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異世界交流ファンタジー

   第八章 メカに頼った馬鹿もいる


 十月も半ばを過ぎ、舞光祭の準備で校内はざわついていたが…十二月に重要な大会を控えたバスケ部と女子バスケ同好会は練習を休めない。

 「天野くん、僕と一対一が多かったからかなあ…ドリブルは良くなってきたけど、パスなんかが全然できていない。基礎から叩きこんだ方がいいぞ」

 「くっそー、いっつも飛島先輩に先を行かれてる!悔しいなあ」

 「しょうがないでしょあやめ、そもそも一つ上の学年なのよ」

 「…くっ!何か今俺、(ウー)の気持ちがすっごくわかるようになったぜ…」

 一人呻くあやめ(サイキ)である。

 「後、ダンクができるからって、シュートをそれっきりにするのは良くない。レイアップシュートなんかも練習しないと」

 「う、うるさいなあっ!なかなか精度が上がらないんだよ!もう一度勝負だ飛島先輩!今度こそ負けねー、何が何でも負けねえ!」

 そう言って彼(?)はまずドリブルからはじめる。

 (…私、どっちを応援するべきなんだろうか)

 まあ「親しい」のはあやめ(サイキ)だけど…と楓は考えてはみた。

 (でも飛島先輩は、この間交際を申し込まれた間柄だし…応援しないと悲しませちゃうかも)

 余計な気を回し過ぎかな、と思いつつもそう考える。

 (やっぱ先輩かな、応援すべきなのは)

 声を上げかけて…また考えこんでしまった。

 (えーと、『飛島先輩がんばってー』かな、いや『がんばってくださーい』の方がいいか…)

 楓が色々悩んでいると、取られたボールに飛びついたあやめ(サイキ)が派手にすっ転んだ。

 「サイキっ!」

 思わずその単語が口からこぼれてしまう。

 「あ、しまった…」

 「…『サイキ』って?」

 たまたま近くにいた澄池が不審そうな声音で聞いてきた。

 「あ、あの…あやめのことです。前に住んでいた所ではそう呼ばれてたらしくて」

 我ながら苦しい説明だとは思う。

 「あ、そう言えば彼女帰国子女だって言ってたわね」

 あっさり納得してくれた。

 その間にも。

 「ちくしょー!負けたくない!俺は…俺は飛島先輩にだけは、絶対に負けたくないんだっ!」

 (何であんなに対抗意識燃やすのかしら…)

 考えてみたが、答えは出なかった。

 (バスケットの実力じゃかないっこないのにね)

 と同時に。

 (でも、いいことよね。サイキが『負ける』のって)

 そうも、思う。

 (いつもの『戦闘』じゃ、負ける訳にはいかないけど…負けることも必要よね、サイキには。それがスポーツでならいいことだわ)

 「どわっ!」

 飛島にフェイントをかけられ、またあやめ(サイキ)が派手にすっ転んだ。

 「サイキっ!」

 …そう頭でわかっていても、彼(?)のピンチとなるとつい声は出てしまう。

 「痛てて、すりむいちまった」


 「岡谷さん、岡谷さん」

 練習が終わって、それぞれ汗を拭いたり片づけをしている中、飛島が楓に声をかけてきた。

 「もうすぐ、舞光祭だね」

 「そうですね…」

 何を言われるのかと思わず身構える楓に、飛島は優しい目を向けた。

 「舞光祭、僕と一緒に歩かないかい」

 「え!?でも…」

 「いや、無理にとは言わないけど…それとも、他に一緒に歩きたい人でもいるのかい?」

 「え、そ、それは…」

 一瞬誰かさんの顔がよぎったが、

 「いえその!大丈夫です、二日目は清掃当番があるんでそれ以外なら」

 そう、答えていた。

 「じゃあ…三日目に、迎えに行くよ。楽しもうね」

 「は、はい…」

 蚊の鳴くような声で、彼女は答えた。


 その日の夕食後、青葉寮の舎監室。

 「よーし、採点はこれで良し、と…」

 樹は今日の授業で出した小テストの採点を終え(最低点はともかく、最高得点ですら五十点行っていないことは内緒)、研究所長として送られて来た書類を処理しはじめた。

 ものすごい勢いで目を通し、決裁していく。彼が、「彼方の地」との交流計画責任者でありながら同時に舞鳥学園で監視役をやれる理由はここにあった。両方問題なくこなせるため文句のつけようがないのである(教師として完璧に、というか問題なく仕事ができているかどうかはともかくとして)。

 「さて、明日の授業は…っと」

 書類仕事を終え、明日の準備に入った。

 「どうしてみんな、僕の授業の間嫌そうな顔をしているんだろう…」

 樹は、わかっていない。

 豊かで幅広い知識、優れた分析力と判断力…非常に有能な、いわゆる「頭の良い」人物であるのは彼を知る誰もが認めていた。

 しかし、彼にはただ一点、特に今彼が表向き勤めている「教師」という職業には致命的とも言える欠点があった。

 ―どういう訳か、彼には「普通、人は自分ほど頭が良くはない」ということが感覚としていま一つ、いやいま三つほどつかめていないのである。

 従って、生徒たちに「わかる」ように教えるということがまるっきりできていない訳で…このような教師が生徒からどのような目で見られるかは、おわかりだろう。

 彼が頭の良さを鼻にかけたり、意地悪をしているのではないこと、いやそれどころか悪意の欠片もないことは何ヶ月もつきあっている生徒たちはわかっているのだが、人気がワースト3に入っているのは当然の話だった。

 余談だがそんな中、よく樹と話をしているのが目撃される(本人たちは隠しているつもりなのだが)楓とあやめ(サイキ)は、他の生徒たちから関心と呆れが混ざった目で見られていた。―特に、成績がトップクラスの楓はともかく、あやめ(サイキ)がタメ口で樹と喋っているのは驚きをもって噂されていた。…と言っても、彼(?)は他の教師に対しても似たような口調で話そうとして楓に殴り倒されているのではあったが。


 時間は少し遡るが、舞鳥市のどこかにある「蒼の組織」では。

 「ううッ、誰かサイキにぶつけるのに都合のいい奴はおらんのか…ッ」

 (ウー)は椅子に座りながら、頭を抱えていた。

 「あいつらを呼び寄せるかッ、いやしかし…ッ」

 「チョビにまかせてっ」

 「うおッ!?」

 いきなり目の前に少女の顔が突き出され、(ウー)はうろたえる。

 「チョビ、いい『しかく』連れてきた。おいでー」

 チョビの声に応じて、謁見の間に入ってきたのは。

 「あれかッ…」

 小柄な、白を基調にしたセーラー服の少女だった。

 「またこんなのかッ」

 「この子、隠密行動用の生体兵器。名前はポチ。とてもいい名前」

 「ポ、ポチ…」

 「わたくし、ポチと言う名前なのです。チョビお姉さまにつけてもらいました」

 ポチと呼ばれた少女は、にっこり笑ってそう言った。

 「ポチ、暗殺者(アサッシン)タイプで潜入のプロ。小さいからどこにでももぐりこめる」

 (あんまり身体の大きさは関係ないんじゃないのかッ)

 内心(ウー)は思ったが、口に出すのはやめておいた。

 「(ウー)、次の『しかく』はポチでいいか?」

 「うーん…どう働いてもらうかなッ」

 (ウー)としては、あやめ(サイキ)の寝首をかかれても困るのである。

 「じゃ、サイキを痛めつけてやって、ポチ」

 彼が悩んでいる間に、チョビはどんどん話を進めていった。

 「はい!ポチはチョビお姉さまの言うこと、何でも聞くのです!いくらでも命令してくださいなのです!」

 「ポチ、いい子。言うことを聞いたらいくらでも頭なでてあげる」

 「はい!まかせてくださいなのです!」

 (大丈夫かよ…ッ)

 (ウー)はそう思うが、口に出せない。

 「それでは、行ってまいりますなのです」

 妙な丁寧言葉で別れを告げ、ポチと言う名の少女は謁見の間を出ていった。

 「おいッ、本当に大丈夫なのかッ」

 「大丈夫。ちゃんと『ちょーせー』されてる。チョビとおんなじ」

 「…」

 それが信用できないんだッ、とは言えない(ウー)である。


 その夜中。

 「覚悟しなさいなのです…」

 ポチは一人、物音も立てずに若葉寮に忍びこんだ。

 もちろん出入口の食堂には鍵がかけられ、隣の青葉寮には舎監(樹だけど)もちゃんといてそれなりに警備はされているのだが…潜入に特化したポチには何でもない。

 「サイキ、サイキ…あっ違った、『天野あやめ』と名乗っていると聞いたのです…」

 こそりとも音を立てず…。

 「ややこしいのです」

 立…てず…。

 「あまのあやめ…ここなのです」

 …呟きだけは残して、ポチはあやめ(サイキ)と楓の部屋に侵入した。

 「さーサイキとやら…チョビお姉さまの敵となれば容赦しないのです。覚悟するですよー…」

 そんなことを言いつつ、ポチは二段ベッドの下で眠るあやめ(サイキ)に近づく。

 「ふふふ、行くのですよー」

 布団を半分はいで、足を突き出したりしながら寝ている彼(?)に、忍び寄って(?)いくポチ。そこに…。

 「また来やがったかー!」

 むくりと起き上がったあやめ(サイキ)の拳がヒットした。

 ばふっ。

 「きゃうん!?」

 ポチは後ろに吹っ飛ばされた。たまたま背後にあったごみ箱が倒れ、中身が撒き散らされる。

 「ちくしょーまたかよ…いいかげんにしろよ」

 寝ぼけ眼で彼(?)が呟き、ぱたーんと倒れた。

 「くっ…さすがサイキ、夜中でも隙は見せないのですね…」

 その時、上のベッドから。

 「そこにいるのはわかってるのよ…」

 楓の声が聞こえた。

 「っ!?」

 その声がもにゅもにゅと不明瞭で、全くの寝言だというのは…日頃の彼女の声を知らないポチにはわかるはずもなく。

 「くうっ…さすがは数々の刺客を退けてきた『戦士』、寝こみを襲ったら有利だと思いましたが大違いなのです…」

 ようやく立ち上がったポチは呻いた。

 「それに楓とか言う女も…あなどれないのです。サイキのおまけと思ったら大間違いなのです」

 呟きだけを残して、彼女は部屋を出た。

 「やはり寝こみを襲うのはやめといた方がいいのです」

 ポチは暗闇を駆け抜けた。

 「今度は人数を揃えて、リベンジするのです…」


 朝になって。

 「おっかしいわねえ…」

 楓は部屋の隅で、首をひねっていた。

 「どうした、楓ー?」

 「ここのごみ箱が引っくり返ってるの。寝た時にはしっかり立ってたのに…サイキ、寝ぼけて蹴っ飛ばしたりしてないでしょうね」

 「いや、俺確かに時々寝ぼけて暴れたりしてるけどさ、ベッドの外には出てることないぜ」

 「じゃあ何で引っくり返ってるのかしら…」

 まあ悩んでも答えは出ないので、二人は朝飯のために部屋を出た。

 「あ、おはよう」

 ちょうど鹿乃子(カノコ)も由布子も廊下に出てきたところだった。

 「お、カノコどうした?寝不足か?」

 「ちょっと、夢見が悪くて…」

 鹿乃子(カノコ)は少し顔色が悪かった。

 「そんなに嫌な夢見たのか」

 「…ちょっと」

 楓は由布子に聞かれないように、鹿乃子(カノコ)を引き寄せて囁いた。

 「もしかして…夢のお告げとか、そんなのじゃない?」

 「そうかもしれませんが…」

 鹿乃子(カノコ)は眉を寄せた。

 「だったらもう少しわかりやすく伝えてくださると思うんですよね、我が『茶の鹿』は」

 「確かに…」

 「ねえ、先に行ってるわよー」

 待たされたままの由布子が、不満げに言う。

 「あ、ごめん」

 これでこの話は後回しになった。


 一方、三時間ほど後の「蒼の組織」アジトでは。

 「どういうことだッ!」

 (ウー)はチョビに向かって怒鳴っていた。

 「あ、あいつッ!ポチとか言う奴ッ!戦闘員引き連れて、車に何か積みこんで出ていったぞッ!何をする気だッ!」

 「寝首をかくのにしっぱいしたから、正攻法にきりかえたって言ってた」

 チョビは臆する様子もなく、答えた。

 「どうする気だ…ッ」

 (ウー)はそう呻くことしかできなかった。


 しばらく後、お昼時も近い頃。

 「この年齢になると辛いのう」

 文句を言いつつ、舞鳥学園への坂を登る女性が一人。

 「ほんにきつかよ」

 タクシーを呼ぶなどという発想はないらしい。

 校門の前で、一言。

 「ここにいるとは聞いたが…ほんとがね、こげな所に」


 その頃…。

 「はー、食った食った」

 お昼休み、食堂で昼食を済ませた楓とあやめ(サイキ)は、腹ごなしにぶらぶら歩いて校門近くに来ていた。

 「お、テニス部はお昼も練習か」

 校門と昇降口の間にはテニスコートがあり、硬軟両テニス部がそれぞれにボールを打ち合っている。

 「もうすぐ三年生は退部だからな」

 食堂で一緒になった(ただし彼は弁当を食べたのだが)野本が笑って言った。

 「こないだの剣道の大会、がんばったよなー俺たち」

 「先鋒の俺が一人でがんばったんじゃないか」

 「俺、次鋒なのに出番なかったよー」

 十月半ばに行われた剣道の大会で、先鋒の野本が一人で決勝まで闘ったのである。

 「サ…天野、最近こっちの練習してないからさ。回すと心配だったんだ」

 「だからって全部がんばることないじゃないかー。…あれ?」

 文句を言うあやめ(サイキ)がふと校門の方に目をやり、呟いた。

 「あのおばさん、何だ?」

 そこにはぜいぜいと息をつく年配の女性がいたりする。

 「学校まで、あの坂登ってきたんだ…」

 学生でもしんどい思いをするというのに、大したものだと楓は思う。

 「あの女の人、何か用事かな」

 「PTAの人?うーん、でもちょっと年齢が行ってるかなあ」

 三人で首を傾げている間に、

 「樹を呼んできんさい。早ぐ!」

 「い、樹…海原先生のことですね、わかりました」

 コートの端っこで練習していた硬式テニス部の部員が捕まり、否応なしに走らされていた。

 「…今、『いつき』ってあのおばさん言ってたよな」

 「樹さ…海原先生の関係者なのかなあ」

 「どうしたんだい?…え!」

 そこに、テニス部員に引っ張られてやってきた樹が、顔色を変えた。

 「母ちゃん!?」

 独特のアクセントで叫ぶ。

 「『母ちゃん』って…お母さん?樹さんの!?」

 一同が驚く中、

 「母ちゃん!?どしたんだ、連絡もなしにこっちに来て…」

 「どしたんだと聞ぎたいのはこっちだべ樹っ!」

 母子の押し問答が続いていた。

 「樹!あんだこんな所で何してるがね!東大首席で卒業して文科省にトップ合格したって言うから安心しとったのに、なしてこんな小さな街で私立高校の教師なんてやっとるのか…クビにでもなったんかい?」

 「いや、これには色々と訳があってだな、落ちついてけれ母ちゃん…」

 「茶飲み友達が舞鳥市にたまたま旅行しててな、ここであんだを見かけたって言われだもんで問い合わせたら、私立高校の教師ばやっとるって言われで」

 (あー、そりゃ確かにそう言うわなあ)

 極秘扱いの「異世界との交流計画」を打ち明けるぐらいなら、実際に勤めている舞鳥学園の名前を出すだろう。

 「来てみりゃあれまあ本当でねが!公務員やめたらやめたで、ちゃんと報告しんさい」

 「んだども母ちゃん…」

 「んだどもで()。母ちゃんにわがるように説明しんさい」

 (い、樹さんってけっこうなまってる人なんだ…)

 意外な一面を見たなーっという気になる。

 「樹さん大ピンチだなあ。どうする?」

 「事情を話す訳にもいかないだろうけど…とにかく助け船を出してみよう、何とか」

 「それもそうだな。…おーい、いつ…う、海原せんせーい」

 「あ、天野くんに岡谷くん…」

 振り向いた樹は、明らかに助けを求める視線をこちらに向けてきた。

 「ここの学生さんかね…」

 その時。

 「みんな!」

 鹿乃子(カノコ)が一同に駆け寄ってきた。

 「ん?どうした?」

 「―すごい敵意を、感じるんです」

 青ざめた顔で、少女が呟いた。

 「昨日の夢に見たのと同じ…でもはるかに強い、むきだしの敵意が坂の下から近づいてきます」

 「『精霊の力』は感じないけどなー」

 「でも、危険は近づいています」

 鹿乃子(カノコ)はきっぱりと言った。

 「…チョビとか、かもしれないわね。彼女の場合は『精霊の力』は関わらない訳だし」

 「だとすると、ここで迎え撃つ方がいいか…樹さん!」

 「わかった。みんなを校庭に避難させて、校舎前で迎え撃とう」

 すぐに察した樹は、校舎三階の放送室へ駆け上がろうとして…固まった。

 「樹、何しとるがね!」

 樹母が行く手に立ちはだかっていたのだ。

 「母ちゃんも早ぐ校庭に避難してけろ」

 「あんだ何危ないこどに関わってるんだ」

 「これが今の僕の仕事だ。やらなきゃいげないことがあるんだで、母ちゃんはみんなど一緒に逃げてくれえ」

 「…わがった。くれぐれも怪我せんようにな」

 彼女はそう言い置くと、校舎を大きく回って校庭に向かった。

 「よし!」

 樹はその背中を見送って、昇降口に駆けつけて階段を駆け上がった。


 その頃。

 「さあ、行くですよー」

 車を何台も連ねて、ポチはわくわくした顔で先頭に立ち、坂を登って行く。

 「今度こそ覚悟するですよ、サイキー」


 少し後に。

 「学園内のみなさん。ガス漏れ事故が発生しました。ただちに校庭へ避難してください」

 放送室から樹の声が学園全体に響き渡った。

 「わあっ!」

 校舎内がざわめき…しばらくすると学生たちが次々と出てきた。不安げに校庭に向かう。

 「さっすが教師、手馴れたもんだぜ」

 テニス部員たちも校庭に向かい…樹が放送室から降りてきた。

 「俺も闘う!でも…どうしたらいい?」

 一度姿を消し、駆け寄ってきた野本の手には、いつぞやあやめ(サイキ)が使った木刀がしっかり握られていた。

 ―そこへ、坂を登りきった「蒼の組織」一同が現れた。

 「きーっ!サイキ、許さないのです!」

 先頭の車から、そんな声が聞こえる。

 「ねえ、何かあなたに怒ってるけど…」

 「聞いた覚えのない声なんだけどなー」

 その間にも車からはどんどんと戦闘員が降り立ち、こちらに向かって来る。

 「行くぜっ!」

 その中に、あやめ(サイキ)が飛びこんだ。向こうが武器を構える前に、殴り飛ばす。

 「―サイキ!いいですか、『付与』を左拳にまとわせ続けてください!」

 ユーリが駆けつけてきて、そう叫んだ。

 「は!?」

 「良くわかんねーけど…わかった!」

 後ろで目を白黒させる楓を尻目に、あやめ(サイキ)は周りの戦闘員にまず右拳を振るったが、あまり効いていない。

 「じゃあこっちで…!」

 彼(?)はさっきから―訳もわからずに―銀光をまとわせ続けた左拳を振りかぶり、叩きつける―と、

 「炎よ!」

 ユーリが吼えた。

 ぼんっ!

 音と共に、左拳の銀を包みこむように炎が現れ、そのまま戦闘員の身体にめりこんだ。

 「ぐわあっ!」

 戦闘員は吹っ飛んだ。衣服は焼け焦げている。

 「すごい…」

 「ええ、炎の楯の応用で、サイキの拳にさらに炎をプラスしてみました。ただ僕の身体から離れているので、彼が火傷しないかどうか自信がなかったんですが」

 「それで『付与』を使ってバリアみたいにしたんですね」

 後ろでそんな会話がなされている間にも。

 「こっちに来ますっ!」

 あやめ(サイキ)のワントップでは、大勢を相手にはできない。乱戦を脱け出した一人が、楓たちに向かってきた。

 「ここは俺が!」

 その前に、木刀を構えた野本が立ちはだかる。

 「行くぞ!でも…」

 「いいから!野本はそいつを木刀でぶん殴っとけ!」

 戦闘員を殴りつつあやめ(サイキ)が呼びかけた。

 「お、おお」

 「ユーリ…先輩!()()をやってくれ!」

 「え、()()ですか?―わかりました!」

 一瞬問い返したものの、ユーリはすぐに納得した表情になって集中する。

 「よし、構成完了!―炎よ!」

 ユーリが叫ぶ。―と、戦闘員をぶっ叩いている野本の木刀に炎が湧き上がって絡みついた。

 「ぎゃっ!?」

 当然、殴られている方には炎がぶち当たってくる訳で…。

 「熱ちちちちっ!」

 男は悲鳴を上げて逃げていった。

 「…すごいなあ、ほんとに常識外れだよこの人たち」

 木刀を手に、呆然と野本が呟く。

 「まあ、そう何回もできませんけどね。木刀は燃えちゃいますし、僕の精神力がもたない」

 実際、炎が絡みついた木刀の表面はうっすらだが焦げていた。

 やがて…。

 さんざんに痛めつけられた戦闘員たちは退却し、車の後ろで様子をうかがいはじめた。

 「何だよ、もうギブアップかー?」

 「―違うのです。いよいよ真打登場なのです…」

 さっき「きーっ」と言っていた声が響いた。

 「ポチの登場なのです」

 車の後部から、姿を現したのは…「ポチ」と名乗る少女だった。

 しかし、その姿は昨夜(楓たちは見ていない訳だが)とは大きく異なっていた。

 「覚悟するですよー」

 全身を…

 「パワードスーツ!?」

 人工骨格でがっしりと包み、動くたびに駆動音が洩れる。

 「すげー、何かかっこいいなお前!」

 パワードスーツを着こんだポチはがしゃん、がしゃんと足音を立てながら、こちらに向かってきた。

 「このスーツを着たポチは無敵なのです!」

 「ほー、無敵ねえ…いーじゃん、試してやるぜ!」

 そう言うなりあやめ(サイキ)は大地を蹴り、パンチを叩きこむ―が、

 「何っ!?」

 装甲で覆われた右手が、がっちりとその一撃を受け止めていた。

 「ちっくしょー…これならどうだ?」

 彼(?)はその体勢から身体を回転させ、強烈な後ろ回し蹴りを放つ。

 しかし。

 「うわ痛ってっ!」

 鋼鉄の柱を蹴ったようなもんである。ぴょんぴょん跳ねて痛がるあやめ(サイキ)に対し、ポチは涼しい顔だ。

 「うー悔しいー」

 ぱっと距離を取った彼(?)は、左手を大きく振った。

 と。

 その手から銀の光条が何本も放たれてパワードスーツの表面ではじける。

 「サイキっ!」

 「できた!できたぞ『憑依』なしの羽手裏剣!」

 「また変な技を使ってきたのです…でも効かない、なのです!ポチに倒されるのです、サイキ!」

 外骨格は、装甲の役割も果たしていた。いくら殴っても中のポチには全くダメージが通っていない。

 「くっ…じり貧かよ!」

 逆に、繰り出される鋼鉄の拳は、生身のあやめ(サイキ)が食らったらえらいことになりそうなパワーを秘めていた。今のところぎりぎりで避けられているが、このまま疲れてくれば危険だ。

 「いいかげん倒れなさい、なのです!」

 右拳がぶうん、と振るわれ…のけぞってかわすあやめ(サイキ)の身体の向こうに、

 (あれは…)

 ちょうどリュックサックを背負うように、金属製のパーツが取りつけられているのが見えた。

 「もしかして…」

 楓ははっと気づき、叫ぶ。

 「サイキ!背中よ、背中を攻撃して!」

 「わかった!」

 彼(?)の羽手裏剣が、左手から放たれてカーブを描き、次々とパワードスーツの背中、そこに背負われた機械に命中した。

 すると。

 「動け!動けなのです!」

 背中のパーツから激しく火花を散らしながらスーツはばたんと倒れ、まるっきり動かなくなった。ポチがじたばたしてももう外骨格はぴくりとも動かない。

 「やっぱり、動力とか供給してたのあのリュックなんだ…」

 「こうなってくると、どんなに強くても宝の持ち腐れだなー」

 その通り、パワードスーツは今やポチを閉じ込める人型の牢獄と化していた。

 「だ、出してくださいなのですー!」

 「やれやれ…よっ、と」

 あやめ(サイキ)は動かないパワードスーツの中に手を差し入れ、ポチを引っ張り出した。

 「もう、闘えないだろ?」

 「サイキお兄さま…」

 ポチは顔を赤らめた。

 「チョビお姉さまも素敵ですが…サイキお兄さまも素敵ですわ。ああ、ポチは一体どうすれば…」

 ポチが悩ましげな表情を浮かべた時。

 「おおっと」

 「きゃっ、ですよ」

 彼女がスーツに足を取られて転びかけ、あやめ(サイキ)が支えようとして―

 「うわっ」

 彼(?)の胸に顔をうずめてしまう。

 「あら?柔らかい…」

 ポチは顔色を変え、あやめ(サイキ)の胸をわしゃわしゃと探った。

 「胸がある…サイキお兄さまは『女』ですの!?」

 スカートなんぞは目に入っていなかったらしい。

 「まあ、外見はなー」

 「そ、そんな!?女なんて…ひどすぎなのですよー!」

 「はあ!?」

 何を言っているのかわからない一同に、ポチは一方的に文句を叩きつける。

 「ポチにも素敵なお兄さまができたと喜んだのにー!女だなんて、女だなんてひどすぎなのです!」

 このへん、妹分を名乗るだけあってチョビとそっくりであった。

 「うわああああん!」

 逃げる所も。

 もちろん戦闘員たちも車に乗り込んで慌てて逃げ出していた。

 後に残されたのは、パワードスーツの残骸のみ。

 「やれやれ、エージェント呼んで何とかしないとな」

 そう呟く樹の背後に、近づく者があった。

 「大変だったようでねか、樹」

 「母ちゃん!?」

 「母ちゃんにはあんだが何してるのかはわがらねえ。だども、一つわがったこどがある」

 ここで樹母は、はじめてにっこり笑った。

 「あんだは、本気で今の仕事をしてるってこどだ」

 「母ちゃん…」

 「真剣に、本気に仕事をしているなら、母ちゃんにあんだを責める理由は()。しっがり励めよ、樹」

 「…ありがど、母ちゃん」

 樹はやっとそう言った。

 「じゃ、身体に気いつけてな」

 それだけ言うと、小柄な姿はゆっくりと遠ざかって行った。

 「母ちゃん…」

 樹は一言呟き、エージェントに連絡を取りはじめた。


 その日の放課後。

 校舎内の生徒指導室で。

 楓は、緊張しながら座っていた。

 その眼前では、進路指導の山本先生がにっこり笑っている。

 「岡谷さん…偏差値、少し下がってますよ。もっとがんばれるはずですからね、身を入れて学んでください」

 「…はい。わかりました、がんばります…」

 まさか古代文字に力を入れすぎたとも言えない楓だった。


   第九章 キンキラキンの馬鹿もいる


 十月下旬…いよいよ来週は舞光祭本番である。学生たちは半日授業、半日準備というスケジュールで動いていた。…ただし熱心なクラスやサークル、特にその中の寮生などは夜かなり遅い時間まで準備に充てる者が多く、教師によっては注意する者もいたが、まあ大体は大目に見られていた。

 「ねえ楓、クラス展示のことだけど…」

 お昼休みの食堂で、由布子が話しかけてきた。

 「最終チェックお願いできる?あたし他に()()忙しくってさあ…楓ならサークルもないし」

 「それはいいけど…」

 そう答えた時、楓は気づいた。

 由布子が妙な笑みを浮かべていることに。

 目を合わせようとするとさっと視線を外し、ますます笑みが深くなる。

 「どうしたの、由布子?にやにやして」

 「あ、何でもないのよ、何でも」

 (何か隠し事がありそうだけど…)

 楓は首をひねったが、特に隠し事をされそうなことも思い当たらない。

 (…サイキのことかな)

 と思ってもみるが、それでも思いつかないので、

 「まあ、いいわ」

 そこで思考を切り上げた。

 「…あやめちゃんは女子バスケの方で使われるみたいだし…」

 …と思ったら、由布子の方から話を振ってきた。

 「剣道部は人数足りてるしね」

 「女子バスケ同好会は色々と大変だから、楓も応援してあげてね」

 「そうなんだ…」

 「澄池先輩、一年の時に何としても女子バスケ同好会を作るんだってがんばって…その頃は二年だった三年生の先輩方まで巻きこんで、何とか同好会を起ち上げたんだって」

 「あれ?でも澄池先輩って舞鳥市に住んでるんだよね?舞鳥高校は女子バスケ強いのに、何でそっちに入らなかったのかな」

 「さあ、それはあたしも良くわからないけど…」

 とにかく応援してあげてねー、と由布子は去って行った。


 女子バスケ同好会は、男子と合同で舞光祭にはバスケットボール教室を開こうと準備をしていた。

 もちろん練習も怠らない。

 「ディフェンスの練習も必要だぞ…それっ!」

 ボールを手にした飛島が、大きく伸び上が…

 「っ!」

 …ろうとしたところで動きを止め、あやめ(サイキ)の身体が反射的にジャンプしたところで、タイミングを外してシュート。

 当然、空中で身体が伸び切ったままの彼(?)にはどうしようもない。ボールはあっさりリングに吸い込まれた。

 「これがポンプフェイクというものだ、天野くん」

 「うおーくやしー!」

 床を踏みつけて悔しがるあやめ(サイキ)が、ささっと楓に近づいて囁いた。

 「うーくそー、対応できなかった…翼出せば止められたのにー」

 「やってどうするのよ」

 大問題である。

 「先輩!」

 飛島を見やって、一言。

 「もう一度!もう一度やろうよー先輩。今度は止めてみせるから…」

 「まさか本気で『やる』つもりじゃないでしょうね!」

 どごっ!

 鈍い音が、あやめ(サイキ)の脇腹で発生した。

 「み、みぞおちに、入ったぞ…っ」

 言って彼(?)がくず折れる。

 「ああ、ごめーん?そこって鍛えられなかったっけ」


 そんなこんなで。

 「はい、練習終わりー!」

 午後六時、飛島と澄池が手をぱんぱんと叩いて告げた。

 部員や会員たちは、ボールを片づけたり汗を拭いたりしてクールダウンしている。

 「岡谷さんは、クラブ活動する気はないの?」

 そんな中で、澄池が話しかけてきた。

 「うーん…文芸部とかからお誘いはあるんですけど」

 「いいものよ、打ちこめるものがあるのって」

 彼女はにっこり笑って言った。

 「どうも行く気にならなくて」

 (…サイキを放課後野放しにしたくない、からかな)

 断っている理由に、そんなことをちらっと考えた。

 (放っとくと何言い出すかわかんないし)

 「まあ、やるつもりがないなら、いいんだけど…」

 「…澄池先輩は、どうして舞鳥学園に入ったんですか?先輩が入る前は同好会もなかったんでしょう?」

 「ええ、それは…」

 澄池はちょっと顔を曇らせた。

 「家の決まりで、入ることになってたの。それは動かせないことだったから…それにね」

 笑顔を作って、彼女は続ける。

 「私が舞鳥高校に入っても、多分試合には出られないだろうし、仕方ないと思って」

 …後に、楓はこの質問をしたことを激しく悔んだが、それは先の話である。

 「それに…」

 先輩は、少し顔を赤らめた。

 「飛島くんのプレイを間近で見られるのも、嬉しいしね」

 「先輩…もしかして、飛島先輩のこと…」

 「…はじめは、憧れだったわ」

 それが、答えだった。

 「私が大好きなバスケットの才能が、あんなにあって…入学してから、ずっと見ていたわ。…ずっと」

 「それで…」

 「あなたに嫉妬するとか、そういう気持ちはないのよ?ただ…彼の視界に入れない自分が、ちょっと情けないかな、って」

 力なく笑って、澄池は楓を見た。


 『うう、(ウー)くーん、『門』が開けないよお。誰も味方になってくれないよお…』

 泣きそうな声で、定時連絡が(ウー)のもとへ入った。

 「ええいしっかりしろッ!」

 『うう、怒鳴ってばっかだよ(ウー)くん…ぼくだって(ウー)くんに言いたいこといっぱいあるんだからなあ…』

 「何だッ?言いたいことがあるならはっきり言ったらどうだッ、(コー)

 『えっと…だからね、そのう…』

 途端にもじもじする気配が伝わってくる。

 「何だ、言えないことなら問題ないなッ。とにかくッ!とにかく『門』を開け(コー)!今度ぶつける奴はサイキを苦しめそうなんだッ。今度こそそいつらが勝って、『彼方の地』に戻さなければならないかもしれないんだッ」 

 『何だよう、サイキ、サイキって。ぼくの苦労のことも少しは考えてよう…』

 「何を言う、悔しかったらもっと努力しろッ」


 次の日の朝。

 大分日も短くなってきたが、それでも夜が明けるのは学生たちが起き出すより早い。増して登校にかかる時間が0に近い寮生たちはなおさらである。さらに言うなら今日は土曜日だ。

 それなのに、

 「ほら、朝だぜ楓!いい天気だぜー起きないとー」

 あやめ(サイキ)がゆさゆさと、楓を揺らしていたりする。

 「天気予報でも一日晴れ、特に午後は快晴だって言ってたぜ!」

 「…うう…あなたは元気かもしれないけど、私はけっこう遅くまで復習してたんだからあ…」

 まあ、彼(?)は故郷では日の出とともに起きる生活なので、当然なのだが…もう少しルームメイトの寝起きを考えてほしいと思う楓だった。


 …しかし、その天気予報をほくほく顔で見ている者たちがいて、彼らがトラブルをしょって来るとは…思いもしない二人だった。

 「夜まで快晴だそうでございますね」

 「そうであるな、重畳重畳」

 そんな呟きが、洩れていた。


 「土日も舞光祭の準備だ!勉強しないでいいし…がんばろうぜ楓!」

 「無駄に元気ねサイキ…授業がないからって」

 その時―

 「これは…」

 ふっ、とあやめ(サイキ)の顔から笑みが消えた。

 「どうしたの?」

 「精霊の気配を感じる」

 「『精霊の加護を受けた者』!?敵なの?」

 「いや、それはまだわからんが…」

 そこでドアがノックされた。

 「サイキ、感じましたか?」

 開けると鹿乃子(カノコ)が飛びこんでくる。

 「ああ、もちろんカノコほどはっきりは感じてないだろうけどな。感じたよ」

 「『蒼の組織』の刺客なの?」

 「わかりません、まだ。強大な精霊の気配ではあるんですが…敵意はあんまり感じません。でも味方って訳でもなく…何というか、すっごく偉そうな気配なんですよ。世界が自分にひれ伏すのが当然、みたいな感じの。対等に接する相手がいる訳ないと思っているような」

 「何だそれ、変な奴だなー」

 とは言え、敵の可能性は高い訳で。

 「こりゃ、みんなが異変に気づく前に俺たちで何とかしないとな」

 「そうね。…ここは、校門前で待ち受けていましょう。樹さんやユーリ先輩にも連絡して」

 三人はうなずき合い、動き出した。


 学園内で事情を知っている五人が集まり、校門前で待っているうちに、黒塗りの車が道に止まり…そこから降りて来たのは。

 「何、あのキンキラキンにギンギラギン」

 黄金色に輝く(ただし、材質は黄金ではなさそうな光り方だったが)胸当てをつけた若い男と、銀をあしらった服装に身を包んだ美しい女性だった。

 黒髪に黒い瞳、赤みを帯びた肌はあやめ(サイキ)鹿乃子(カノコ)に良く似ている。

 「あの人たちは、もしかして…」

 鹿乃子(カノコ)が小さく呟いた。

 「聴け、庶民どもよ!」

 男は朗々と声を張り上げた。

 「余は『太陽と月の精霊の地』の皇子である、『太陽の大精霊』の地上における代理人である!その力をもって地上の全てに君臨せん!」

 「…確かに、むやみやたらに偉そうね」

 「エリーの向こうを張りますねえ」

 ユーリもため息をついている。

 「でもさー。お前たちだって『黒の首領』に連れて来られた訳じゃん?で、今も(ウー)の言うこと聞いて俺たちに挑んで来てるんだよなー。偉そうにしててもしょうがないぜ」

 「だだだ、黙りおろう!無礼な発言は許さぬぞ!」

 図星だったらしい。

 「とにかくっ!余こそは、いずれ祖国に帰ったあかつきには、その名も高き『四州の国』の皇帝の座を受け継ぐ者であーる!控えおろう!」

 「やーなこったい」

 「逆らう気か…では受けよ!太陽の劫罰を!」

 そう言うなり「自称皇子」は何かを取り出した。

 「あれは…」

 「石?」

 そう、丸くすべすべした、河原でよく見かけるようなごく普通の石だった。

 それを男は、真ん中が広く織られた長い紐に挟んだ。そのままぐるぐると振り回しはじめる。

 「…投石器ってやつ?確かに、すごい破壊力があるって聞いたけど…」

 「それだけじゃありません!」

 「えっ!?」

 「光が…集まっています!」

 鹿乃子(カノコ)の言う通りだった。

 「『太陽の大精霊』よ!代理人たる余にその輝きを貸し与えよ!」

 ぐるぐると振り回される度に、石が白熱した光を放っていくのがわかった。

 「石に、『太陽の精霊の力』が宿っていってるの?」

 「余に逆らう不届き者め、罰を受けよ!」

 紐の片方を放す…と、輝きを放つ石はまっすぐあやめ(サイキ)に向かって飛んで来る。

 「炎よ!」

 とっさにユーリが炎の楯をあやめ(サイキ)の前に展開するが。

 「ああっ!」

 あっさり打ち抜かれた。

 「でー!」

 あやめ(サイキ)も銀光のバリアを張るが、石はそれも貫いて…。

 「痛ってええっ!」

 彼(?)の右肩にぶち当たった。

 幸い二重のバリアのおかげでわずかに軌道と勢いが削がれ、骨折などには至らなかったが…まず間違いなく大きな痣ができるだろう。

 「二重掛けでも止まらない…!?」

 「実体弾だとしんどいですね…」

 「くっそー…」

 「ここは僕が…炎よ!」

 ユーリが叫び、炎の矢を放つ。

 「この無礼者!…うっ、熱いのであーる!」

 罵りながら、「皇子」は炎を避けようとするが…動きが遅れ、左手を炎がかすめた。

 そこへ。

 「大丈夫ですか、我が親族たる太陽の代理人よ!」

 今まで後ろに控えていた女性が、彼に駆け寄った。

 「ああ痛ましい火傷!この『皇女』たるわたくしがすぐに癒します故…『月の大精霊』よ、わたくしに加護を」

 そう言って火傷した皮膚に手をかざす…と、青白い光が放たれ、火傷は見る見るうちに治っていった。

 「すごい…あんなに早く傷を治せるなんて…」

 「こりゃ、厄介だな」

 「おお、癒されたぞ!庶民ども、再び太陽の怒りを受けるがよい!」

 「皇子」はまた石を投石器に挟み、振り回しはじめる…が、

 「何っ!?」

 ふっ、と…。

 石がまといはじめた眩い輝きが、消えた。

 そのまま石は発射されたが、

 「炎よ、楯となれ!」

 ユーリの楯にそのスピードを落とし、あやめ(サイキ)の銀光にあっさりはじかれる。

 「くっ…()()、であるか…」

 「皇子」は呻き、「皇女」とともに身を翻した。

 「余たちと闘おうとするなら、『舞鳥レジャーランド』跡地に来るがよい!待っておるぞ」

 ひたすら偉そうに男は言い、車に乗りこんだ。

 「あ、こら待てっ!」

 あやめ(サイキ)が追おうとするが…車はさっさと走り出す。

 「あれ!?方向が…」

 黒塗りの車は、普通なら下っていくところだが、舞鳥学園から上に続く―ただし、道幅はずっと狭くなっている―道を駆け上がり、木立ちの中へ消えていった。

 「何だあいつら!?」

 「あ、もしかして…」

 楓がはっと気づいて空を指差した。

 「陽が陰ったんだわ!」

 なるほど、確かに小さな雲が太陽を隠している。

 「お日さまが見えなくなったから力が使えなくなったのか!」

 「じゃあ月は?…あ、あっちに出てる」

 反対側の空に、うっすらと白く満月が見えた。

 「なるほど、姿が見えてないと力が引き出せないのか」

 「でも…」

 見ていると、雲はすぐに流れ去ってまたさんさんと光が降り注ぎはじめた。

 「これから、どんどん雲がなくなっていくわね。天気予報でも、快晴になるって言ってたし…」

 「だから、誘い出してる訳か」

 「『舞鳥レジャーランド』跡地って言ってたけど」

 「あ、野本に聞いたことがある」

 あやめ(サイキ)が左手を挙げた。

 「ここから山一つ越えた所にある遊園地みたいな所だって。客があんま来なくて、何年か前に閉鎖になったってさ」

 「それにしても、恐ろしい刺客だったわね。石に『精霊の力』を載せて、遠距離攻撃をしてくるなんて…」

 「物理的な破壊力に、『精霊の力』がプラスされると厄介ですね」

 「ちょっとだけ、噂を聞いたことがあります。南から渡ってくる鳥を守護精霊にしている友達から聞いたんですけど」

 「それは確かな情報ね」

 「『暦の精霊の地』よりさらにもっともっと南、大きな大陸では『太陽と月の精霊』を奉じる一族があちこちを従えて一大帝国を築いているんですって」

 あやめ(サイキ)の打撲を治療しながら、鹿乃子(カノコ)が言う。

 「ああ、何か偉そうにしてるとか何とか」

 「じゃあ、そこの皇族なのねあの二人は」

 「『太陽の精霊』の加護を受けた者の破壊力は見た通りですし…『月の精霊』の加護を受けた者の治癒の力はすさまじいもので、満月のもとではちぎれた手足をくっつけたとか、脳外科手術を成功させたとか」

 「たとえ昼間の月でも、あのぐらいの火傷ならすぐに治せる訳だ」

 「恐ろしい敵だけど…どうします、樹さん?」

 「行くしかないだろうな」

 樹がきっぱりと言った。

 「たとえ罠に誘いこまれるとわかっていても、騒ぎにならないうちに彼らを捕えないと」

 駐車場から愛車を出してくる。五人で乗りこむと少々狭いが、仕方ない。

 「勝てる算段がついてないけど…行くしかないよね」

 車は「皇子」たちが消えた方向へ走り出した。


 「まずい、どんどん雲が無くなっていく…」

 車の窓から空を見上げて、楓が呻いた。

 「どんどん奴らが有利になってるってことか」

 「こうやって誘い出すのも、彼らの有利なステージに誘われてるってことね」

 車は山の中を走る。やがて山の中腹、狭い道路の右側は切り立つ崖がそびえ、反対側はガードレールで隔てられてはいるが、やはりすとーんと切れ落ちているという場所に入った。

 「何か…何かすごく嫌な予感がしますっ!」

 鹿乃子(カノコ)が叫んだ。

 「上です!上を見て!」

 見上げると―

 「何してるんだあいつら!?」

 崖の上で、岩に取り付いて動かそうとしているらしい男たちと目が合う。

 「見たことあります。『黒の組織』にいた時に見た顔だ…」

 「わあっ!?」

 崖の上から、次々に巨大な岩が転げ落ちてきた。

 目の前にどかん!と着地する。それも、何個も。

 「止まって樹さーんっ!」

 しかし。

 「駄目だ、間に合わん!」

 止まれない―そう判断した樹は、

 「な、何とか…何とかっ!」

 きわどい運転で、路上の岩をぎりぎりでかわしていった。

 振り返れば、後ろにも大岩がどすん、どすんと落ちてきていた。

 「こ、これがいわゆる『落石注意』ってやつ…?」

 「いや、日本語の『落石注意』は、元々英語の『Falled stone』の訳なんだ。つまり、『落ちてくる石』ではなくて、『すでに落ちて、路上にある石』を注意しろ、という意味なんだな」

 「…じゃあ、石が『落ちてくる』場合は…?」

 「あきらめてください、ってところだろうな」

 「こんな時だけ英語教師に戻らなくていいから!」

 そんなことを言い合っている間に、岩は落ちて来なくなっていた。

 「…何とか終わったか…?」

 車の中で、あやめ(サイキ)が呟く。

 「駄目ですっ!()()()()()()()!」

 「何だと!本当かカノコ!」

 巫女たる鹿乃子(カノコ)の直感は、並外れて鋭い。彼女が「危険」と感じるなら、それは正しいのだ。

 「まさか…」

 崖の上で、特大の岩がごろん、と動いた。

 「やっぱりー!」

 そのままごろごろと崖を転げ落ちてくる。

 「岩が落ちてくるぞ!」

 「ああ、『落ちてくる石』はどうしようもない…」

 「「あきらめないで樹さーんっ!」」

 「炎よ!」

 ユーリが窓から身を乗り出し、特大の炎の矢を放った。炎は岩に激突し、木っ端微塵に砕く。

 「さっすがユーリ先輩!」

 「楯じゃ止まりそうになかったんで太矢にしましたが…正解だったようです」

 「ナイス判断!」

 「良かった…でも、向こうに着いても僕の手助けは期待しないでください。さすがに疲れました。…精神力のタンク小さいですね、僕」

 ユーリは苦笑した。

 「大丈夫ですか?『移し』ましょうか?」

 鹿乃子(カノコ)が心配そうに聞いた。

 「いや、カノコさんはサイキくんの治療に専念してください。向こうがどんどん回復してくるんですから、こっちも回復を考えておかないといけないでしょう。僕のことはかまわないでおいてください」

 「…私も、そうした方がいいと思うわ、みんな」

 楓がそう言うと、みんなうなずいた。

 「じゃ、そういうことで…少し、休ませてくださいね」

 そう呟くように言うと、ユーリは座席にもたれて目を閉じた。

 「…これで、こっちも攻撃手段が一つ減った訳ね…」

 「で、向こうは攻撃も回復もし放題、っと」

 もう空を見上げても、一片の雲も見えない。

 「ちくしょー、太陽と月がある限り奴らは無敵か…!」

 あやめ(サイキ)が、いまいましげに呻いた。

 「()()()()()()()()()…つまり…」

 楓は考えこんだ。

 「太陽や月が遮られればいい…そうか!」

 楓はあっと思い、車の中で叫んでいた。

 「樹さん!車を一度止めて、エージェントに連絡してください!」

 「な、何だい楓くん」

 樹は一瞬戸惑ったが、すぐに車を止めてスマホを取り出した。

 「で、こう伝えてください…」


 舞鳥レジャーランド。

 かつては賑わっていた行楽地も、今は閑散としていた。

 アトラクションのペンキも所々剥げ、ただ風が通り抜けるのみ。

 しかし、今正門は大きく開け放たれていた。

 「…入るぜ、楓」

 「ええ」

 こくりとうなずく楓を後ろに、あやめ(サイキ)がゆっくりと園内に入った。

 「おお、待ちかねたぞ庶民!」

 そこに待つのは、「自称皇子」と「皇女」の二人。

 「あの落石をしのいだとは…大したものだな」

 「せこい真似しやがって…」

 「余に向かって『せこい』とは言ってくれるものだな」

 「…いい、サイキ?時間を稼いで、できるだけ」

 門の陰で楓が、向こうの二人には届かないぐらいの声で囁く。

 「わかった」

 短く答え、二人に正対する。

 「やられに来よったか、愚民よ」

 「倒されるつもりはないさ、お前らなんかに」

 彼(?)は答え、いきなり―身を翻した。

 「捕まえてみろってんだ!そしたら、いくらでも相手してやるぜ!」

 と言いつつ二人を大ジャンプで飛び越え、とっとと走ってアトラクションの中に姿を消す。

 「あ、こら、待て!待つのであーる!」

 二人は慌ててその方向に向かって走り出した。

 「これで良し、っと…」

 残された一同の中で、楓が呟いた。

 「後は『待つ』だけか」

 樹が続ける。


 「へっへーん、こっちだよーん」

 「待て!待てと言うに…」

 どうやら、相手の気配を探知する能力はあまり強くないらしい。逃げ回るあやめ(サイキ)を、二人は捜しあぐねていた。

 「なかなか見つかりませぬなあ、我が君」

 「まあ良い、捜し回るのも楽しみの一つ。ゆっくり捜そうではないか、愛しき皇女よ」

 そんな言葉を洩らす彼らの前を、ごおっと風が吹き抜けた。

 「風が強いのう」

 「我が君に勝利をもたらす風かと」

 「そうであるな、重畳重畳」

 「何だよ、早く捕まえてみせろよー」

 そこに、あやめ(サイキ)が顔を出す。

 「待ちくたびれちまったぜ」

 ひょい、と身を舞わせ、彼(?)はジェットコースターのレールに飛び乗る。

 「待つのであーる!」

 「へっ、捕まるもんか!」

 さらに上に跳んだ。一瞬銀の翼が背に現れ、羽ばたいてレールのてっぺんに降り立つ。

 「こ、こら!」

 慌てて「皇子」がレールをよじ登ろうとする…が、ふわりと舞い降りたあやめ(サイキ)が今度は、コーヒーカップの陰から姿を出し入れしはじめた。

 「くっ…闘いやすいかと思ってわざわざここを指定したに、いいように使われているのであーる…」

 言ってる間にも、彼(?)はメリーゴーラウンドの馬の上で逆立ちをしてみせたり、フリーフォールのてっぺんから舞い降りてみせたり…やりたい放題やってみせて二人をからかう。

 「お、おのれっ!」

 「皇子」は投石器で攻撃しようとするが、その軌道をあっさり見切った彼(?)は時折銀の光で翼を形作って避けていた。空中でも自在に動けるので狙いのつけようが無かった。

 あやめ(サイキ)が正面切って向かって来る…と考え、アトラクションに隠れつつ闘う、というつもりだった二人は、完全に当てが外れたことになった。

 「くっ…どうも時間稼ぎをされている気がするのであーる…」

 「しかし我が君、まだ昼前。太陽が沈むまでにはまだ充分時間がありますわ。少々の時間稼ぎをして何の役に立ちましょう」

 「それはその通りなのであるが…」

 「何だよー、まだ追いつけないのか?大したことないなあ」

 彼(?)が会話を遮って、呼びかけた。

 「ぶぶ無礼者!そこになおれなのである!」

 頭に血が昇った「皇子」はあやめ(サイキ)を追いかけた。

 「…心配ないとは思いますが…我が君は日が沈むまでは無限に闘えますに、あの者はいずれ力尽きるでありましょうから」

 そう呟きつつもどこか不安な「皇女」はそれに続く。


 やがて。

 「もう逃げられぬぞ!おとなしく降伏するのであーる!」

 そんな大音声が、レジャーランドを吹き抜ける風に乗った。

 声の主―言うまでもなく「皇子」―の前に、あやめ(サイキ)が立って不敵な笑みを浮かべている。

 「さあ、さんざんおちょくってくれた礼をさせてもらう!もう炎で加勢してくる者はおらんぞ、おとなしくしろ庶民」

 「へっ、誰がそんなことをするか!」

 「では―太陽の罰を受けよ!」

 「皇子」が石を投石器に挟んで振り回しはじめ―白熱する石を放つ。が、

 「何だと!?」

 飛ぶ途中で、石の輝きがふっと消えた。

 「よし、楓の作戦成功!―上を見ろよ、お前たち!」

 見上げると、そこには…。

 「何と!?」

 一面の雲が、天を覆い隠していた。

 太陽も月もその形はない。

 「馬鹿な…天気予報とか言うものによると、今日は一日中快晴だと…」

 「へっへっへ、実は捕まえといた『風の魔術師』カイに、山のてっぺんに行ってもらって全力で風を吹かせて、雲をこっちに集めさせたんだ。今頃あいつ、へろっへろになってるだろーなー」

 はひー、はひー、はひー…。

 …その頃、西の山の頂上ではずらっと並んだエージェントに銃口を押しつけられた(身体から離すと、気流を操って弾を止められる恐れがあるため)カイが、へたりこんで肩で息をしていたりする。

 「な、何と!…くっ、しかし、まだ負けた訳ではないのであーる!」

 「自称皇子」は腰に手をやり、先端に星型の石のはまった棍棒を振り上げた。

 「お、そういう武器もあるのか…なら俺も!『遺産』よ、我が手に!」

 あやめ(サイキ)の手の中で橙の光が爆裂し、日本刀型の「遺産」が抜き出される。

 「ぬおっ!?」

 「()っせー!」

 瞬時に間合いを詰めた彼(?)に、あっさり棍棒の先を斬り飛ばされた「皇子」は困惑の声を上げた。

 「ぬうっ!うおっ、とっとっ、やめいこの無礼者めが!」

 それでも木の棒を振り回してはみるものの、

 「あ、それ、それ、それっと」

 「遺産」に面白いように斬られていき、しまいには握りしか残らなくなってしまった。

 「お、おのれえっ!」

 「もう武器はないな?それじゃ…行くぜえっ!」

 銀光を脚にまとわせ、あやめ(サイキ)は地面を蹴った。

 きれいな伸身の宙返り。

 落下の勢いを利用して「皇子」にドロップキックをかまし、そのままバク転してすたっと降り立った。

 「ぐうっ…」

 一声呻いて「皇子」が倒れ伏す。

 「ああ我が君!しっかりしてくださいませ!」

 「皇女」が駆け寄り、必死に揺り動かすが、「皇子」は全く反応しない。しくしく泣いて介抱するが、「月の精霊」の力を使って回復させることも今はできない状況だった。

 「よーし、これで捕まえときゃいいな」

 あやめ(サイキ)は「遺産」を送り返し、へたりこむ二人を見つめた。


 駆けつけてきたエージェントたちによって、「皇子」たちは拘束された。

 …なお、「落石」が片づけられるにはまだ時間がかかるとのことである。

 「うう…」

 地面に転がされた「皇子」は、車に運び込まれる頃に目を覚ました。

 「おお、虜囚の辱めを受けるとは…」

 「屈辱ですわ我が君」

 「おお、我が故郷では、民は部屋いっぱいの黄金と引き換えてでも余たちを取り戻そうとするのであるが…『蒼の組織』はそこまでしないのであーる」

 「ああ、お嘆きめさるな我が君。いつかは帰れます故…」

 「皇子」を慰めつつ、「皇女」も泣き崩れる。

 「余が一声かけさえすれば、数限りなき人々が動いてくれると言うのに…故郷では」

 「ああ我が君、故郷から引き離されるのは辛いことでございますねえ」

 「帰りたや、山々に抱かれし『世界の中心』に。『四州の国』の要、黄金の杖埋まる我が故郷…」

 「知ってるかー?『彼方の地』も、丸い球みたいな形をしてるらしいぞー?つまりどこでも『世界の中心』って言ってもいいんだってさー」

 「けっこう意地悪ね、サイキ…」

 楓が思わず呟いた。

 「おお、何とっ!全てが『世界の中心』とな…我が故郷こそが中心と信じていたに」

 二人はがっくりと肩を落とした。

 「何か可哀想になってきたな…こいつらの『本体』見つけたらどうする?」

 「まあ一応被害者でもあるし、できれば送り返してあげたい気もするけど」

 「でも今のところ、『守護精霊の地』にしか行けないんですよね」 

 鹿乃子(カノコ)が申し訳なさそうな顔をした。

 「でも、陸続きだから…ずーっと南へ行けば行きつけるんじゃないのか?」

 「『輿を用意しろ』とか、言いそうだけどね」

 三人がそんなことを話している間も、「皇子」と「皇女」は二人の世界に浸っていた。

 「おお、故郷にはいまだ帰れぬ我らが身なれど…我が親族にして『皇女』たるそなたさえいればこの世は楽園…」

 「ああ我が君、わたくしも同じ思いですわ~」

 「おい、何か歌って踊ってるぞ」

 「…帰れないこともないって教えてあげたら?」

 

 「今回もか!今回も…かッ!」

 (ウー)の絶叫がレジャーランド近くの山々に響く。

 「かえってサイキの奴を強くしている気さえするなッ…」


 まあ色々あって、二人を乗せた車は研究所に向けて出発していった。一同はそれを見送る。

 「やれやれ。…腹減ったなー」

 「朝ご飯も食べずに来ちゃったもんね」

 「食堂のおばちゃんたち、わたしたちの分を取っておいてくれるでしょうか」

 食欲旺盛な少年少女(…?)には深刻な問題である。

 「…あ、ユーリ先輩、車の中で寝てますね」

 樹の車に戻りながら、鹿乃子(カノコ)が呟いた。

 「大変だったもんね」

 「俺もけっこうくたびれたよー」

 「そうよね…みんなで帰りましょ、学園に」

 「帰って…うう、三人前ぐらい食えそうな気がするぜ」

 あやめ(サイキ)の言葉に、みんな笑みがこぼれた。


   第十章 夢ばかり見る馬鹿もいる


 舞光祭まで、後一週間。

 祭前の最後のHR、クラス委員の由布子が最終打ち合わせのリーダーシップを取っていた。

 「じゃあ、クラス展示についてる係のローテーション組もうね」

 舞光祭は三日間。一年C組の生徒たちは一日ずつ交替して展示の解説をすることになっていた。

 「楓、開いてる日はあるの?」

 「二日目は整美委員会の清掃当番で…三日目は…」

 「あ、飛島先輩とデートだったわね、ごめん」

 「い、いや、デートって訳じゃ…」

 「照れなくていいから。一日目、よろしくねー」

 由布子はにっこり笑って指示を出した。

 「正直、楓が展示についててくれると、うまく説明できるから助かって。よろしくねー」

 「清掃当番か…じゃ楓は、二日目は忙しいんだな?」

 あやめ(サイキ)が口をはさんできた。

 「そうよ」

 「そっかあ。…それなら、()()()

 「は!?何のこと?」

 「なーいしょ」

 そう返して彼(?)は笑う。

 (…?)

 楓は首を傾げたが、聞いても答えそうにないので追求するのはやめておく。

 「そう言うあやめちゃんは?」

 「一日目と二日目の午前中は、バスケット教室の当番で駄目なんだよなー」

 「じゃあ一日目の午後だけお願いね」

 「…何か不公平…」

 「クラブ活動のある人は、そっちを優先しないと。楓は帰宅部なんだから」

 理屈はわかるが、何か釈然としない。

 「野本はどうなんだ?」

 「俺は剣道部が出す露店に詰めっぱなしになるなあ」

 「まあ、次期部長候補としてはね」

 「俺も顔出そうか?」

 「まあ、『女子剣道部員』ってのは一つの売りではあるんだけど…」

 野本は苦笑した。

 「無理に来いとは言えんな。まあ時間が空いたら出て来いよ」

 (まあ野本くんは『天野あやめ』の正体知ってるしねえ…)

 中身が「男」とわかっているあやめ(サイキ)に、客寄せとしての魅力を感じないのも当然だろう。


 そんなこんなでHRも終わり、授業の後は祭の準備である。

 「見て見てー、お好み焼き屋台の割引券もらっちゃったー!」

 「ああ、二年F組のとこね」

 「あそこ、料理研究会のメンバーが多くて、食堂のおばちゃんたちの指導仰いだりしてるからレベル高いわよ」

 そんな大騒ぎの中、あやめ(サイキ)はこっそり教室を抜け出して昇降口の真上に位置する生徒会室に向かった。

 生徒会室。役員がたむろして色々と決めている場所。

 今そこは、ちょっとした戦場の相を示していた。

 あと一週間に迫った舞光祭に向けて、いつもは片付いている部屋が機材などでごちゃごちゃになり、その間を憔悴しきった役員がうろうろと歩き回って作業をしている。

 「あのー…」

 その中を覗きこんで、いつもの彼(?)とは思えない気弱な声を発する者に、全員の目が集まった。

 「あ、あやめちゃん。来てくれたんだ」

 由布子が立ち上がり、あやめ(サイキ)を引っ張りこんだ。

 「天野くんが、川上の言っていた『参加者』か」

 生徒会長が声をかけてきた。

 「はい、そうです。…でねあやめちゃん、リハーサルしたいんだけど…」

 にっこにこしながら話しかける由布子に、あやめ(サイキ)は若干引き気味に話しはじめた。


 「じゃ、こっちに来てねー」

 彼(?)が生徒会室から連れていかれたのは、裏にある、

 「更衣室?」

 ここは広いロッカールームになっているのだ。

 「はーい、待ってたわよー」

 にこにこ笑っているのは、二年生の手芸部部長。

 「な、何をするんだ、ここで!?」

 「何って…衣装の採寸よ」

 由布子が―こっちはにやにやと―笑って答える。

 「今度は実際に採寸してもらおうね、あやめちゃん。劇の時には大まかなサイズしかデータがなかったから、破いたりしちゃったわけだしー」

 「…いや!あれはその、サイズが合わなかったとかそういうことじゃなくて…って言うか、今回もあんまごてごて着飾るつもりないからな、俺!」

 「いいのそれで?()()って言い出したのはあなたよ、言っとくけど。それに…()()があるんでしょう?」

 「…う!それは、確かにそうだけど…」

 「だったら、我慢しないと。人気出た方がいい結果になるんだからね」

 「うう…」

 唸るあやめ(サイキ)に、手芸部部長がささっと近づいた。メジャーを手に彼(?)の身体を計りはじめる。

 「いや、いいわ。実にいいわこの素材。普段は男言葉で色気まるでなしの天野さんを…!燃えるわねほんと」

 「~~~~~っ!」

 部長の手があちこち身体をはい回って採寸をするのを、あやめ(サイキ)は必死に耐えた。

 「大丈夫、今度のはドレスじゃないから。そうね…宝塚の男役みたいな感じで。あやめちゃんなら似合うわよー」

 「『たからづか』って何のことだか知らないけど…すっげーやな予感がするよー」  

 「でも、()()を果たすためには…」

 「わわわ、わかったよ!やるって、着るって!」

 

 どたばたと採寸を終え、次に連れて来られたのは大体育館。

 「じゃあこっち、伴奏のCDね」

 ほくほく顔で準備をはじめる由布子に、あやめ(サイキ)は生唾をごくん、と飲みこむ。

 彼(?)らしくもなく緊張した面持ちだ。

 「じゃ、リハーサルいきまーす」

 スポットライトが、()()()()()あやめ(サイキ)を照らし出した。


 「どひー!」

 ほうほうの体で、あやめ(サイキ)は教室に逃げ戻ってきた。

 「ちょっとどうしたのよ、いきなり姿を消したかと思ったら慌てて帰って来て…」

 「いや、これにはちょっと、訳が、あって…」

 「お、お前ら手がすいてる?」

 「うん、私の担当部分は一区切りついたんだけど」

 「じゃあ、展示する写真の現像したやつ、写真屋さんに取りに行ってもらっていいか?岡谷は展示の最終チェックまでやることないだろ」

 「わかった、行って来るね」

 「おう、頼む。引き伸ばすとなると校内のプリンターじゃ手に負えないからな」

 「不便だけど仕方ないよね」


 …かくして楓「たち」は舞鳥市商店街にある写真館に展示用の写真を取りに行くことになったのだが。

 「どうしてサイキたちも来るかなー」

 「俺もうやることやっちゃったしー」

 「あなたが抜け出している間に、みんなでやり終わっちゃったんじゃないの!」

 「…わたしもちょっと、まごまごしているうちにみんなが作業終わらせちゃって…」

 鹿乃子(カノコ)が恥ずかしげに言葉を添える。

 「まあ、いいけど」

 三人で自転車を押して校門に向かった、その時。

 「あれ?ユーリ先輩?」

 同じく自転車を押して学園を出ようとしている栗色の髪の後ろ姿に気づいた。

 「先輩も買い出しか?」

 「え、ええ。僕のクラスでは、劇の照明用の器具が壊れてしまいまして…」

 「だからって、劇の主役に買いに行かせるの?」

 「いえ…その、ちょっとクラスメイトの…女子の皆さんが怖くなってしまって…」

 「…口実作って逃げてきたんだ」

 納得である。

 「じゃ、一緒に行こうぜ」

 「ええ、じゃあ商店街まで一緒に」


 坂道を下りながら、ユーリは上機嫌だった。

 「ああ、ほっとしますね!こうやって『事情』を知ってる人とたまに話せるのって」

 「ユーリ先輩は学校でも寮でも『事情』知らん奴に囲まれてるからなー」

 そうそう樹の部屋にも逃げこめないだろう。

 「先輩のクラスの劇は…いつでしたっけ」

 「二日目の、小体育館です」

 「初日は演劇部ですもんね」

 楓は配られたプログラム表を見て…首を傾げた。

 「…ねえ、この二日目に大体育館でやる『これであなたも有名人!』ってイベント、何やるのかな」

 「そ、それは別に気にしなくってもいいぞ、うん」

 なぜかあやめ(サイキ)の顔が引きつった。

 「そうなの…まあ、この日私は整美委員会の当番だから、何やっても見られないけどね」

 「そうだよな、うん」


 市街地を自転車で抜け、小さな店が立ち並ぶ通りに入った。

 「あ、じゃあ僕はこっちに。電気部品を買わないといけないので」

 「じゃ、後でなー」

 あやめ(サイキ)の言葉を笑顔で受けて、ユーリは電気店のある通りへの角を曲った。

 「じゃ、俺たちは写真屋さんだな」

 「あ、私『ついでに文房具買ってきて』って頼まれてるんだ。購買部で売ってないやつが欲しいんだって。二人は先に行ってて」

 「ん、わかった」

 そう言われ、楓は自転車のペダルを踏んでゆっくり文房具店に向かった。

 と。

 「君、困るなあこんな所を自転車で…」

 ざっ、と男たちが彼女の自転車の前に立った。

 一般人らしく見せているが、その表情は…。

 (…何かおかしい)

 本能的に危険を感じ、楓はペダルを思いっきり踏み込んだ。

 「うわ痛ってっ!」

 足の甲をタイヤで力いっぱい踏まれ、悲鳴が上がるのを背後に、楓は脱兎のごとく逃げ出した。

 「サイキ!何かおかしい、今の街…」

 見慣れた後ろ姿を見つけ、慌てて駆け寄った。

 「ああ、あっちこっちに怪しい気配の奴らがいて、俺たちの退路を断ってる。一方向だけ開いてるみたいだが」

 「誘われてる…ってことかしらね」

 「…行ってみるしかない、な。あの人数を前に、『精霊の力』を使わずに逃げられる自信は、俺にはない」

 「一般の人もちゃんといるから、派手なことできないもんね…」


 三人が向かった…いや向かわされた場所は、商店街が合同で外れに設けた広い駐車場だった。

 「ここには普通の人、いなさそうね」

 そこに立っていたのは。

 「また、『彼方の地』のどこかから連れて来られた『戦士』なのかな…」

 日本人にはあまりない浅黒い肌に、鋭いまなざし。

 背中に背負っているのは、何本かの曲がった平たい棒。

 服はちゃんと身につけているが、いかにも着慣れない様子だ。

 「私は『夢の精霊』の戦士、ムウ…」

 男は言葉少なに名乗った。

 「やっぱり(ウー)のとこの刺客か…やり合う気か?」

 あやめ(サイキ)は踏み出し、構えた。

 「―いや。別のやり方でやらせてもらう」

 ムウと名乗った男はそう言い、右手を差し出した。―と、そこから七色の光が湧き出し、空中に渦巻きながら駆け上がっていく。

 光の奔流が形を取り―

 そこで一同を見下ろしていたのは。

 「虹の、蛇…」

 そう、空中にたゆたっていたのは七色に鱗をきらめかせる、巨大な蛇の幻影だった。

 「何だ、『憑依』か?」

 「…でも、あの蛇の身体の中に、あの『戦士』がいないよ!」

 楓が叫んだ。

 確かに、「戦士」は現出した巨大な蛇の体内でなく、地面に立っている。その右腕に蛇の尻尾が絡みついているのだ。

 「普通の『憑依』じゃない…?」

 「ほう、その娘御は賢いな」

 「まあいい、叩きのめすだけだぜ!俺も呼び出すぞ、我に加護を与えたもう『銀の鷲』よ!」

 そう叫んであやめ(サイキ)が左腕を突き上げる―がその前に虹の蛇が動いた。―後ろの楓たちに向かって。

 「くっそおっ!」

 あやめ(サイキ)は全身から銀光を放ち、

 「二人とも逃げろ!早く!」

 そう叫びつつ飛びかかってくる虹の蛇の前に立ちはだかった―が、

 「何っ!?うわあーっ!」

 蛇は何の抵抗もなく突き進み…銀の光を全く無視してぱっくりと開いた口で彼(?)を呑みこんだ。

 「サイキっ!」

 あやめ(サイキ)の絶叫を背に二人は逃げるが…あっという間に追いつかれ、呑みこまれる。

 「「きゃあーっ!」」

 視界いっぱいに七色の光が乱舞し、それが収まると…。

 「あれ?さっきと同じとこじゃん」

 三人が立っていたのは、その通り…呑まれる前にみんながいたのと全く同じ駐車場だった。振り向けば浅黒い肌の男はまだそこにいる。

 「呑まれたと思ったのに…」

 「いや、お前たちはすでに我が精霊に囚われている」

 男は淡々と語った。

 「囚われている…?」

 「何だかよくわからねーが、要はお前を倒せばいいんだろ!やってやろーじゃん!」

 そう言ってあやめ(サイキ)は男に殴りかかる―が、彼(?)の左拳が届く寸前、その軌道が不自然に()()()

 「え!?何だあ?うわっ!」

 勢いがついたままムウの脇をすっ飛んで行き、

 どげしゃあっ!

 つんのめって派手にすっ転んだ。

 「どうなってるの!?」

 「風の魔術師」が風で拳をずらした時とも違う。

 不自然に―()()()()()()()()()、まっすぐに飛んだはずの拳がずれていたのだ。

 「痛ってえ…ならばこれは…どうだっ!」

 あやめ(サイキ)は拳に銀光をまとわせる―が、

 「無駄だ」

 男が軽く手を振ると、銀の光は吹き散らされるように消えていく。

 「何っ!?」

 「おかしいです!『先読みの力』が使えません!」

 鹿乃子(カノコ)の悲鳴があやめ(サイキ)の声にかぶさった。

 その時、

 「あれ!?ユーリ先輩?」

 商店街に続く道の向こうに、大きな荷物を抱えたユーリの姿が見えた。

 「ユーリ…先輩!何かおかしいんだ、力を貸してくれ…っ!」

 しかし…。

 「ユーリ先輩!先輩ってばっ!」

 いくら呼びかけても、栗色の髪の青年は何も聞こえなかったようにすたすたと歩いて行って…視界から消えた。

 「ちょっと待っ…ええっ!?」

 三人はユーリを追おうとするが…足が―まるで悪夢の中でのように―ちっとも前に進まない。やっとの思いで道の角までたどり着くが、その向こうを見てもユーリの姿はもうなかった。

 「この『夢』の外にいる者に、内側にいる者の声は届かない」

 重々しく男は告げた。

 「『夢』…?」

 「そうか…」

 あやめ(サイキ)が呻く。

 「俺たちは、奴の『夢』の中に取りこまれちまったんだ。だから、やることなすことうまく行かないんだな」

 「そう、ここは『夢の精霊の世界』…」

 背後からの声に、三人は振り向いた。

 そこに広がっていた光景は。

 「へ?」

 「うそっ!?」

 どこまでも広がる、赤い荒野。

 遥か彼方を、尻尾でバランスを取って強靭な後ろ脚でぴょんぴょん飛び跳ねているのは…。

 「カンガルー!?」

 「ちょちょちょちょっと、見てください!」

 鹿乃子(カノコ)の切迫した声に、二人がまた振り向くと。

 「どひー!」

 さっきまで立ち並んでいた家々も何もなくなり、一面赤茶けた広がりと化していた。地平線上には巨大な岩が連なっている。

 「どーすんだよ、このままどんどんどんどん周りが野っ原になって、コアラとかカモノハシとかが襲ってくるのか?…あんまり怖くないけどさー」

 「この状況だとそれも結構怖いかも…」

 「くそ、『夢』の外にいる人には助けは求められないし、『夢』の中では俺たちにはあの野郎を倒す手立てが全然ない!?」

 「じり貧だよね…どうすれば抜け出せるのか」

 楓は、後ろを見やった。

 もはや一面の赤い荒野と化した中に、悠然と立つ男。

 「じゃあ、あのあそこにいるように見えている『夢の戦士』は幻みたいなものなんだ」

 「本体は『夢』を()()()見ている…わたしたちには手が出せないってことなんでしょうか…」

 鹿乃子(カノコ)が不安げに呟いた。

 その時。

 楓のバッグの中から、聞きおぼえがあるメロディが流れてきた。最近流行りの女性ボーカリストの曲だ。

 「あ、樹さんからのコールだ…って樹さんから!?」

 三人は仰天してバッグから引っ張り出したスマホを覗きこんだ。

 「樹さんも『夢』の中に取り込まれてるってことか…?」

 「もしもし樹さん!?」

 『やあ、ちょっと授業のことについて話したいことがあってね』

 いつも通りの声が届いた。

 「それはちょっと待ってください!」

 混乱を押さえこんで、楓は質問を矢継ぎ早に放った。

 「何かおかしなことになってませんか!?七色の蛇に呑みこまれたり?荒野がいきなり広がったり?」

 三人でわっと一つのスマホに群がり、質問を浴びせる。

 『いや、ないね。どうしたんだい楓くん』

 「樹さんは『夢』の中に取りこまれていない!?」

 「なのに、電話は通じるんですね」

 「…そうか、『夢』を見ている本人の()()()()ものは遮断できないんだ。だから普通の声は届かなくても、スマホは通じるんだわ!」

 『ちょっと待ってくれ、話が見えないんだが』

 「す、すみません!後で事情を説明しますから、今はちょっと…ユーリ先輩に連絡しないといけないんでっ!」

 

 駐車場で棒を支えに立ち、目を閉じて何かぶつぶつ呟いている浅黒い肌の男に、別の青年が近づき、ぽんと肩に手を置いた。その肩がびくりと震え、男ははっと目を見開く。

 「彼らを『夢』から解放してください」

 栗色の髪の青年…ユーリが、男の顔を覗きこんでいた。

 「さもないと、相当痛い目に遭いますよ」

 肩に右手を置き、左手のひらの上には炎が浮いていた。

 「さあ、早く」

 炎をお手玉なんかしながら、ユーリは男に詰め寄る。

 「―止むを得ん」

 言って男はぴしゃり!と自分の頬を叩いた。

 「うわああっ!」

 七色の陽炎が立ち昇り、その中から三人の少女(一人は外見だけだが)の姿が現れてどすん、と落っこちる。

 「きゃっ」

  その一人―楓が、バランスを崩して転びそうになるのを隣のあやめ(サイキ)がひょいと支えた。

 「助かった…の?」

 「外だよな!?『夢』の外だよな?やった!」

 「ええ、『夢』の外に出られたみたいです」

 「良かった…あっ!」

 ユーリが胸を撫で下ろしたが―

 そこに大きな隙があった。

 どん!

 注意がそれたユーリを突き飛ばして下がり、男は背中に手をやって曲がった棒―ブーメランを引っつかんだ。

 「こうなったら直接勝負をつける…!」

 「まだ負けたつもりはないってことか…」

 「その通り!」

 ムウは、大きく振りかぶってブーメランを投げた。

 「く」の字に曲がった木の棒が、回転しながらあやめ(サイキ)目がけて飛ぶ。

 「くっ…!」

 身体を大きくのけ反らせ、彼(?)はそれをぎりぎりでかわした。棒、いやブーメランは大きくカーブを描いてムウの手の中に戻る。

 「ほう…この一撃をかわすとは」

 男は感心したように呟き、

 「ならば…まただが、こうするのみ!」

 と、ブーメランを放った。

 「ああっ!」

 回転するブーメランの軌道は、明らかにあやめ(サイキ)ではなく楓と鹿乃子(カノコ)に向かっていた。

 「「…!」」

 二人はとっさに動けない。

 「楓ぇ!」

 あやめ(サイキ)が吼えた。

 「『遺産』よ!我が手に!」

 橙の光が爆裂し、彼(?)の左手に金属板が現出し、握られる。

 「でええええい!」

 左腕に銀の輝きをまとい、ありえない速度で板を―あろうことか―投げつけた。ブーメランにぶち当たる…が、あっさり跳ね飛ばされた。

 しかし。

 「何っ!?」

 驚愕の声が上がる。

 ブーメランの軌道が、「遺産」をぶつけたことにより僅かにずれていたのだ。

 楓たちにぶつかるはずだったブーメランは、楓の髪をかすめて駐車場の地面に深々と突き刺さる。

 「くっ…これでは勝てん、か…」

 ムウは悔しげに呟くと、身を翻した。

 「あ、こら待てっ!」

 あやめ(サイキ)が追うが、一瞬遅く。

 ムウの身体は、陽炎のように揺らいだかと思うと、そこから消え去っていた。

 「お、終わった…の?」

 迫ってきたブーメランの恐怖にあらためて震える楓の前で、あやめ(サイキ)は「遺産」を拾い上げている。

 「何?乱暴に扱うな?かつての文明の『遺産』を何と心得る?いいじゃんかー一番早く手に取れるものだったんだからさー」

 彼(?)の手の上でぴょんぴょん跳ねて文句を言っている(!?)らしい「遺産」を、あやめ(サイキ)は軽~く受け流している。

 「何とかなったけど…逃がしたわね」

 「…そうだな」

 「遺産」を送り返して、彼(?)が楓の言葉に答えた。

 「もうすぐ舞光祭なのに…どうなるのかな、私たち」

 「まあ、何とかなるさ。守ろうぜ、俺たちの祭を」

 「…そうね。そうするしか、ないわね…」

 楓は振り返って、舞鳥学園がある山を見やった。


 「また、駄目かッ…」

 商店街の屋根の上で様子を見ていた(ウー)が呻いた。

 「まただね、(ウー)

 「しかし、『夢の戦士』は逃げ延びたか…奴を使って、勝てる闘いをしてみるかなッ…」



   第十一章 夢に夢見る馬鹿もいる


 「―あれは、『夢の精霊の地』から連れて来られた『戦士』ですね」

 学園に戻ってから、樹を含めた一同を前にユーリはそう説明をはじめた。

 「僕の故郷からはあまりに遠いんで、かすかな噂しか伝わって来ない大地に住む人が信じているのが『夢の精霊』で…この力を借り受ける『戦士』は、『夢の時代』と呼ばれる太古の時代にアクセスすることにより、自らの『夢』に他者を取りこむことができるとか。そこは常識が一切通用しない、恐るべき異世界なのだと」

 「確かに常識外の世界だったよなー」

 「怖かった…」

 楓は身体をぶるり、と震わせた。

 「で、その彼を取り逃がした、と…」

 「舞光祭も近いのに、どうすりゃいいのか」

 「とにかく、警戒はしておこう。後は…向こう次第だな」

 「うう、早く決着つけたいもんだな」


 しかし。

 それっきり何の動きもなく。

 舞鳥学園は、文化祭第一日目を迎えていた。

 「それでは舞光祭、スタートです!」

 生徒会長の宣言を皮切りに、校門からは一般の人々がどんどん入ってくる。立ち並んだ屋台ではクレープやら焼きそばやらが売られ、あちこちで呼びこみが行われ…賑やかな祭がはじまった。

 「こちらは舞鳥市に生息する生きもので…狸とか狐とか、結構いるんですよね」

 楓は教室に入ってくるお客さんに、パネルなどの詳しい説明をしていた。

 「帰化した生物もいて、最近問題になっています」

 「…岡谷、ちょっとこっちの人の質問に答えてくれ!」

 他にも対応しているクラスメイトはいるのだが、時折鋭い質問に答えられずに楓を呼ぶ者もいて、結構忙しい。

 「はー…大変ね、やってみると」

 「いると頼っちゃうんだよなー。悪いな、岡谷」

 「それはいいんだけど」

 そんな時間が過ぎて、お昼も近い頃。

 「岡谷、少し休んだ方がいいぜ。こっちは俺たちで何とかするから、外で飯食ってぶらぶらしてこいよ。疲れただろ?」

 「そうそう、いなきゃいないであたしたち、何とかするしー」

 「う、うん。ありがとう、みんな…」

 事実少々気疲れしていた楓は、仲間たちにそう言われてほっとした。

 「じゃ、一時間で戻るから」


 「はー…くたびれるわね、本当に」

 そう呟きながら、楓は校舎を出た。

 校門へ続く道に、ぎっしりと露店が並び、

 「はーい、お好み焼きいかがですかー!」

 賑やかに呼び込みをしている。

 「一般のお客さんも来てるし、盛況よね」

 「お、楓ー」

 「サ…あやめ?」

 彼(?)が、タオルで汗を拭きながら近づいてきたところだった。

 「バスケ教室終わり?」

 「ああ。午後からはクラス展示だから、楓と一緒だな」

 「おー、天野に岡谷。クラス展示はいいのか?」

 露店の一つから、野本が声をかけてきた。

 「ちょっと息抜きさせてもらってるの」

 「そうか。大変だな、お互いに」

 うなずいた野本が、一転して営業スマイルを浮かべた。

 「ところで、二人とも。鮎の塩焼き、食うか?剣道部謹製だぞ」

 「俺一応剣道部員だから、無料(ただ)だよなっ」

 「幽霊部員は有料だ。一割引にしとくよ」

 「ちぇー」

 「あ、あやめちゃん。ここにいたの」

 祭実行委員の腕章をつけた由布子が、声をかけてきた。

 「ちょうどいいいわ。()()のことなんだけど…」

 「ちょ、ちょっと待て!…楓がいるんだ!」 

 あやめ(サイキ)が慌てるが、もう遅い。

 「ちょっとサイ…あやめ!あなたやっぱり何か私に隠してるでしょう!」

 楓は思わずあやめ(サイキ)に掴みかかった。

 「いやこれはだなっ、うわ…っ!」

 「―え!?」

 一瞬―

 二人を囲む空間が、七色に輝き揺らめいた。

 「あ、あれ!?楓?あやめちゃん?」

 由布子が突然、うろうろと歩き回りはじめた。

 「ゆ、由布子!?由布子っ!」

 楓が呼びかけても、彼女は一切反応しない。

 「聞こえてない…?」

 「野本くん、楓たちはどこに…」

 「俺にも、ふっと消えたように見えたけど…」

 「野本くんにも見えてないし、声も届かない…?」

 その時、楓のスマホが曲を奏でた。

 「カノコさんからのコールだわ!」

 楓は慌てて応える。

 「カノコさん!どうなってるかわかる?」

 『それが…おかしいんです』

 聞こえてくる声音には、切迫した気配があった。

 『学園全体が『夢』に取りこまれていて…その中に、サイキと楓さんだけ()()()んです」

 「私とサイキだけが『夢』に取りこまれていない…?」

 「聞け、サイキッ!」

 大音声が、学園いっぱいに響いた。

 「この声は…」

 「(ウー)!?」

 しかし…。

 「誰も、反応しない…!」

 周り中の人々はその大声に、一切の反応を示さなかった。

 「みんな…こんな大きな声も、聞こえてないの!?」

 「この学園にいる奴らは全て『夢』の中に捕えた。お前が俺と闘わない限り、解放せんぞッ!」

 「『夢』にみんなを捕えた!?」

 「こいつらが大事なら、俺と闘えッ!さもないと、人質がどうなっても知らんぞッ!」

 「まさか…!」

 「『夢』の中では、『夢』を見ている人の思う通りに物事が運ぶって言ってたよね、ユーリ先輩…」

 「それじゃあ!…くそっ、(ウー)はどこにいるんだっ」

 「…あそこ!」

 楓がはっとして指し示す。

 そう、校舎の屋上に、背の高い姿があった。

 「(ウー)…この野郎!」

 「さあ、どうするッ!おとなしく俺と闘うか、それともッ…」

 後は、哄笑だった。

 「もちろんお前と闘うつもりだっ!だからみんなには手を出すな…っ!」

 「サイキっ!」

 あやめ(サイキ)は楓の言葉にも答えず、校舎に向かって走り出した。

 校舎の壁に跳び、両脚を身体より前に出して壁を蹴り、上に跳躍する。手すりを引っつかんで屋上に躍りこんだ。

 「さあ、来てやったぜ!勝負だ、(ウー)!」

 「さて、どうするかなッ…」

 「…まさか!?」

 「今は彼に『現実と変わらない世界』を夢見させているが…わかってるなッ?俺が一言命じれば、最悪の『夢』に変えられるってことが」

 にやりと、笑う。

 「さて、どうしてやろうかッ…」

 その背後では、ムウが目を閉じて立っていた。


 「サイキ、がんばって…」

 取り残された楓はこう呟き、あらためてスマホを耳に当てた。

 「こっちはこっちの仕事をしないと…カノコさん?聞こえてる?」

 『はい、大丈夫です』

 声がはっきりと聞こえた。

 「カノコさんは『夢』の中にいるのよね」

 『はい…あ、ユーリ先輩も来ました!』

 通話の向こうから、足早に近づいて来る物音と声が聞こえた。

 『カノコさん…さっき、強い『精霊の力』を感じたんだけど、どうなっているんですか?』

 『…わたしたち『夢』の中に取りこまれたんです!』

 『何だって!?』

 そんな会話が聞こえてくる。

 「もしもし、カノコさんもユーリ先輩も…私たちにできること、あるよね?何かいいアイデアある?」

 『―あります』

 向こうから、ユーリの力強い答えが返ってきた。

 『カノコさん、ついて来てください』

 そう言って歩き出す気配が伝わってくる。

 『は、はい。でも、どこへ…?』

 『こんな広範囲を『夢』に取りこんでいるってことは、恐らく細かい所までは目が行き届いていないはずです。僕たちが多少怪しい動きをしても、気づくのは遅れるでしょう。その隙に…』

 「ユーリ先輩、カノコさん、早く…!」

 二人を信じるしかない楓は、祈るような気持ちでスマホを握りしめた。


 ユーリと鹿乃子(カノコ)が着いたのは、校庭の片隅、大木の裏にある小さな空き地だった。校庭を使ってソフトボールや野球をやっているが、ここまで来る人はいない。

 「ここで…?」

 「はい」

 ユーリは答え、棒きれで図形と文字を描きはじめた。

 「僕の計算が正しければ…」

 ぶつぶつ呟きながら、彼は棒で地面を引っかく。

 「また魔法陣ですか?今度はどんなのなんです?」

 「まあ、見ていてください」

 青年はにっこり笑ってみせた。

 「魔法陣にも色々あるんですね」

 「僕は修行の途中でこっちに連れて来られたんで…全部は知らないんです。師匠はもっとたくさん知っていたと思うんですが」

 ユーリは図形と文字を描き続けた。

 「魔法陣を実際に描くだけでなく、イメージすることで魔法を強化する技もあるんですが…僕にはまだ、できませんね」

 「そう…ですか」

 「故郷に戻れて、また学べるといいんですが…今のところ叶いそうにないですね、その夢は」

 「…すみません…」

 「いつかは師匠の技を受け継ぎ、さらに発展させていくのが僕の夢でしたが…今となっては、難しいですね」

 「そんなことないです!」

 「…え!?」

 鹿乃子(カノコ)の声に、栗色の髪の青年はきょとんとした顔を見せる。

 「いつもわたしたちを助けてくれるじゃないですか、ユーリ先輩。才能あるんですよ!帰れるかどうかは…えーとその、がんばりますけど…とにかく、あきらめずに努力していってほしいんです」

 「…そうですね。ありがとう、カノコさん」

 青年は淡く微笑んだ。

 「いつか、全く新しい『魔法』を組み上げてみたいものですね。師匠に追いつき…越えたいものです、本当に」

 眩しげにこちらを見つめる、そのまなざしに。

 「きれいな目ですね、ユーリ先輩」

 鹿乃子(カノコ)の口から、そんな呟きがこぼれた。

 「わたし、黒と違う色の瞳があるなんて、知らなくて…先輩の目、はじめはびっくりしたけど、きれいだなって思います」

 「あ、ありがとうございます」

 それだけを言って、ユーリはうつむいて作業に集中した。


 一方、屋上では。

 「ふはは、抵抗するなよッ…したらお前の大切な友達が悪夢に捕えられるぞ…ッ」

 「くっ!ぐぐっ、ぐはっ!」

 (ウー)の拳を、あやめ(サイキ)は防御姿勢を取って必死に耐える。

 「くっそー…こんなことして、楽しいのかよっ、(ウー)!」

 「不本意ではあるがッ…」

 (ウー)は悔しそうに答えた。

 「こうでもしないと、お前に手が届かないのも事実…ッ」

 「むちゃくちゃ情けない、(ウー)

 背後で巨大なライフルを構えるチョビが、ぽそりと呟いた。

 「うッ、うるさいッ!」

 思わず背後のチョビに振り向く、その時。

 校庭の片隅から、炎が湧き上がった。

 「何ッ!?」

 炎が、今まで隠されていた七色の網を照らし出す。

 二つの光は激しくせめぎ合ったが、ついに七色の網は炎に焼き尽くされて消えた。炎も燃料を失って消えていく。

 「ぐっ…!」

 声と共に、(ウー)の背後に立つ「夢の戦士」が倒れこんだ。

 一瞬、その身体を炎が包む。

 「今のは何だ…?」

 人々が空を見上げ、不安げに囁きはじめた。

 「やったな、ユーリ先輩!」

 屋上で、あやめ(サイキ)が飛び跳ねた。

 話が通じている訳ではないのだが、学園を覆い、ムウの身体を包んだ炎を見れば彼が何かしたのはわかる。

 「『夢』が…破れ、たッ!?」

 呆然と(ウー)が呟く。

 「よーし、これで心おきなく闘えるぜ!」

 「どうやったん…だッ!?」

 「―ユーリ先輩が、『結界破りの魔法陣』を使ったのよ。『夢』を一種の結界と考えて、ね」

 声は、予想外の場所…屋上への出入口から聞こえた。

 「お待たせ、サイキ!」

 楓が、ドアを開いて屋上に出てきた。

 「学園内の人たちを全員人質に取るとは、豪快なことやってくれたもんだけど…これでもう、人質に取られる心配はなし、よね」

 「おのれ!おのれおのれおのれえッ!」

 吼えた(ウー)だが…顔を上げ、あやめ(サイキ)を睨みつける。

 「ちくしょオオオッ!今度こそ、勝負だサイキッ!今まで待って待って待ち続けた最後の大勝負ッ…今日こそ決着をつけるッ!」

 「そんなに待ってたのかー?悔しかったんなら、さっさと勝負つけに来れば良かっただろうに」

 毎回のように刺客の後ろで涙を呑んでいたことなど、あやめ(サイキ)が知るはずもなく。

 「くうッ…とにかく勝負だ、サイキッ!」

 (ウー)は叫び…ちらりと後ろを振り向く。

 「…チョビ」

 「何だ、(ウー)?」

 不思議そうに聞くチョビに、(ウー)は彼らしくもなく気弱げに言葉を発する。

 「お、俺と…俺と一緒に…」

 「いっしょに?」

 「闘ってくれ…ッ」

 「うんっ!」

 プリーツスカートの裾をちぎれんばかりに振って、少女は答えた。

 「いいぜ、闘おう…今度こそふんづかまえてやる!」

 あやめ(サイキ)(ウー)に飛びかかろう…としたが、

 ズキューン!

 チョビの砲撃に、体勢が崩れる。

 「どうしたッ!甘いぞ、サイキッ!」

 「ちっくしょお…っ」

 呻くあやめ(サイキ)に、今度は(ウー)が肉迫した。

 「行くぞッ!」

 床面すれすれから繰り出される強烈なアッパーが、あやめ(サイキ)の顎を打ち抜いて吹き飛ばす。

 「くっ…!」

 意識が飛びかける!…のを精神力で繋ぎ止め、とんぼを切って着地する。その勢いを生かしたダッシュで(ウー)に迫り、銀の光を放つ拳を叩きこんだ。

 下でみんなが祭を楽しんでいるとは思えない、壮絶なぶつかり合いだ。

 「ぐは…ッ」

 「くうっ!」

 双方飛び退って体勢を整えようとする…が、

 「(ウー)といっしょに闘う!」

 あやめ(サイキ)の方には、チョビの砲撃が叩きこまれて体勢の整えも何もあったもんじゃなかった。

 「くっそー…」

 「これでどうだ!」

 弾丸があやめ(サイキ)に迫る…が、炎がその銃弾を捕え焼き尽くした。

 「おまえ…」

 「ぜえ、ぜえ…お待たせしました、サイキに楓さん」

 ユーリと鹿乃子(カノコ)が、階段を駆け上がって屋上に現れたのだ。

 「チョビは僕が押さえます!サイキは(ウー)を!」

 「ようしっ!今度こそ勝負だ、(ウー)!」

 「いいだろう…ッ」

 あやめ(サイキ)(ウー)が壮絶な殴り合いをしている一方、ユーリとチョビもその隣で火花散る闘いを(文字通りに)繰り広げていた。

 「炎よ!炎よ…っ」

 「でいっ!ていっ!」

 ユーリの炎をチョビは銃で撃ち落とすが、

 「あっ!」

 一本の矢が、撃ち落とせずにチョビに迫った。

 「チョビッ!」

 ふっ、と―

 (ウー)の姿がかき消え、チョビの眼前に出現する。

 「でえいッ!」

 蒼をまとった拳が、炎の太矢を叩き落とした。

 「(ウー)…かばって、くれたのか?」

 チョビの顔がぱっと輝いた。

 「うッ、うるさいッ。一緒に闘っているんだから守る、それだけだッ」

 答える声が裏返っていたのは、気のせいだろうか。

 「お楽しみ中悪いが…隙だらけだぜっ!」

 あやめ(サイキ)の拳が、(ウー)を床も壊れよというばかりの一撃で下に叩きつけた。

 「ぐがあッ…」

 「降参する気になったか?」

 「ええいッ、かくなる上はッ!」

 男はがばと立ち上がり、吼えた。

 「我に加護を与えたもう『蒼き熊』よッ!」

 「やば…!」

 今ここで守護精霊を呼び出されたら…どんなパニックになるかわかったもんじゃない。

 「その力をッ、我を介してッ…」

 「やめんかいっ!」

 あやめ(サイキ)が飛びかかったが、一瞬遅く。

 「示せッ!」

 (ウー)の身体から、蒼の光が噴出して渦を巻いた。

 そのまま上空へ駆け上がっていく。

 「サイキっ!」

 「大丈夫だ。我に加護を―以下省略!」

 叫びと共に銀光が湧き上がり…熊のかたちを取ろうとする蒼い光の渦をその寸前で、

 「今のうちにっ!」

 ぶち抜いた。

 「『以下省略』ってッ…それはあまりに、守護精霊に対するッ、敬意と言うものに欠けるところがッ…」

 罵りながら、(ウー)はへなっ、と屋上の床にへたりこんだ。

 「(ウー)っ!(ウー)…」

 チョビが取りすがって懸命に揺り動かすが、もはや声も出せないようだ。

 「どうだ、降参するか?」

 「いやだ!チョビ、(ウー)のことたすける!」

 チョビは一同をきっ!と睨み、

 「あ、こら待てっ!」

 (ウー)を抱えて屋上から飛び降りた。器用に一回転して勢いを殺し、着地して人々をかき分けるようにして逃げ出す。

 「また逃げられた…」

 「くそっ…あっ、痛ってえ」

 さっきさんざん転がされたせいか、あやめ(サイキ)の身体があちこちすりむけている。

 「サイキ、大丈夫?」

 「すぐ治しますっ!」

 鹿乃子(カノコ)が、ぼろぼろの彼(?)に駆け寄った。

 「いてて…(ウー)の奴、好き勝手やってくれやがって」

 「…あ、カノコさん。そこの傷は治さないで。この間バスケットやっててすりむいた所だから、急に治ると怪しまれるわ」

 「えー、傷は傷なのに…いいじゃないかそのぐらいー」

 「それにしたっておかしいから駄目っ!」

 「ちぇー」

 「…何が起こったんだ、君たち」

 そこに、樹が上がってくる。

 「派手にやってくれたようだな」

 「そうしないともっと大変なことに…」

 楓は、手短に状況を説明した。

 「…ま、まあ、何とかごまかそう」

 話を聞いた樹は、冷汗をたらりと流しつつ苦笑した。

 「映画研究会の試験上映とか何とかって」

 「映研もいい迷惑ねえ」

 「ま、(ウー)の『精霊の力』は打ち砕けた、かな」

 あやめ(サイキ)が軽~く言う。

 「これであいつ、しばらくは動けないだろ」

 「これで…少なくとも舞光祭の間は、襲ってこないかな」

 「まあ、首領が伸びちまってるんだから大丈夫なんじゃないのか?」

 「ほんとに気楽ね…」

 「とりあえず勝ったぜ!祭はこれからだ、楽しもーぜ楓!」

 「う、うん…」

 (これからの二日間はサイキと別行動なんだけどなあ)

 そうも思うが、この開けっぴろげな笑顔の前では言えず。

 「…そうね。楽しもうね、みんなで」

 小さく、同意した。

 その時。ぱん、と―

 舞光祭一日目の終了を告げる花火が、上がった。

 「こんなに、時間経ってたんだ…」

 「…新作の花火だったとかと説明するかな」

 樹がぽつり、と呟いた。

 「その方が、ごまかし効くかもしれないなあ」

 日はすでに山に沈み、残照がわずかに残っていた。


   第十二章 報われてない馬鹿もいる


 舞光祭二日目の朝。

 楓は少し早めに寮を出た。

 「―全員集まりましたね?各自、ごみ袋を持ってください」

 校舎の裏手、学園内のごみの集配所に集まった六人の前で、二年生の女性が声を張り上げていた。

 彼女は整美委員長である。

 (…大変だなあ、委員長は…)

 六人の一人である楓は、そう思いつつ話を聞いていた。

 (私たちは一日ずつだけど、委員長は毎朝ここに来て話をしているんだもんね)

 まあ彼女も、このまま毎年整美委員をやっていれば二年の後半には委員長をやらされている可能性が高いのだが。

 (図書委員の方がいいのに、そっちの方が仕事が楽だからって他の人がやっちゃうんだもん)

 そんな胸中の呟きをよそに、

 「えー、地味な仕事ではありますが、この祭を成功させるには必要なことです。がんばりましょう!」

 「「はい!」」

 委員長の号令の下、整美委員たちは動きはじめた。


 今日も舞光祭は大盛況だったが、楓には少々それが恨めしかったりする。

 「仕方ないんだけどね…」

 祭の間には、いつもとは比べものにならないほどのごみが出る。しかも、ごみ箱に入れない不心得者が後を絶たない。楓が属する整美委員会は、交代で学園内を回ってごみを集めることになっていた。

 「ふう」

 ごみ箱がいっぱいになってしまい、周りにジュースの紙コップやらお好み焼きのパックやらが積み上げられている。そういうごみを袋に放りこみ、楓は大きく息をついた。

 「これも仕事、大事な仕事…っと」

 他のごみ箱を探せばいいのに、とは思うがこれも学園祭が賑わっている証拠の一つではある。

 組んで校舎を回っている二年の小島と手分けしてごみを片づけ、一息ついたところに。

 「ああ、また…」

 目の前に、くしゃくしゃになった紙が転がってきた。

 「やだなあ、もう」

 慌てて取り上げ、何気なく開いてみると各会場のプログラム表だとわかった。

 「私たち生徒にも配られてますけど…正門で配ってますもんね、これ」

 「こういうの、見ないで捨ててく人結構いるからなあ」

 「配るなって言う訳にもいきませんしね」

 小島に答えて、ページをめくる。

 「小体育館は昨日演劇部の公演で、二日目…今日は二年D組の劇か」

 (ユーリ先輩のクラスね)

 ついでに見られるかな、と思う。

 「大体育館は午前中クイズ大会かあ」

 出てみないかと、あやめ(サイキ)に誘われた大会だ。

 「由布子もプッシュしてたしねえ」

 思わず、顔がほころんだ。

 「午後は…あら」

 破けていて、そこだけ読めない。

 「何だったかなあ」

 二日目は忙しいからと、前に配られた時もざっと見ただけで思い出せなかった。

 (何かあった気がするけど…)

 「おーい、行くぞ岡谷ー」

 小島が声をかけてきた。

 「あ、すみませんすぐに行きます」

 ごみ袋にプリントを適当に突っこみ、慌てて先輩の後を追った。


 その頃。

 「一人で回るのも、淋しいですね…」

 鹿乃子(カノコ)はそう呟きながら、校内を歩いていた。

 金魚すくいとか景品ありの輪投げとか、色々あるが。

 「これ、どうするんでしょう」

 そう、彼女にはこういう遊びの「楽しみ方」が良くわかっていなかったのである。

 「あ、鹿乃ちゃんだー」

 そこに、一年C組のクラスメイトたち男女数人が、近づいてきた。

 「…一人かなあ?」

 「そう…みたいだけど」

 「よし、一緒に回らないか聞いてみよう」

 その中の一人、篠原が鹿乃子(カノコ)に声をかけた。

 「…も、森宮」

 「…」

 …声をかけているのだが、彼女は射的に目を向けたまま答えない。

 「っ森宮っ!」

 「あ、そうだ。わたし、『森宮』だったんだ」

 かなり問題のある台詞を洩らして、彼女は篠原の方に顔を向けた。

 「はい。何でしょうか」

 「あ、あのさ、その」

 大いに照れて、彼は言葉を絞り出した。

 「今、一人で回ってるの?」

 「ええ、由布子さんは生徒会の仕事で、楓さんも当番で…サイ、じゃなかったあやめは『用事がある』ってさっさと出て行ってしまいましたし」

 「そうなんだ。森宮って、大体そのメンバーの誰かとつるんでるもんな。他の面子と一対一で話すことってないだろ」

 「すみません。つい知ってる顔に向いちゃって…」

 「い、いや、いいんだけどさ」

 「良かったら、あたしたちと一緒に回らない?」

 「あ、ありがとうございます。一人だと淋しくて」

 ほっとした笑みを見せて、鹿乃子(カノコ)はクラスメイトに合流し、笑いさざめきながら歩き出した。


 小体育館の外に備えつけてあるごみ箱も、いっぱいになっていた。

 「ユーリ先輩の劇、やってるみたいね」

 そーっと、音を立てないように注意しながら細くドアを開いて、覗いてみると。

 劇は、ちょうどクライマックスを迎えていた。

 ねむり姫のベッドに、ユーリ扮する王子が近づき、身をかがめ―

 「「「…っ」」」

 …何とも形容しづらいざわめきが、客席を覆った。

 「…ひ…」

 姫、とユーリが言いかけた時、

 「は、はいっっっ!」

 すっとんきょうな声を上げて、姫役の神岡がベッドから飛び上がった。

 さっきのざわめきから一転、どっと観客が笑う。

 (緊張に耐えられなくなったのね…)

 「…こ、こうしてねむり姫は目覚め、王子さまと幸せに暮らしたのです…」

 ナレーションが流れる中、拍手と歓声が巻き起こった。

 「それでは出演者の紹介です!」

 ユーリたちがカーテンの前に出てきて挨拶をはじめる。それを見つつ、楓はドアを閉めた。

 (午後にもう一度上演するって話だけど…これでユーリ先輩の人気、また上がりそうね)


 「―よし、今はこれぐらいでいいだろう」

 担当区域を一通り回って、ごみの詰まった袋を集配所に持っていき、置いたところで小島はうなずいた。

 「後は、今日の日程が終わってから片づけることにしよう。思ったより散らかってなかったし…岡谷、それまで自由行動してていいぞ」

 まあ、小島本人も少しは楽しみたいのではあるが。

 「わかりました」

 楓はうなずき、手を洗ってから校内をぶらつきはじめた。

 「昨日は大変だったし…明日は…うう」

 ちょっと照れて、思考を切り替える。

 「遅くなっちゃったけど、お昼適当に食べないとね」

 露店で焼きそばとかを買いこみ、食堂に行ってみると、学生も一般客も来ていて大変な賑わいだった。

 「どっか空いてるとこ…」

 「あ、楓さーん」

 クラスメイトたちとお昼を食べていたらしい鹿乃子(カノコ)が、声をかけてくれた。

 「ここ、空きましたから」

 「ありがとう。…篠原くんたちと一緒だったんだ」

 「はい」

 鹿乃子(カノコ)はうなずき、

 「でも…」

 そっと身を寄せ、囁きかけてきた。

 「男子は名字で話しかけてきて…慣れませんね、やっぱり」

 「あ、そうか。『彼方の地』で、みんな名前しか名乗ってなかったっけ」

 「家族がみんなで使う名前って、ないんですよ」

 少女はうなずいた。

 「ユーリ先輩も、『炎の魔術師』になる前は生まれた所の名を使って『木苺の里のユーリ』って名乗っていたって言ってましたし」

 「まあ、ルネサンス期のヨーロッパでも『ヴィンチ村のレオナルド』って名乗りがあった訳だしねえ」

 (…にしても)

 ふと、思う。

 (カノコさん、ユーリ先輩と結構仲いいんだなあ)

 そこで連想した「もう一人」について、聞いてみた。

 「…そう言えば、サイキ…あやめはどこに行ったか知ってる?私、早めに寮出ちゃったから知らないんだけど」

 当然、鹿乃子(カノコ)と一緒にいるものだと思いこんでいたのである。

 「ええ、早くに別れてそれっきり見てないんですけど…良かったら、『捜し』ましょうか?」

 「あ、そこまでしてくれなくていいわ。ちょっと気になっただけだから」

 何せ、この巫女さんは感知能力が高すぎる。彼(?)がどこにいようが正確な居場所を告げることができるだろう。そんなに詳しく調べてもらう気にはなれなかった。

 (…別に、そんなに気になってる訳じゃないんだから)

 そう、考える。

 (カノコさんと一緒じゃないから、ちょっと、ほんのちょっと気になっただけなんだから…)


 「ご一緒しましょうか」

 そう鹿乃子(カノコ)は言ってくれたが、もうお昼を食べ終わった篠原たちを待たせる訳にもいかないと、楓は断った。

 買って来た屋台の食べ物を堪能し、食堂を出る。

 しかし、そこからどうするか、全く考えていなかったことに気づいた。

 「一日ごみの片づけをするはずだったし…別れちゃったけど、これからどうしよう」

 楓がらしくもなく、そう呟いた時。

 「ただいまより、生徒有志によるスペシャルパフォーマンスショーを開催します。皆さま、大体育館にお集まりください」

 アナウンスが流れた。―由布子の声で。

 何か、とてつもなく嫌な予感がした。

 「それでは、エントリーナンバー一番の方、どうぞ!」

 スピーカーから前奏が流れ、歌声がそれに乗る。

 「…ちょっと、これって…」

 ものすごく聞き覚えがある歌で、もっと聞き覚えがある声のような気がした。

 「まさか…」

 楓は急いで大体育館に向かい、引き戸をばっと開けて…ほぼ想像通りの光景に頭を抱えた。

 「何やってんの、ほんと…」

 観客が壇上に立つ、かなり派手な衣装の人物を、歓声を上げて応援している。

 ステージ上でマイクを手に歌っているのは、やたら見覚えがある背の高い女性…に見えるが、実はそうではないことを楓は知っていた。

 「サイキ…あの馬鹿…」

 歌っているのである。

 あの大好きな特撮ソングを、マイク片手に、朗々と。

 「この…馬鹿っ!」

 思わず―

 楓は大体育館にずかずかと入りこみ、壇上に上がって、

 「ちょっとサイキ!何してるのよっ」

 「…あ、楓!これは、実はその…」

 「ほんとに…ばかっ!」

 「いて、痛てて!耳引っ張るな耳っ!」

 問答無用とばかりにあやめ(サイキ)の耳を引っ張り、彼(?)をステージから引きずり下ろした。

 「た、頼む!頼むから息させてくれ!げほごほがはっ」

 熱唱していた所を引きずり下ろされて、あやめ(サイキ)はぜいぜいと息を切らしていた。

 「何やってたのよ恥ずかしい…わかるように、きちんと説明しなさい」

 「くうっ、これには、くはっ、深い理由(わけ)がっ、がはっ」

 「理由って何?」

 「それは…」

 「ふーん、言えないんだ」

 彼(?)を引っ張り、強引に座らせる。

 「とにかく、あんな恥ずかしいことしないでね!」

 「えー、だってさー…い、いや、いいんだ」

 「『だって』何?」

 「いいんだ、もう」

 がっくりしているらしい返事が来た。

 「そ、それでは次の演目に入りまーす。ダンス同好会によるパントマイムショーです!」

 由布子のちょっと焦った声と共に、おそろいの衣装に身を包んだ数人の男女が現れ場を沸かす。

 (この間に出ていけないもんかしら…)

 楓は苛立たしげにあっちを見たりこっちを見たりしたが、観客たちがわくわくした表情で囁き合っている今、ことさらに目立つ行動はしたくない…と、ようやく少し冷えてきた頭で考えた。

 (…さっきは頭に血が昇って思わず引きずり下ろしちゃったけど…)

 彼女は赤面し、ため息をついた。

 (あれも結構恥ずかしい行動だったよね)

 そんなことを考えているうちに全てのパフォーマンスが終わり、

 「それではどの出し物が優れていたか、投票してください!一人一枚、カードを係員に渡してくださいね!」

 事前に配られていたらしい色つきのカードが、回っていく生徒会役員に手渡されていく。

 ややあって。

 「それでは、順番に発表していきます!」

 由布子がマイク片手に声を張り上げた。

 「まずは…エントリーナンバー一番、天野あやめさん!ステージに上がってください!」

 わあっと歓声が上がった。

 「あ、呼んでる。行かなくちゃ」

 「…行かなくちゃいけないの?」

 「えー、でもせっかく呼ばれてるんだしー。行きたいよ」

 「うう、恥ずかしいけど…行かない訳にはいかない、か」

 周りの注目が集まっているのが、肌で感じ取れる。

 「行ってもいいか?」

 「いいけど…恥ずかしいこと、しないでちょうだいね」

 「うん、わかった」

 …どれだけわかっているのかわからなかったが、ここはあやめ(サイキ)を信じることにした。

 「じゃ」

 軽く言い置いて、彼(?)はステージに上がる。

 「それでは、天野さんには…途中で終わってしまいましたが、がんばって歌ったということで、参加賞のトロフィーを贈呈したいと思います!」

 小さなトロフィーが、由布子から手渡された。

 「…()()()()()?」

 その呟きを、マイクはしっかり拾っていた。

 「…途中で止めちゃったからね。これ以上は出せないわ」

 由布子の言葉も、マイクは大体育館内に行き渡らせてしまう。

 (ああ、何かすごく恥ずかしい…)

 羞恥心に身もだえする楓に、戻ってきたあやめ(サイキ)が「よ」と声をかけた。

 「全くもう…『これだけ』って何よ、『これだけ』って」

 「いや、その…ちょっと理由(わけ)があって」

 「理由って何よ」

 「…」

 いつもなら即座に何かは言うあやめ(サイキ)が、黙りこんでしまう。

 「言えないようなことなんだ」

 「…ごめん」

 彼(?)の一言は、「理由」を話せないと雄弁に告げていた。

 「…」

 今度は楓が黙りこむ。

 「…うう、トロフィーじゃ困るんだよー。俺が欲しいのはこんなんじゃないんだよ。これじゃ『贈れない』じゃないかあ…」

 黙った楓の横で、彼(?)は小声でぶーぶー文句をつけていた。

 「何よ、『贈れない』って」

 「…楓…このトロフィー、良かったら…」

 「それはサイキが歌って貰ったものでしょう?持ってなさいよ、あなたが。貰っても私別に嬉しくないし」

 「そうか…」

 楓の返事に、あやめ(サイキ)は彼女が驚くほどがっくりと肩を落とした。

 二人がそうしているうちにも表彰は続き、会場の興奮も高まってきた。

 「それではお待ちかね、優勝パフォーマンスの発表です!」

 由布子のマイクパフォーマンスにも熱がこもる。

 「―優勝は!エントリーナンバー五番、女装コンテストチームです!ステージに上がってください!」

 あやめ(サイキ)の時よりずっと大きな歓声が上がった。

 「優勝の楯と、副賞の…」

 「…ほら、今のうちに出るわよサイキ!」

 我慢できなくなった楓が、あやめ(サイキ)を引っ張った。

 「賑やかになってるうちにっ!」

 「えー、でも…まあいいや、俺もうどうしようもないし」

 ぽそりと呟き、彼(?)は楓の後ろに続いた。


 そんなこんなで祭の二日目も終わり―

 楓がごみの回収を終えて戻ると、あやめ(サイキ)は食堂で黙々と夕飯を食べている所だった。

 いつもなら楽しそうに話しかけてくるのに、今は目も合わせようとしない。

 (…引きずり下ろしたのが、そんなに嫌だったのかな…)

 楓もそう思うと、声がかけづらかった。

 寮の部屋に戻っても会話がなく、彼(?)はさっさと下のベッドにもぐりこんでしまう。

 だんだん頭も冷えてきて、

 (悪いことしたかな…)

 彼女もそう思えるようになってきた。

 小声でそっと、呼びかけてみる。

 「サ、サイキ…」

 「…」

 「……」

 返事は、ない。

 気まずい沈黙が、二人の間に流れていた。

 (いつもなら、寝つくまで笑ったり喋ったりしてるのに…)

 今晩は重苦しい沈黙が続くのみ。

 一メートルも離れていないのに、その距離がとてつもなく遠かった。

 (明日、朝になったら…)

 上のベッドに入り、眠ろうとしながら楓は一人思う。

 (明日になったら、ちゃんと話をしよう)

 胸が苦しくてなかなか眠りにつけなかったが、とにかく眠るまでそう繰り返していた。

 (明日…明日になったら、ちゃんと話そう…)






 











 



















 












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