夏の匂いをはんぶんこ
夏の匂いをはんぶんこ
じめじめと降り続いた雨がようやくあがると、待ちかまえたように、わんわんとせみたちが鳴き始めた。
ねぐらにしている空き屋の屋根裏から外に出て、オレは空を見上げた。
今朝まで空を覆っていたぶあつい雲はちりぢりになって、すきまからは透き通るような青空がみえる。
長引いた梅雨の季節も、そろそろ終わりだろう。
いよいよ夏か。これから、どんどん暑くなるなあ……。
「にいちゃん」
屋根裏の奥から、妹が呼んでいる。
「うん? どうした?」
あわててかけよると、妹は横たわったままの姿勢で、オレに話しかけてきた。
「ねえ、にいちゃん、今年も食べられるかなあ」
そうか。もうそんな時期か。コイツはアレに目がないもんな。
「もちろんさ。アレを食べなきゃ、夏じゃねえだろ」
「だけど……」
妹の目に不安の色が広がる。
「にいちゃんまで、あたしみたいになったら……」
「心配すんなって! にいちゃんが、ちゃんともってかえってやるから」
オレは、妹の頭をクシャッとなでて、力強く宣言してやった。
「おい、アライグマの若いの、どこへいく?」
その日の昼下がり、ゴンゾウじいの畑に偵察に行く途中で、イノシシのだんなによびとめられた。
岩のようにどっしりとした体格の、このだんなは、村のことならたいてい知り尽くした頼もしい存在だ。
イノシシの仲間はもちろん、おれたちアライグマや、シカたち、サルたちもこのだんなには一目おいている。
オレの妹が、イノシシの罠にひっかかって足をひきちぎられ、ひん死の状態だったのを、薬草の葉っぱで手当てしてくれたのも、このだんなだ。
「生きていくためには、村におりて畑のものをとるのもやむをえん。だが、罠にかかったら最後だからな。もっと危険を察知する力を養え。どうも、おまえはまだ若すぎて心もとないのう」
だんなはことあるごとにオレにそう言うけれど、危険を察知する力なんてものは、だんなくらいの年齢を重ねないと備わってこないんじゃないか。
とりあえずは突っ走れというのがオレの主義だ。ただし、もう二度と妹を巻き込みたくはないけれど。
「ゴンゾウの畑に行くのか?」
オレはうなずいた。
「やめとけ。ゴンゾウに捕まったら、二度と生きては帰れん」
「でも、あそこの畑にはあるはずなんです。妹の大好きなものが」
「おまえまで捕まってしまったら、妹は生きてはいけんぞ」
「だけど、妹だって、あの傷じゃこの夏、身体がもつかどうかわかりません」
だんなは大きくため息をついた。
「行くと言い出したら、どんなに止めても行くのがおまえの性分だからな」
だんなのつぶらな瞳が、悲しげにオレを見つめる。
「好きなようにしろ。わしは祈るだけだ。だが、万が一、お前がもどってこないときは……」
「どうか妹をお願いします」
オレは、だんなに向かって、深々と頭を下げた。
ゴンゾウじいの畑には、季節ごとにいろんな野菜や果物が実る。
最近、めっきり里人が減ってしまったこの村には、たとえ畑があっても植わっているのは、イモかタマネギ程度。オレたちの大好物の果物にはめったにありつけなくなってしまった。だから、危険を冒してでも、ゴンゾウじいの畑には魅力がある。
昨年の秋に、妹がイノシシの罠にかかったのは、ゴンゾウじいの畑に向かう途中だった。
たわわに実った甘柿を取りに出かけたのだが、そこらいったいはイノシシの通り道でもあったんだ。
命からがら抜け出せたものの、妹は片足を半分なくしてしまった。
本来なら死んでいたかもしれないところを、今も生かしてもらえてるのは、妹の生命力の強さか、神様のおはからいか。
どちらにしてもありがたいことだけれど、深い傷は梅雨の間に、ジクジクと化膿してしまった。
これから暑い季節を迎えて、もし、もっと悪くなれば、命を失うかもしれない。
だから悔いが残らないよう、妹が食べたがるものはなんとしてでも食べさせてやりたいんだ。
ゴンゾウじいの畑の前で、オレは大きく深呼吸した。
青々とした葉におおわれた地面を用心深く、そろりそろりと歩く。
目指すは、妹が大好物のスイカだ。
毎年、夏の真夜中にこっそりやってきては、妹とはんぶんこしたものだ。
スイカの巻きひげが少し枯れたようにみえるのを選んで、パカッと二つに割る。
真っ赤な果肉からほとばしる果汁を、待ちきれないようになめて、妹のやつ、身体をふるわせてこう言うんだ。
「ああ、夏の匂い。夏の味がする」ってな。
それから、オレたちは夢中ですいかを食べた。最後の方、鋭い爪で皮にくっついた赤い実をこそぎとるようにとっては何度も口に運び、顔を見合わせて笑う。
「なかなかごちそうさまにならないねえ」なんて言いあいながらな。
甘くて、ひんやりして、美味かったな。オレもスイカは大好きだけど、本当はアイツが必死で食べている様子を見るのが、楽しいやらかわいいやらで、よけいに美味しく感じていたのかもしれない。
今年もアイツに食べさせたい。ぜったいに食べさせてやろう。
オレは、そっとスイカ畑に足を踏み入れた。
ほんの少し先に、しまもようの手ごろな大きさのスイカが転がっている。
これだ! これにしよう、前にそっと進みかけたとたん、
「来たらだめっ!」
大きな声といっしょに、いきなり石が飛んできた。思わず、ジャンプして、その場から離れる。
間一髪。一歩先に、箱罠が仕掛けられていたとあとになってわかった。
何が起こったんだ? なんで石が飛んできたんだ?
オレは頭の中が真っ白になって、しばらくそこから動けなかった。
「アライグマだあ!」
男の子の声がした。声のした方を向くと、そこには二人の幼い子どもがいた。
「じいちゃんを呼んでこなくちゃ」
おそらくゴンゾウじいの孫なのだろう。男の子が走り出そうとするのを、そばにいた女の子があわてて止めた。
「じいちゃんを呼んできたら、この子、殺されちゃうんだよ。それでもいいの?」
女の子は男の子の姉さんのようだ。男の子の腕をひっぱり、そばに引き寄せた。
そして女の子は、その場にしゃがむとオレの目をじっと見つめた。
深い深い藍色の瞳。吸い込まれそうに深い瞳。
オレも見つめ返した。 瞳にうつるオレの顔。
その中に、オレはふと、妹の笑顔を見たような気がした。
「あんた、きっとスイカをもって帰りたかったんだよね」
女の子はオレに向かってそう言った。
「よかった。罠にかからなくて。わたしたちもおかあさんに届けようと思って、スイカをとりにきたとこだったんだよ。わたしたちのおかあさん、ずっと病気で入院しててね」
女の子は、持っていたナイフでスイカを半分に切ると、オレによこした。
「これ、あげるよ。はんぶんこしよう。さっ、もうじき、じいちゃんが来る。早く、早く逃げて」
オレは、半分のスイカを小脇に抱えるようにして、すぐさま、そこから逃げ出した。
うすぐらい空き家のねぐらにもどるなり、妹がうれしそうにさけんだ。
「おかえり! にいちゃん、無事でよかった! 」
運よく、ゴンゾウの孫に助けてもらった話をすると、妹のヤツ、涙声で何度もくりかえした。
「それって女の子のすがたをした神様かもしれない。にいちゃんを助けて下さったんだね。よかった。よかった」
すでにはんぶんこのスイカだ。オレはいらないと言ったんだけれど、妹はさらにはんぶんこすると言ってきかなかった。
ふだんよりずっと小さなスイカを、妹は、いとおしげに両手でつつむように持ち、そっと鼻を近づけた。
「ああ、夏の匂いがするよ。にいちゃんのおかげ。女の子のおかげ。あたし、とても幸せだよ」
今年も、妹に夏の匂いが届けられてよかった。
オレはふと、あの女の子のことを思った。
はんぶんこのスイカを、おかあさんと弟と、さらにはんぶんこしているのかな。
あの子たちのおかあさんも、夏の匂いを喜んでくれているかな。
はんぶんこのスイカで、あの子たちもおかあさんも元気になってくれたらいいな。
祈るような気持ちで、オレはスイカを手に取った。
「食べよう! にいちゃん」
待ちきれないように、妹がオレを見ている。
「おう!」
オレたちは、シャクッと音をたてて赤い果肉にかぶりついた。