13 人はその欲をもって身を亡ぼすのか
「はい。どうぞ、終わりましたよ」
「ありがとう」
岳の案内でやってきた部屋で、義眼の交換を済ませたリラはそっと目元に触れて微笑む。そこにあるのは人形のように美しい、透き通ったガラスの瞳。精巧な造りで、言われなければ義眼だとはわからない。
空來と秋人、來亜は岳の隣に座って義眼を取り換える様子を観察していたが、知世や静來たちは壁際で立って遠巻きにその様子を見守っているだけだ。秋人はリラが先ほどまで着けていた、古いほうの義眼を見る。
「それって痛くない……んですか?」
「着脱自体に痛みはないよ。……ああ、水に飛び込んだりすると、水圧で痛むことがあるくらいかな。まあ、長らくそういった経験はしていないけど」
リラの傍らの騎士がわずかに屈む。
「リラ様、そろそろお時間です」
「そうだね、わかった。岳、また頼むよ」
「お任せください」
立ち上がろうとした岳を、静來が手で制する。
「見送りは私と知世が。岳さんはここにいてください。知世、行きましょう」
「え? ええ、そうね。探偵さんが、お父様になにかお話があるのでしたわ。わかりました。リラ様、お見送りさせていただきます」
「ああ、ありがとう」
「あ、僕も行くよ」
リラと付き添いの騎士に、見送りのために静來と空來、知世が部屋を出て行く。扉が閉じ、少し待ってから、探偵が壁から背中を離した。
「昨日一日は早乙女知世本人からの要望で、私と闇祢零羅を省いた全員を連れて外に出ていた。という報告は既に受けているか」
「はい。午前は乗馬に、午後からは海釣りに出かけたと」
「その帰りに敵襲を受けたことについては?」
「て、敵襲?」
「檻みたいな形のカルセットだったぜ。つっても、すぐ逃げていったから、知世も俺たちも無事だったけどな」
「ほ、本当に大丈夫なんですか?」
「今のところはな。まあ報告はその程度だ。それ以外に変わったことはなかった。そして貴様に確認すべきことと、聞いておかねばならんことについてだが」
「なんでしょう」
「早乙女知世の犯行について、貴様はどこまで把握している?」
「は――」
岳の顔に焦燥がよぎる。
「た、探偵さん? なにを……」
「早乙女知世の目潰し殺人、そのキッカケや事件の前後の様子など、なにか知っていることはないのかと聞いているのだ。それとも、ただあの娘のしたことだけを知っているだけで、事情はなにも知らず、ただリィスの遺体を隠しただけか?」
「……なにを仰るのですか。リィスは行方不明で……」
「行方不明となった使用人が心配だったなら、なぜ騎士団に届け出なかったのかを私が納得できるように説明してみせよ。そして、物置小屋の地下にある金庫の中身と、貴様の寝室にある引き出しに隠してある鍵についてもな」
「そッ、それは! どうして――」
そこまで口走ったところではっと言葉を飲み込むが、もう遅い。岳はぐっとなにかを堪えるように歯を食いしばり、必死の剣幕で探偵に反論した。
「ち、知世ではありません! 私です、私が殺しました! すべては私一人がおこなったこと。娘は事件にはなにも関係ない!」
「気付いていないようなので言っておくが、これはただの殺人事件ではない。その背景には黒幕が存在するのだ。ゆえに、なんの手も打たずに庇うだけでは、早乙女知世がどうなるかわからんぞ」
探偵は冷たく言い放つ。
「それは……それは、どういう――ことですか」
「何者かが早乙女知世の精神に干渉し、犯行を助長したものと見ていい。その黒幕となる何者かがまだこの近くにいるのか、既に逃亡済みなのかは答えかねるが。どこかで様子をうかがっていたとしても不思議ではない。闇祢零羅には町全体を見張らせているのはそのためでもあるが、今のところ、いい報告はないな」
「それって見ただけでわかるもんなのかよ?」
「貴様にはわからんだろう。だが、あの男の目なら話は別だ」
「探偵はその黒幕のこと知ってるのか」
「これまでに得た情報と、それに該当する者の見当はついているとも。直接見たことも会ったこともない相手だが、面識はなくとも知識として、どういった存在なのかある程度は把握している」
「じゃあ知世をなんとかして、その黒幕のこともとっつかまえねえとな。どんなやつなんだ?」
「見たことはないと言ったばかりであろうが。話を聞いていないのか」
「あ、そうだった。じゃあどうすんだ? 完全に零羅頼りか?」
「そうさな。今回は黒幕よりも早乙女知世を優先したいが……寿と矢野瀬來亜、そして……秋人なら、あるいは見分けられるやもしれん」
「え、俺?」
「ともかく、犯人を庇って遺体を隠している時点で貴様も共犯者。貴様もあの娘も、罪に問われるのが当然だ」
「……何者かの精神干渉を受けていると……仰いましたね。つまり、知世は……自らの意思で、人を殺したわけではない、ということですか?」
「おそらく、本人が直接手を下したわけではないのだろうな。早乙女知世は他人の目に対する異常な執着心があった。とある人物の能力による干渉で、その欲望が異形の者として形をもって外界に放たれ、人を襲っていたのだ。現場にはなにか残っているはずもない」
「それなら知世は……」
「だがリィスは早乙女知世がその手で殺害している。だからこそ、早乙女岳はリィスの遺体を地下に隠したのだ。犬よりはるかに鼻の利く者。他人の嘘を見抜く者。神の加護を受けた遠見の者。人ならざる気配に敏感な者。真実を語る者。ギルドにはさまざまな人材がそろっているのだ。鍵がなくとも扉は開く。隠し事をするには相手が悪かったようだな」
探偵が断言すると、岳は脱力したようにうなだれて、力なくため息をつく。
「……申し訳、ありませんでした……」
「我々が来なかったとしても、いずれこの屋敷の秘密は暴かれていた。少なくとも、遺体はさっさと焼くなり埋めるなりするべきだったな。見たくないものに蓋をするだけでは、私のような無礼者にあっさり暴かれてしまうぞ」
「そ、それは……。……探偵さん、なぜ知世は、リィスを手にかけたのでしょうか。あの二人は私から見ても、本当に仲が良くて……それなのに、なぜ知世は。あの子は……リィスになにか、恨みでもあったのでしょうか」
「逆だろうな。あれは、愛していたからこそ殺したのだろう。早乙女知世はリィスの目しか見ていなかった。殺したつもりなどなければ、死なせるつもりもなかった。ただ傍に置いておきたかっただけだろうよ」
「傍に……?」
「リィスがいなくなった。早乙女知世のその言葉に嘘はない。早乙女知世にとってのリィスは、貴様が取り上げて遺体とともに隠してしまった。早乙女知世が探していたのはソレだけだ。これ以上の詳細は本人に聞くがいい」
岳は青ざめた顔で言葉を失い、茫然とした。そのうち俯くと手で顔を覆い、嗚咽をもらす。静かな部屋の中で、勇來たちはただそれを見ていた。
そのとき。
「――キャアアアアアッ!!」
びくりと岳の肩が跳ねる。静寂を裂いたのは、屋敷の外から聞こえた甲高い悲鳴だった。
「今の声は……」
「知世だ!」
勇來が真っ先に部屋を飛び出して行く。秋人と來亜もそれに続いた。廊下を駆け抜け、階段を駆け下り、玄関の扉を開ける。既に悲鳴を聞きつけた数人の使用人たちが集まっていた。
「おい、どうしたんだ!」
屋敷の前に大きなクレーターのようなものができている。その傍にはリラが持っていた杖が落ちていて、知世が震えながらうずくまっていた。空來が寄り添っている。
その上空。
長い髪で覆われた頭部からリング状の胴のようなものと、その下に檻がつながっている。白い触手のような二本の腕。やじろべえのようなシルエット。
檻の中に誰かいる。
「リラ!」
勇來が叫ぶのと、檻のカルセットが動いたのは同時だった。檻は上空高く跳びあがって正門の向こうに飛び降りると、白い腕で地面を這うようにして逃げ出した。その光景を見た屋敷の使用人たちは、青ざめた顔で硬直しているか、腰を抜かして言葉を失うかのどちらかだった。
「ち、知世、知世! どうしたんだ、なにがあった!」
追いついた岳が知世の傍に寄る。知世は泣きながら震えているだけでなにも言わない。
「勇兄、静姉が!」
空來が指差す方向を見る。玄関から正門に続く石畳の小道。そこに沿うように生えた植木が折れ、黒い甲冑の騎士が倒れていた。だが、その倒れている騎士がもぞもぞと奇妙にうごめいているのがわかる。
「静來!」
「くっ……重ったい――なあッ、もう!」
騎士は気を失っているらしい。その下敷きになっている静來が甲冑を押しのけると、力なく地面に倒れ伏した。静來は立ち上がると服についた土を払う。
「なにがあったんだ?」
「いきなりまたあいつが、音もなく現れて……襲ってきました。リラを守ろうとした騎士が攻撃をくらって、私もそれに巻き込まれたんです。動けないうちに……あとは見てのとおりです」
「静來ちゃん、あいつの狙いはリラだったの?」
「いいえ、知世でした。リラは知世と空來を庇って……」
「追うぞ。走れるか?」
「はい。あれの姿は零羅からも見えてるはずですから、見失うことはないはずです。今も――ええ、座標が送られてきました。探偵! 私と勇兄はリラを追います」
走りながらそう言い残し、二人は門の外へ飛び出して行く。残された秋人たちはまず、外に出て来ていた使用人に声をかける。
「と、とりあえず、みんな中に――うわっ!」
來亜が秋人を引っ張る。直前まで彼がいた場所に、長さ三十センチほどの黒い杭のような、針のようなものが突き刺さった。空を見上げると、そこにいたのは、先ほどの檻によく似た異形のものだった。髪に覆われた頭。白い腕。やじろべえのシルエット。リング状の、位置的にも胴体と見ていいだろう。その中央に黒い鉱石のようなものが浮いている。
「探偵。あれは殺すか?」
「ああ。檻の異形から分裂したもの。使い魔のようなものだ。問題ない、討伐しろ」
「使い魔。同じだな。なら知っている。弱点だ」
來亜が前に出ると、分裂体が白腕を広げた。先ほどの大きな針が五本、十本、二十本と生み出され、來亜に向かって降り注ぐ。だが、簡単に追いつかれるほど來亜は鈍足ではなかった。一瞬、彼の手元に光が現れ、それは瞬きの間に弓矢となる。
分裂体は一度に作り出せる針の上限数に決まりがあるようだった。大量に出し、それを飛ばし、なくなればまた作り出す。その繰り返しだ。次の針を用意するまでには三秒。攻撃が止んだその隙に來亜が矢を飛ばす。
一本目はタイミングが悪かったのか、分裂体に避けられる。二本目は分裂体のまわりをくるくると回る針に弾かれた。三本目の矢は、向かってきた一本の針を撃ち落とした。
「來亜くん!」
「戻る? 今はまだか。必要ない」
來亜が避けた針の一本が、知世の足元、すぐギリギリのところに刺さった。知世が怯えたように肩を震わせ、顔を上げて、宙に浮く異形の姿を見た。
「あ――」
「おい、貴様ら全員屋敷の中に戻れ。少なくとも外にいるよりは――」
「いやあああッ!」
知世が錯乱したように叫び、あろうことか屋敷の中でなく、外へと逃げ出した。
「知世ちゃん!」
「知世! 戻って来なさい!」
悲鳴に気を取られたらしい分裂体が知世のほうを見る。
「好機」
來亜が放った矢が、分裂体の中心に浮かぶ鉱石のようなものを砕いた。
その瞬間、分裂体は腕も胴もバラバラになって地面に墜落し、砂のように崩れて消えた。騒ぎを聞きつけて、屋敷の奥にいたらしい使用人たちも駆けつけて来る。
「探偵!」
「私と寿、秋人で早乙女知世を追う。矢野瀬來亜は風音勇來の援護だ。あとの者は屋敷に残れ」
「わかった」
「なんの騒ぎですか?」
屋敷の二階の窓が開き、浅葱が顔を出す。秋人はそちらを見上げた。
「ちょっと面倒なことになってるんだ。浅葱は、危ないから他のみんなと一緒に屋敷の中にいてくれ! ……おい、浅葱?」
秋人の指示に、浅葱は真剣な表情のまま動かない。その視線の先には荒れた庭。倒れた騎士。心配そうに見上げる使用人たち。その表情に焦燥がこみあげたと思うと、浅葱は窓から身を投げて、秋人の目の前に着地した。彼の想定外の動きに、秋人はもちろん、岳も使用人たちも目を丸くした。
「浅葱!」
浅葱はなにも言わず、秋人たちに見向きもせず、そのまま屋敷を飛び出して行く。探偵はとくにそれに構う様子もなく、秋人の肩を叩く。來亜はリラが落とした杖を拾った。
「行くぞ。ぼんやりするな」
時計塔から様子を見ている零羅から、端末に知世がいる場所を示した座標が送られてくる。秋人は探偵の背中に続き、知世の保護のために走った。同時に屋敷を出た來亜とはすぐに進行方向が分かれる。
屋敷に残ったのは、空來と月。そして早乙女家の者たちだった。
「と、とにかく、知世ちゃんやリラのことはみんなに任せて。屋敷の中に」
「知世……」
空來と月が岳を屋敷の中に押し戻す。何人かの使用人が協力して、倒れていた騎士を運び込んだ。岳の背中に触れて彼を励ましていた老年の使用人が、あることに気付いて空來たちを見る。
「あの、雅日さんが……いらっしゃらないようなのですが」
「え?」
空來があわてて集まっている面々を見る。たしかに、東雲雅日の姿がどこにもない。髪の長い女性の使用人が思い出したように声をあげる。
「あっ……み、雅日さん、さっき外に出かけて……」
「外に?」
「か、買い出しに行くからって……」
「……空來。あの分裂体は、知世を狙わなかった。つまり……もし、あれに見つかったら、もしかすると無関係の人でも」
「そんなっ、それじゃ、雅日さんは……!」
月の言葉に心配と不安で泣き出してしまう女性の使用人を、周囲の仲間たちがなだめる。空來はわずか葛藤するように、その姿と玄関の扉と交互に見た。
「……わかった、雅日さんは僕が探してくるよ。月、屋敷のほうはお願い。もし僕がいない間に雅日さんが戻ってきたらすぐに教えて!」
「わ、わかった……大丈夫なの?」
「全然大丈夫じゃないけど、大丈夫だって信じるしかないよ」
空來はそう言い残して無理に笑って強がって見せると、屋敷の外に駆け出した。
次回は明日、十三時に投稿します。




