5 午前の終わりと午後の前
空來たちは屋敷の外に出ると、まず最初に地図を見ながら屋敷の周辺の道を確認した。地図には載っていない細道や裏道などまで、どの道がどの通りへつながっているのか、そこになにがあるのか。屋敷周辺の構図を頭に叩き込んでいく。月と零羅は短時間でも正確で綿密なマッピングができているが、やはりと言うべきか、空來の頭にはざっくりとした道筋しか記憶できていない。
そして、ある程度周囲を見てから、次に賑わい始めた中央地区のほうへと足を進めた。
「えーっと、まずは……あれ? 零羅は?」
ひと気の多い通りに出る。すぐそばにちょっとした広場があり、噴水とベンチ、時計などが配置されている。ひとまずそちらへ行こうとしたときに空來が気付いた。月のうしろからついてきていたはずの零羅がいなくなっているのだ。月は特別おどろいた風でもなく、あたりを一度だけ見る。
「さっき……離れて行ったけど」
「どこ行ったの?」
「知らない」
「えー? うーん、でも、まあ零羅は零羅で他にやることあるみたいだし、探偵もさっき途中で離脱しろとか言ってたっけ。じゃ、聞き込みは僕たちだけでやろうか」
「大丈夫かな……」
これからのことを心配する月をよそに、空來は迷いなく歩き出すと、時計の下で立ち止まっていた女性に声をかける。
「お姉さん、今ひとり?」
「え? ええ、まあ……」
すかさず月が空來の腕をつかんだ。
「ちょっと! ナンパするために来たわけじゃないんだけど!」
「わかってるよ、ナンパじゃないじゃん」
「だったら紛らわしい声のかけ方するの、やめてくれる?」
「お姉さん、この町の人だよね? 聞きたいことがあるんだけど、最近このあたりで嫌な事件が起きてるって本当?」
「ああ……目潰し事件のこと? 結構前から、何人か被害にあってるみたいよ」
「そうなんだ、怖いね。僕たち、ロワリアから来て何日かリラにいることになったんだけど、そういう噂を聞いたから気になっちゃって。いつごろからそういう事件が起き始めたの?」
「えっと……少なくとも三ヶ月以上は前だったと思うわ。そこまで頻繁に起きてるわけじゃないけど、手がかりが全然ないみたいで、まだ犯人は捕まってないんですって」
「犯人もなに考えてるんだろうね、目潰しなんて。それって、被害者は男も女も関係なし?」
「だと思うわよ。たしか被害にあったのは一人目が男性で、二人目が女性で、そのあともたしか三人くらい。聞いてる感じだと、被害者の共通点もよくわからないみたい」
「わあ……じゃあお姉さんはもちろんだけど、僕らも気を付けないと危ないね。どういう場所で発見されたとか、そういうのってわかる? やっぱ路地裏とかひと気のない場所かな」
「そうね。路地裏だったり、町はずれにあるちょっとした草陰だったり、ゴミ捨て場だったり……暗くなってきたら、ひと気のない場所は避けたほうがいいと思うわ」
「今日このあとの予定は?」
「空來」
ぐい、と月がうしろから空來の襟をつかんで引っ張る。
「んー、マジメだなあ、月は。教えてくれてありがとう。お姉さんも気を付けてね」
「ええ、あなたたちも気を付けて」
女性と別れて広場を出る。大通りを歩きながら、月は探偵から受け取ったメモを見た。
「地形や道の把握と、聞き込み……」
「どうかした?」
「……や。なんでも」
「次はもう少し人通りの多いところに行ってみよっか。お店とかがあるほう! あ、町の人から聞けた話とか、地理の細かい部分とかは月が覚えといてね」
「わかってる」
「よーし、お昼までに言われた分を終わらせて、余った時間にちょろっと観光でもして帰ろっか!」
「……バレたら怒られるよ」
*
「見て見て! あそこ、猫ちゃんがいるわ!」
「あわてると転びますよ。あと、あまり屋敷から離れすぎないようにしてくださいね」
「ええ、わかってるわ。でももう少しだけ! お屋敷が見えるところまでならいいんでしょう?」
はしゃいでどんどん前に出ていく知世をなだめながら、うしろからのんびりついてくる來亜が遅れすぎないかを確認し、静來は小さくため息をつく。これでは護衛というより子守りだ。おとなしく部屋の中ですごさせたほうがよかっただろう。まだ午前だというのに気力を使い果たしてしまいそうだ。
「静來。屋敷のまわり、道をもう少し見ておく」
「わかってます。そっちも大事ですけど、今は護衛のほうに集中してください」
「静來さん、來亜さん、あっちの通りに行ってみましょう!」
「え? あっ、ちょっと!」
静來の返事を聞く前に、知世はぱたぱたと駆けていく。
「もう……來亜、遅れずについてきてくださいね」
「うん」
小さな雑貨屋やアンティークショップなどが軒を連ねる明るい通りに出る。人通りはそれほど多くはないが、屋敷の近くに比べると賑やかだ。静來と來亜は知世にあっちこっち引っ張りまわされながらも、地理の把握と護衛に努めた。屋敷を出てから三十分ほど経っても、知世の元気は出発時とまるで変わらない。
「二人とも、こっちこっち!」
「知世さん、ちょっと!」
「やだ静來さん、私のことは知世でいいわ」
「知世、そろそろ屋敷に戻りましょう」
「えー、もう少しだけ」
「さっきもそう言ってましたよ。なんだかんだと屋敷からも結構離れてしまっていますし、時間も経ってます。引き返しますよ」
「はーい……じゃあ、また明日も一緒にお出掛けしてくださる?」
「私がご一緒できるかどうかはわかりませんけど、外出許可を取るお手伝いくらいはしますよ。來亜、……來亜?」
うしろで立ち止まっている來亜に声をかける。來亜は怪訝そうな顔で、一度背後を振り返ってから、静來たちに向き直った。
「静來。いるぞ。見てる」
知世は首をかしげる。静來は真剣な面持ちで來亜の隣に立ち、声をひそめた。
「……いつからですか?」
「最初の十分は、いない。雑貨屋の、から来ている。そこからわかった」
「静來さん、どうかなさったの?」
「知世、私たちのあとをつけてきている人物がいるみたいです」
「えっ?」
「來亜、姿は見えましたか?」
「見えない。視線だ。ある」
「どこに隠れているかわかりますか?」
「静來は知世といる。おれが行く」
「気を付けてください」
そう言って、來亜は素早く振り返ると、二十メートルほど離れた民家の陰に向かって一直線に走り出した。先ほどまでののんびりした歩行速度とは似ても似つかない、彼の見た目から想像できる倍以上の速度だ。
その俊足で瞬く間に物陰に追いつくと、そのまま建物の陰に消えていった。しかし、すぐにこちらに顔を覗かせると、黙って頭を振る。静來は知世をつれて來亜のもとへ行く。
「逃げられた」
「姿は?」
「ない。いなかった。男だ」
「來亜さん、どうして男の人だってわかるの?」
「ニオイだ」
「におい……?」
知世も鼻を鳴らしてみせるが、彼女にわかるはずがない。とてもではないが人間の嗅覚では拾えない領域のものだ。來亜は煮え切らない顔で、むっと口を結ぶ。
「んん……」
「來亜、他にもなにか?」
「人間は全部似ている。男と女はちがう。同じ同士は似ている。似ているだけだ。全部。おれが。ここは、知っているぞ」
來亜はすぐ隣の壁に手を触れて、しばらくなにかを探るように撫でていたが、やがて手を離し、その手のひらを嗅いだ。
「一度は嗅いだことがある……この国に来てから出会った誰かのニオイ、ということですか?」
「会った、話した、通った、わからない。いくらでもいる」
「……静來さん、來亜さんはなんて?」
「彼は……あれです、物凄く鼻がいいんです。なので、ここに人がいた、その残り香を感じ取ることができます。ここにいたのが人間であり、なおかつ男性であることも」
來亜は壁を触った手を払いながら頷いている。静來は続ける。
「私たちをつけていたのは、來亜が一度は嗅いだことのある匂いの持ち主。つまり、その人とは既にどこかで会っているということです。ただ近くを通っただけの赤の他人か、会話までしたことのある相手か、そういうところまではわかりません。そんな人はここに来るまでにもいくらでもいましたし、今ここで特定の誰かに思い当たらないということは、その程度の関わりしかなかったということですかね」
「知らせる?」
「そうですね、警戒を強めたほうがいいでしょう。他のみんなにも知らせるべきです。知世、引き揚げますよ」
「ええ、わかったわ。なんだか気味が悪いわ……」
急激におとなしくなっていった知世をつれて、静來と來亜は足早に屋敷に引き返す。無事に屋敷に到着すると、知世はほっとしたようだった。
*
「……私と來亜からの報告は以上です。少し迷いましたが、尾行の件はまだ岳さんに話していません」
昼食後のブリーフィングとして、もう一度全員が探偵の部屋に集まり、午前中の報告をおこなった。静來は戻ってきた面々に、知世を連れて外出した先で、何者かに尾行されていたことを手短に報告した。彼女の言葉に、勇來と空來が意外そうな顔をする。
「知世ちゃんのパパに話してないの? それ結構重要なことだよね?」
「ええ、だから迷ったんですよ。先に探偵に報告して、判断を仰ぎたかったというのもありますが。私の意見としては、尾行の犯人についてはもう少し泳がせておきたいです」
「なんでだ?」
「だって、もしそれで知世に外出禁止令が出たりしたら、犯人を突き止めることができなくなるじゃないですか。わざと尾行できる隙を残しておくのも手だと思いますよ」
「おれも、静來と同じだ。逃げられたままだ。つかまえる」
「……静來ちゃんが言ってるからなのかわからないけど、俺もなんとなく、そのほうがいいような気がする。どうする? 探偵」
「ああ、当面はその方向性でかまわない。それに関してはしばらく放っておけ。お前たちが早乙女知世を一人で放置しない限りは、なにも問題はないだろう。しかし、ふむ……」
腕を組んで二秒ほど考え込む探偵だが、すぐに空來と月のほうを見た。
「そちらの首尾はどうだ」
「上々ー。ちゃんとメモのとおりにいろいろ聞いてきたよ。ね、月」
月が頷いて、聞き込みの結果に得られた情報を報告する。
「住人は目潰し殺人のことをちゃんと知ってる。でも、被害自体はそこまで頻繁じゃないからか、あまり緊張感はない……みたいだった。最初の被害者が出たのは三か月前。それから今まで、五人の被害者が出てる。男も女も関係ない。けど、若い人が多い、と思う。共通点はそれくらい。犯人が捕まってないのは怖い、けど、それだけ……って感じ」
「それと、遺体は目を潰されてるんじゃなくて、目をくり抜かれてるんだって。想像するだけで気持ち悪い……」
空來は胸元を押さえながら舌を出して、嫌そうな顔をする。月がポケットから出したメモ帳にちらりと見る。
「モナルク騎士団については、あまりわからない。二人一組でパトロールしてて、その時間帯とルートも、法則が現段階では不明瞭。まあ、ちょっと聞いてすぐ把握できるような、マニュアルパトロールだったら、警備の意味も半減するけど……」
「町の人たちからは評判よかったよ、騎士団の人たち。甲冑で行進してるからパッと見はイカツイなーって思ってたけど、わりと気さくな人が多いみたい。時間なくて騎士の人には話しかけてないんだけど、午後からも僕らが聞き込み行くなら、今度はいろいろ聞いてくるよ。あ、でも今集まったってことは交代? じゃあ次の人お願いね」
「朝は、まだ人があまりいなかった、のと……マッピングで忙しくて、聞き込みは……あんまりできなかった。被害者と関わりがあった人の話もまだ。ごめん」
静來は一瞬、迷ってから切り出す。
「探偵、他にもいくつか報告と確認しておきたいことが……」
探偵は手のひらを立ててそれを制した。
「この屋敷で働いていた、リィスという使用人が行方不明になっている件については、そちらも並行して調べるつもりだ」
「……わかりました。午後からの持ち場はどうしますか」
「咲如月と秋人は早乙女知世の機嫌でもとっておけ。闇祢零羅は午前に同じく。風音空來と矢野瀬來亜は屋敷の者に取り入るついでに屋敷内の構造を覚えるように。風音勇來は外だ」
「え、俺だけ一人か?」
「私はこれからラセット邸に行く。風音静來はギルド員代表として同行するがいい。なに、少し挨拶に行くだけなのですぐに済む。そのあとで風音勇來と合流すること」
「わかりました」
「あ、よかった一人じゃない」
「俺と如月くんが知世ちゃんの護衛? 大丈夫かよ、戦力偏ってない?」
「そうでもないですよ。あの様子だと、知世はもう今日は外に出たいとは言いません。屋敷でじっとしているだけなら戦力もなにも必要ないでしょう」
「うーん、それもそうか。わかったよ。じゃあ、行こうか如月くん」
「はぁ……」
「こら、ため息」
秋人が最初に立ち上がったのを合図に、各々が持ち場につくべく動き出す。
「月いいなあ。僕も知世ちゃんとお喋りしたいのに」
「空來。おれたちは、こっちだ」
「わかってるよー。行こ」
「じゃあ静來、合流できるようになったら連絡してくれ」
「はい。またあとで」