第10話 暗部
吸い込まれる様な蒼い空の下、アシュバル地方憲兵隊に所属するダニエル・パージルは、兵舎の後ろの中庭に大の字になって草の上に寝転がっていた。
「よぉ、ダニー。こんなとこで何やってんだ?」
無精髭を生やした男。トース・ルドカノフが顔を覗きこむ様な形で話しかける。
「見てわからんのか?日光浴さ。お前こそこんなとこで何やってる?」
「へへへ……なーに、休憩だよ」
トースは、手に持っていた水筒をあけると、その飲み口を唇へと運ぶ。
口内に傾けられる時、水筒からアルコールの匂いがした。
「昼間から酒とは、こりゃあいい仕事だな」
ダニエルはわざとらしく皮肉をぶちまけたが、トースは少し笑ってまた飲み始めた。
「支給品から酒瓶が一個減ったって……誰も気にしねぇよ…」
「………だろうな」
地方憲兵隊。ダウィスパニア王国の地方統治、及び治安維持組織。
給料は安いが、都からの物資の横流し等で、商人や農民よりは良い暮らしが送れる。
「聞いたか?この前の魔物のこと」
トースは顔を俯かせてダニエルに問う。
「まだ見つかってねぇ魔物のことだろ?あれがどうしたって?」
「……本当はもう結構前に見つかってるらしいぜ……」
「……は?」
ダニエルはトースの予想だにしない言葉に驚きをあらわにし、体を起こして話に食いついた。
トースが決して誇張された噂話や根拠のない話をする男ではないことは、ダニエルも良くわかっていたが、そればかりは信じられなかった。
「……もしその話が本当だとしてよ…なんたって隠すんだよ?すぐにでも討伐すりゃあいい話だろ?」
トースは少し首を振ると、口を開いた。
「今、アシュバルにはな、魔物を殺せる人間がいねぇんだよ」
「どういう事だよ?」
「アシュバルの戦闘系魔法兵士達は皆、魔王の討伐遠征に充てられたらしい」
魔王討伐遠征。魔王軍が占領する領土の奪取を目的とした遠征隊。ダウィスパニアをはじめとする近隣諸国で構成される同盟『抗魔同盟』が結成し、毎度清々しいまでの人類の敗退を決め込んでくれる人類の頼りない矛。
事実、歴代の遠征隊の死亡率といったら恐ろしい数値を示すだろう。
まさか、その死地への遠征に戦闘系魔法の使い手が全て充てられたなんて…
「考えられない」
トースは溜め息をつくと、周囲を気にする様子を見せ、声を潜めて話す。
「何でもな、アシュバルの魔法兵士達の中には、議会に不安を持ってた奴が少なからず居たらしいんだ」
「……なんだ?その当て付けだってのか?」
「あぁ、恐らくな」
馬鹿げている……と言いたいところだが、議会連中ならばやりかねないだろう。
議会というのは、尊王独立議会のこと。現在の王が民意の反映を目的として設立した独立した議会だが、実際は今の民主王政に不満を持つ上流貴族達の巣窟と化している。
彼らは、自分達に刃向かう者がいれば、容赦なく王の命として粛清する。
王は、そんな事など知らずに、議会の設置で民意の反映に成功したとばかり思い込んでいる。全く、偉大なる我が王ではあるが、その愚鈍さと盲目さにはさすがに呆れるしかない。
「でもよ、それと魔物がどう関係してんだ?」
トースは抑揚の無い声で話を続けた。
「魔物を倒せる兵力を無くしちまったのは議会の連中だろ?だから、その事が民衆に知れ渡ったたら、少なからず王様の耳に入るわけだ」
「つまり……」
「議会連中は王に感づかれる事を恐れて、俺ら兵士に圧力をかけてる」
衝撃的だった。議会連中が腐ってる事は前々から承知だったが、まさかそこまで腐乱していたとは思わなかった。
「……犠牲者だって出てるんだぞ……」
「そんな事奴らにとって関係ない事さ。有るのは自らの保身のみ……ってな」
「だいたい、魔法兵士はどうするんだよ?まさか不在のままじゃあるまい」
「多分、どっかでヘマやらかした兵士が出向されてくんだろ」
「……やっぱり信じられないぞ……」
「……あくまで噂だ……」
トースは、水筒に蓋をして口元を拭う。
「噂なら……いいんだがな……」
突然、後ろの兵舎から走るような足音が聞こえる。
「まずい……」
「誰だ?上官か?」
「……いや」
「なんだかおかしいぞ……」
「どうした?」
「今の足音ー」
「俺たちの後ろから逃げたみたいな…そんな気がする…」
二人の兵士はその場に立ち尽くし、不定形の不安を抱いた。