第1話 移転
彼は、自らの身におこった説明不可能な突然の出来事に、頭が飛びそうになっていた。
(僕は死んだんじゃないのか?)
(夢か?)
様々な思考回路を駆使して論理的に説明のつく答えを探す。
(そうだ、きっと死ぬ前の脳が見せる幻覚なんだ。うん。そうに違いない。)
だが、彼は薄々気がついていた。
これが、もしも瀕死の脳が見せる幻覚ならば、
恐らくこんなに論理的な思考などできないだろうということを。
「あんた、見かけない顔立ちだな。どこの人間だい?」
目の前の男が聞いた。
「え……ど、どこの?………ぇ?」
男の顔を見ると、ヨーロッパ系の顔立ちをしており、どうやら此処は先程までいた(少なくとも自分の感覚としては)日本とは違う所のようであると考えられた。
だが、そこで彼は奇妙なことに気がついた。
言語が通じている。
明らかに男は日本人ではないにも関わらず、まるで違和感がなく日本語を話している。
(からかっているのか?)
そうも思ったが、話ぶりからするとどうやら彼は何も企んではいないようだった。
「ぁ……あの………」
「うん?」
「こ………ここは……その………何処ですか?」
「ここかい?ここはアシュバルの都近くの山だが?」
「ぁ……アシュバル……?」
「おいおい、アシュバルを知らないのか?」
「はぁ………」
どうやら此処はアシュバルという場所の近郊の山らしい。
(アシュバルって何処の国の地名だ?)
英人が悩んでいると、事態を察したのか、男が口を開いた。
「あんた……もしかして、何も知らない…のか?」
「……はぃ」
「…………………」
男は少しの間沈黙し、何かを考えている様子だった。
「………あんた、」
「はい?」
「行くあてはあんのか?」
「………」
「………………」
有るわけが無い。此処には初めて来たのだから。
「まぁ、何だ」
男は無精髭をはやした顎を触りながら言う。
「行き場所がねぇなら、良いとこを紹介してやろう」
行き場所。
彼が人生で無くしたもの。
男の言った意味と英人の求めていた意味は全く違うものだっただろうが、英人は、黙ってうなずいた。
「なら、着いてきな」
男は英人を立たせると、小道を歩き出した。
立ってから気がついたがどうやら英人は山道の真ん中に倒れていたようだった。
男は思いの外背が高く、ひきしまった身体をしていた。
「ところであんた」
「…へ?…あ……はい」
「靴はどうしたんだ?」
「……あ…」
彼は飛び降りる時に靴を脱いでいたのを思い出した。
(…結局……死にたくないんだ………)
自分で死を望んだにも関わらず、結局は居場所を求める。
英人は自分の弱さに窒息しそうになった。
「ここから先は多少だが道が荒いぜ」
「足を怪我しねぇようにな」
「………ありがとう…ごさいます」
あまりに社交性の無い、無個性的な英人の反応のせいで、男との会話はほとんど続かなかったが、男は相変わらず英人と会話をしようと話しかけた。
「あ、そうだ」
「俺はヨハンセンってんだ」
「………え?」
「俺の名前だよ」
「ぁ……ヨハンセン……さん……」
「ヨハンって呼んでくれ」
「…ぁ…はい…」
「………………」
「………あんたは?」
「………………山内…英人…です」
「ヤマウチ エート?変わった名前だな」
(山内も英人もさほど珍しい名前では無いと思うけど、やはり日本ではないのか?)
それからしばらく、ヨハンセンと英人は山道を進んだ。
突然、辺りの木々の無い開けた場所へと出たかと思うと、男が口を開いた。
「エート、ここがアシュバルだ」
英人は目を疑った。
中世ヨーロッパを思わせる建築物、住居。
そこに息づく相応の人々、動物。
まさに幻想的な空間だった。
「………………」
まるで自分は異世界にでもやって来たようだと、英人は思った。
だが、その言葉はすぐに比喩的な表現から、生々しい仮説へと変わった。
その仮説は、論理的ではなく、突拍子の無い物で、普段の英人ならば絶対にたどり着かなかったであろうものだった。
もしかすると、自分は、
異世界へとやって来たのではないかー