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頭中ノ戯言

作者: 酔月狂鬼

 ようこそ。()()へ来るのは初めて、ですよね?

 もし、そうでないならこんにちは。

 お久しぶり、かもしれませんね。

 なんにせよ、ここは私の頭の中。

 考えたことを文字におこしているだけの小説とも言えない、稚拙で拙いものです。

 読みにくいのは重々承知ですが、文才も無く、飽き性である私には一番書きやすい書き方なのです。

 まず、そのことについて深く謝罪させていただきます。

 では、本題へと入らせていただきます。

 そもそも、ここでは何を書くのか。

 私は普段は考え事というのはあまりしないのですが、ある時ふと考えてしまう時があるんですよね。

 「なぜ人はこう考えるのだろう」と。

 私は哲学者でもなければ、大した学のない人間だと自負しております。

 それはもう、自信を持って(堂々とは流石に恥ずかしいので言えませんが)言えます。

 しかし、そんな私でも疑問に思う事、深く考えることはあるのです。

 そして()()は私にとって泡のようなものなのです。

 泡沫(うたかた)のようかと言われればそれに近い感覚です。

 とにかく脆く、消えやすい思考なのです。

 そんな考えを私は文字におこそうと思ったのは、何となくです。

 特段理由というものもありません。

 それと、これはただの一個人の戯言とでも思っていただけると幸いです。

 何か調べた上で書いているわけでもありません。

 私の頭の中だけで描かれているただの「妄想」ですので、「ふーん、あっそ」くらいの軽い気持ちで流し読みしていただいてもかまいません。




 さてさて、自己紹介のようなものはここまでにしまして、早速本題へと入りましょうか。

 今回はそうですね。

 「神」について考えていくとしましょうか。

 そもそも、神とは何なのか。

 この世界を創造し、そして人類を創った存在である、というのがセオリーなのでしょうか。

 大昔から存在していて、今もなお信じられているほどに大きな存在である、ということだけは確かに言えることです。

 では、神とはどういった存在なのか。

 そう聞かれてすぐに答えられる人は少ないでしょう。

 現に私もパッと思いつきませんでしたからね。

 神。

 それは人によって認識が変わってくるものなのでしょう。

 わかりやすい比較だと、()()()()()か、()()()()()()かですね。

 これはもう違いがまる分かりです。

 信じている人にとって、神とは信仰すべき対象として。

 信じていない人にとって、神は言葉として知っているといった具合で認識が変わってくるものではあると思うのです。

 しかし、共通することもあるのです。

 それは、誰も神の本当の姿を知らないという事です。

 そもそも、神はなぜ信仰の対象になっているのか。

 なぜ大小にかかわらず建造物を建ててまで、時に畏れ、時に縋るのか。

 ……少しご自分で考えて答えを出してみましょうか。

 といっても、そう簡単に答えなど出る訳ではないんですよね。

 実際、これははっきりとした答えの出るものではないのです。

 根拠もなく、証拠もない。

 そんなものは世間では信用されず、ただの「妄想」となるのですから。

 では、これは私の「妄想」です。

 それは神の本当の姿を、力を、全てを知らないから、と私は思うのです。

 人間は未知の存在に対して、非常に弱いです。

 正しくは、()()()()なのかもしれないですね。

 虫を食べたことが無い人に、虫は美味しいという話を聞いたとしても、実際に食べたいと思う人は少ないはずです。

 それは虫に対して固定概念が付いているということです。

 虫に対して思うことはいろいろあるとは思います。

 しかし、決して「虫」と「食べる」はイコールでは結ばれないはずです。

 そしてこの話と先ほどの私の妄想ですが、まったくつながっていないことはお分かりかと思います。

 実は、私も今気がつきました。

 ですが、一応繋がるには繋がるのです。

 かつて、神のことを何も知らない先人たちの誰かの中にこう思った人がいるかもしれません。

 「もしかして、神ってすごいやつなんじゃね?」

 今のように情報伝達手段が豊富ではなかった時代。

 口頭や絵(少数ですが文字も)などでしか伝えられないそんな時代に、奇しくもその話が広まって信じられてしまったとしたら。

 それはもはや、「神はすごい存在」ということになってしまうのです。

 もちろんそんなマヌケな方法で神という存在が広まることはないと思うのですが、まぁ、ほんの一例です。

 少し前の文章で私はこう書きました。

 『根拠もなく、証拠もない。そんなものは世間では信用されず、ただの「妄想」となる』

 しかし、それは誰かが根拠も、証拠も知っているからこそ成り立つことでもあるのです。

 では、もし誰も根拠が分からず、証拠も知らないとしたら?

 固定概念もなく、どんな存在かも分からない。

 正体不明の未知なるモノ。

 そう考えると怖くありませんか?

 だからこそ神は恐れられ、畏れられる存在となったと私は思うのです。

 本当のことを何も知らない存在だからこそ「神」は「神」たりえる、ともいえるかもしれませんね。

 さて、今回の私の考え事はここで終わりといたしましょう。

 普段は考え事などしないですから頭が痛くなってきます。

 それに、考えたとしても答えなど見つからないものですからね。

 また縁があったら()()でお会いいたしましょう。

 それでは、また。

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