1 夜行列車、風の地を往く
次回は明日の十三時に投稿します。
午後十九時三十分をまわったころ、勇來と空來は静來の時間管理によって遅れることなく旅の支度を整え、指定の時間よりも少し早めに一階の玄関ロビーにて待機していた。到着したときにはまだ三つ子の他には誰もいなかったのだが、三十五分ごろになると、黒い人影がひとつ、静かにやってきた。
黒く長い前髪が左目を隠し、切れ長の黒目がとくに興味なさげに三つ子を確認する。服装にはあまり頓着がないのか、ラフなパーカー姿だ。青年――闇祢零羅は、別段なにを言うわけでもなく、ただ三つ子の近くで立ち止まってじっとしている。
「零羅、あなたも探偵に言われて?」
静來が声をかけると、零羅は頷く。彼は基本的にちょっとした体の動きだけで返事が事足りる質問の場合は声を出さない。首の動きと指差しだけで返事をしたがる、無口な男だ。きちんと口頭での会話が成立することもあるが、少なくとも日常的なことではない。
「他に誰が来るのか知ってるか?」
零羅は首を横に振る。彼も勇來たち同様、ただ来いと言われたから来ただけなのだろう。ここにいる誰も、今回のチームの人数も編成内容も把握していない。今にわかることなので、急ぐ必要はないのだが。
ふと、零羅が今しがた自分がやってきたほうの廊下に目を向けたので、つられてそちらを見てみると、少し離れたところで不審な挙動を見せる人物が目に入った。月のような金髪に、青色の目。こめかみあたりに三日月の髪飾りを着けた、中性的な顔立ちの少年だ。こちらに来るか来ないかで迷っているような動きだったが、勇來と目が合って動きを止めた。
「月、どうしたんだ?」
「た、探偵に……任務に行くから、来いって言われて」
勇來が声をかけると、月――咲如月は、一瞬だけ苦虫を噛んだような顔をしてから、なんだか気まずそうにそろそろと近寄ってきた。挙動不審はいつものことだ。彼は人見知りをする性格で、出会った当初からいつでもこの調子なので、勇來たちもいい加減、彼のぎこちなさについては気にしていない。
ただ、内気な性格ゆえに人前に立って注目を浴びるのが苦手……なのはいいのだが、そんな彼はなぜか、人前に立って注目を浴びなければ始まらない、奇術師でもあるのだ。腕もいいらしい。本格的なショーとして見せてもらったことはないが、ちょっとした手遊び程度のものなら、頼めば少しだけ見せてくれることがある。
「如月もメンバーの一人なんですね、私たちもなんですよ」
如月というのは月のあだ名だ。零羅にじっと見られていることに気付いた月は、不満そうな顔でそちらを睨んだ。
「な、なんだよ」
零羅は目を逸らす。返事はない。月もそれ以上なにも言わず黙り込んだため、奇妙な沈黙が流れた。
「ねえ、月。今日って他に誰が来るのか知ってる?」
「知らな……あ、いや、たしか來亜も声をかけられてた、と思う」
「來亜? ってことは、琴琶も一緒か」
「あのマジカル娘は来ないよ。使い魔のほうだけ」
「マジカル娘」
琴琶――世知那琴琶は魔術系の能力を持つ少女だ。非常にレベルの高い能力者で、あらゆる魔術の行使を可能としており、扱う術はひとつひとつが高度なものだ。來亜とは、琴琶が生み出した召喚獣のことだ。琴琶や周囲にならってヒトの姿をとっているが、本来は獣のような外見らしい。勇來はそちらの姿を見たことがないので、具体的にどういった姿なのかは見当もつかない。琴琶とは主従というより、家族であり親友であり、というような関係だ。
余談だが、月と琴琶は仲が悪い。琴琶が月の奇術に対抗意識を燃やしたことがキッカケだったが、今ではあらゆる誤解や、タイミングの悪さからくるすれ違いや、その他諸々の事情が重なって口喧嘩と小競り合いを繰り返している。犬猿の仲と言っていいだろう。いいのだろうか。
「全員、遅刻はないようだな」
十九時四十分になろうとしたころ、探偵が現れた。うしろには寿と、一人の青年を連れている。オレンジがかった明るい茶髪に、くすんだ緑の瞳。長身で整った顔立ちをした、人の好さそうな男だ。青年、秋人のことは、勇來たちも知っている。
「探偵。と、秋人じゃん。なんか久しぶりだな」
「やっほ、みんな。こんばんは」
「秋人も一緒に来るの?」
「まあ、一応ね。これでも探偵の助手だからさ」
助手、という言葉に寿が反応し、秋人の足元で二度三度飛び跳ねると、抗議するようにべしべしと彼の脚を叩いた。秋人はわあわあ言いながら逃げるようにあとずさる。
「ごめんごめんっ、えーっと、助手……見習い? だからさ、俺は。ね?」
頭突きを繰り返す寿を抱き上げてなだめながら、秋人は探偵に向き直る。
「で、なんだっけ……あ、探偵、今回の任務のメンバーはこれで全員か?」
「そうだ。これよりリラへ発つのはこの場の九人。今回の事件は概要もそれほど複雑ではない。焦らすようなことでもないのですぐに話すが、一度しか言わないのできちんと聞くように」
「九人? あれ、でも來亜は」
勇來が首をかしげると、探偵の背後から銀髪の少年が顔を出した。
「來亜だ。おれは、いるぞ」
ややつりあがった赤い目は瞳孔が細長く、猫のようだ。襟元には赤い石のついたチョーカー。琴琶の召喚獣。人型に擬態している、いつもの見慣れた來亜の姿だ。彼は小柄というほどではないが、決して長身ではないので、探偵の背中に隠れてしまって見えていなかっただけらしい。
彼の話し方が若干ぎこちないのは、意思疎通が可能な程度には人語を習得しつつあるものの、完璧に洗練されているわけではないためだ。人型の姿であるゆえに、声帯も人間と同程度に発達しているが、言葉という文化にはなじみきれていない。寿も同じ理由で人間の言葉を話すのが苦手だ。二人はときどき奇妙な鳴き声だけで会話している。案外仲がいいらしい。
探偵は気にせず続ける。
「まず、先に明かしてあるとおり、お前たちの今回の主な任務は、とある娘の護衛となる。リラで人形師をしている、早乙女岳という男の家に脅迫状が届いた。イタズラの可能性もないとは言い切れないが、念のため護衛をよこしてくれというのが、先方からの要望だ」
「昼間にも言ってましたね。私たちが護衛任務にあたる傍ら、探偵が脅迫状の送り主を突き止める――という流れですか?」
「ひとまずはそういうことになる。任務に向かうにあたって話すべき最低限の情報はそれだけだ。もしなにか知りたいことがあるならば、到着後、早乙女家の者から直接聞くがいい。行くぞ」
外に向かって歩き出す探偵に、勇來たちもついていく。だが、他に誰もいなかったはずの玄関ロビー。ギルドを出ようとする勇來たちの背後から、この場にいる誰のものでもない声が響いた。
「待て、零」
零羅が振り返る。零というのは彼の愛称だ。勇來たちも立ち止まった。見ると、そこにいたのはラウの領主、ジオ・ベルヴラッドだった。ジオは零羅に歩み寄ると、手に持っていた物をその胸元に押し付ける。零羅が受け取ったのを横から覗き込んでみると、どうやらそれはお守りらしい。
「忘れ物だ。まさか、わざとじゃないだろうな」
零羅は首を横に振る。
「必要ない」
「必要か不要かは帰ってくるまでわからない。黙って持って行け」
「ジオってそんなにいっぱい喋れたんだな」
いつもは無口な者同士の二人の会話が珍しく、勇來がつい口を挟むと、ジオに睨まれた。零羅の手のお守りを見た寿が、秋人に抱えられたまま手足をばたばたさせて暴れたと思うと、ぱっと顔を覆い隠した。体をキュッと小さくして丸まったその姿はまるでダンゴムシのようだ。
「零、お前はいつから俺に意見できるようになった」
ジオと零羅は数秒、睨み合っていたが、零羅が観念したようにため息をついて、お守りを荷物に加えた。それを確認すると、ジオは探偵を一瞥してからこちらに背を向ける。
「……邪魔をした。行け」
探偵はとくになにも言わず、ただ再び歩き出す。一同はしばらく無言で歩いていたが、駅に到着したとき、空來が零羅のほうに身を乗り出した。
「ねえねえ、さっきジオにもらったのってなに? お守り?」
「寿が変な反応してたけど、厄除けかなにか?」
秋人も、抱きかかえていた寿をおろしながら尋ねる。零羅からの返事はない。代わりに月が、ぽそりと呟いた。
「護符じゃないの?」
「護符?」
探偵以外の全員が月のほうを見たので、月は若干うろたえた。
「も、物凄い、量の魔力、が、詰まってるし……」
「へえ、そういうのって見てわかるものなの? あ、でも、月も魔術師だっけ」
「ち、ちがう、僕は奇術師だ。ただの手品……ペテンだよ」
たしかに月の言うとおり、彼の術は魔術でなく奇術。少なくとも一般的な系統能力ではないし、ゆえに彼は非戦闘要員として五軍に属している。だが、少なくとも勇來や空來には、彼の扱う術が魔術とどう違うのかわからない。正直、同じようなものだと思っている。
静來が探偵を見ると、視線の意味を察した探偵が説明する。
「知ってのとおり、ジオ・ベルヴラッドは風の守護神たるラウ・ベルヴラッドの宝珠と契約した領守であり、この地の守護神――その現身だ。そのお守りは、やつが手ずから作り上げた特別な護符であり、咲如月の言うとおり、かなり強力なものだ」
「強力ってどれくらい?」
「極端な話、ややスケールダウンした手乗りサイズのジオ・ベルヴラッドを持ち歩いているようなものだな。持っているだけで、所持者を狙った投擲は弾かれ、所持者が放った投擲は威力が増し、有毒ガスは吹き散らされ、雨粒は身体を避ける。闇祢零羅の場合、護符がなくともそれくらいの加護は常に与えられているだろうとは思うが」
「護符を通して、ジオの力の一部をそのまま使えるみたいなものなんですね。ジオの零羅贔屓も今に始まったことじゃないですけど、まさかそんな物まで用意してるなんて……」
「だが、本質はそこではなかろうな。闇祢零羅の体脳系の能力、その内容が視力強化なのは貴様らも知っているだろう。その目は千里先をも見通せるが、しかし天候の影響を受けやすい。大雨や吹雪、霧の中などではほとんど役に立たない。ゆえに、それほどまでの魔力を積んで持たせているのだろう。いざというとき、雨雲や雪雲ごと消し飛ばせるようにな」
「そ、そんなことまでできるのか?」
「無論、護符に込められた魔力が尽きればそれまで。雲を割く大業を成すほどの魔力を一度に放出すれば、護符はその形を保てず消滅する。まさに一回きりの切り札だ」
「うーん……たしかに、それなら持ってたほうがいいかもね。雨や雪が降って困るのは零羅だけだし。使うか使わないかは自由なんだしさ、使わなかったとしても、別に天気を晴らすんじゃなくても他の使い方だってできるんでしょ?」
「天気の心配がない任務の場合は、普通に便利な魔力タンクとして使えますからね。持っていて損をするようなものでもないです」
「責任重大だね、探偵。もし零羅に怪我させて帰ったら、ジオが黙ってないよ」
「いくらジオでもそこまでモンペじゃないでしょう」
「俺だったら、そんな便利なモン絶対手放さないけどなあ」
「僕も。あ、でも、そんなすごいの持ってたら、どこかに忘れたり、なくしたり、魔力を使い切ったとき、急に不安になりそうで怖いね。あったらあったで、それに頼りすぎてメンタル弱くなりそう」
「それちょっと困るな……毎日その日の終わりに魔力のチャージとかってしてくれんのかな」
「少なくとも、よっぽどのことがない限り、ジオは勇兄のための護符なんて用意しないと思いますよ」
「考えてみれば、そもそも僕ら南大陸の生まれじゃないじゃん。風の民じゃないなら守ってもらえる対象外なんじゃないの?」
「本来、守護神の宝珠が守るのは、人じゃなくて土地ですよ。そこに住む人を守るとも言われてますけど、それは土地を守る延長で、ついでみたいなものですから」
「え、そうなのか?」
「ですよね、探偵」
「宝珠と契約して領守となった者は、守護神の現身と呼ばれるが、結局は人の子だ。人間に対する情がある。ゆえに、その土地に住まう生命をも守護対象とみなしているだけの話。創世神話や守護神の伝承を読んだことがないのか?」
「ない」
「ない」
「人々を守ることを第一としているなら、たとえば……ほら、風で飛ばされた物がぶつかって怪我をする、なんて事故は起こらないはずでしょう?」
「あー、たしかに」
「ジオ・ベルヴラッドの目の届く範囲での事故ならば、いくらでも防げるだろう。ロワリア国――とくにラウでその類の事故の話を聞かないのは、そして守護神が民を守るというのは、そういうことだ。貴様らが目の前で困っている誰かや、怪我をしそうなことをしている誰かを助けるのとそう変わらん」
「なーんだ。守護神って案外、そんなもんなんだね」
「土地の」
黙っていた月が珍しく口を挟む。
「土地の守護って、どういうことか、わかってる? っていうか、守護神ってそもそも、どういうものか知ってる?」
「え? 土地の守護……は、えーと」
「守護神はこの世界の礎。この世界そのものを守ってる。生命が存在できる環境を構成して、維持して……守護し続ける存在。風、火、水、地、光、闇。この六属性は、世界を構成する最も重要な要素だよ」
「世界を構成する?」
「わかんないの? 水の守護神がいるから、海がある。地の守護神がいるから陸地がある。風の守護神がいるから空気がある……ってこと。つまり、今こうして僕らが呼吸してられるのは、風の守護が滞りなく続いているから。……少なくとも、神話や伝承には、そう記されてる」
「六柱の守護神はそれぞれの大陸を己の本拠地として鎮座するとされた。ゆえに、各々の領域により顕著に守護が現れる。契約者たる現身がそこに住むからだ。それが、南大陸が風を司る地と呼ばれる所以。思い返してみるがいい、この大陸では極端に嵐が少ないだろう」
「あ、たしかに。台風とかまったく……ってほどじゃないけど、あんまりないよね」
「探偵はもちろんだろうけど、月もそういう、神話? とか読んだことあるのか?」
「……まあ、一応」
「もしかして、読んでないのって俺と空來だけ? 静來と零羅は?」
「読んでますよ。一般教養のうちと思ってますから」
零羅も頷いている。
「零羅に至っては、他でもないその守護神に目をかけられているんですから。ちゃんと知っておくためにも目を通しているに決まってるじゃないですか。守護神に贔屓されるのと、ただの人間に干渉されるのでは、わけが違うんですから」
「うっ……そういやそうだな。ら、來亜と秋人は?」
「俺は読んでないけど、前に同じようなことを聞いたときに探偵がめちゃくちゃ詳しく教えてくれたから、わりとちゃんと理解してるつもりだよ。もちろん寿もね」
「読まない。文字はわからない。コトハが教える。をした。守護神は知っている」
「神話関係の本は図書室にありますから、帰ってきたら勇兄と空來も読んでみたらどうですか? いざ読んでみると結構おもしろいですよ」
「うーん……むずかしそうだしなあ」
「読むよりジオに聞くのが一番早そうだけどね」
「まず口利いてくれるかどうかだろ」
「零羅とは普通に話してるみたいですけど。……ジオって、あなたといるときはあんな感じでよく喋るんですか?」
零羅は頷く。勇來は頭のうしろで手を組んだ。
「とりあえず守護神がすげーのはわかったけど、それなら余計に、一人の人間ばっかり贔屓していいのか?」
「神は決して平等ではない、ということだ。叙事詩やその他の神話――多くはフィクションだが、ノンフィクションのものを含めて見ても、神格というものは大抵、常に理不尽で無慈悲、かつ不平等な存在だからな」
「光属性の神格生物ですね。たいした理由もなく、ただ気に入らないというだけで特定の村や町にばかり洪水や飢餓を招いたり、気に入った人間を寵愛と称して連れ去って、死ぬまで傍に置いたり――という話はよく見かけました。どこまで本当で、どれが作り話かは知りませんけど」
「うわ、なんか想像してたのと違うんだね。でも今の時代ではあんまり、そういうのって聞かなくない?」
「たしかにそうですね。単純に、獣であれ人であれ、光属性を有する生物の数が、神話の時代に比べて減ってしまったということでしょう。ですが絵空事の存在でもないですよ。私たちが会ったことがないだけで、今の世の中にも少なからず存在します」
「それらにひきかえ、ジオ・ベルヴラッドの寵愛のなんとささやかなことか。神話において、神に気に入られるというのは、人間にしてみれば迷惑な話でしかない」
「迷惑なのか?」
「神格生物の愛情表現としてもっともポピュラーなのは、その者を肉体ごと、あるいは魂のみ連れ去る、というところだな」
「魂だけって、それって体はどうなるの?」
「無論、死ぬ。殺して魂だけを永久に傍に置くのだ。相手の気持ちなど微塵も考えずにな。神格は恐れられるべき存在だ。神は人間のことなど考えない。だが、それが普通だった。ならば神の現身が一人の人間を過保護なまでに贔屓し、優先して目をかけて加護を与えようが、なにも問題はないだろう」
「そ、そういうもんか?」
「守護神の現身って、結局は神格化しただけの人間ですからね。ジオは元々、私たちと同じ人間ですよ。自分と親しい誰かを優先して気に掛けるのも当然のことでしょ」
「あー、まあたしかに、そう言われちゃうとねえ」
「貴様らも今後、もし神格を有する存在と相まみえる機会を得たならば、十分に注意することだ。神やそれに準ずる存在には、過度に嫌われても好かれてもいけない。光属性はもはや人類とは根本的に違った存在だ。神格と人間とでは、思考回路も、価値観も、倫理観もまるでかみ合わない。余計な贈り物は賜らぬが吉。……そら、無駄話をしているうちに列車が来たぞ」