12 解決と解明は同義ではなく
「なあ探偵、なんかわかってるなら教えてくれよ」
早乙女邸にやってきてから三日目の朝。静來たちが探偵の部屋に集まると、秋人が探偵に再び懇願した。対する探偵は面倒くさそうに、ああ、とか言いながら頬杖をついている。昨日の朝に比べてずいぶんと無気力そうだ。空來が指摘する。
「探偵、今日は元気ないね?」
「解けた謎にはさほど興味がないからな」
「ふーん、解けた謎は……えっ? 解けたの?」
なんでもないことのようにさらりと言ってのけるので、思わず聞き流しそうになる。探偵はどうでもよさそうに頷いた。
「解決こそしていないが、解明という意味でなら当初の目的は果たしている」
「それって……えーっと。脅迫状の犯人がわかったってことか? っていうことは、今ここで俺たちに聞かせてくれるんだろうな?」
勇來が問うと、探偵はちらりと彼を見て、小さく息をついてからベッドの下に手を伸ばし、小さな黒い箱のようなものを出して机に置いた。静來はそれが初日からそこに仕込まれていた盗聴器だと知っている。月と秋人も、それを見てからはっとして身構えた。なにも知らない空來と勇來は不思議そうに覗き込む。
「なんだ、それ?」
「気にするな、さほど重要ではない。本当なら早乙女岳が屋敷に戻ってから――と思っていたが、いいだろう。今回の場合は先に話しておいたほうが迅速に事が運びそうだ」
「ねえ、零羅がいないみたいだけどいいの?」
「構わん。あいつには先にすべて話してある」
「あっ、なにそれズルい!」
「探偵の話を聞くのはいいけど、知世はほっといていいのか?」
「今は他の使用人さんと一緒に部屋で待機しています。屋敷内にいる間は安全のはずです」
「よし、じゃあ準備オッケー。頼む、探偵」
探偵はため息をついてから脚を組んだ。
「では、まず最初に――犯人は東雲雅日だ、とだけ言っておこう」
空気がどよめく。静來と空來はこれといった反応を示さない。月と來亜も落ち着いている。勇來や秋人は顔を見合わせて、次に部屋の扉のほうを見て一度ためらってから探偵に向き直った。
「ど、どういうことだ? 雅日さんが犯人って。ん? そもそも犯人ってなんの……」
「早乙女家に届いた脅迫状。あれは東雲雅日が用意したものであり、告発文だ。この屋敷に勤めていた使用人――行方不明者リィスが既にこの世にいないことを、東雲雅日は知っていた」
「おいおいおい、手短に済まそうとするなよ。ちゃんと説明してくれって。り、リィスはもう死んでるのか?」
さっさと片付けようとする探偵を秋人が止める。探偵は面倒くさそうに秋人を睨んだ。
「リィスの遺体はこの屋敷の地下に、目をくり抜かれた状態で隠されている。殺害されたあと、何者かによってそこに運ばれたのだ」
「待ってくれ、探偵。急すぎて頭が追いつかない……」
勇來が頭を抱える。
「つ、つまり……この屋敷の誰かが、リィスを殺して隠したってことか? で、それを雅日さんだけが知ってて? そんで……脅迫状?」
「そうだ。東雲雅日は秘匿された真実を告発しようと決意したが、告発者が自分であることを知られるわけにはいかなかった。なので、遠回しな方法だが脅迫状を偽装した。あわよくば、それで自首に踏み切ってくれればという思いもあっただろう」
「脅迫状は雅日さんの自作自演ってことだね? あー、なるほど、だから……」
空來は納得したように独り言をつぶやく。
「だからって?」
「ずっと気持ち悪そうだったじゃん、雅日さん。すっごいマジメな人だからさ、嘘つくの下手だよね」
「気付いてたのか?」
「気付いてたっていうか、この人なんか嘘ついてるなーとは思ったよ。リィスのことをもう死んじゃったように言ったのを來亜に指摘されたときも変だったから。なんか知ってるのかもなって。それ話したら、探偵もそう思うって言ってたから、ヤッター。みたいな」
「なにがヤッターなのかよくわからないですけど……」
「そういや空來ってわりとそういうの見抜くよな……」
「東雲雅日は屋敷に脅迫状が届いたと嘯き、怯えるふりを。そして早乙女知世の身を案じるふりをした。自作自演であることを気付かせないためだ。早乙女岳は頑なにイタズラの可能性を主張し、警備隊や騎士団への通報を渋った。しかし娘の命が狙われているというのに、なんの対策も講じないというのはあまりに不自然」
「……だから警備隊や騎士団ほどの絶対性がない、私たちのギルドを頼った。知世と仲のよかった雅日さんの立場なら、多少強引にギルドへの通報に踏み切ったとしても不自然はないです。偽の脅迫状を持ってギルドを訪れ、目潰し事件との関連性を主張することで、表向きの護衛任務とは別に、自然な流れで目潰し事件の捜査をするように仕向けようとした」
静來が探偵に続いて話すと、秋人は声をひそめる。
「その話ぶりだと……怪しいのって、岳さんなんじゃないのか? 脅迫状のことって、たしか一部の使用人さんと岳さんしか知らないって話だったんじゃ……」
勇來もそれを聞いて思い出したらしく、うんうん頷いた。
「そうそう、たしかそうだって言ってた。……ん? っていうか、目潰し殺人とリィスが殺されたのって、同じ事件なのか?」
「リィスの遺体も目をくり抜かれてたらしいし……だよな? 探偵」
「ああ。遺体の傍に、腐った眼球の入ったビンが転がっていた。数も目潰し事件の被害者の人数と一致している。早乙女岳の寝室の引き出しに地下室の鍵が保管されていたので、そこに出入りできるのは、そして最後にあの場所に立ち入ったのは、あの男だ」
「だったら……」
「だが、リィスを殺したのは早乙女岳ではない」
「は? いや、でも、だったら……」
誰が――と、言いかけた勇來の顔が強張る。
「……まさか」
「そのまさかだ。行方不明の使用人リィス、他五名。目潰し殺人の犯人は、あの小娘――早乙女知世だ」
誰かが息を呑む音が聞こえた。空來がおそるおそる確認する。
「岳さんは……じゃあ、遺体を隠しただけ?」
「娘を庇うつもりだろう。東雲雅日は早乙女知世の犯行、および早乙女岳による死体遺棄の現場を目撃した。それが露見すれば口封じのために自分も殺されると考え、我々に護衛を依頼した。表向きは早乙女知世の護衛任務だが、つまりは監視をつけたかったのだ。我々が真に護衛すべき相手、そして護衛していた相手というのは、早乙女知世ではなく、東雲雅日のほうなのだよ」
「えっ、そうだったのか?」
「闇祢零羅と風音静來には今回の任務が早乙女知世の監視と東雲雅日の護衛であることは伝えてあったのだが、それを貴様らに黙っていたのは、なぜだかわかるな?」
「はーい。ボロを出されたら困るから!」
「正解だ。少しは賢くなってきたようだな」
「や、だからってさあ、もうちょっとこう……なんか言ってくれててもよかったんじゃねえの?」
「私の役目は脅迫状の犯人を突き止めることではなく、脅迫状の送り主である東雲雅日がなにに怯えているのか、その真犯人の追究だ。そのためにぞろぞろと手伝いを連れてきたのは、他の誰もかもの視線をそちらに集中させることで、私の動きをごまかすためでもある。そのためには、貴様らはなにも知らないほうが都合がよかった」
「零羅と静來はなんで?」
「闇祢零羅は余計なことを喋らないからな。風音静來はすべてを話したところでボロなど出さない。そうだろう?」
「あなたは本当に私にプレッシャーかけるのが好きですよね」
静來と來亜などは落ち着いているが、勇來や空來は探偵の推理に納得がいかないようだ。
「でも、なんで知世が目潰し殺人なんてするんだよ? リィスのことだって、本当に大好きだったみたいだし。知世に人を殺す理由なんかねえだろ」
「そうだよ。知世ちゃんはなにも嘘ついてないよ。本当にリィスのこと心配してるし、リィスがいつか帰ってくるって信じてるよ」
二人の異議の申し立てにも無論、探偵が動じる様子はない。
「当然だろう。あの娘の中ではリィスは死んでいない。ただ手元からなくなっただけなのだからな」
「手元からなくなった?」
あ――静來が小さく声をもらす。口元を手で覆い、ゆっくり大きく息をつく。
「……なるほど。そういう、ことですか」
「な、なんだよ、静來」
「知世が求めているのはリィス本人じゃなくて、……リィスの目ということです。そうですよね、探偵」
声が震えている。空來と勇來の表情は凍り、秋人の顔が引きつる。
「リィスは綺麗な子だった――綺麗な目を、している子だった。たしか……町で聞き込みをしたときに、被害者の友達だという人も同じことを言っていました。綺麗な目をしている人だった、と」
「あ……」
勇來がなにかを思い出したように声をもらす。静來は焦燥を堪えるように続ける。
「知世が探偵に執着する理由もそれで説明がつきます」
その場にいる全員が、探偵の目を見た。海のように深く、空のように澄んだ青い瞳。じっと見ているだけで吸い込まれてしまいそうな恐ろしさすら覚える美しい瞳。探偵は二秒、まぶたを閉じた。
「もうひとつ。早乙女知世はおそらく、自らの犯行についての記憶を保持していない、あるいは正しく認識できていないと考えられる」
「え、どういうこと?」
「この事件は早乙女親子を拘束すれば解決するような簡単な事件ではない。もうひと悶着必要になるはずだ」
探偵は机の上に、ひとつの黒い鍵を置いた。それを見た途端、寿が威嚇するようにうなる。來亜も一度、喉の奥から獣のようなうなり声をあげた。
「……鍵?」
「早乙女知世の部屋にある人形に隠されていた。これはただの鍵ではない。言うなれば……災厄を招く鍵だ」
「なに? なんの話?」
「……能力の一種ですか? たとえば、なにか、精神に異常をきたすような……」
「ひとまずそういった類のものと捉えていい。早乙女知世はこの鍵によって、本来なら己の心の奥底に仕舞っておいたはずの欲望を、何者かによって解放させられている状態だ」
「欲望の鍵って? 急展開だな。そんなことできるのか?」
「できるかできないか、ではない。実際に起きてしまっていることだ。それは生きとし生けるすべてが持つ心の核。解き放たれた欲望は、やがてその者を呑み込み、ときにはその姿を異形のものへと変化させる」
「変、化……?」
空來がその言葉に反応する。探偵は頷いた。
「今はまだすんでのところで保っているところだろうな。鍵は開いているが扉は開き切っていない――と言えばわかりやすいか。おそらくまだ間に合う。そこから解放されたものを再び早乙女知世の内側に封じ込める。そうまでして、ようやくこの事件は解決するのだ」
「待って待って、急すぎてついていけない。解放されたものってなんだよ? そんなの俺たちは――」
「檻」
月がぽつりとつぶやく。
「檻の、カルセット。あれが知世を狙ってたのって、もしかして」
「あ――あれ!?」
「つまり……あれはあの子の内側から生まれた、あの子の心の核……で、それが本人を呑み込もうとして、襲ってくるってこと……で、いい?」
月がおずおず解説し、確認する。探偵は頷いた。
「そんで、知世が殺しを覚えてないってのは、つまり、外で目潰し殺人をやったのは檻のほうか?」
「リィスを殺したのは知世本人でしょうけど、それ以外に関してはそういうことかもしれないです」
「リィスを殺したことも覚えてないのか? ……ああ、死んだと思ってない、のか。目しか見てなかったって話だった」
「じゃあ、もし知世ちゃんがあれに捕まったら……わ、わかんないけど、いろいろヤバイってこと?」
「そのとおり。再び檻の異形が現れたとしても、早乙女知世は徹底的に守り通せ。だが決して殺すな。本来はあの小娘の内側にあったものが形をもった存在だ。殺してしまえば当然、早乙女知世の心も死ぬ。ゆめゆめ忘れるなよ」
「わかった。と、とりあえず、知世を守りつつ、ちょっと叩いて、怯んだ隙に知世の中に戻すんだな? ぐ、具体的にどうやって戻せばいいのかわかんねえけど……まあ、開けることができたなら閉じることもできるはずだしな。この鍵でとりあえず、どうにかすればいいのか? ……で、誰がやるんだ?」
勇來がさっと一同を見まわす。空來が手を振った。
「僕は無理だよ? そもそも戦えないし」
「ぼ、僕も、非戦闘員、だし……」
「右に同じく、俺も戦えないな。いざってときは探偵を守らなきゃいけないし」
「じゃあ俺か静來か?」
「勇來。おれだ」
「來亜?」
「おれが一番速い。強い」
「ええ? まあ、來亜がやりたいなら俺はいいけど。探偵、そんな感じでいいのか?」
「そうだな、適任と言えるだろう」
探偵が黒い鍵を來亜に差し出す。來亜は人差し指で鍵をつついてから、それを受け取った。
そのとき、屋敷のどこか遠くから、知世の高い声が聞こえた。部屋の外に出ているようだ。静來が扉から廊下を覗いてみる。ここから知世の姿は見えないが、声だけはなんとなく聞こえてくる。
「岳さんが帰ってきたみたいですね」
部屋を振り返って言う。勇來が立ち上がった。
「そんじゃあ、どうする? 知世の問題は残ってるけど、それはそれとして岳さんにもいろいろ話さねえとだし」
「早乙女知世には席を外してもらう。お前たちが相手をしておけ」
「じゃあ知世ちゃんのことは僕と静姉が見てるよ。なにかあったら呼ぶからすぐに来てね」
「探偵、あとでいいから鍵とか核とかなんか……今の話、もうちょっと詳しいこと、わかりやすく教えてくれよな。いきなりすぎてまるで意味わかんねえから」
部屋を出て一階へ下りる。玄関の広間には今しがた帰宅したらしい岳と、それを出迎えていた知世と数人の使用人が集まっていた。岳はこちらに気付くと帽子を脱いで頭を下げる。
「ああ、探偵さん。只今戻りました。お変わりありませんかな?」
「特別おかしなことはなかった。が、報告すべきことと、確認すべきこと。ついでに貴様に聞いておかねばならんことがある」
「わかりました。では荷物を置いてきますので――」
岳の声を遮るように玄関の呼び鈴が鳴った。老年の使用人の一人が岳を見ると、岳は探偵をみた。
「……どうした、出るがいい。来客の予定があることは聞いている。私の話はそのあとでも構わん」
「すみません。しばらくお待たせしてしまうとは思いますが……」
使用人が玄関の扉を開けた。正門の前に人影がふたつ。岳と使用人が付き添い、来客のもとへ向かう。知世は扉の隙間からその様子を覗き、静來たちを振り返った。若干気まずい。
「リラ様だわ!」
「え、リラ?」
知世の言うとおり、岳とともに屋敷へやってきたのはリラ国の化身、ラセット・リラだった。傍らに黒い甲冑の騎士を連れ、杖をつきながら歩いている。騎士はマントを着けておらず、体格もそれほど大きくないので、少なくとも団長の仁ではない。腹心である白銀の騎士、蘇芳でもないようだ。
「予定より少し早い到着になってしまったが、大丈夫だったかな?」
「もちろんでございます。どうぞ、奥へ」
リラが前を横切るとき、勇來が興味ありげに息をもらした。
「ほえー、実物のリラは初めて見たな」
「僕も。写真とロアの話くらいでしか知らないや。探偵と静姉は挨拶に行ったんだっけ」
「あ、ええ、まあそうですね」
三人の小声の会話にリラが足を止めてそちらを向いた。
「おや。ふふ……そうか、君たちか。ずいぶんと大所帯のようだ。岳、たった今外から帰ったところかな? 帰って早々ですまないね」
「とんでもございません。本日も二階のお部屋になってしまいますが……」
「ああ、問題ないよ」
空來は傍にいた老年の使用人に尋ねる。
「岳さんとリラって仲いいの?」
「ええ、数年前から懇意にしていただいております。旦那様は人形作りで培った技術――とくにドールアイの製作技術を活かして、義眼の製作にも携わっておられますので」
「えー、あのキラキラした綺麗な目を着けられるの? じゃあリラも……あいや、リラさま?」
「リラでかまわない、他の君たちも楽に呼んでくれ。岳の義眼は評判がいいからね、私も贔屓にさせてもらっている。今日は今着けている義眼を、新しい物と交換するために来たんだよ」
「義眼って取れるの?」
初歩的な質問に静來が呆れる。
「取れなきゃ困りますよ。毎日手入れをする必要がありますからね。年に一度はメンテナンスして、だいたい二、三年くらいで新しいものと取り換えるんです」
「静來ちゃん詳しいね」
「秋人、嫌味ですか?」
「え、なんで?」
「義眼ってどうやって取るの? 僕見てみたい」
「怖いもの知らずかよ」
「空來、失礼ですよ」
「構わないさ。君たちも一緒に来るといい。なかなか見られる光景ではないだろうからね。情操教育に役立ててくれたまえ」
「リラ様、お手を」
「ああ、ありがとう」
リラは騎士に支えられながら階段をのぼっていく。知世と空來がそれに続くので、静來たちもそのあとを追うことにした。
次回は明日、十三時に投稿します。




