されかけ……て、ラミアがハッとする。
「おまえは近衛騎士隊長だろ! 職務を放棄するヤツは嫌いだ!」
これが精いっぱいの照れ隠しであることをクレイディは理解していた。
~※~
それから、数年後。
ラミアはクレイディに毎日、愛を囁かれ、絆されたことによって、潰れかけていた自尊心は回復を超えて、立派に育っていた。少年は美麗な青年になり、女装をすることもなくなった。
そこに、他の吸血鬼から一族の屋敷へ顔を出すように手紙が届く。ラミアが獣人と暮らしていることを知ったらしく、からかおうという魂胆らしい。
「仕方ない。行ってやるか」
こうして、ラミアは久しぶりに一族の屋敷に顔を出した。
「ひさしぶりだな」
「犬と暮らしているんだって?」
「獣と暮らすなんて、どこまで恥さらしなことをするのかしら」
蔑み混りに視線と言葉。
だが、他人の目をまったく気にしなくなったラミアは銀髪を手で払いながら、ふてぶてしく言った。
「別に、出来損ないの僕が何と暮らそうと関係ないでしょう? どれだけ暇なんです?」
最後の言葉に気分を害しながらも、集まった吸血鬼たちが鼻で笑う。
「自分で出来損ないと認めるなんて」
「少しは成長したじゃないか」
「犬と暮らして自覚しただけじゃないか?」
そう言って、最初はラミアをあざ笑っていた。だが、ラミアの隣に立つクレイディを見た瞬間、全員の罵りが止まる。
滑らかな青黒の髪に、涼やかな金の瞳。端正な顔立ちに、鍛えられた逞しい体。騎士として、いくつもの修羅場を潜り抜け、渋みと強さも漂う。
そんなクレイディを吸血鬼たちがだらしなく口を半開きにして、男も女も物欲しそうに眺める。美を尊び、美に誇りをかける吸血鬼にとってあるまじき、だらしない表情。
だが、それも仕方ないこと。
優秀であれば優秀であるほどクレイディの魅力に気づき、惹かれる。それは、吸血鬼の性と言っても違いない。
恨めしそうな視線を受けながらラミアがスルリと逞しい腕に絡みついた。
「僕の犬が、どうかしましたか?」
にやりと細くなる紫の瞳。
その表情と声に、我に返った吸血鬼たちが誤魔化すように咳払いをした。
「ま、まぁ、見た目はいいわね」
「そうね」
美しいモノを認めないことは、己の審美眼を偽ることになる。それは吸血鬼のプライドが許さない。
「どんなに見た目が良くても、所詮は犬だからな」
その言葉にラミアがフッと口角をあげた。
「その犬の姿こそ、心髄ですよ」
その言葉に、クレイディが黒狼へ姿を変える。
ふわりと軽やかに揺れる毛。上等な毛皮よりも滑らかなで、肌を包み込む。夜露の香りに包まれ、極上の空間へと誘う。
その太い首に腕をまわしてラミアが顔を埋めた。
「見た目だけに捕らわれている方々には、この手触りの良さは分からないでしょうね」
フフン、と自慢げに笑いながらモフモフを堪能する。
その様子に吸血鬼たちが奥歯を噛む。
「戯言だな」
「おや。触れるのが怖いんですか? それは失礼しました。まさか、怖くて触れないとは思わなかったので」
「何を!」
挑発と分かっていても、ここまで言われたら触れないわけにはいかない。
吸血鬼たちは興味なさそうに黒い毛へ手を伸ばし…………触れた瞬間、衝撃が走った。
「そんな」
「まさか……」
「これほど、とは……」
感嘆の声とともに価値観が一転する。
それから獣人を番に選ぶ吸血鬼たちが続発。そして、手触りの良さを競うようになったとか。
「ま、僕のクレイディが一番ですけどね」
そこには、当然のように愛を囁かれるラミアの姿があった。