29.天照大御神(アマテラスオオミカミ)の実行
先生は、ずいぶん前から知識としては自然法則や大自然の心について知っていましたが、そのときには、まだ先生の心の中に、生命を宿した、生き生きとしたものとしては存在していませんでした。
その後、新しい生き方を本当に身につけた先生は「私は大自然の心とともに生きています」と言われるようになりましたが、そこに至るにはある体験が必要だったのです。
大自然の心を生き生きと感じて、その心に従って生きていくにはどうしたらよいのでしょうか。
先生はその答えを日本の神話がおさめてある「古事記」に発見しました。
そこには本当に「短い表現」があるだけなのですが、先生は自分自身の体験や聖人の実行と重ね合わせて、その深い精神を読み解きました。
それは、御皇室の祖先神とされている天照大御神という女性の神様に見られた心の使い方です。
この方の実行こそが、私たちがお手本とする生き方であり、それは聖人の実行にも共通するものであることを先生は見出しました。
その社会の指導者であった天照大御神は、その国のおきてを無視して乱暴を働いている弟の素戔嗚尊を愛情と思いやりを持って、寛大に許そうと努力しました。
きっと、皆のためを思ってしているのだと良いほうに捉えなおそうとしたのです。
それでも、弟の乱暴は止まらずに、とうとう自分がお仕えしている大神様のための機織りが穢され、織っていた人が死んでしまいました。
ここで「自分に起こった一切のことは大自然の心が何かを教えてくれているので感謝して受け止める」と前に説明したことを思い出してください。
天照大御神にとっては、その仕えている「大神様」が、従うべき大自然の心にあたりますが、次のような精神があって反省のために岩戸に入られたと思われるのです。
「自分は正しいと思っており、その正しいはずの自分が弟を許そうと努力してきましたが、このような結果になってしまったということは、大自然の心から見ると、自分こそが間違っていたのではないでしょうか」
「弟がおきてを守らず、大自然の御心に反した行いを続けていますが、このままでは弟が不幸になってしまいます。そのような弟にしてしまったこと、弟を導けなかったというのは自分の愛情が足りなかったのです。」
「また、国の指導者である私の心の使い方が大自然の心に合っていなかったために、このようなことになってしまいました。本当に申し訳ないことで心からお詫びします。」
「弟が悪いのではなくて、大自然の心がその大切なことを教えるために、あえてこのような事件を起こされたのに違いないと思います。私のことを導いていただいてありがとうございます。」
そして、天照大御神は、改めて大自然の心に従った生き方を誓って弟に接していこうとするのですが、そこには「気づきの喜び」と「反省が出来た、すがすがしさ」「大自然の心に見守られている安心感」でいっぱいだったに違いありません。
大自然の心に比べると不完全な人間の心でありますが、思い通りにならない事件を、その大自然の心からの声だと受け止め、反省することで、すくなくとも大自然の心を身近な「生きたもの」として捉えることができます。
このように大自然の心と共に生きるので、次第にその心に近づいていけるのです。
たとえ話ですが、「純鉄」という99.9999%の鉄は、その不純物を徹底的に除いたことで錆びることもなく、安定した構造となり、微細な加工もしやすくなり、99.9%の鉄とは性質をまったく変えてしまうといいます。
そのように、従来の生き方には自己中心性という不純物が混じっていますが、新しい生き方を志して、大自然の心に向かって反省しながら、何度も何度も、その不純物である自己中心的な心を除去して質を向上させていくことが重要なのです。




