口無と燈野(1)
0:2018年9月20日、創作洋食料理店『トレーネ』の厨房
燈野:コウちゃ~ん!!
口無:(M)ハルと全く違う声で呼ばれて、僕はハッとした。
口無:(M)目の前にはフライパンがあり、豚のこま肉とさいの目に切ったニンジン、ピーマン、じゃがいもが、黄色い汁でジューと炒められていた。
口無:(M)三口コンロや銀色の収納棚、綺麗に並べられた調理道具と、さっきまで病室にいた雰囲気が、微塵も感じられない。
燈野:コウちゃん?大丈夫?(口無の肩をトントンと叩く)
口無:ッ!(恐る恐る振り返り)あっ、トウノ店長でしたか
燈野:あっ、びっくりさせてしまって、ごめんね。集中していただけなら、良かった……具合が悪くなったのかなって、心配しちゃったよ
口無:(M)茶髪に眼鏡をかけた燈野……トウノ店長を見て、ここが創作洋食料理店『トレーネ』の調理場だということが、わかった。
口無:(M)そして、さっきまでの出来事は、2年前だということも、思い知らされたんだ。
口無:(M)でも、愕然としたままではいられない。ここは仕事場。それに、上司の前だ。
口無:(M)何も知らないムードメーカーの上司が、陰気な僕に、わざわざ声を掛けてくれている。それなら、調子を合わせるのが大人の流儀。
口無:(明るめの声で)ふふふ
燈野:なっ、なに笑ってるの?
口無:相変わらずふざけてますね……トウノ店長
燈野:えっ、どこが!?
口無:眼鏡っすよ
燈野:メ、ガネ……?レンズが、割れてるわけでもないし、コウちゃんのこと、ちゃんと見えてるよ
口無:だからっす。そのメガネ……絶対、度が入ってないっすもん
燈野:ちゃんと入ってます~失礼な!
口無:たぶん掛けたら知的に見えるからっていう、不純な理由が丸見えっす
燈野:そ、そんなこと……ないよ
口無:上げ方、伊達メガネの人っすよ
燈野:もう!いじらないで!!
口無:いじられんの、好きなくせに
燈野:うん……嫌いじゃない
口無:(M)良い関係に見えるでしょ?何でも言い合える感じ、気を許しているみたいに……でも、これはあくまで、社交辞令。
口無:(M)一ミリも、気を許してなんかいない。もう、大切な人を失いたくないから。
燈野:そういえば、今日は、何を作ったの?
口無:豚こま肉のソテー~彩り野菜とともに~ですかね……和食でいうと、豚こま肉のマヨ醤油炒めに、なりますが
燈野:ほうほう。今回は、和食からヒントを得たんだね
口無:(M)僕は、火を止めたかを確認し、白い平皿を、フライパンに近づける。銀色のトングで、豚こま肉を掴み、軽く捻るようにして、皿の中央に乗せていく僕。