0 午前の遊戯に出立の命
ロドリアゼル南大陸の最西部に位置するロワリア国。その中央にそびえるロワリアギルド。一階の談話室には代わり映えのないいつもの顔ぶれがそろっていた。青い髪に青い目、髪の分け目から奇妙に飛び出た癖毛が目を惹く、いたって健康そうな顔色の少年、風音勇來。彼の妹である、黄緑色の長い前髪で右目を隠した少女、静來。人の好さそうな青い目に柔らかな空色の髪をもつ末弟、空來。三人は三つ子だ。
先ほどまでは彼らの幼馴染である天風柴闇や、その他の悪友たちも数人、この談話室で一緒にいたのだが、各々用事があるとか、他の誰かとの約束の時間だとかで去っていった。結局、血を分けた三人だけがここに残っているのだ。しっかり者の姉であり妹、静來が手に持っていたカードをテーブルの上に投げ捨てるように置いた。
「あがりです」
「あっ、また負けた! 静來、お前イカサマしてないだろうな?」
「人聞きの悪いこと言わないでください。勇兄がわかりやすすぎるだけで、私はなにもしてません。本当に駆け引きってものが下手ですね。その点においては、空來のほうが上ですよ」
「それって僕が駆け引き上手ってこと? よくわかんないけど褒められてるなら喜んでおこ。ヤッター」
へらへらとのん気な空來に、勇來は不服そうに唇を尖らせる。
「ババ抜きが強いってだけじゃねえか。神経衰弱なら俺のほうが得意だぞ」
「勇兄のは記憶力じゃなくて、ただの運任せでしょう。それに真面目な話、弱いところが表情に出てしまうというのは、今後の任務にだって影響してきますよ。カルセットが相手ならあまり関係ありませんが、戦いでも会話でも、人を相手にすることだって多いんですから」
「そ、そうか?」
「ええ。自分の心情を相手に悟られにくい、考えを読ませない。あるいは、相手の表情や仕草からその心情を読み取れるというのは、それだけでも強みになります。まあ、空來に関してはあまり任務にも出ませんし、宝の持ち腐れ感が否めませんけど」
「褒め……うん? 褒められてる?」
「どちらかというと褒めてます」
「ヤッター」
「せっかくのスキルでも、女子をナンパすることばっかりに使うのはどうかと思うけどな」
「ちょっと勇兄、僕だけ静姉に褒められたからって僻まないでよね」
「僻んではねえよ。っていうか、別に褒められてもなかっただろ今の」
「それくらいにしてくださいよ、見苦しい」
二人の不毛な言い合いを静來が諌める。空來は大きく息をつきながら、ソファの背もたれに寄りかかった。
「んー、でもトランプそろそろ飽きてきちゃった。二人も今日はとくに仕事ナシ?」
「今のところはな。なんかあれば呼び出しあるだろうし、俺はそれまで待機」
「私も非番です。実質休日みたいなものですけど、することがないと暇ですね」
勇來は両手を頭上に突き上げて伸びをした。
「正直、休んでるよりは任務に出てなにかしてるほうがいいよな」
「僕は朝ゆっくり寝てられるならそれでいいかなあ」
「身体を休ませるのも仕事のうちです。なにか連絡があるまでは暇を持て余していましょう。なにもないならないで、ゆっくりしていればいいだけですし」
ガチャリ。
唐突に談話室の扉が開き、一人の男が姿を見せた。
「残念ながら、ゆっくりとすごす時間は、これにて終いだ」
紅茶のような赤茶色の髪。吸い込まれそうに深く澄んだ青い瞳。脚が長く長身で、茶色の肩掛けとスーツ姿に、赤い蝶ネクタイが映える。背後に灰色の髪の小人を携えて、低くよく通る声が休息の終わりを告げた。
「探偵、どうしたんだ?」
「仕事の知らせですか」
「風音静來。急な話だが、任務に同行してもらう。行き先はリラ。出発は今夜、夜行列車での移動だ。今のうちに荷物をまとめておけ。何日かは帰れないつもりでいろ」
「わかりました。任務の詳細は出発前の余った時間にでもお願いします」
「そのつもりだ。まあ、簡単に概要のみは伝えておこう。主な仕事はとある女性の護衛になる」
静來の受け答えに探偵がわずかに口角を上げる。勇來が割って入った。
「探偵、俺たちは?」
「私が用があるのは風音静來だけだ。あとのバカ二人はお呼びでない」
言いながら白手袋の手をシッシッと振るが、勇來と空來にはたいした効果はない。
「護衛って言ったろ。護衛なら俺だってできるぞ!」
「女の子って言った? 僕、女の子の相手なら静姉よりうまいよ!」
「遠回しに私が女の子との付き合いが下手って言ってますね?」
「なんだ、貴様の兄弟はやけに食いついてくるな」
「単純に暇なんですよ。なにか仕事がほしいんでしょう。ところで、その任務は礼からの? それとも、あなたが個人的に受けたものですか?」
「私は探偵だぞ。護衛の仕事など受けるわけがなかろう」
「ですよね。では他のメンバーについて、礼はなんと?」
「メンバーの構成については私に丸投げ……もとい。一任するとのことだ」
「じゃあ、適当に何人かスカウトして行ってねー、とか言って、ほとんどほったらかしのパターンですか」
「ああ、まったく困ったことにな。そして、貴様は聡い女だ。ゆえに私は貴様を引き抜きに来た」
「それはどうも。……なら、私に免じて、この二人も連れて行けませんか? 護衛なら人手が多いほうがいいでしょうし、バカはバカでも、言われたことくらいはまあ、ある程度はできるはずですから。行動を管理して使い方さえ間違えなければ、それなりに使えると思いますよ」
静來の提案に探偵は腕を組み、手を顎にやった。眉間にしわを寄せ、わずか迷うように思案している。
「……脳筋バカの頭はたしかに残念だが、しかし肉体労働に限って言えば申し分ない。一方の戦えないバカでも、若い女の機嫌取りに長けている者がいればなにかと楽か……うむ」
「探偵! 暇! お願い! つれてって! 暇!」
「若い女の子って言った! 歳は? 名前は? コーヒーと紅茶ならどっち派?」
「ええい、やかましい!」
ごほん、と咳払いをし、探偵は静來に一瞥をくれる。
「まあ、突拍子のない的外れな提案というほどではないな。人手が必要なのもまた事実。……いいだろう、風音静來。お前に免じて、この二人の同行を許す。バカはバカでも使い道はあるからな。列車は午後二十時発だ。十五分前までにロビーに集まるがいい。遅れるなよ」
そうとだけ言って、探偵は談話室を去った。残された三人はしばし互いに顔を見合わせる。
「めっちゃバカって言うじゃん、あの人」
「それについては、ぐうの音も出ない正論でしょう。大正解です」
「できるって言ったけど、今まで護衛の仕事って、俺したことないかも」
「行き先はリラって言ってたけどリラってどのあたり? 南大陸だったよね?」
「右下の端っこじゃなかったか? どんなところかは知らねえけど」
「右……まあ間違ってはないですけど」
リラ国はここロワリアと同じ南大陸の、東南部の海沿いにある小さな国だ。地図上で言えばたしかに右下の端で合っている。勇來の言葉を借りて言うならロワリアは南大陸の一番左にある国で、南大陸自体それほど広くないのだが、それでもリラとロワリアは遠い。なので勇來も空來も、そして静來もかの国には一度も立ち入ったことがなかった。
「私も行ったことがないので、実際にどういうところなのかは知りませんが、シンボルとして大きな時計塔があるって話はよく聞きます。ああ、そういえば、最近はなにか嫌な事件が起きてるみたいですね」
「そうなの?」
「……報道紙を読んでないんですか?」
「読ん……でることも、あるよ?」
ロワリアは基本的に治安がよく平和なので、事件などはそうそう起きない。なのでこの国の報道紙は基本的に、南大陸を中心に世界各国で起きた事件をピックアップして掲載している。ロワリアの報道紙を読むだけで、現在世界でなにが起きているのかがおおまかに把握できるようになっているのだ。
「事件ってことは、じゃあ今のリラはちょっと物騒なんだな。それで護衛がほしいってことか」
「かもしれません。……それにしても、わざわざこんな離れた土地から護衛を雇わなくても、リラの隣国であるウィラントには、警備隊が管理している傭兵団があったはずですし、そもそもリラには小規模とはいえ町を守る騎士団があるのに」
「騎士団?」
空來が首をかしげる。
「モナルク騎士団って聞いたことないですか? リラ国の会議場の警備と、国の化身の警護。会議場のある中央地区のパトロールも、その騎士団がおこなってるらしくて。ざっくり言うと、警備隊と協力関係にある、警備隊に似たようなものですね」
「騎士団がいるなら警備隊はどうしてるんだ?」
「中央地区以外には少人数の班がいくらか駐在しているって話です。リラはロワリアよりはひとまわり大きいですけど、それでも小さな国ですからね。リラの国土と人口密度を考えると、リラ部隊は人手が多すぎたそうで。何十年か前にウィラント部隊と合併して、そっちに移ったそうです」
「え、じゃあなにかあったときは? ウィラント部隊の人たちがちゃんと助けてくれるの?」
「ええ。駐在班だけで手に負えないときは、ちゃんとウィラントから相応の増援が来ます。ウィラントは南大陸で一番の大国で、リラ部隊の吸収に加えて、警備隊が傭兵を雇うことで人手を補っていますから、他よりは余裕があるんですよ」
「警備隊は人手が足りてないって噂、よく聞くよね。リラの……モナルク騎士団? は小規模な騎士団って言ったけど、人数はちょっとしかいないの?」
「らしいです。騎士団の歴史は長くて、昔は軍隊として今より多くの騎士がいたらしいですけど、大戦の時代が終わってからは徐々に減っていったそうで。具体的に何人いるのかは知りませんけど、たぶん、ここのギルドとあまり変わらないと思いますよ」
「じゃ、百人もいかない……数十人規模ってか? でも化身の警護と町のパトロールと、会議場の警備もやるなら、騎士団も人手が足りなくないか? 国際会議場ってデカイんだろ?」
「会議場と化身の警護はセットですよ。リラの会議場なら写真で見たことがありますけど、ちょっとしたお屋敷くらいの大きさで、ここと同じく会議場兼自宅です。会議場っていうのも名前だけで――いや、会議室自体はあるでしょうけど、まあ、ぶっちゃけ普通にちょっと大きい家くらいの感じですね。だから化身と屋敷の警備と言っても、見張りと付き人だけで事足ります。」
「名前だけってことは、会議場としては使われてないのか」
「南大陸で会議をするとしたら、ロワリアかウィラントに集まるのが主流ですからね。昔はもっと大きい屋敷だったそうなんですけど、これも大戦が終わってからは縮小して、今の小さな屋敷になったそうです。騎士団が使う建物のほうがよっぽど大きくて広いみたいですよ」
「ふうん。まあ、それくらいだったら警護は足りてるのかもね。たしかに、騎士団があるならギルドじゃなくてそっちを頼ればいいのに。なんでうちになんだろう?」
「依頼人が礼の知り合いなんじゃないか? よく知らない騎士団と、知り合いのギルドなら、ちょっと遠くても知ってる人を頼りたいかもしれない。そんで依頼の中身が地元だとちょっと言いづらいこととか?」
「……勇兄の言うことも一理ありますね。さ、リラ国の予習はこのあたりにして、早いうちに準備しておきましょう」
「そうだね。じゃあ、部屋に戻ろうか」
*
探偵が談話室を訪れる三十分ほど前。司令室には支部長の來坂礼と、副支部長の雷坂郁夜。ロワリア国の化身、ロア・ヴェスヘリー。その護衛のジオ・ベルヴラッド。そして偶然その場に居合わせただけの探偵と、助手の寿がいた。
郁夜と礼が隣同士に座る正面のソファには妙齢の婦人が腰掛けており、探偵は女性のうしろに、ロアは礼と郁夜のうしろで背もたれに肘をつき、ジオはそのずっとうしろの窓際に待機している。
「このギルドの副支部長の雷坂郁夜だ。こっちがうちの支部長の來坂礼。ロワリア国の化身と、そっちのが探偵だ。まあ、そのあたりはあまり気にしなくていい」
「東雲雅日といいます」
「それで、依頼の内容っていうのは」
「はい。私はリラ国で人形師をしている、早乙女岳という旦那様のお屋敷に勤めております。その界隈では有名な方なので、もしかするとお名前に聞き覚えがあるかもしれませんが」
「人形かあ。俺はよく知らないけど、女の子なら知ってるかもね。郁、わかる?」
「は? お前は俺のことを女だと思ってんのか」
「え? ……あ! ふはっ、あははははっ、それはない! あははは!」
なんの気なしに郁夜に話を振っただけのはずが、思わぬ事故が起きてしまい、礼が一人で腹を抱えて笑いだした。そのままいつまでも静まる様子のない礼を放置し、郁夜はロアに尋ねる。
「ロアは知ってるか?」
「腕のいい人形師がいるって話なら、リラから聞いたことがあるよ。たぶんその子のことじゃないかな。それで?」
「私は主に、旦那様のお手伝いや、一人娘である知世お嬢様の身の回りのお世話などを仰せつかっております。その……実は、昨日のことなのですが、お屋敷にこのようなものが届きまして」
雅日は小さなショルダーバッグから、一通の手紙のようなものを取り出した。既に封筒を開けた痕跡があり、郁夜が受け取って中身を確認する。ロアがうしろから覗き込み、手紙の内容を読み上げた。
「『罪に罰を。私は秘密を知っている。お前たちがそれを公表しなければ、早乙女知世の命をいただく。これは断じてイタズラではない』……脅迫状だね。報道紙の文字を切り抜いて作ったんだろう」
ロアが手紙を探偵のほうに差し出す。探偵は歩み寄ってそれを受け取った。礼が雅日に向き直る。雅日は脅迫状を気味悪がっているのか、もじもじと居心地が悪そうだ。
「秘密って書いてあるけど、なにか脅されるようなことに心当たりは?」
雅日は気まずそうな、あるいは困ったような面持ちで頬を触る。
「いえ……私にはなんのことだか。旦那様も、なにも公表しなければならないようなことはないと仰っていました」
「警備隊には?」
「通報はしないでいいと、旦那様が。イタズラではないと書いてはいますが、やはり、その可能性も捨てきれませんし。ですが、もしものことを思うと心配で。お嬢様の護衛をお願いしたく馳せ参じました」
「リラといえば……最近、殺人事件が起きているんだってな」
郁夜が思い出すように呟く。雅日は強く頷いた。
「そう。そうなんです! もしかすると、その犯人に目をつけられてしまったのかもしれません。その事件と脅迫状が無関係だったとしても、今のリラ国は少々物騒ですので……お願いできませんでしょうか」
「そういうことならオッケー。うちはヤバイことに加担するような依頼以外ならなんでも受けるから。探偵、暇でしょ? 頼んだよ」
「おい、なにを勝手に」
「だって、脅迫状だよ? 秘密を公表しろって言うけど、いつまでにとは書いてないじゃん。じゃあその護衛をいつまで続ければいいかってなると、犯人を捕まえるまでが一番手っ取り早いでしょ? ってなると、探偵の出番じゃん?」
「面倒なことを……」
「他にも人手がいるだろうから、適当にスカウトしてつれてっていいよ」
「その言い方ではただの丸投げではないか。職務怠慢ではないのかね」
「えー? じゃあ……あ、零羅!」
そのとき、司令室の前の廊下を通った青年に声をかける。黒髪に黒い目。長い前髪で左目を隠した、ラフなパーカー姿。ジオとよく似た容姿の男――闇祢零羅は、礼の声に立ち止まってこちらに顔を出した。
「零羅、リラ行かない?」
「そんな食堂に誘うみたいな……」
ロアが苦笑いしていると、零羅はひとつ、せき払いをした。
「……仕事ならば」
抑揚のない低い声だ。彼は目だけでちらりとジオを見てから、すぐに礼を見る。
「そっか。じゃあお願い。急だけど出発は今夜ね。詳しいことはあとで探偵が話すから」
「ふむ、貴様にしては悪くない人選だ。……今夜二十時発の夜行列車に乗る。荷物をまとめておけ」
零羅は頷く。雅日はほっとしたように肩の力を抜き、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。どうか、よろしくお願いします」
次回は明日の十三時に投稿します。