母上から聞く12年前の満月の日
青く暮れる空を飛んで屋敷に戻ると、ジェシカと母上は紅茶を飲んでいて、喉の乾いていたオレも同席することにした。
催促もしてないのに母上は、何の前置きもなく語り始める。
12年前の満月の日のことを。
「あのいつも元気なアシュリーがね、ひどい頭痛を起こして寝込んじゃったの」
と母上の口調はあくまで軽い。
「お父さまが寝込んだところなんて見たことない……」
妹は目を輝かせて話の続きを待っている。
オレは……イヤな予感しかしなかった。
「そしたら真夜中にベッドからいなくなっちゃって、帰ってきたのは翌日の午後」
「病気なのに勝手に出かけたの?」
母上は、合いの手を入れるジェシカとオレに交互に笑いかけながら話す。
「そうなのよ、ひどいパパでしょ? 一言出かけるとかメモ置いてくれたらよかったんだけど、とっても心配したわ」
「それでそれで?」
「王宮専属の悪魔祓い師さんに来てもらって、魔法で連れ去られたのかどうかみてもらったんだけど、『自分の意志で飛んで行った』ってわかっただけで」
「そんなお仕事の人がいるの?」
魔法学園で『悪魔祓い師』について学ぶのは卒業間近になってからだ。ジェスはまだまだだな。
「悪い魔法にかかってしまったときに魔力を吸い取ってくれたり、残った魔素を見て誰の仕業か推理したりしてくれる」
オレの説明に母上はそうねと頷いて、話を続けた。
「悪魔祓い師さんとほとんど入れ替わりにアシュリーが帰ってきたとき、3歳くらいだったルーナスお兄ちゃんを抱っこしてて、『オレの息子らしい。一人で泣いてたから連れて来た』って」
オレの胸がドキリとしてひりひりとした。昔のことを思い出そうとしたり、西の空を見た時に感じるのと同じ痛み。
「頭痛がしてたのは、ルーナスの泣き声が響いてたんだって。どこにいるか探そうと空に上がったら、ぐ~んってルーナスに引っ張られて」
「オ、オレ、私が? 赤子だった私が公爵を引き寄せたとでも?」
黙っていられなかったオレに母上は、
「そう言ってたわよ? 『引き寄せ魔法』を使われてアユタリの山奥まで行ったって。あなたがぐったりしてたから介抱して、落ち着いてから戻ってきた」
と言う。
「兄さま、スゴい! 赤ちゃん時から魔力王者!」
そのあだ名使うなよ、と心の中で悪態を吐いたが、そんなことより12年前のほうが大事だ。
「アユタリの山奥って片道300キロはあるでしょうに」
「400キロって言ってたわね。かなり北西の彼方」
「それを深夜行って翌日帰ってきた?」
養父も若かったからそんな強行な飛翔ができたのか?
「帰りはね、ほとんどあなたの魔力で飛んだんだって。何て言ってたかしら、あの頃。ルーナスあなた、しゃべってたのよ、生みの母親の言葉を」
「うみの……母親?」
「兄さまは母さまの子どもじゃないの?!」
ジェスの声が鋭くテーブルを横切った。
「残念ながら違うのよ、ジェシカ。ルーナスとあなたは半分だけ兄妹」
「半分でもお兄ちゃんよね?」
ジェスはオレに本当に兄でいてほしいらしい、母上に頷いてもらって嬉しそうだ。
「わたしもね、ルーナスのしゃべってた言葉を調べたりしてちょっと勉強したの。初対面で『ちゅばむちゅえ?』って訊かれて、それが『僕を殺す?』って意味だとわかって後で寒気がしたわ」
「どうして……殺さなかったんですか。チャンスはいくらでもあったのに。母上にしたら私は、不貞の子……」
オレの呟きに母上は何でもないことだと言わんばかりに笑う。
「隣国の戦争中にいろいろあったみたいね。でも3歳のあなたはとっても可愛かったし、アシュリーにそっくりだし、ジェシカが生まれるときも助けてくれたし、すぐ仲良くなれたわよ? わたしにいっぱい甘えてくれたわ」
好きな女の前で幼い頃の話をされる居たたまれなさに加えて、吐き気のようなムカつきを胸の奥に感じた。
公爵はこの優しい母上を裏切った。
そしてそいつの血が半分オレに流れている。
そのせいでオレは、大好きなジェシカと血が繋がってしまっている。
生まれの卑しい流れ者のほうがよっぽどいい。
ただの養子だったらどれほど幸せか。
半分だけであっても、オレとジェシカは兄妹。
異父妹となら結婚できる国はあるにはあるが、この国、エクストルでは違法。
「母上、失礼してもいいでしょうか? 夕食も自室でさせてもらえるとありがたい……」
「突然でショックなこともあるわよね。ごめんなさい。でもわたしたちの家族の絆はビクともしないわ。それだけはわかっていて」
「はい……」
母上の愛には報いたい、でもそれよりも何よりも、ジェシカと血が繋がっていることがつらい。
家族の絆が強ければ強いほど、オレの恋心は行き場を失う。