8 余暇と娯楽に馬が鳴く
翌朝の早乙女邸は昨日よりやや騒然としていた。玄関前では余所行きの格好の岳が老年の使用人にネクタイを整えられながら、そわそわと心配そうに知世を見る。
「や、やはり今日の仕事はキャンセルしたほうが……」
「もう! お父様ったら、大丈夫よ。知世にはみなさんがついていてくださるもの。安心してお仕事なさって!」
岳の言葉を恥ずかしそうに切り捨てる知世のうしろで、勇來が笑う。
「そうそう、心配しなくても、お嬢の身の安全は俺たちが保障するんで。なんも気にしなくていいっすよ」
「しかし……」
「パーパ! ほら、もう列車が来ちゃうわ。急いで急いで!」
「ほ、本当の本当に大丈夫なんだな? 明日には帰るから、みなさんの言うことをちゃんと聞くんだぞ! 知世!」
「わかってるってば!」
出発を渋る岳の背中を玄関から追い出すように押す知世。老年の使用人は呆れ笑いのまま岳の荷物を持ち、付き添いとしてそのあとに続いた。雅日や浅葱をはじめとした数人の使用人と知世、そして勇來たちに見送られて、岳は何度も屋敷を振り返りながら駅のほうへと出かけて行く。
「もう、パパってば、いくつになっても心配性なんだから」
「それはあなたがいくつになっても心配させるからでしょう」
静來の言葉は辛辣だ。知世はいじけたようにむくれるが、すぐに悪だくみするような含み笑いをした。
「……さて、今日はパパがお仕事でいないことだし、みんなで遊びに行きましょう!」
「僕、知世ちゃんパパがいつまでも心配症な理由がわかる気がする」
「だって私、歳の近いお友達と一日遊んだことってないのよ。パパに黙ってこっそり家を抜け出すことは、今まで何度もあったけど、それでも短い時間だけだったし……」
「意外と悪いことしてるね」
「ま、いいんじゃないか? 俺たちが一緒なら心配ないだろ。な、静來」
勇來は静來に意見を求める。静來は少し考えてから頷いた。
「……そうですね。今回は、それが私たちの本来の仕事なんですし。でも、せめて一人くらいは、お屋敷の誰かが一緒のほうがいいです。あの様子からして、岳さんは帰ってきたら今日一日の報告を求めるはずですから。私たちだけでなく、屋敷の人間も付き添っての外出だったと聞けば安心するでしょう」
「やった!」
「探偵、そういうことで構いませんか?」
「ああ。その間の采配は風音静來に一任する。しっかりやることだ。帰るころには連絡を寄越すように」
「わかりました」
「探偵さんはご一緒してくださらないの?」
「私は他にすることがある。闇祢零羅も同行できない。そちらはそちらで楽しめばよかろう」
さびしそうに見上げてくる知世に、探偵は手をしっしっと振りながらそっけなく返す。残念そうにため息をつく知世だが、すぐにまた探偵を見上げた。
「じゃあ、帰ってきたらまた私とお茶してくださいますか?」
「好きにしろ」
「やった! 約束いたしましたわ。必ずご一緒してくださいな」
知世の機嫌がなおったところで静來が使用人たちを見渡す。
「では付き添いは……そうですね、浅葱さんにお願います」
「私、ですか? お言葉ですが、私では皆様のお付き添いを仰せつかるには、いささか力不足かと……」
「いいえ、ご心配なく。知世の身辺警護はもとより私たちの仕事ですから。形だけで構わないので、引率として同行してもらいます。いいですよね、雅日さん」
「え? ええ、お引き止めする理由はございません」
「それとも、なにか引き受けられない理由でも?」
「……かしこまりました。謹んでお受けいたします」
「さっそく準備してくるわ。すぐに戻るから、少しお待ちになって!」
知世がぱたぱたと部屋に向かって駆けていく。探偵と零羅も屋敷の奥に引っ込んだが、雅日は見送りのためにその場に残っている。勇來がふと静來に尋ねた。
「そういや、零羅の役割って結局なんなんだ?」
「露臥みたいなことですよ」
零羅は視力強化の能力を活かして、高台から周辺一帯の見張りをしているのだ。常に町全体を見ているので、どこかでなにか怪しい動きがあればすぐに気が付く。彼の目でなければ務まらない役目だ。ブリーフィングでは無口なままだったが、探偵への活動報告についてはその都度おこなってあるらしい。露臥というのは、ロワリアで常に今の零羅と同じようなことをしているギルド員だ。勇來はその説明で納得したらしい。
「なるほど。だからずっと単独行動なのか」
「少なくとも前線に立つタイプではありませんからね。彼はあくまで私たちのサポート係です」
「僕も前線に立たない……っていうか前に出て来ちゃいけないタイプなんだけど。そもそも戦えないし。ぶっちゃけこの中でまともな戦闘要員って静姉と勇兄と來亜くらいじゃないの?」
「あ、俺ナチュラルに外されたね?」
「だって秋人もほとんど戦えないじゃん。秋人の能力って、めちゃくちゃ生命力あってしぶといだけなんでしょ? ついでにちょっと力が強いだけで」
「まあたしかに、俺を頼りにされても、むしろ俺のほうが不安なくらいだけど……」
奥のほうで音がした。ぱたぱたと軽そうな足音が近づいてくる。動きやすそうな服に着替え、身支度を整えた知世が戻ってきた。
「お待たせ!」
「知世、遊びに行くのはいいんですけど、どこに行くつもりなんですか?」
「そうね、まずは……ちょっとした運動かしら」
「お、運動。いいね」
「勇兄が想定する運動量に届くことなのかどうかはわかりませんけど……じゃあ、行きましょうか」
知世の案内でやってきたのは、町から少し離れたところにある海の近くの静かな馬場だった。話によると、知世は数年前から、よくここで乗馬の練習などをしているらしい。馬場の経営者が岳の古い友人なのだとか。なので、あとになって知世が今日一日を外で過ごしたことを岳が知っても、ここに来たという話を出せば安心するだろうと。なにも考えずワガママを言っているように見えて、知世は知世なりに考えているらしい。
「乗馬は好きなのだけど、最近はパパがなかなか連れて来てくれなくて」
「知世ちゃんって乗馬できるんだね」
「あんまり上手じゃないのよ。最初のうちは怖くて、ただ座るだけでもやっとだったの。お馬さんって、近くで見ると思ってたより大きいじゃない? 乗ったときの高さに慣れるだけでも、すごく時間がかかったわ。それに、まだ歩かせるだけで走ったことはないのよ」
「たしかに、改めて見てみると馬って結構でかいな……俺は乗馬って初めてなんだけど。秋人たちは?」
「俺は馬から落ちたことならあるよ」
「自慢にならないですね」
「馬はない。おれのほうが速い」
「なにと張り合ってるんですか」
「て、手品に……使ったことなら、ある……」
「そ、それはそれで気になる話ですけど、乗ったわけではないんですね? 浅葱さんはどうですか?」
「私もほぼ未経験ですね」
「ほぼ?」
「はい。少年時代にほんの数回、知り合いの付き合いで体験したことがある程度ですので、できるというほどではありません。基礎は学びましたが、もうずいぶん過去のことですから、ほとんど忘れてしまいました」
「あ、僕も前に一回だけ乗馬体験したことあるよ」
「そうなのか?」
「なーんにも覚えてないけど」
「だと思ったぜ」
「頭では忘れてしまっても、案外、体が覚えているかもしれませんわ。浅葱さんもぜひご一緒に」
「ですが、私は……」
「いいじゃんいいじゃん、せっかく来たんだし」
遠慮する浅葱を空來と知世が引っ張っていく。調教師から馬に乗るにあたって必要な基礎知識を簡単に教わってから、いよいよ馬を借りる。静來たち以外にも何人かの利用者がいて、親子連れの姿もあった。
「うはーっ、実際に乗るとやっぱ高いな!」
「えっ、あの人今乗ったところだよね? もう歩いてるんだけど……勇兄ー! どこ行くのー!」
「わかんねーどこ行くんだろー!」
隣に調教師がついているとはいえ、勇來はほとんどその手を借りることなく、跨った直後に馬を歩かせている。いや、おそらく馬が勝手に歩いているだけなのだが。静來と空來は呆れたような、困惑したような微妙な笑みを浮かべた。知世は少し引いている。
「ゆ、勇來さん、本当に初めてなのかしら?」
「……まあ、あの人は感覚で覚える人ですから。もともと運動神経がよくて、体幹もしっかりしてますし……体を使うことに関しては人一倍習得が早いんですよ」
「普通に楽しんでるね。本当にどこまで行くつもりなんだろう。あれ」
「そのうち一周して戻ってきますよ」
「静姉も乗ってみなよ」
「わ、私もですか? 私は見てるだけでも……」
「せっかくだし、一回くらいやってみようよ」
空來に勧められ、手を借りながら恐る恐る馬に乗る静來。バランス感覚自体は問題なく、跨ってすぐ、馬の首元を見ている間は姿勢も問題なかったが、ふと周囲を見た途端に背中が曲がって前屈みになる。
「た、たしかに高いですね。……あ、いや、これ私ダメなやつですね。降り……あー! お、降りられない! 勇兄ー!」
「勇兄いないよ。静姉、大丈夫? 馬の上でパニックにならないでね?」
「なってませんけど動けないです。空來……いや、秋人! 降ろしてください!」
「えっ、俺? わ、わかった」
名指しされた秋人が、あわてて静來を馬から降ろす。静來はほっとしたような、あるいはどっと疲れたようなため息をついた。
「なんで僕じゃなくなったんだろう」
「空來より秋人のほうが背が高くて力も強いからですよ」
「痛いところ突かれた」
「でも急にどうしたの? 静來ちゃんって高所恐怖症だったっけ?」
「高いのは問題ないですけど、視点が急に変わったせいで、距離感が一気にわからなくなって……」
「大丈夫? 静來さん、前髪を上げてみたらどうかしら?」
「上げたところで一緒なんですよ。やっぱり私は見てるだけでいいです。空來、代わりにどうぞ」
「わかった。よいしょ。……わ、本当だ。たかーい。秋人、月! 浅葱さんもおいでよ!」
「静來ちゃんでダメだったのに、俺にできるかなあ……まあ、とりあえず乗ってみようか」
「私は静來さんのお傍にいますので、皆様でどうぞ」
「いえ、付き添いは結構です。來亜が馬にまるで興味がないみたいなので、そっちで一緒にいます。浅葱さんは行ってきてください。知世も待ってますので」
「ぼ、僕もいいよ、別に……自信ないし」
「如月くんも、やってみたら案外できるかもよ。さ、行こう行こう!」
秋人が月の腕を掴んでつれて行く。月は抵抗の悲鳴を上げているが、秋人は笑っている。浅葱も遠慮がちにそのあとに続いた。いざ馬に跨ってみると、月は最初こそへっぴり腰で馬の首元にしがみついていたが、高さに慣れてくると徐々に姿勢を整えていく。一方の秋人はずっとぐらぐらと体勢が安定しない。
「おっと、っと……バランスが、案外むずかしいな」
「坐骨で座るんだよ、秋人。まっすぐ前を見て、胸を張るように背筋を伸ばして。脇はもう少し締めるんだ。ふくらはぎを馬のお腹につけて。肩の力を抜いてごらん」
「え、こ、こう? 詳しいな、浅葱」
「詳しいもなにも、さっき教えてもらったことだよ……聞いてなかったのかい?」
「い、言ってたっけなあ、そんなこと……言ってたような気がしてきた……」
「月、大丈夫? そんで浅葱さんはしれっと乗りこなしてるし」
「それは私自身もおどろいています。やはり、身体が覚えているのでしょうか。少し緊張していますが……」
「さすがは雅日さんお墨付きのなんでもできる男だな」
「なんでもは言いすぎだよ。君に褒められると調子が狂うなあ……」
「あら? 秋人さんと浅葱さん、いつの間に仲良くなられたの?」
「あ、それは、えっと……実は昨日、二人でちょっとだけ話す時間があって……ほら、俺と浅葱は歳が近いからさ。お互い仕事とか抜きに、普通に気軽に話せる相手がほしかったところだし」
「えー? 浅葱さんはともかく、秋人は僕らにめちゃくちゃ気軽だし気安いじゃん」
「それはそうなんだけどね?」
「でも、お友達が増えるのはとってもいいことだわ!」
「それもそうだねー。浅葱さん、秋人だけじゃなくて僕らにも普通に話していいのに」
「旦那様の大切なお客様ですので、そういうわけにもいきません」
「マジメだねー」
「浅葱の敬語がどうとか言うなら、空來くんのほうが敬語使うべきだと思うけど……静來ちゃんの礼儀正しさを見習おうよ」
「静姉はタメと年上で使い分けるのがめんどくさいから全部敬語なだけだよ」
「えっ」
「僕もう降りていい……?」
「大丈夫だよ、月。秋人ほどふらふらじゃないし……あれ、あれれ、どこ行くのー?」
「し、知らない! 勝手に歩いてる! どうやって止めるの! ねえー!」
「あらら、勇兄と同じことになってるや。いってらっしゃーい」
「如月くんがあんな大声出してるの、昨日の手品ショー以来だね。さあさあお立合い! って」
「あー、仮面着けた途端に陽気になっちゃうやつ? あれびっくりするよね。僕は噂だけなら聞いてたんだけどさ。やっぱいきなりだとちょっと引く」
「月さんはいわゆる……二重人格? というものなのかしら」
「あのあと教えてもらったんだけど、月って普段は人目を気にしすぎるから目立つことはできないけど、他人の視線を遮断できるなにかで顔を隠しさえすれば、大道芸人に相応しい自分になれるんだってさ。ショーを開くときはだいたいああらしいよ」
「その理屈はよくわからないけど……仮面着けると人が変わっちゃう子っていうのはわかったよ。っていうか、如月くんほっといていいの?」
「一周まわってそのうち戻ってくるよ」
「馬のほうも人を乗せるのに慣れているからね。ゆっくり歩いているし、体勢を崩さない限りは落馬の心配も――」
「わーっ!」
「あっ、秋人が落ちた!」
次回は明日、十三時に投稿します。




