朝食の席で
これ以上の口出しは無用とマリーアに決めつけた王妃に、国王が手を差し伸べた。
バルコニーに出る大扉が開かれる時間なのだ。
勝ち誇った笑顔で王妃がその手を取ると、国王は小バルコニーの方に向かうマリーアに向かって口を開いた。
「マリーア、心配いたすな。我が治世は王妃も申したように乱れる余地など全くないわ。兄と弟が睦まじいのは良いことではないか。そなたはいつものようにその美しい姿を国民に見せてやることだけ考えておればよい。ジャンヌもな」
取って付けたようにマリーアと並んで立ち止まったもう一人の娘の名も言った国王に、王妃の笑顔が微かに曇る。
前王妃の子供二人の美貌と比べて、現王妃の子供達の容貌ははるかに見劣りがするのだ。それでも男は容姿よりも重要なものがあるからいいが、マリーアと並ぶとその輝きにかき消される娘の存在感の薄さを、夫である国王自身に指摘されたように感じて、王妃は苛立ちを隠すのがやっとだった。
だが、目の前で繰り広げられる水面下の攻防にも、気付いているのかいないのか、全く興味を見せなかった国王は、今王妃が苛立っていることにも全くの無関心だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
朝食室の長テーブルに着きながら、マリーアはつい今しがたの朝の一般参賀を思い返していた。
国王と王妃と共に二人の王子が並び立ったバルコニーを見て、国民は驚きどよめいていた。今までにない光景に戸惑いを覚えている空気は、小バルコニーの上からでもはっきりと見て取れたが、国王に万歳を叫ぶ声の中に一つ二つカール王子に向けたものが混じっていた。
勿論、リオン王子への声はそれ以上だったが、今までにないカール王子への歓声はマリーアの中の警戒心を掻き立てる。
このようなことが続けば、今日は戸惑っていた国民もすぐに慣れ、いずれはリオン王子を呼ぶ以上の声がカール王子に向けられるようになるかもしれない。
そうなってしまったらなし崩しに、カール王子が王太子に立つことになってもおかしくなかった。
なんとか手を打たなくてはならない。
考えながらも身についた優雅な手付きで果汁のグラスを口元に運ぶマリーアの目に、興奮した表情の王妃が映った。
マリーアを焦燥させた今朝の一般参賀の出来事が余程嬉しかったらしい。
夜の食事は外国の大使を招いたり、有力な貴族達が特権として同席することが多いが、朝は王の家族だけで食卓を囲むのが常だ。だが、今日は珍しく王妃の兄、フリオ・バルディ公爵が同席を許されていた。
王妃の父はもう亡くなっており、この兄が王妃の実家の当主なのだ。
このバルディ公爵と王妃はさりげない口振りで、王子二人を褒めそやしていた。
マリーアから見れば、二人を並び評すことで同格に扱う意図がはっきりしていたが、肝心のリオン王子はカール王子とまとめてでも、王妃の口から自分への賛辞が出ることに喜んでいる様子だった。
「それにしても、マリーア王女殿下はお年頃になられて尚一層お美しくなられましたな」
マリーアはバルディ公爵を見遣った。
上機嫌で話しているバルディ公爵の隣席では、王妃が今の発言に気付かなかったような顔をして、パンを一口大に千切っている。
「国王陛下もこんなにお美しく聡明になられたマリーア王女を手放される時は、随分寂しい思いをされることでしょう」
何が言いたいのだろう。
薄く眉をひそめたマリーアの前で、バルディ公爵は何気ない口調で続けた。
「それでもまだお美しいジャンヌ王女が下にいらっしゃいますからな。リオン王子とカール王子も頼もしくご成長されましたし、これは先が楽しみでございます」
「うむ。良いことだ」
国王は侍従にパンのお代わりを要求しながら答える。
「そういえば、お隣のエンキ公国のお若い大公も丁度マリーア王女と同じ年頃でしたか。随分とこちらも美男の誉れ高いお方らしいですな」
「私も聞いておりますわ。お若いのに病がちだった父親の跡を立派に継いでおられる、なかなかの殿方だとか」
食事に気を取られて会話にあまり興味を示さない国王に代わって、王妃が声を高めて返事をした。
「そうですとも。なにしろ我が大スパルタス王国と、衰えたりといえどこれまた大国パンセに囲まれているわけですから、並みの器量では大公は務まりません」
「まあそうですの。国王陛下、エンキ公国の大公殿下は我が国のマリーア王女とお似合いだとは思いませんこと?」
これが言いたかったのかと得心がいったマリーアの前で、国王が不快げにナプキンをテーブルの上に放った。
「馬鹿な。見所があろうが美男だろうが、大国の王女がちっぽけな公国に嫁ぐなんてことがあっていいわけがない」
「そうですとも」
すかさず国王の不機嫌な口調に迎合したバルディ公爵は、味方に裏切られて目を怒らせている妹の王妃には目もくれないまま、しかし、と言葉を継いだ。
「エンキ公国は我が国より小さいとはいえ豊かな国。かの国を取り込もうとパンセが虎視眈々と狙っております。元々パンセには、エンキ公国は自分に朝貢していた属国だという意識がありますから、衰えた自国を活性化させるためにもエンキ公国は是非とも手に入れたい筈。といっても、我が国にとってもエンキ公国との交易が重要なのは言うまでもありません。かの国をパンセに取り込まれてしまえば、我がスパルタス王国の損失は計り知れないものとなるでしょう。それを防ぐためにも、ここで婚姻によりエンキ公国との縁を深めるのはなかなかの良案といえるかもしれません」
「ふむ……」
国王が機嫌を直すまではいかなくても、耳を傾けているのを見て取った王妃が、そうですわ、と口を挟んだ。
「女として生まれた以上、王女達は国益のためいつかは嫁いでいくのが運命ですもの。それは我が国と釣り合う程の大国と縁組みが出来れば望ましいことですけれど、そうそう都合よく相手が見つからないのでしたら、格下相手とはいえ良いお話ではありませんか」
「だが……」
マリーアは父の心が少しずつ傾いていくのを見て、素早く頭の中で考えを巡らした。
確かにかなりの格下とはいえ、エンキ公国は温暖な気候で豊かな作物の穫れる農村部と、交易の盛んな都市部を併せ持つ。
エンキ公国の隣国パンセは内陸部にあって港を持たず、スパルタス王国は広く海に面しているが浅瀬や岩場が多く小型の船しか用をなさない。大型船が出入りする立派な港を擁したエンキ公国は、大陸中の交易の要と言っても過言ではないのだ。
エンキ公国をパンセの手中に収められたら、確かにバルディ公爵の言う通り、スパルタスの損失は計り知れないだろう。そうなる前に婚姻によってエンキをこちら側に寄らせるのは、政治的にも良い策だ。
といっても急に降って湧いた結婚話に、マリーアは落ち着こうと思っても動揺は否めなかった。
私的な場での何気ない会話と言えなくもないが、王妃の兄であり有力貴族であるバルディ公爵が持ちだした以上、ただの戯言ではすまない。
内務、外務の大臣達もこの話を聞いたらかなり乗り気になる筈だ。
ただ一つ問題があるとすれば、格下国相手に王女を売り込んで断られた場合の面子のことだけだろう。
だがその場合でも、エンキがパンセ寄りだとはっきりするし、面子を疵付けられたことを理由に圧力をかけることも出来る。
「そうか。……マリーアもそういえば十八歳だし、そういう話もそろそろ考える時期だな。相手がエンキ公国というのがどうにも癪に障るが」
国王が本気で考え込む姿勢を見せると、バルディ公爵と王妃は満足気に視線を交わした。