ジョゼフィーヌ、お前を追放する! なぜなら……
朝の酒場とは妙なものだ。
場所も調度も夜と一緒だというのに、いやに静まりかえってやがる。冒険者ギルドに設けられた酒場はいつも騒がしいイメージだが、朝一番はこんなものだ。
客は俺達の一行のみ。
しかも全員が黙りこくっている。
よくない話し合いをしているせいだ。
俺はテーブルに身を乗り出した。
「……話を引き延ばしても仕方がない。はっきりと言おう」
パーティーメンバーの一人に指を突きつける。
「ジョゼフィーヌ、お前を追放する!」
つぶらな瞳が見つめて返してきた。きょとんとした、まだ何も分かっていない表情だ。
少し罪悪感が芽ばえたがやめるわけにはいかない。
「なぜなら――」
二人のパーティーメンバーが丸テーブルの左右からこちらを見つめてくる。その目は、『言え! 言うんだ!』と訴えていた。
「なぜなら」
息を整える。できる限り重々しく言わなければならない。追放するジョゼフィーヌに、嫌でも、本気だと理解させるために。
俺はメンバーを確かめた。
丸テーブルには、パーティー『ウルフ・ファング』の4人がかけている。俺の右に座るエルフ種族の女は、弓闘士サリア。左に座る全身鎧の男は、ドワーフ種族の重戦士サルマンという。
追放予定のジョゼフィーヌは俺の対面だ。
弓闘士サリア、重戦士サルマン、ジョゼフィーヌに、リーダーの俺――人間族の剣士、アッシュを加えた4名がパーティーの構成員だった。
これからはきっと3人になるけどな。
「いいか、もう一度言う! ジョゼフィーヌ、お前を追放する! なぜなら」
俺はついに言った。
「なぜならお前は犬だからだ……!」
ジョゼフィーヌは首を傾げた。
はっ、はっ、と舌を出して尻尾を振っている。金の毛並みは窓からの朝日できらきらしていた。
その種族は『ゴールデンレトリバー』。
大型犬。そう、犬だ。
俺達『ウルフ・ファング』は、エルフ1名、ドワーフ1名、人間1名、そしてゴールデンレトリバー1名というパーティー編成だ。
ちなみに犬種はこいつを譲ってくれた不思議なおっさんが教えてくれた。遥か遠くの島国が原産らしい。
「わん!」
黒々とした瞳は不思議そうに俺達を見つめてくる。呼ばれたのが嬉しいのか。
「くぅぅ~! かわいぃよぉ……」
弓使いの娘、サリアが身をよじった。ポニーテールが犬の尻尾とリズムを合わせて揺れてやがる。
俺は頭をがりがりやった。
「いったいなんでこんなことに……!」
そもそもなぜ冒険者パーティーに犬がいるのか。
半年前のことだ。
王国で冒険者の向けの補助金が出ることになった。パーティメンバー1人につき、1000ゴールド――1ヶ月くらい暮らせる額が支給されることになった。色々あって気前よくなった王国が、冒険者に報いようとしたようだ。
それはいい。
だが冒険者とは本来はならず者。
こういう機会にはちょっとでも多くもぎ取ろうとする。
結果、何が起こったか。
「パーティーメンバーの水増しが起こったんだよなぁ」
昔を思い出しながら、俺はお茶を口に含んだ。
パーティメンバー1人につき支給されるなら、ちょっとでも水増しした方が良い。そう考える手合いが続出したのだ。
目に付く浮浪者、孤児、そうした誰でも思いつく水増し要員はあっという間に枯渇した。
次いで考えられたのが、冒険者らしい屁理屈だ。
お茶を飲む手が震えてくる。
「魔法で姿を変えられた人間です……そう言って、いろんなものをパーティーメンバーに登録するやつが続出したんだよなぁ……!」
冒険者達は補助金ほしさに、『魔法で姿を変えられているだけで本当は人間なんです!』と無茶苦茶な理由で、あらゆるモノをパーティーメンバーに登録し始めた。
カエルの王子(本当はただのカエル)、石化した騎士(ただの騎士の像)などはまだいい方。
恐らく悪ノリのピークは、魔法で姿を変えられた恋人という触れ込みで、ただの鉄パイプをパーティーメンバー登録しようとしたやつだろう。
錆が浮いた鉄パイプを握りしめて受付に行く男を俺達は指差して笑った。
「でもねぇ。まさか鉄パイプがうまくいくなんてね」
腕組みするサリアも、同じ事を思い出していたらしい。奇しくも回想がシンクロした。
「そうだな」
その男が吟遊詩人で、受付の担当者が新米でしかも夢見がちな貴族令嬢だったのも悪かった。吟遊詩人は鉄パイプを壁に立てかけると、姿を変えられた恋人を想う歌をハープで歌い上げたものだ。
俺達は笑いをこらえるのに必死だった。
だが、申請は通った。吟遊詩人には鉄パイプの恋人と合わせて、2人分の金額が支給されたのである。
そこからはノンストップだ。
きっとギルドもカネが余り、ろくに審査するつもりなんてなかったんだろう。
当時は俺達も判断力を失っていた。生き物な分マシだろうと思ったんだ。
ため息をついてしまう。
「お前らもマジメにやれ! ジョゼフィーヌを追放してパーティーから除外しないと、大変なことになるんだぞ!」
ついつい言葉が荒くなる。
机に置かれた『ウルフ・ファング』のメンバー表をつついた。
「俺達は、7日後に王宮に呼ばれるんだ」
この国では実力のある冒険者を王宮で労うイベントがある。
「幸い、パーティーメンバーの一覧は王宮に送られていない。つまり……」
言葉を切った。
「今のうちにこいつを除名しないと、王宮に犬を連れていくことになるぞ」
冒険者が犬。
どう考えてもおかしい。半年前の不正受給を自白するようなものだ。
王宮から招待状が届いてからでは遅い。王族からの招待をもらっておいて顔を出さないなど、また別の面倒が生まれる。
「いや!」
早速、サリアがごねだした。
「こんなにカワイイのにぃ!」
もふもふの首筋に顔をうずめ思い切り息を吸っている。あれ気持ちいいんだよな。
「ふぁぁぁ! 良い匂い! わんこの匂いっ!」
ジョゼフィーヌは弓使いサリアに向きなおり、その顔をぺろぺろした。サリアは感極まったように頬ずりする。
「……正気に戻れ。いいか? パーティー追放には、えーと、合議に参加したパーティーメンバーの3分の2を越える賛成が必要だ。お前も賛成しないとギリギリ足りない」
4人で3分の2を越える数といえば、3人ということになる。つまりはジョゼフィーヌ以外、全員の賛成が必要なのだ。
「重戦士サルマン、お前はどうだ」
「…………」
種族ドワーフの重戦士サルマンは、我がパーティーの壁役だ。その技量、冷静さ、何よりどんな時も苦悶の呻き一つもらさない我慢強さで、『沈黙の壁』という異名をとっている。
「……お、俺は」
くそ、歯切れが悪いな。
今もコンゴー・リキシのような凄まじい形相で犬とサリアを睨んでいる。が、よくよく見ると下唇を噛みしめていた。可愛さにキュンキュンした時、この男はそうやって抱きしめるのを我慢する癖がある。
内心はメロメロってことか。
「くぅ~ん?」
「ぬぅぅん! カワイイぃぃイイ!!」
ずぅん!と凄まじい音を立ててサルマンは胸を押さえてうずくまった。
俺のため息も同じくらい重い。
「……はぁ、みんな落ち着け。いいか、とにかく決をとるぞ?」
メンバーを見回した。
「追放に賛成の者は、手を挙げろ」
重戦士サルマンが真っ青な顔で、震える手を掲げた。オークと共に罪もない村を焼けと言われたような顔をしていやがる。
だが弓使いサリアは俯いたままだ。
「……おい?」
「ダメよ」
「なに?」
「分からないのっ?」
サリアはぶんぶん首を振った。
「見て! この子、ジョゼフィーヌの悲しげな顔を!」
俺達を見つめる、つぶらな瞳。そこにはテーブルにのった朝食が映っていた。
「……悲しげ?」
「この子、私達の言葉が分かっているのよ!」
ええ、と俺は重戦士と顔を見合わせた。
「追放されたくないって言ってるの!」
犬好きには、犬が人間の言葉を理解していると言い張る人がいるらしい。無論そんなことはない。人間側の勝手な錯覚だ。
「こんなにカワイイのに! 追放なんてできない!」
「わがままはやめなさい!」
「いやだぁ!」
「飼えない! もうウチでは飼えないの!」
「やぁだぁ!」
押し問答になってしまった。重戦士サルマンは歯ぎしりをしながら沈黙している。
「それに、いいの?」
サリアの目が光った。
「な、なにが」
「この子は役に立っているじゃない!」
確かにそれは痛いところだった。
「そ、そうなんだよなぁ……」
ジョゼフィーヌは鼻がいい。
こいつは犬のくせに(むしろ犬だからか?)罠を見破ったり敵を察知したり、そこそこ優秀な支援をしてくれていた。
その時、ギルド職員がやってくる。
「……あのう」
一応俺は念を押した。
「おう、一昨日も言ったが、王宮へのパーティー名簿の提出はまだ待ってくれよ? 犬を追放してからじゃないと、招待状が一枚余計に来てしまう」
「それなんですけどねぇ……」
職員は頭をかいた。なんか嫌な予感がする。
「実は、昨日ですね。王宮からお姫様が直接お越しになり、御手で名簿をとっていってしまいました」
「なにぃっ?」
「特に、ジョゼフィーヌという方と会うのを楽しみに……珍しいし、素敵なお名前ですからね」
なんということだ。
「……名簿の記載間違いってことに、できないか?」
「無理ですよ。ウチ、あの一件の後は書類に厳しくなりましたし」
あの一件とはもちろん冒険者達のパーティーメンバー水増し事件だ。
ギルド職員が帰っていくのを俺達はどんよりと見送った。
「……どうする?」
俺の相談にサリアが指を立てた。
「賭けになるけど、こんなのは……どう?」
◆
7日後、上級パーティー『ウルフ・ファング』は王宮に参上した。
先頭はパーティーリーダーこと、この俺アッシュ。その後に重戦士サルマンと、弓使いサリアが続く。いずれも装束を高級品に揃え、目一杯に着飾った。
「ようこそ、お待ちしておりました」
迎えに出た兵士が腰を折る。その目が俺達3人の背後で止まった。
「……そちらの方は?」
俺達の後には金髪の美女がついていた。
わん、と応えないことを俺達は祈る。静かにすることを覚えさせるのに数日を費やした。
「……パーティーメンバー、ジョゼフィーヌだ」
微かに美女は頷いた。
頬を染めた兵士は、慌てて回れ右をする。
「う、ウルフファングご一行、ご到着でありまぁす!」
冒険者ギルドへの人数水増しで、『魔法で姿を変えられた元人間』というアクロバティックな理屈が通ったのは、姿を変えてしまう魔法は実在しているからだった。
俺達は知り合いの魔法使いに頼み込み、ダメ元でジョゼフィーヌに人間化の魔法をかけてみたのだ。
奇跡は起きた。
起きてしまった。
ジョゼフィーヌは、今や絶世の美女に姿を変えている。金の毛並みは金髪と白い肌になり、いつも笑っているように見えた口元は、ミステリアスな微笑に変わっていた。
冗談ではなく女神かと思ったほどだ。あてがった上物の装束が誰よりも似合っている。
そういえばメスだった。
「誰がここまでのルックスを誇れと言った……」
愚痴をこぼしてもどうしようもない。魔法使いによれば、自然に犬に戻るまでやり直しはきかないとのことだ。
ちなみに人間の替え玉も考えたが、全員に断られた。王族を騙すのはリスクが高いからだろう。
「アッシュ、大丈夫……?」
「あ、ああ」
「むぅん」
ひそひそとやりとりをしながら、俺達はついに謁見の間に辿り着いた。
玉座の前で跪く。
「おすわりっ」
サリアが素早く指示を出すと、ジョゼフィーヌもまた跪いた。本当に賢い。
王様が語り始めた。
「長きにわたり、魔物退治、そして王国への貢献、たいへんけっこうである」
人によっては感激するのかも知れないが、俺達は冷や汗を流すばかりだ。早く終われ。ジョゼフィーヌが欠伸でも始める前に。
「お前達に褒美をとらす……」
「お父様!」
そこで声が割り込んだ。
顔を上げてみれば玉座の間に娘がずけずけと入り込んできている。
お姫様のおなり!と衛兵が慌てて付け足していた。
「おお、アンリか」
「今日こそ、わたくしの力をお示ししますわ! この冒険者達を使ってね!」
目を白黒させている俺達に向かって、お姫様が手をかざした。そこに魔力が集まっていく。
「なんだ。どういうことだ?」
「あれはアンリ王女よ」
サリアが耳打ちした。
「魔法の才能があって、それを証明したがっているみたいなの」
どうやらおてんばのお姫様は、謁見で魔法の試し撃ちをしたいらしい。こっちにとっては冗談ではない。
「あぶねぇ!」
お姫様の手から火の玉が放たれた。俺達は慌てて避ける。
気づいた。
後ろにいたジョゼフィーヌはきちんと避けただろうか?
「……お父様、見ましたか? わたくしの魔法は、一流の冒険者にもこうして通用する威力を――」
もうもうとした煙から人影が飛び出した。俺達3人は叫んだ。
「ジョゼフィーヌ!」
あっという間にジョゼフィーヌはお姫差を押し倒した。衛兵の何人かがガッツポーズしている。
「こ、これは!」
「なるほどそうか……!」
「お、おれ、眼福っす!」
警備体制に一抹の不安。
お姫様は手足をばたつかせている。
「やめ、やめなさい! やめて……!」
お姫様を組み敷いたジョゼフィーヌはそのまま顔を近づけた。何度も匂いを確かめている。
「ひぅっ……」
お姫様は目を閉じた。ジョゼフィーヌは「ふん!」と息をはき、ぺろりとお姫様の白磁の頬をなめる。
「やべぇ」
俺は指示した。
「みんなずらかるぞ!」
重戦士サルマンがジョゼフィーヌを姫から引きはがした。弓闘士サリアが出口を開けて退路を確保している。
口笛をふくとジョゼフィーヌも事情を理解したようだ。
「失礼しました!」
颯爽と王宮から逃げる。
褒美はもらい損ねたが、なんだかんだで犬がパーティーにいる件についてはうやむや化が成功した。
◆
「乾杯!」
翌日、俺達は酒場で祝杯を上げた。
さんざんに終わった謁見に俺達は意気消沈していたが、今朝ギルドに行くときちんと褒美の品が届いていた。しかも迷惑をかけたお詫びとばかりに、いくらか色がついていた。装備を最高級品にあつらえ直してもまだ数か月遊んで暮らせるぐらいの大金だった。
「……まさか褒美が増えるとはな」
おてんば姫の粗相は王様も悪く思ったらしい。下手すりゃ死んでたからな。
俺が麦酒を干すと、サリアも笑顔でジョゼフィーヌを抱きしめる。
「この子の件もごまかせたし」
よかったよかった、と3人で頷きあった。
「わん!」
「はぁああ! くぁいい! カワイイよぉ……」
「ぬぅん!」
褒美ももらえた。昔の過ちもばれなかった。
全ていいように思えるが、俺には何かが引っかかっていた。魔法で冷やした麦酒が、喉をきれいに通っていかないのはなんだろう。
「……あのさ」
俺は尋ねた。
「あのおてんばお姫様、最後の方、様子が変じゃなかったか?」
「……そう?」
サリアが首を傾げる。重戦士サルマンは静かに頷いた。
「確かに。何か熱に浮かされたようであったが」
「なんか気になるんだよな」
美女化したジョゼフィーヌに組み敷かれ、頬をなめられたお姫様。彼女は逃げ去る俺達を見送る時、なぜあんなにも赤い顔をしていたのだろう?
「……ま、いいか!」
そう言って俺達は無理に笑い合う。だが心は晴れない。
何かを、歪めてしまった気がする。
しかしそれが何なのか、誰にも分からない。俺達は、誰の何を歪めてしまったのか。分からないったら分からないのだ。
「わん!」
ジョゼフィーヌが呆れたようにふんと鼻息をふいた。
「……お前、本当に言葉が分からないのか?」
そう声をかけてみたが、ジョゼフィーヌは尻尾を振って鶏肉の残りにかぶりついただけだった。
◆
さらに数日経った後――。
「ああ! なんとしても探すのよ、ジョゼフィーヌ様を……!」
俺達は、例の姫が熱に浮かされたようにそんな布告を出していたと知った。