ノルテックス公爵の恋愛事情
厩舎の前で馬番に手綱を渡し、屋敷の表玄関に回るとジェシカが走り寄ってくる。
「ウソつき! 兄さまの嘘つき、兄さまなんか大嫌い!!」
怒っているらしいがその勢いで体当たりしてくるから、とりあえず柔らかく、妹を受け止めた。
「どうした? 何かあったのか?」というオレの問いに、
「何かじゃないでしょ、ビブリオに行っちゃうって!!」
と言って泣き始めてしまった。
見回すと、母上とユリアさま、そしてノルテックス公爵がサンルームのガラス扉から出てくるところだった。
ユリアさまが柔らかい声で「お帰りなさい」と声をかけてくれる。
母上はやれやれといった表情で、「ルーナス、あなたのせいで、叔父さまもジェシカも落ち込んじゃってるわよ」と言った。
オレはひとまずジェシカに、
「確かにビブリオには行くが、すぐ戻る。ジェシカのいい兄貴でいられるよう頑張るから応援してくれ」
と囁いた。
「お兄ちゃん辞めない? ずうっとジェシカの側にいてくれる? ビブリオに行っても、呼んだらすぐ帰って来る?」
オレが優しくもちろんだよと言おうとしたら、父公爵が止めた。
「ちょっと待ったーー! ルーナス、その返事は後だ。まず叔父上から対処しろ」
オレに大事なのはジェシカだ。
いい歳したジジイが落ち込まんでもいいだろうに、というのが最初に感じたこと。
ジジイの辺境の所領で身体使ってヘンなことさせられるんだろう?
断って当然と、ジェシカの頭を撫でながら、ジジイのほうを向いた。
「公爵、今朝、私が何かお気に障ることを申し上げましたでしょうか?」
とことん敬語になった。
「うわーん、ルーナス君が冷たいぃ~」
「はあ?」
そんなヘンは反応するからこっちが警戒するんだろが。
「人生最後の恋なんだよ? 僕は今だって逢えるなら逢いたい。ルーナス君見てたら嫌でも思い出すのに、こんなのってあんまりだぁー」
ノルテックス公爵の突然なイミフ発言に、一同言葉もなく顔を見合わせた。
何かを掴んでいる父公爵が問い詰めさせてもらいますか、と口角を上げる。
「叔父上、俺が足怪我してビブリオの王城で養生させてもらってる間、どこで何してたか説明してください」
「え? アシュリー、お前が隠してるんじゃないの? 自分の息子にしておいたほうがルーナス君が幸せだから」
「「「「「「??????」」」」」」
ジジイの相次ぐ謎発言に目を丸くしたのはオレだけじゃなく全員。
反応できたのはやはり父公爵が最初だった。
「俺はあのころ、アヘンやらPTSDやらでぼうっとしてたんです、叔父上の恋路なんて調べてる暇ありません!」
「じゃ、ルーナス君は知らないから僕に冷たい?」
「そうでしょうとも、ノルテックス公爵」
ユリアさまが全てに気付いたかのように声を掛け、それにピンときたアクツム殿下はクスクス笑いを堪えている。
「こ、ここで言わなきゃダメ?」
ジジイは上目遣いで、父公爵の意向を尋ねている。特に可愛くもなんともないのに。
「サクッと吐いちゃってください」
母上も思い至ったようだ。
オレは、何のことだかまだよくわからない。
ノルテックス公爵は、急に顔を引き締めて、年相応に話し出した。
「戦争が終わった時に、シャン川河畔で黒百合魔女の球根を見つけた。球根と呼んでいるのは半透明のガラスケースみたいなもので、彼女らの防護システム。中に怪我をした魔女が丸くなって苦しんでいるのが透けて見える。魔女傭兵は捕虜にはならない。自分をケースで保護して仲間が見つけてくれるのを待つ。見つけてもらえなければそのまま死ぬ」
「はい、黒衣の修道会から押収した書物の中にそういう記述がありました」
これはユリアさま。
「知っての通り、僕の魔力はマイナス。相手の魔力を吸収し無効化する。プラスの魔法攻撃では決して開かないその防護ケースを、解除することができたんだ。ついでに魔女が持つ悪意の魔法全てを、僕は無効化してしまったらしい。目の前に横たわるのは、若くて美しい傷ついた女性だった」
真面目な顔するとジジイと父公爵はよく似ている。顔や身体の横幅が違うだけだと言える。
「ルーナス君のように長い黒髪が美しくて、肌が白く、緑の瞳があどけなかった。治癒魔法など便利なものはこの身に宿っていないから、日にちをかけて介抱した。えるめめじゅれめ、せのるまる」
「ぶぜみえらんろとる……」
「うぃ」
考える間もなく、ジジイがしゃべったオレの母親の言葉にオレの口が相槌を打っていた。
「愛し合ったんだ」という意味のはず、ジジイはそれを即座に肯定した。
「ずうっと側にいたかった、できるものならエクストルに連れ帰りたかった。だが、僕は彼女にフラれたんだ」
「なぜ、ですか?」
母上が首を傾げる。
「僕が急速に歳をとることに気付いてしまったから。元気になった彼女は僕から10m離れると魔女に戻ってしまうことがわかった。彼女を脱魔女化するために僕は無意識に多大の魔力を使う。それだけの魔力を日常的に使い続けると身体がどんどん老いていくんだ」
「想像に難くありません」
父公爵が頷いた。
「僕の前にいる時と魔女になっている時の彼女は、性格が全然違う。彼女は、魔女の時に僕を殺してしまうだろうからと言って別れを約束させた。それでも去らないと言った僕に、彼女は魔女として雷撃をかましてきた。もちろん、これも吸収できるから僕が怪我をすることはないけれど、彼女はもう僕に近づかないと宣言してアユタリの山奥に飛び去った」
「子どもは……」
ユリアさまがそっと尋ねた。
「妊娠してたなんて思ってもみなかった。アシュリーが酷い頭痛に苦しんで失踪したと聞いた時、悪魔祓い師としてここを訪れて調べたが、お前が自分の意志でどこかに飛んで行ったことしかわからなかった。幼児を連れ帰ったと聞いたのはかなり後になってからだ。ただ、ルーナス君が10歳になったころ一度王城で会った時に、薄黄色のオーラが彼女にそっくりで驚いた」
ノルテックス公爵はその場にいる皆を見回した。
「僕はルーナス君は自分の息子だと思っている。オーラの色もそうだが、柔らかく笑った時には彼女自身の、仏頂面の時は魔女である彼女の面影が浮かぶ。そして、アシュリー、お前が父親だと言い張る根拠は、ルーナス君と念波が通じるから、だけだろ。そんなの、僕には端から通じないんだから比較にならない。血縁で、お前の魔力が一番強いからルーナス君の泣き声が聞こえただけに過ぎない」
「あなた、あの時、ルーナスの記憶を観て自分が父親だと思うって言ったわよ?」
母上が心配そうに父公爵に確かめている。
「ルーナスが3歳でギャン泣きしながら流してきた記憶の中で、黒百合魔女の格好をした女が母親してたからオレかなって。認めたくはないが身に覚えはあるし、それ以上深くは考えなかった」
父でないかもしれないアシュリー・ウェセックス公爵は頭を掻き掻き答えた。
「そう」
母上は微笑む。
「安易だと咎めていいのかな?」
とアクツム殿下が笑う。
「じゃあ……、ノルテックス公爵がオレの……父親?」
オレは好々爺面に戻った男を呆然と見つめていた。
魔女語録(みんなが魔女語しゃべりすぎー笑)ノルテックス公爵は恋人から習ってるので。
えるめめじゅれめ、せのるまる:彼女は僕に惚れ僕も。ごく自然に
ぶぜみえらんろとる……:お互い好きだったんだ……
うぃ:ああ