音楽とディナーと親の仇と
散歩後屋敷に戻り、女性陣はディナーに備えて盛装の仕度があるそうで、オレは手持ち無沙汰にミュージックルームに座っていた。
ジェシカがお客様にピアノフォルテを聴いてもらうとはりきっていたから。
オレも、ジェシカの細い指が鍵盤を滑って奏でる音楽が楽しみだ。
着替えは済ませてある。
シングルブレストの限りなく黒に近い濃緑のフロックコートに白シャツを合わせた。
ベストとズボンは黒にして蝶ネクタイはなし。
自宅なんだからこの程度の礼装でいいだろう。
髪型は前を立てただけで、後ろのしっぽは変えようがないから一旦解いて梳いてから綺麗に編み直した。
メイドに触られたくないから身づくろいはいつも自分でやっている。
ほどなく、最初に着替えを済ませた妹が部屋に入ってきた。
うっすらとストライプ模様になったピンクのドレスはシュガープラムの妖精みたいだ。
楽譜を何枚か取り出すと、指ならしも兼ねて弾き始めた。
真面目な顔をしていると、大人びてとても美人に見える。
こんな至福の時と別れを告げて、オレは隣国、ビブリオへ留学する決心がつくのだろうか?
アクツム殿下と話さなければと思いながら、つい気後れしてしまう。
殿下から見たらオレは、この公爵領や王都しか知らないくせに親に反抗するだけの、生意気なひよっこなんじゃないだろうか。
自分の魔力も、根性も、試されたことがない。
一通りの練習を済ませたジェシカが隣に来て、長椅子に並んでお茶を飲んでいたら、お客たちが相次いで入室した。
その度に紳士として、オレは立ち上がって頭を下げ、特にユリアさまが着席されるまでは見届けた。
アクツム殿下のエスコートが完璧で、オレに手伝えることは何もなかったが。
ジェシカの演奏はいつも通り見事だった。
オレの大好きな、『波間に揺れる月影』という曲も弾いてくれた。
オレは自分では何の楽器も演奏できないが、他人が奏でてくれるものの良し悪しはわかる。
驚いたことにユリアさまも母上も一曲ずつ披露した。
拍手が鳴りやまぬ中、ディナーの用意ができたと家令のケビンが告げに来た。
食堂の長テーブルの席次は、やはりアクツム殿下とは一番遠かった。
ウェセックス公爵がお誕生日席、その右手側が来客、アクツム殿下、ユリアさま、そしてノルテックス公爵の順。
反対側は母上、ジェシカ、オレだ。
母上が生けた盛花とキャンドルの向こうから、相対しているノルテックス公爵が、退屈な質問を投げかけてくる。
「ルーナス君はいくつになったかね?」
「15です。来週16になります」
「そうか。礼装がカッコいいね。闇夜に月が照り映えるようだ」
オレをヨイショしても何も出ないんだが、ノルテックス公の息子さん二人はもう結婚して独立しているから、淋しいんだろう。
「お孫さんたちは元気ですか?」
男女何人いるのか憶えてないが、孫の話でも振れば喜ぶだろうと思ったのに、「ああ、うん、煩いくらいだね」と一言返ってきただけだった。
アクツム殿下と父公爵がもっと面白そうなことを話している。
(念のために言っておくが、ウェセックス公爵のことを「父公爵」と呼んでやることにしたのは、この場にもう一人公爵がいるからだ、それ以外にない)
「それで、黒百合魔女傭兵団が今何しているか、アクツムにも判っていないのか?」
「残念ながら情報がない。アイツら傭兵だからな、金をもらえばどこの国のためにでも働く。近場に紛争地域はないから、遠くに行ってるか、潜伏しているかだろう」
「また宗教団体のような闇のネットワークを作られるとやっかいですね」
母上も会話に参加している。
ユリアさまがそれを受けた。
「信教の自由は大切なことですが、国家転覆を目標にされては困ってしまいます。ビブリオでは国教の『月の使徒国教教会』に帰依する人が増えました。一度は問題の『黒衣の修道会』に取り込まれた人々のリハビリもほとんど済みましたし」
「それはよかったこと」
「あ、あの、ユリアさまは……」
オレの発言に大人5人が一斉にこっちを見た。
「その修道会に復讐したいとは思わないのですか?」
昨日父公爵に聞いたことと、先ほど庭でユリアさまに伺ったことを足して合わせれば、オレの母親は黒魔女傭兵団の一員で、ユリアさまの両親を殺害したのがその修道会だ。
ユリアさまは既に見慣れた笑顔をオレに向けてくれる。
「もう大丈夫ですわ。昔はいろいろと恨みに思いましたけど。殺されたから殺し返す、じゃ能がありませんもの」
ウソじゃないと信じられてオレはホッとした。
仇の一員からは外してもらえたらしい。
「魔女たちもね、魔力を帳消しにしてしまえば可愛いもんだよ」
ノルテックス公爵のこの呟きに一瞬テーブル中がしんとしたけれども、大人たちは誰もコメントを返さなかった。
ジェシカが教会とはどんなところかと訊いて、ユリア様は黄色い薔薇の咲き乱れるお庭やそこを歌いながら歩く牧師長の話をしてくれた。




