スパルタス王宮での結婚披露宴
セイン・ルカが見た正面に座るマリーア王女、いや大公妃は話に聞く以上の美しさだった。三日後に主のアルス・エメロードがどれ程驚くか、想像に難くない。正直『銀の女神』の名に恥じないその美貌は各国の使者たち、それぞれスパルタス王国に敬意を表して高位の貴族や王族、皇族だったが、彼らも一様に驚く程だった。
どこの国でも珍しい銀の髪は、母エレオノラ王妃を通じて流れる今は亡きミランダ王国王家の血によるものだ。六百年程前に火山の噴火で滅んだ島国の話は、様々な伝説や歌となり吟遊詩人が今に伝えている。
なかでもその美しさを我が物にしようとして三つの国が戦になったという伝説の美女キルメニイ王女や、軍神と呼ばれたハラール二世の物語は、誰もが子供の頃から親に聞かされて知っているだろう。
一夜にして滅んだ国というロマンティックな物悲しい響きに加え、有名なキルメニイ王女の月光のような白銀の髪と紫水晶の瞳は、この世のものとも思えない組み合わせで、人々の心を捉え続けてきた。
スパルタス王女マリーアが生まれた時には、同じ髪色、目の色だということで、キルメニイの再来と騒がれたが、実際見たことがある人間はともかく、殆どの国の人間はスパルタス人が見栄を張って言っているだけだと思っていた筈だ。
白銀の髪というのも薄い金髪にすぎないだろうし、紫の瞳などある筈もない。ありふれた碧眼にきまっている。母親のエレオノラ王妃もキルメニイの再来を謳われていたが、見たことがある者の話ではとても美しいが白銀という程の色ではなかったというではないか。いくらミランダ王家の血を引こうとも六百年も経てば他と混じって薄くなっている。そんな僅かな血でスパルタス人が言う見た目になるものか。
そう思って内心馬鹿にしていたであろう連中が、壇上のマリーア大公妃を何度も見ずにはいられない様子に、セイン・ルカは自分も驚いたのを棚に上げて小さく嗤った。
(見た目は噂以上だったが、さて美しいだけの人形か、それとも多少は自分というものを持っているのか……それによってはこちらも対応を考えなくてはならない。我がエンキにとって害為す存在にならればよいが……)
目の端にパンセ皇帝サイラスの使者ゼム伯爵の姿が入り、セイン・ルカは嗤いを消した。
向こうは何の表情も浮かべていないが、内心は怒りで苛立っているに違いない。パンセは今回の結婚に関して全くの蚊帳の外状態だったが、早い段階で知っていたら絶対に横槍を入れてきた筈だ。
今こうしてエンキへの影響力が薄れていく様を為す術なく見ながら、その祝いの宴席に連なっているしかない顔見知りのパンセ人の心中を推し測り、セイン・ルカはさりげなく視線を逸らそうとしたが、相手がこちらを向く方が早かった。
「おお、セイン・ルカ公爵。この度はお目出度いことですな」
一回りも年上のゼム伯爵は祝いの言葉を口にしながら、感情の見えない表情でゴブレットを持ち上げた。
セイン・ルカも如才なくゴブレットを持ち上げて礼を述べる。
「それにしても驚きました。我がパンセ皇帝も、エンキ公がこんなに結婚を急がれるのは何故かと……不可解な思いでいるようですが?」
何気ない口調で厭味を散りばめるゼム伯爵にエンキ大公の腹心がなんと答えるか、周囲が注目しているのを承知の上で、セイン・ルカはことさらゆっくりと口を開いた。
「皆さんを驚かすつもりは我が主にはなかったと思いますが……」
「いえ、驚きますとも。我が主もエンキ公は結婚にまだ関心をお持ちではないとばかり思っておりましたから、今回の急なお話に何やら違和感を覚えているようです」
ゼム伯爵が言うのも無理はない。スパルタスから打診があるまで、エンキ大公アルス・エメロードの結婚話など全くなかったのだ。
特にその気になってからは周囲に気付かれぬようこっそりと、しかも急いで準備をしたために他国、とりわけパンセが騙まし討ちに近い感覚を持つのは当然と言えた。
セイン・ルカは照れたような羞じらうような表情を浮かべた。武骨な醜男である自分がそんな表情をしたら滑稽なのは百も承知だ。
「いや、確かに仰る通り、我が主が結婚に長いこと関心を持っていなかったのは事実です」
「ほう、それが何故―――」
「簡単なことですよ。我が主アルス・エメロード公の心には長らく一人の女性の面影がありました。それこそが『銀の女神』マリーア様だったのです」
「な……っ、そんな、エンキ公はマリーア王女とは面識はない筈。それとも私が知らぬだけでお二人は会ったことがおありだというのですかな?」
「いえいえ、残念ながらそういうことはありません。ですが、我がエンキ大公は子供の頃から伝説のキルメニイ王女の物語に憬れを抱いており、こちらの姫に対しても同じ想いを持っていたわけです。ずっと大切にしてきた初恋と言えるでしょう」
こんな話を作ってアルス・エメロードが聞いたら顔を真っ赤にして怒るだろうと想像しながら、セイン・ルカは続けた。
「そうは言ってもマリーア様はスパルタス国王陛下の掌中の珠。大切に大切に慈しまれている姫君を頂きたいとはとても……ですから我が主としましては、マリーア様は決してスパルタス王国を出ることなく、国王陛下のお手元にずっと置かれると思い、諦めていたのですよ。ですが心から恋する方がありながら他の女性との結婚など考えることも出来ず、結果、関心がないように見えていたというわけです」
「それはそれは、エンキ公もお若いだけに情熱的ですな。……なんにせよ初恋を実らせたとは……お目出度いことです」
そう言うしかないといった表情のゼム伯爵の言葉に、周囲もどっと沸いた。
「エンキ公もなかなか隅に置けない方ですな。何食わぬ顔でスパルタスの至宝を我が物になさるとは」
「だが『銀の女神』を得られるとは本当に運のいい方ですね。私も今日初めてお会いしましたが、これだけ美しい姫君を見たのは初めてです」
「確かにマリーア王女殿下、いやマリーア大公妃殿下がこれ程お美しい方だとは。噂には聞いておりましたが、本当に伝説のキルメニイ王女を思わせるお美しさです」
皆が口々に言うのを聞きながら、セイン・ルカは再び口を開く。
「本当に我が主にとって、またエンキの国民にとって、お美しい大公妃殿下をお迎えできたのは望外の喜びです。スパルタスの国王陛下の方から我が主アルス・エメロードの器を見込んで、大切な姫君の将来を任せるに相応しい男と思われ、是非にと望まれたのは、アルス・エメロードを大公に戴くエンキの臣民にとっても誇らしいことです」
はっきりとこの話はスパルタスからもたらされたものだと明言することは大事なことだ。
スパルタスとエンキが関係を強化することに違いはないが、どちらがそれを求めたかによって周りに与える印象は違ってくる。エンキに害意を持っている国でも、大国のスパルタスに対しておおっぴらに対立するのは覚悟がいるのだ。
様々な思惑が渦を巻き、腹の探り合いが続く中、表面上は和やかに祝いの宴は進んでいく。
(狸どもめ。さあこれから皆がどう動くのか、きっちりと見極めねば)
セイン・ルカ公爵は凡庸にも見える表情の奥に鋭い頭脳を働かせながら、ゆっくりとゴブレットの酒を飲み干した―――。