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聖なる夜に願いを

作者: 樹亜希

人とのつながりの脆弱さと

その逆の温かさを描いた作品。

私のこと、誰か呼んだ?


 咲良は深夜三時過ぎに目が覚めた。

 誰かに呼ばれたような気がしていた、それはフランスへと旅立った諒太の声だったような気がして目を覚ました。まさかな、何か良くないことでもあったのではないだろうか。ふと思ったがあまりにも寒い空気の中で頭まで毛布をかぶると咲良はもう一度眠りにつきたいと思った。

 明日は朝9時から会議がある。いや、それはもう今日のことになる。

 少しでも、たとえ1時間でも横になれば眠れるはずだ。目を閉じていればいつかまた眠れるのではないだろうかと思っているが、ますます目が冴えてしまうのはなぜだろうか?

 諒太のことを思い出さない日はなかった、けれども自分の反対を振り切って行ってしまった男のことなど考えている余裕はなかった。来年、年が明けて春が来たら入籍しようとまで考えていたのに、ここにはもう諒太はいないのだ。

 泣いて縋って止めることが良いことだったのかと今も自問自答してしまう。

 かわいい女のふりをすればよかったのかとも思う。だが違う。賢いふりをするのもまた意味が違う。物わかりの良い女のふりをする必要もない。もう3年も一緒にいてわからないことなど、お互いにないと思っていたはずなのに。

 急にフランスへ行くといいだした彼の気持ちの変化に気が付かなかった。

 愛しているつもりが、本当はそこまで深く彼のことを思っていなかったのではないか、それも何か、綻びがあって見落としていたという理由を探しているだけで、本当は自分が忙しくて諒太のことを、思いやっていなかった、すなわち、愛など存在していなかったのではと結論がたやすく出てしまう。


「朽木さ~ん」

 はいはいと思いながら、padとリングノートに、いつものペン、赤と黒を持って第二会議室へと小走りで急ぐ私の顔なんてきっと誰も見ていない。

 あんな時間に目が覚めてしまったものだから入眠できずに、結局映画を一本見てしまったので、顔がむくんでどうしようもない。

「すみません」俯いたまま、椅子を引く。

「どうしたの? いつもの朽木さんらしくないね」

 部長の吉田がそういうがいつもの私ってなに?

 制服をきちんと着て、みんなの分の飲み物を用意して誰よりも早く会議室の暖房を入れることがいつもの私の証明? そんなのあんたが頭で描いている妄想に過ぎない。

 信用金庫のOLなんて若いうちが花で、そのあと結婚・出産を過ぎたら早く辞めないかななんて思っているくせに。でも、この前入社して転属になった国立大学大学院を出ている鈴木さんは26歳で二年目だが私の今のお客様の吉田様からダメ出しをされていた。


 長年眠っている定期預金の自動更新の200万円を運用してもらうように話をしたのは私なのに、また同じリストに吉田様の名前があり、うっかり電話をしてしまったのだ。とても知的でご主人様も大企業の取り締まりをされているのに、意味の分からない鈴木のトークで少し立腹されていた。


「ねえ、例の定期のことで鈴木さんという女性から電話があったんだけれども、意味をなさないし、話が見えないのよ。彼女って初心者マークなの?」

「ああ、申し訳ございません。彼女入行2年目で大学院を出ているいます。26歳なのですが……」

「うん、まあ、それはいいわよ。何が言いたいのかさっぱり分かんないわね。再教育をしてから顧客対応しないとまずいのではないかしら。ところで今回のFX の件だけれども、アメリカ中小はやめようかと思うのだけれど、どうかしら」

「それは……」

「あなたが推してくださっているのは分かるけれど、今の政権は少し弱くないかなあ?」

「あ、そうでございますか?」

 私はあまりニュースも見ていないし、日経デジタルもきちんと読めていなかった。

「う~ん。ニュース見ていても日経読んでもあまりいい材料なくない?」

「それはそうですね。パッとしませんね」

 何とかこの場を切り抜けないと……。

「他の銘柄はいいのだけれども、もう一つ別の何か強そうなものを考えてくださらない?」

「お時間頂戴できますか?」

「いいわよお。健康診断に行くのですが、その前か終わって二週間後。二択になります。私は急ぐ話じゃないの。あなたが契約を成立させたいのならば、その段取りに合わせてあげますよ。ただし、高値の時には買いは控えるので、そこのところはお願いね」


 吉田様は今年の夏に鈴木と同じように私が電話をかけて営業を投げたところ、投資信託に興味を持って頂いた貴重な太いお客様となった。作家をされていることと、コロナの感染から当行にはおいでにならないから、私が3回ほどと自宅にお邪魔して、口座の開設をしたが、吉田様の小説の締め切りとご実家で不幸がおありで1か月間が空いてしまった。


 吉田様はお話がとてもうまくて、引き込まれるような不思議な魅力がある。大きな黒い瞳が印象的だが、マスクをした状態でしか、話をしていないので本当のお顔はまだ、知らない。

 面白い話術と知識と見識の深さに、人間的が慈愛と教養の高さには毎回唸らせる。そんな中で、一緒に暮らしている諒太のことまで話してしまった。

「それはあなたには似合わない、そぐわない男性かも知れないわね。でも運命の赤い糸伝説を大事にするのならば、反対はしない。けれど注意した方がいいわね。一度姓名判断をしてもらって相性を占うのもいいと思うわ。あなたの名前が変わることで大きく仕事運も変わるのよ」

「そう、なの、ですか」

「ええ、私も結婚してから何もいいことがないとその人に言われて、本名あるでしょ、改名したのよ。気持ち的にだけど。戸籍上の名前は家裁に行かないとだめだし、運勢がよくないから変えたいのですなどという安易なことでは認められないのよね。私もこの名前は生まれたときに祖父が比叡山のお寺にまで行って授けて頂いた大切な名前なのよ。かといって、主人と離婚して元の苗字に戻せばいいけれどもそれも今となっては得策ではないわよね」

 カリスマ性のある女流作家さんがこんな京都の片隅にお住まいだったとは意外だったけれども、書籍を1冊私の手にのせられた。

「これ、この前読んだの。恋愛もの。あげる、私は同じものは二回読まないの。いらなければ捨てていいですよ」

「ありがとうございます」

 その本はマチネの終わりにだった。

「感動しました、私だけ読んで置いておくのは惜しいからお時間がある時にどうぞ」

 吉田様は小さな紙の袋に入れて差し出された。深いワインのような濃い紫色のネイルが細い指にとても似合っている。私にはあの色は似合わないと思った。


 契約ができて運用が始まると吉田様はしばらく、静観されていた。本業の作品を三月までに仕上げられるために私もご自宅に伺うのはやめていた。

 諒太は何度か電話をよこしたし、私もかけたが時差がありなかなか思うように話すことはできない。写真の勉強なら日本でもできるのに、なぜということは何度も話したが聞き入れなかった。パソコンに送ってくる画像はフランスのそれだった。しかし、私は京都にしかない、佳さを十分に理解しないままの海外渡航には賛成しなかった。行ってしまった人に何を言っても意味はない。


「クリスマスには帰るよ、一度。二週間前に検査して大丈夫ならそのまま 飛行機に乗る。大阪のホテルで1週間過ごしてから咲良のもとに帰るね」

「そうか、三週間ほどしたら帰るんだ。待っているから」

「お土産は特にないんだけれども、いい?」

「何もいらないわ」

 これが諒太と交わした最後の言葉だった。

 諒太はフランスでテロに巻き込まれてこの世を去った。

 私は生きる気力を失いかけていた。


 どれだけ待ってももう諒太は帰らないのだと考えても思ってもクリスマスが近くなれば、部屋の玄関に帰る気がしてならない。

「吉田様、私はどうすればいいのでしょうか」

「私が紹介した病院に行って薬は?」

「のんでいます」

「じゃあ、仕事終わりにうちによりなさいよ。主人も帰りが遅いから。うちは子供がいない、東京へ行って帰らないから。二人でクリスマスしましょう」

「いいえ、お客様にご迷惑をおかけできません」

「私が、来てほしいの」

 24日のイブに私は吉田様の玄関前にいた。

「さあ、どうぞ、散らかっているけれど」

「失礼します。本当にいいのでしょうか」

 高級マンションの部屋は色々なものがあるが、吉田様のお仕事が大変なのがいつも分かる。

「これ、電気圧力なべ。買ったのよ。トマト缶でチキンを煮込んでみたの。食べて」

 ワンフロアのリビングダイニングは広くて、寒い。

「おいしそうです、お料理お上手なのですね」

「娘がいた時までは主婦だからね。あの子が大学行くときに書き始めたから」

「そうなんですね」

「猫でも飼いたいところだけど、主人も私もアレルギー性鼻炎だからだめよね」

冷えてきたねと吉田様は私にワインを勧める。


「本当なら今日は諒太が帰ってきているはずだったのです」

「そうか……。今までよく仕事とか頑張ってきたね。偉いと思うよ。一人で頑張ってきたね。でもきっと天はあなたを見ているはずだから、頑張ろうとか陳腐な言葉は使いたくないけれども、今日が過ぎたら、明日、そしてまたその次を積み上げていくしかないのよね。人間、諦めたら終わり」

「はい」

「私のために生きて。他にもお客様はたくさんいるでしょう。今の会社でトップ張りなさい。それまで生きて。それから諒太さんのところへ行くのも悪くないよ。高いところから見た日本なんて小さいものだと思うから」

「そうですね」

 少し鼻の奥がツンとする、涙が出る予感しかしない。

「うん、その時はもう私は先に死んでいると思うけれども」

「いえいえ、そんなことはないです。ちゃんとおられますよ」

「彼はいるよ、今もあなたの胸に」


 私は少し躊躇いながら吉田様の顔を見ると菩薩のように微笑んで続ける。

「分かるよ、私には。でもまだ若いから好きな人ができたとしてもあなたの中に彼がいたままでもいいと思うの。そのままのあなたのことが好きになれる人がいても、いなくてもそれも、ありだと思う」

「ですか……」

「ええ、今は彼のことを思って祈ろう。そして食べて寝るとしましょう」


 この夜のことは一生忘れないと思った。


 全部諒太が教えてくれて導いてくれたことなのかなとも思えないこともない。今までずっと堪えてきた思いが噴き出す。泣かないと決めていた、これは全部夢なんだ、出まかせなんだ、諒太は絶対帰るんだと頑固に思い込むことで踏ん張ってきたものがどっと崩れていく……。


 愛している、好きだった。

 かけがえのない人、もう帰らない人、私のすべて。


「いいから、全部さ。出しちゃえば、私でよければ。彼の名前を読んであげてよ。聞いてあげますからね。受け止めることができるわよ」


「諒太!!」


 おおい! と返事が聞こえた気がする。私は吉田様の方へと振り返った。


「返事したね。聞こえているのよ、あなたの思い」


「大好きだよ」


 大きな窓の外を吉田様が手を出した。


「ほら、雪だよ。帰ってきたね、ちゃんと」

 私は声にならず、うなずいて吉田様の薄い体に抱きついていた。

 お帰り、諒太。




       了

ほっこりとしたラストにしてみました。


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