25.団体の標準を求める
新しい生き方では、「自己中心的な心から離れ、大自然の心で生きていく」ことを志し、外面的には、毎日の生活の中で他者のためになすべきことをなして、内面的には、自分自身の罪や借りの重さを自覚して、罪を償い、借りを返していく心で、結果を求めることなく義務をはたしていきます。
このことによって、様々な出来事で苦労しても「これで自分の罪や借りが軽くなった」と感謝して受け止めることが出来るだけでなく、結果に一喜一憂することがなくなり不平不満が減るので、社会生活の中での様々な努力が前向きになり、継続的に取り組めるようになるでしょう。
しかし、「毎日の義務をはたして生活しているので、これで自分は大自然の心に従って生きている」と考えてしまったらどうなるでしょうか。
たとえば、職場で仕事に取組み、国家に対して義務を果たし、家庭生活の中で親や家族に関わり、信仰に努めていく場合などを考えてみましょう。
職場も国家も家庭も団体であり、信仰にしても団体があります。そこで自分勝手に「義務を果たしている」と考えて努力するだけでは、いつの間にか独善的になり、それぞれが「自分の正しさ」に基づいて頑張るようになり、各自の立場や利害関係によって対立が増していくことになります。
また、国を愛する行動、親孝行と祖先を大切にすること、信仰や道徳の活動、仕事などは、それぞれ大切なことですが、一つのことを大切に思うあまりに他のこととの間に矛盾が出てきて、調和させることが出来ずに苦しむこともあるでしょう。
それに、自分は大自然の心に従って義務を果たしていると思い込んでいるのですから、それに従わない他者がじゃまをするように思えて不満が湧いてきます。
そこには、団体内部を統一して調和させるための標準や、それぞれの団体をさらに調和させていく大きな標準もないので、せっかく義務を果たして努力していても、いつの間にか、「自分が正しい」という自己中心的な「迷い道」に入ってしまいます。
つまり、各自が内面で「これが大自然の心だ」と考えるのは自己中心性に陥りやすい危険性があるので、それを乗り越えるためには、実際の関わりの中で、生きた「大自然の心」に接していく道が必要なのです。




