【#8】決意、アップロード
気づくと、時計は夜の9時を過ぎていた。放り出したままのスマートフォンを手に取り、再び莉多はBESTARアプリを眺める。
『とびっきりの笑顔で、アピールを決めちゃおう!動画は気に入るまで何度も撮影しなおせるよ!』
(とびっきりの笑顔……か)
インカメラによって映し出された自分の顔は、正気がなく疲れているように見えた。試しに、スマートフォンに向かって無理やり笑顔を作ってみるが、どこかぎこちない。
「なんやの、この子」
思わず自分で吐き捨ててしまうほど、現実の自分の顔は疲れにまみれていた。すると、やおら莉多は立ち上がって、部屋の真ん中で一言叫んだ。
「よっし! やるぞ!」
離れのカーテンをすべて閉め、シーリングライトの明るさを最大にすると、いつも夜に母屋の風呂へ向かうときに使っている懐中電灯のスイッチを入れた。一度着替えていた部屋着を脱ぎ捨て、お気に入りのワンピースに着替えた。そして壁際にもたれると、懐中電灯を近くの戸棚の上に置き、自分の方へと向けた。静かに音を立てていた心臓が、ドクドクと震え始めるのを感じた。すると、
「あ……これじゃ……あかん」
いったん懐中電灯を消し、ポーチから化粧品を取り出した。ファンデーションを重ね、リップを塗るうち、自分でもテンションが高まっていくのがわかるようだ。
(どないやろ?)
髪をポニーテールで結ぶと、昼にBESTARのプロフィールを入れてくれた友人に写真とともにメッセージを送る。
『これ、似合う?』
ものの1分程度で「既読」のマークがつき、すぐに返信が来る。
『めっっっっっちゃカワイイやんっ♡♡♡』
『莉多、エエよそれ!! 絶対オーディション受かる思うよ!!』
「ありがとう」のスタンプを送り、莉多は再びBESTARの画面を開いた。おとなしく見えて、莉多はこうと決めたら結論は頑として変えないタイプだ。伝えたい言葉も、すでに胸の奥に秘めている。2、3回、あらためて大きく深呼吸をすると、莉多はスマートフォンを自分に向けて構えると、静かに録画スタートのボタンを押す。
「みなさん、こんにちは。エントリーナンバー49853、京都府出身、二十歳の川波莉多です。もし……わたしがアイドルになれたら、芸能界で輝けるように精いっぱい頑張ります。ようさん応援してや」
特別なことは、何一つ言えなかった。だが、これが今の精いっぱいだ。自分が喋っている動画を見直すのも気恥ずかしく、撮り終えた動画を見直すこともせずに、BESTARにアップロードした。
『Thank you! 動画のアップロードが完了したよ。動画審査に合格すると、次の審査への案内が届くよ!審査が終わるまでしばらく待っててね!』
BESTARのメッセージを確認すると、莉多はカバーを閉じてスマートフォンをベッドに投げ出した。
「ふぁーっ……」
緊張から解き放たれた莉多は、そのままベッドに崩れ落ちた。疲れと緊張からの解放で、メイクも落とさぬまま、莉多はスースーと寝息を立て始めた。そして、莉多が応募を完了してから数時間後、スマートフォンへ通知された文面は――
『オーディションの受付を締め切りました。最終応募者は52762人でした。たくさんの応募ありがとう!』
莉多は、オーディションの締め切りがすぐ直前だったことに気付いていなかった。
「ねぇ、そこの名プロデューサー。すばらしい記録ね!」
あくる朝、事務所に現れた蘭に声がかかる。
「ほぇ? ……んゲホッ、ゲホッ、ゲホッ……、ごめんなさい」
突然呼び止められ、飲んでいたタピオカドリンクを喉に詰まらせてしまった。涙目で見つめる蘭にその声は続ける。声の主は、スワン・プロダクションの代表を務める白鳥奈緒子だった。
「まさか、5万人も応募来るとは思ってなかったわ。あんたの作戦勝ちね」
「えっ? ……えへへ……」
普段は容赦なく企画にダメ出しを行う白鳥に珍しくべた褒めされると、蘭の表情に明るさが宿る。残っていたタピオカを一気に吸い込み、大仰に腕を捲って答えてみせた。
「S.O.S.をやったことで、自分でも自信がつきました。ここからがスタートですけど…、でも、なんか成功できるイメージはあるんですよね。ほら!」
鼻息荒く、蘭は手に持ったスマートフォンを白鳥に掲げてみせた。BESTARアプリのタイムラインには、全国――いや、海外からも集まった思い思いのPR動画が躍る。
「おぉ♡ 夢を持った目、イイね! これなら――」
「?」
蘭がきょとんとした顔で白鳥を見つめると、白鳥は蘭の肩を叩いた。
「あんたに見えている景色は、あながち遠いものでもないのかもね」
蘭はいささか不服そうに頬を膨らませる。
「えっマム、まさかわたしの企画、信じてくれてなかったんですか?」
「いやいや、まぁ最初にあんたが企画書出してきた時は正気か? ってちょっとだけ思ったけどね……それはともかく、参加者の子たちを見て確信したよ。このプロジェクトは確実に成功する」
「マム……!」
白鳥は眼鏡を直すと、蘭の目を見て大きくうなずく。
「だからこそ、このプロジェクトは何があっても絶対完走で。最後までやり切ったとき、日本の芸能の歴史が一つ変わる。それほどの夢を、参加者にもファンにも与えられるプロジェクトだからさ」
「はい! イエス、マム」
白鳥の言葉に蘭は目を輝かせて大きくうなずくと、会議室へと入っていった。その後ろ姿を見ながら、白鳥はかつて蘭と出会った頃の記憶に思いを巡らせる。
(本当に不思議な子だよね、あの子は――タレントとしてスカウトしたのに、突然マネージャーやりたいなんて言い出して、まぁそこでも紆余曲折はあったけど結果を残して、今度はプロデューサーに……とんでもない企画を持ってきたけど、きちんとそれを形にして見せる。本当に、あの子には宇宙みたいに大きな世界が見えているのかもしれない――)
ガラス張りの会議室の中では、蘭がプロジェクトメンバーを集めてこれからの展開についての確認を行っている。その目の奥には、情熱が滾っているように白鳥には見えた。
<To be continued.>