7.標準としての生き方
しかし、今日の私たちがその生き方に触れて最初に湧いてくる疑問として「聖人や先生は特別な人であって、その人たちが行ったことを自分も行うことが可能なのだろうか」と思うのではないでしょうか。
しかし、聖人も先生も私たちと同じ人間です。
たとえば、オリンピック選手は私たちより才能もあり努力もした人たちで、私たちから見ると奇跡のような身体の動きをすることが出来ますが、それは人間の可能性を示しているのです。
選手の身体の動かし方を参考にすれば、私たちも普通の身体の動かし方を超えた運動が可能です。
例えば、初めてスケートをする人は必ず転びますが、次第に普段とは違う身体の働かせ方を学び、そのうちにうまく滑れるようになります。
同様に、聖人や先生の生き方は人間の心使いと行いの可能性を表しています。
私たちも、聖人や先生のまねをして心の働かせ方や行動の仕方を次第に変えていくことが可能なのです。
それに、先生の発見した新しい生き方では、最初から聖人のような偉大な実行を求めているのではありません。
日常生活の方法はそのままにして、まずは心の働かせ方を変えていくことを勧めています。
そのうえで、実行の方法について改善するところがあれば、出来るところから少しずつ変えていけばよいのです。
つまり、聖人の生き方にならって進むことは、たとえば、北に進みたいときに北極星を目印にするようなものです。
私たちは北極星には行くことができなくても、確実に北を目指して歩いていけます。
つまり、聖人や先生の生き方は、私たちが自然法則を知るうえでの標準となるものなのです。