場外馬券
エッセイのような小説のような。
華の都東京、水道橋は後楽園。上部に巨大なドーム球場が鎮座するこの地にあって
一段低まった地上部に、平日の夕暮れとなるとぞろぞろ人が集まってくる。
その客層も野球観戦や遊園地、更には同じ競馬でも中央競馬とは一風変わり、
うだつの上がらぬサラリーマンや、年金生活の老人達。若いのと言えば、私のような
不良大学生くらいなものだ。
ここは大井・船橋・川崎・浦和の四つの地方競馬場により形成される、南関東競馬の
場外馬券場である。妙な横文字の名前もあったように思うが、今はうっかり失念した。
私はこの場所が好きである。
親父達の煙草の煙と競馬新聞のインクの香りが、夏の夜の、飛び交う虫が吐き出して
いくようなあのきつい匂いと混ざり合う。照明は明るくはないけれど、レースとなれば
見づらい小さな実況モニターを、数百人の男どもが一心不乱に睨み付ける。
酒だ。博打だ。そこかしこから、有象無象の声が聞こえた。
結局、これはノスタルジーなのだ。田舎の縁側で、父はトルコ帽のような吸い殻の山を
作りながらとろとろ夕刊に目を通す。テレビは居間にひとつだけあって、薄暗い蛍光灯の
下家族がチャンネルを探り合う。体感したことのない昭和の風景が、不思議と
私の中で居場所を失うことはない。冷たい図書館の中で本に読み飽きてたまらなくなると、
私は恐るべき帰巣衝動に駆られる。そうしてここで、インドや東南アジアに取り憑かれた
バックパッカーのように、精神の栄養を啜る。もっとも、単なる博打依存症の
可能性もなくはない。
この日も私はほとほと自身の学問に嫌気が差し、黄色い電車へ飛び乗った。
まずは、売店で競馬新聞を買い求める。競馬打ちは煙草の銘柄のような感覚で、
好みの競馬新聞を持っている。私もお気に入りの競馬新聞を手に取ると、煙草の
煙が一段と濃く見える、飲食コーナーへと足を向けた。
「ビールを一杯、あとつまみを何か」
このような要領を得ない注文にもおばちゃんは笑顔で応え、茶色の小さなトレーの上に
ビールとお好み焼きとを載せて差し出してくれた。
個体か液体か、ぶよぶよと定まらない味をビールの苦さで洗い流しつつ、競馬新聞に
目を通し、見知っている馬が出走していないかを確認する。
一頭、ある馬が目に止まった。
馬名は「スベテヲワスレマシヨ」号。
そんな馬があるか、と読者諸氏の中にはお思いの方もいらっしゃるかと思う。しかし昨今
競走馬の名前は益々通俗化されており、先日などあるレースでタマゴカケゴハン号と
ネコマンマ号とが相見え、一部好事家の間で猫はどちらの飯を好むのだろうか
などという論議が巻き起こったことは記憶に新しい。それらと比べればこの馬などはなかなか
文学的な味があると強弁できないこともなく、いくらか上等の類であると言えよう。
この馬は元々中央競馬で走っていたが、十二戦して掲示板に載ることもないまま
南関東に流れてきたらしい。両親の血統も、ここ十年の流行からは遠く極めて地味で、
古めかしいものであった。
現実逃避の今日の自分にはちょうど良い馬だ。人気もないようだったので千円分ほど馬券を
買った。レースの発走にはまだ間がある。モニターに目をやると、パドック(下見)が映っていた。
スベテヲワスレマシヨ号はなんとも貧相な体つき。しかもまだ若い三歳馬の癖に、
老馬のような力のない歩み方である。気合いの入っている馬は歩く姿から雰囲気が違うのだが、
この馬は最後まで厩務員に牽かれるようにしてパドックを終えた。
これは金を溝に捨てたかかもしれないな。それが率直な感想だった。
発売締め切りのベルが鳴る。ファンファーレが流されると、その一瞬だけ場内は
静まり、誰もが目当ての馬のスタートをどうなることかと見守っている。このときこそ、
大概の競馬打ちにとって至福の時である。何故って大半の人は、レースが終われば
お金が減っていることに気づくのだから。
カシャリとゲートが開く乾いた音が聞こえると、馬が一斉に駆けだした。
一頭抜けて、元気良く飛び出した馬がいる。スベテヲワスレマシヨ号である。これまで中央競馬では
まったく話にならなかったこの馬は、一気に先頭に躍り出るやぐいぐい二番手を引き離していく。
「先頭は転厩初戦、単騎逃げ四番スベテヲワスレマシヨ号、大きく離れまして
二番手に七番モンテサムソン、続いて……」
実況がすらすらレースの状況を伝えてくれた。スベテヲワスレマシヨ号の逃げは抑えどころを
失ったように進んでいく。まるで赤い牙を持った猛獣から追われているような、必死な
危うさを持つ逃げ方であった。
私は柄でもなく、この馬に感動した。思わぬ頑張りに心打たれたこともある。しかし
それ以上に強かったのは己と境遇を重ねあう、自己陶酔の愛である。
さあ逃げろ。今までいた場所では勝てないまま、辛い思いもしただろう。
両親はどちらも平凡な馬だ。己の生まれつきの悪さを、大層呪ったこともあったろう。
この新天地で、凡てを忘れて勝利をつかみ取るがいい。逃げ切れ!
ところがどうしたことだろう。いや、必然であったのかもしれない。残り六百メートルで
目に見えてスピードが落ちると、あれだけあったリードが一気に詰められてく。馬の顔には
もう、走る気力は見られない。
残り三百ほどで交わされると、平凡な名の馬達に次々抜かされ、最後はビリでゴールした。
一時の高揚感はすっかり消え失せた。はずれ馬券を握った私は、悪い夢を見せられた
気分で、新聞馬券いずれも投げ捨てると、駅へと続く陸橋の上をのろのろと歩き始めた。
やはり、逃げ切れなどしないのだ。
その後スベテヲワスレマシヨ号は逃げることもできぬまま、五回走った後
競走馬を引退した。伝え聞いたところに寄れば、気が大層粗く、レースにならぬことが
多かったという。引退後の消息はまったく知れない。
ありきたりの筋の、稚拙な文章でしたがお読みいただきありがとうございました。