第2話 神父殿
「ほら、早く来い」
ヨハンは、呆気にとられている英人に声をかける。
「………ぇ?…」
「だから、早く来いって。そんな道の真ん中にいたら馬車に轢かれちまうぞ」
「ぁっ……はい」
英人は道の端によるとヨハンの後ろを歩きだした。
「……その…」
「ん?どうした?」
「何処に…行くんですか?」
「……とりあえず、あんたみたいな不思議な奴の専門家のところに連れていく」
「………専門家?」
「安心しな。知り合いの神父殿のことだ」
神父。ということは此処にも宗教の概念は存在するのか。
英人はそんなことを考えていた。
「やぁ、ヨハン」
家の壁を掃除している婦人がヨハンに呼び掛ける。
「おう、マレーヌ。旦那は元気か?」
「えぇ、元気よ。元気過ぎて毎晩困ってるわ」
「はははは!!そりゃ大変だな。旦那によろしく伝えといてくれ」
ヨハンはその後、軽く会釈をして再び歩き出した。
「……お知り合い……ですか?」
「ん?あぁ。知り合いの嫁だな。どうかしたのか?」
「いや…ずいぶん親しいな…と思って」
「そうか…?普通だと思うがな~」
他人との繋がりがある人ならば普通のこと。そう考えるとますます自分が惨めになっていく。
「………」
「…エート…あんたに何があったのか、俺には全くわからんが…」
「あんまり気にしなくていいんじゃないか?」
ヨハンには英人が、今このときにも消えてしまいそうなほど弱々しく見えていた。
それからしばらく、二人は街の中を歩き続けた。
「ほら、あれが教会だ」
ヨハンはそういうと、一際大きな西洋建築を指差した。
白を基調とした建物で、その面持ちはカトリック教会のようだ。
ヨハンが教会の扉を開けると、そこには予想通りの教会の景観が広がっていた。
ただし、教会の中には十字架も、それに相応のものも見当たらなかった。
「おーい、神父殿」
ヨハンが叫ぶと最前列で手を合わせていた一人の男がこちらを向いた。
さらさらとした白髪を七三分けにした優しい青い眼の老人、しかしその目に衰えは無く、名状しがたい光が宿っていた。彼がヨハンの言う神父殿らしい。
「やぁ、ヨハン。そのお方は?」
「途中で倒れてたんです。どうも、色々と奇妙なんでさぁ」
「ふむ……」
「ヨハン、少しここで待っていなさい」
「御客人。どうぞこちらへ」
神父はヨハンに待っているように言うと、英人を礼拝堂の脇へと案内した。
そこには幾つか扉があったが、一番奥の扉を開け、応接室へと通された。
「あ、あの…」
「御客人、紅茶はいかがですか?」
「……はい…」
神父はカップを2つ取り出すと、ポッドから紅茶を入れた。
「どうぞ」
「…ありがとうございます」
紅茶の高貴な香りが辺りを漂う。
「…あなたは、何が目的で此処へ?」
「……へ?」
神父の突然の問いに少々戸惑う。
「…あなたは見たところ、この国の人間ではないようですから、何か事情があるものかと。」
「……」
「知っている事で構いません。何か、話していただけますかな?」
英人は神父に知っている事を話すことにした。
信じてもらえなくても良い。ただ、自分の破綻しそうな現状を誰かに打ち明けたかったのだ。
自分は日本という国の人間だと言うこと。自殺して目を覚ましたのが此処だったと言うこと。
それからー
自分は異世界に来てしまったのではないかということ。
神父は英人のぶっ飛んだ言葉を、普通ならば失笑を買うであろう言葉を、一つ一つ、しっかりと聞いていた。
「うむ……では、エート殿…と仰りましたな?」
「……はい」
「あなたは、此処とは違う異界より飛ばされてきた……と?」
「……わかりません。ですが、此処とはどう考えても違うんです……」
「……なるほど」
神父は目を閉じ、話を整理しているようだった。
「私は、永らく神父をしておりますが、幾度となく妄想を語る狂人や、信徒をからかうペテン師と会ってきました」
「ですが、」
「あなたの仰っている事は、その類いの妄言では無いと、私は感じました。」
「お力を貸しましょう。エート殿。」
神父は、英人の手を掴むと、優しく握手をした。
「ヨハン」
礼拝堂の壁によりかかっていたヨハンは声の方を見やる。
礼拝堂の脇から神父と英人が戻ってきた。
「ヨハン、彼をイスプの家へ」
「イスプ?あの男の家にですか?」
「えぇ、彼ならきっと何とかしてくれるでしょう」
「エート殿、心配なさらずに。私からも彼に伝えておきますから」
イスプ……神父の言う話では、神父の知り合いで、色々世話をしてくれるらしい。
「なら、エート。送るぜ」
ヨハンは扉を開けると、英人が来るのを待っていてくれた。