3 開始前と下準備、懸念の先
「あの娘に脅迫状の件は明かしていないのか」
屋敷の一階にある応接間にて。探偵の問いに、岳はややためらいがちに頷いた。
「……はい。まだイタズラの可能性も拭えない以上、むやみに怖がらせるようなことはしたくないと。私だけでなく、使用人たちの総意でもあります。……もっとも、すべての使用人たちに話してあるわけではないのですが」
「人の口に戸は立てられぬということだな」
「いつどこから知世の耳に入るかわかりませんし、外で噂になるのも避けたいので。信頼できるごく数人にしか話していません」
「脅迫状が届いたのは一昨日の朝だったな」
「はい。雅日が気付いて持ってきました。いつも郵便物を確認するのは彼女なので」
「監視カメラなどは取り付けていないようだったが」
「以前はありましたが、壊れてしまって。防犯のために設置していましたが、とくになにかあるわけでもなかったので、取り外したままほったらかしに。お恥ずかしい話ではありますが……」
「なるほど。では手がかりは届いた脅迫状のみということだな」
「現物を預けておくべきでしょうか」
「いや、かまわん。だが、警備隊や騎士団に届け出ず、ギルドを頼ったのはなぜだ」
「半信半疑と言いますか、先ほども申したとおり、イタズラかもしれませんから。それに、目潰し事件のこともあって、警備隊も騎士団もピリピリしています。とても気軽に相談できる雰囲気ではなく……そちらのギルドのお噂を聞いて、雅日に向かわせました。まさか、あの探偵さんがいらっしゃるとは思いませんでしたが」
「……では今後の方針としては、娘には事件を知らせないまま護衛し、送り主を突き止める、ということでいいのだな?」
「ええ。知世にはできる限り、本当のことは知らせないようにお願いします。もちろん、なにかやむを得ない状況になってしまった場合は別ですが」
「ともに談話室へ向かった連中が既に話してしまっている場合も例外としてもらおうか」
「それは……」
「責任逃れをするわけではないが、あの娘が連中を連れて行こうとした時点で止めなかった貴様にも非があるというものだぞ。我々はあの時点で、まだその事情を知らなかったのだからな」
「ええ……そうですね。彼らから伝わっていないことを祈ります」
*
屋敷から借りることになった部屋は三部屋。探偵と寿、秋人の部屋の隣に、三つ子の部屋。その隣に月、來亜、零羅の部屋だ。それぞれが部屋に荷物を置き、速やかに探偵の部屋に集合する。全員が集まると、探偵はまず秋人たちが知世とどのような会話をしたのか尋ねてきた。
「早乙女知世は脅迫状の件を知らない。使用人たちも、ごく一部の者にしか知らされていないようだ」
探偵が言うと、静來が納得したように頷く。
「近頃このあたりで起きている、目潰し殺人についても知らないようでした。彼女の父親――岳さんが口止めしているようですね」
「このことをあの娘に話したか?」
「いえ、外の事件のことは早乙女家の事情を知らずに話しちゃいましたけど、脅迫状の件は言ってません。殺人事件のことを教えられていないことからも、不穏な話を聞かせたくない意思は感じたので、言わないほうがいいものかと」
「やはり風音静來を連れて来たのは正解だったようだ」
「探偵って静來ちゃんのこと買ってるよねえ」
「貴様と違って頭の働く娘であるからな。この娘に限らず、私は能ある者には寛大だ」
「ハイハイそーですか」
部屋の扉がノックされた。静來は探偵の反応をうかがい、彼が頷いたのを確認すると扉の向こうに呼びかける。
「はい、どうぞ」
やってきたのは、先ほど談話室に飲み物を持ってきた青年、浅葱だった。青年の顔を見た途端、秋人があわてて探偵のうしろに隠れたが、探偵と寿以外は浅葱のほうを見ていたため気付いていない。
「あー、浅葱さんだ」
「失礼します。旦那様から、こちらをみなさんにお持ちするようにと仰せつかって参りました」
「それは?」
浅葱が手に持っていたのはなにかのリーフレットのように見える。彼はそれを手にこちらまで歩み寄る。
「この町の地図です。外に出る際にお役立てください」
「おー、ありがとう。俺たちリラに来たの初めてだから、超助かる」
静來が受け取ろうと手を伸ばす。浅葱も地図を差し出した。しかし静來の手が地図を弾いてしまい、人数分あるリーフレットのうちのいくつかがパラパラと床に落ちる。そのうちのひとつがするりとベッドの下に入り込んでしまった。
「あ」
浅葱がさっと屈んでベッドの下に手を伸ばして地図を拾った。静來も床に落ちた分を集める。
「申し訳ありません。お取替えを……」
「いえ、すみません。今のは私が距離感を誤りました。そのままでいいですよ」
再度、地図を受け取る。全員に行き渡ったのを確認し、浅葱は一礼した。姿勢が綺麗だ。よほど新人の教育が行き届いているのだろう。
「では、失礼します。なにか御用がありましたら、なんなりと」
「浅葱さん、ありがとー」
空來が手を振って浅葱を見送る。彼が部屋を出て行ったあとには数秒の沈黙が流れたが、すぐに探偵が打ち合わせを再開した。
「……先方は娘に脅迫状の件を伏せたままでいることを望んでいる。その方針には私も異論はない」
「自分の命が狙われてるなんて知ったら、知世ちゃん怖がっちゃうよね。知世ちゃんのパパ、ちょっと心配しすぎなのかなって思ってたけど、やっぱ僕もそのほうがいいと思う」
「もし任務内容について詳しく聞かれても、外で起きてる事件からの護衛ってことでごまかせば、まあなんとかなるでしょうし。了解です。今日これからはどうします?」
「午前中、風音静來と矢野瀬來亜は引き続き早乙女知世の監視にあたれ。風音勇來と秋人は使用人たちと接触をはかり、ある程度の距離を詰めておけ。闇祢零羅と咲如月、風音空來は町の調査だ。だが闇祢零羅は持ち場の関係上、単独行動を許す。己の判断で離脱するように」
「監視って……まあ護衛も監視も似たようなものですけど」
「町の調査って?」
「まずはこのあたりの土地勘をつけろ、ということだ。どこになにがあり、どのような道があるか。地図を見ただけではわからないこともある。あとは住民への聞き込みもおこなってもらう」
「き、聞き込み……」
月の顔がやや引きつる。秋人は彼と話したことはほとんどなかったが、人見知りをする性格らしいことは聞いている。知らない町での聞き込みなどはハードルが高いだろう。月は心配そうに零羅を見てから、顔色をうかがうように空來を見た。空來はのん気そうな顔だ。
「町で調査すべき最低限のことを記したメモを渡しておく」
「それ助かるー」
探偵が差し出したメモ書きを受け取ろうと手を伸ばすが、その瞬間に探偵は指に力を入れた。ぐ、と二人の手の間でメモが引っ張られる。
「いいか、外でこなすべき最低限の仕事だぞ」
「あ、終わるまで帰ってくるな系のやつ?」
最後の念押しのあとに、探偵はメモから手を離した。
「昼ごろに一時帰還し、またここへ集合だ。以上」
「それじゃあ、私と來亜はさっそく知世さんと合流します。行きますよ、來亜」
「わかった」
「僕たちも行こっか。月、零羅、この地図ってここからだとどう向き? こう?」
「それ、たぶん逆さだよ……」
静來と來亜、空來と月と零羅が部屋を出ていく。勇來が秋人と探偵を見た。
「使用人さんと接触って、なんか手伝いでもしとけばいい感じなのか?」
「手段は問わん。しばらくここで過ごす以上、任務を円滑に進めるためにもギルド側の我々がある程度、この屋敷になじんでおく必要がある。……もっと簡単に言ってやろう、屋敷の人間と仲良くなれ」
「わかった! じゃ、俺らも行くか、秋人」
意気揚々と立ち上がる勇來に対し、秋人はわずかばかり退室を渋った。
「あー……うん。その前に、ちょっと個人的に探偵に聞いておきたいことがあって……勇來くん、先に部屋の外で待っててくれる?」
「おう。早く来いよな」
「すぐ済むよ、ごめんね」
勇來が出て行ったのを確認し、秋人は探偵に向き直った。ベッドの上に座っていた寿が耳を塞いで首を振っている。
「あれに聞かれては困ることか」
「なんていうか、まあ、うん……実は、今回ちょっと気がかりなことがあって……」
「先ほどの浅葱という使用人のことだな」
「そう、浅葱。あいつ、前に住んでたところで知り合いだった人なんだよ。あのほら、俺がライニにいたときに、同じところで働いてて……どうしよう?」
「向こうは気付いているのか?」
「俺を見てびっくりしてたし、気付いてはいると思う。探偵、あのさ……」
「そう気にせずともよかろう。声をかけてこなかったということは、向こうはさほど気にしていないということだ。先ほどのように隠れたり、避ける必要はない」
「さっきはみんながいたから、なにか言おうにも言えなかっただけかもしれないだろ。向こうだって仕事中なわけだし」
「なにか問われたならば、私の名前を出してかまわん。貴様は私の助手見習いなのだろう? 紆余曲折あって、私の下で働いている。それはまぎれもない事実だ」
「けどさあ……」
「よく考えろ。貴様にはやましいことなどなにもないだろう。なぜ挙動不審になる必要がある? そも、知り合いだったというならば、久しぶりの再会でなにも話さないというほうが不自然だ。気まずい気持ちは理解してやろう。だが、いらぬ不信を抱かれたくないのであれば、もっと堂々としていろ。貴様はいつもどおり、普通に、私に言われたことをこなせばいい」
「うーん……」
「ひとつ助言があるとすれば、そうさな。あの男の前では、まず第一に誠実であることだ。話せることは話せばいい。話せないことは素直に話せないと言えばいい。間違っても、その場しのぎの嘘などはつくな。それは貴様が思っている以上に見抜かれやすいものだ。わかったか?」
「……わかったよ」
「それでいい」
扉の外から勇來の声がする。
「秋人、まだかー?」
「あっ、ごめん、すぐ行く! ……探偵はこのあとどうするんだ?」
「ギルドに業務連絡を済ませ、屋敷を歩いて構造を記憶するまでは当然として、そのあとは私も町に出る。リラのところへも寄るつもりだ。それは午後になるやもしれんがな」
「リラ……リラ国の化身か」
「ギルドの者がリラ国へ来るということ自体は、ロワリアが知らせている。ひとまず挨拶くらいはしておくものだ」
「そうか、わかった。じゃあ、俺もそろそろ行くよ」
次回は明日、十三時に投稿します。