夕焼けには金魚が飛んでいるという妹
**家紋 武範様ご主催の「夕焼け企画」参加作品です。
「ルーナス兄さま、あたし、夕焼けは金木犀の香りがすると思うの」
真ん中に噴水があり複雑に花びらが重なりあった形をしている池の、地面より一段高くなっている縁に座り、西の空を眺めていた妹が呟く。
水音がしていても、オレがジェシカの声を聞き洩らすことはない。
離れて座っていてもだ。
四角く切り出した石灰岩を積み重ねてできている池縁はオレたちのお気に入りの場所で、普段はもう少し寄り添って泳ぐ金魚を眺めるのに、今は妹の青いのドレスの裾が2人の間に広がっている。
裾の向こうの小さな背中に波打つブロンドが輝く。
母上譲りの。
「夕焼けの中はこの池みたいに金魚さんたちが大勢住んでいて、金木犀の香りをまき散らしているの」
「ハッ。そんなわけないだろ」
口だけではぞんざいに答えながら、オレは妹の思い描く世界を見てみたいなどと思う。
オレと妹に血のつながりはない。ないと信じている。
さもないと、オレの恋心が可哀想すぎる。
生まれてこの方、記憶にある限り、オレは妹が好きだ。
どう否定してもこの気持ちは恋でしかありえないと、認めたのが3年前、12歳の時になる。
オレの髪は妹と似つかずからすの濡れ羽色で、後ろ髪だけ伸ばして三つ編みにしている。幼いころからサソリのしっぽみたいで気に入ってるからだ。
「ご子息はお父上にそっくりですね」と大人たちはゴマすりのように口をそろえるが、黒髪なんて偶然の一致、瞳の色はオレが緑であのひとがブルー。
子どもの頃はオレの瞳ももっと青かったらしいのだが、今や違いははっきりしている。
だ・か・ら、アシュリー・ウェセックス公爵はオレの養父だ。父じゃない。
彼は王様の弟、大抵いつも笑顔で、精悍なくせに癒し系。オレとは醸し出す空気が全く違う。
どこか心に棘を含んでギスギスしているオレは、西の国から来た流れ者だろう。
いつだって、西の方角に目を向けるとなぜか心が冷える、ひりひりする。
まるで一生分の苦しみをそこへ置いてきたかのように。
見事な色彩の夕焼けを目にしても、哀しさが先に心に響く。
今はその方角に、無邪気な妹の後ろ姿が温もりを放っていてくれるから目を向けていられるだけ。
「じゃあ、夕焼けってどんな匂い?」
妹がくるりと振り向いて金色の刺繡糸に撫でられた気がした直後、薔薇の香りの追い討ちが来た。
たったこれだけでオレは動けなくなってしまうというのに。
「空は匂わないよ。山の上は山の匂い、海の上は海の匂いだ」
「もっと高く飛んだら?」
ジェシカは屈託もなく問いを重ねる。
「ただの空の匂いだって」
ゼラニウムの匂いがしてきたら高く飛びすぎだ、という言葉をオレは飲みこむ。
この国の人々の中に、そんなことを知っている者はいないから。
王立魔法学園では自分の知識を小出しにして周囲の反応を見る癖がついてしまった。レベルがとことん違う。
知っているうちでは一番魔力のある養父に探りを入れても大した差はなかった。
そんな高度を飛んだことのある者はこの国にはいない。
オレはどうしてこんなことを知っているのだろう?
養父ウェセックス公爵だって空を飛べるが、あのひとのはどちらかというと高速移動で、空中浮遊は見たことない。
オレは、王族を凌ぐ魔力を持つ。
クラスメイトにつけられた『魔力王者ルーナス』というあだ名は教授陣にも知られ、学園外にも知れ渡ってしまっている。
もしこの国を転覆させようと企んだら、簡単にできてしまいそうで怖い。
ウェセックス公爵はそれに気付いているから、オレを見張るために養子にしたのか?
黙り込んだオレの気分など、隣の妹はお構いなしだ。
「身体中オレンジ色に染まりそうな夕焼けの真っ只中は金木犀の匂いでしょ? それともシトラスの香り?」
コテンと小首を傾げてオレを見上げている。
ジェスは、とオレは妹を愛称で呼んだ。
「空飛んだことないのか?」
「あたし、飛べないもの」
「公爵が飛べるのに?」
妹の可愛い額にしわが寄った。
「ずうっと気になってたんだけど、兄さま、どうしてお父さまのこと、父上って呼ばないの?」
「父上だと思えないからだよ」
育ちの良さは感じられるが威張らない、実は公爵って感じさえしない、飄々としてつかみどころのないのが、アシュリー・ウェセックス公爵。
38歳になったはずだが、オレの記憶にある限り、外見が変わっていない。
黒の短髪に真実を見通す青い瞳。
肩幅はあるのに贅肉はない。
服の下にはシックスパックでも隠しているのだろう。
イケオジというより青年のまま。
オレにとっては物心ついてからずっと、剣技や体術の師であるとともに、この人だけには魔法を存分に見せても構わないという練習相手であり、イタズラ仲間だ。
でも、妹への恋心がこんなにもつのってしまったら、これからは敵だとしか思えない。
妹とオレの間に立ちはだかる、高くて強い壁だ。
もっと困ることには、どんなに遮断しようとしてもオレの考えていることにうすうす勘付いてしまうやっかいな相手でもある。
意識して念波を飛ばせば離れていても会話ができる。飛ばしてなくても読まれてしまうのには閉口するしかない。
だからつい、オレは反抗的になる。
養父は母上とジェスのためになら簡単に命を張りそうだが、本気になったところは見たことがない。普段はその本気を見せやしないからだ。
だからこそ、ことジェスにかけては、いつも側にいるオレのほうが絶対よくわかっているし、守ってやれる。
恋をすると、こんなもの思いをしてばかりだ。