遠征軍
聖光暦1855年3月31日
マルアム王国 西部植民地 ダフィアナス島
王直轄市ダフィアン 近海
新領土鎮定軍 本営
「壮観だな」
思わず、そんな台詞を呟いてしまう。
彼の目の前に広がる大海原。そこには、無数の艦隊が集結していた。予定では、明日までにさらに二つの艦隊が加わることになっている。
海を覆い尽くさんばかりの大艦隊。
これらは、突如として王国西方に出現した謎の諸島を併合するべく、派遣されたものだ。謎の陸地には蛮族が居住しており、蛮族たちが言うには、オガサワラショトウと言うらしい。いかにも蛮族らしい、低劣なネーミングだ。王国併合後には、もっと立派な名前を付けなければなるまい。
無論、地名の決定は王の仕事ではある。だが、新領土を名付けるときには、その領土を獲得した将軍―この場合は彼―の意見を参考にすることが慣例になっているからして、実質的には彼の案がそのまま採用されることになるだろう
どんな名前が良いだろうか?
自分の名前を、そのまま案として出してみるか? いや、それだと俺が功名心の塊みたいに思われるかもしれない。
ここはやはり娘の名前から? これならば、子供思いのいい父親と思われるか? いや、親バカとか言われそうな気がするな……。
うーむ。
いかにすべきか? 悩ましい。
「将軍!」
そんな彼の思考は、彼の天幕に入ってきた参謀長の報告によって一時中断を余儀なくされた。
「サマイル副提督の艦隊より魔導通信が入りました。読みます。『北方諸島で反乱発生、ダハビー市炎上の報あり。本艦隊は北上し、これを救援せんとす』以上です」
「なに?」
それは少々、厄介な報告だった。サマイル副提督が指揮するのは、戦列艦8隻、航走艦4隻。戦列艦が8隻と言うのは、中々強力な部隊である。特に艦隊旗艦である、“ヴァリアヌス”は王国海軍全体でも7隻しか存在しない30門級戦列艦だ。
それが抜けるというのは、少々痛い。
まあ、残りの艦隊だけでも十分な戦力ではある。オガサワラショトウとやらに大した軍事力が存在しないことは、すでに判明している。
「サマイル艦隊を呼び戻しますか?」
参謀長が問いかけてくる。
「必要ない。そんなことをしたら指揮系統が混乱する」
北部にあるカナリアス諸島は10年前に併合したばかりの新しい領地であり、依然として安定していない。そうして、サマイル艦隊の本来の所属が北方艦隊である以上、そちらの救援を優先するというのは自然だ。無論サマイル副提督に対しては、今回の遠征に当たって新領土鎮定軍の指揮下にも入るように命令されているのだが……。
それを理由に再度反転する命令を出しては、サマイルも困るだろう。
「それに、反乱がおこっている以上、そちらを優先すべきだ。幸いにも、こちらは兵力に余裕がある」
「了解しました」
そう言う参謀長の表情は少々不満げだ。
恐らく、自分たちの艦隊が、他に転用されたことが気に入らないのだろう。確かに、司令官の承諾も無しに指揮下の艦隊が別行動をとるなど……。こういったことが度々起こっては、新領土鎮定軍司令部の権威が傷付きかねない。
「参謀長。各艦隊、各軍に通達。今後は、私の了解も無しに別行動することを禁ずると伝えよ」
「了解しました。直ちに伝達します」
それはそうと、
「トトルス副提督の方はどうなっている?」
明日、到着する予定になっているもう一つの艦隊について尋ねる。
「そちらからは、何も言って来ていません。予定通りに合流できるものと思われます。念のために確認しますか?」
「いや、無用だ。魔導士官に余計な負担を掛けたくない」
「はっ!」
参謀長は敬礼し、天幕から退出していく。
トトルス艦隊から何も言って来ていないということは、予定通りなのだろう。
だが、本当に予定通りなのか?
疑念が沸き上がる。参謀長の進言どおり、念のためには確認しておきたいところではある。
だが、魔導通信は便利な反面、欠点もある。その一つが、魔力消費量が大きいというものだ。無論、艦隊には複数の魔導士官が同乗している。彼らがローテーションを組むことで余り負担を掛けずに通信体系を整備できている。
とは言え、ローテーションを組んだところで、消耗するものは消耗する。そうして魔導士官には、風の魔法を使った帆船の緊急加速や、魔力炎を用いた敵船攻撃、負傷者への治癒魔法など、無数の重要な仕事がある。可能な限り、彼らの消耗は避けたかった。
それに……仮にトトルス艦隊が合流できなくても、大したことはないと言えば、その通りだ。
既に集結済みの艦隊だけでも、戦列艦37隻、航走艦77隻を数える。ほとんど戦力が無いと推定されているオガサワラショトウを攻略するのには、現有戦力だけでも十分だ。
彼は、そう結論付けた。
将軍の私室を退出した参謀長。
将軍が事態を楽観視している一方で、彼には懸念があった。
本当に、敵はいないのか?
オガサワラショトウに軍はいない。さらに言うと、オガサワラショトウを統治する国家、二ホンと言うらしい、にも軍隊は存在しないらしい。
確かに、海軍本部からの情報ではそうなっている。外交使節団に偽装した先遣偵察隊が、そう報告しているからだ。
だが、本当に脅威がないと思っているのであれば、何故これほどの艦隊を準備する? 軍隊を持たぬ蛮族など、ハシケに歩兵でも乗せて送れば、それで十分ではないか? となると、やはり近隣諸国か? 王国が新領土を獲得するのを阻止するために、周辺国家が妨害行動をとることは十分に考えられる。
まあ、考え過ぎだなんろう。
彼は軽く嘆息して気持ちを切り替える。
単純に、戦功を立てたい提督や将軍達が国王に直談判した結果、不必要に参加兵力が増大したということなのだろう。もしも近隣国家が軍事行動を起こそうとしているのであれば、外交部がそれを察知できないはずがない。そうして、そういった情報があるなら、鎮定軍司令部にも報告が入っているはずだ。
そう楽観視する一方で、参謀長には別に気になる点があった。オガサワラショトウの視察に同行した弟の話だ。
『オガサワラショトウでは、漁船や交通艇まですべて魔動力船。さらに、道路は隅々まで舗装され、その上には多数の魔導力馬車が走っています。実に豊かな土地です。ここを編入できれば、王国の繁栄は約束されたも同然です』
言うまでもなく、魔導力船や魔動力馬車は非常に高価な代物だ。そんな高価なモノが、漁船に使われたり、道路を普通に走ったりしている?
西方三大国の一角であるこのマルアム王国の王都ですら、そんなことはあり得ない。それどころか、世界七大列強諸国でもありえないだろう。
オガサワラショトウには、そして二ホンには、本当に軍は存在しないのか?
もしも先遣隊の報告が間違っていた場合には、新領土鎮定軍は深刻な事態に直面しかねない。
それに……仮に存在しないとしても、実際に攻撃を受けて何の対応も取らない王がどこにいるというのか? 当然、まともな為政者なら軍を整備する筈だ。そうして、それほどまでに裕福な国家が軍備に力を入れれば……一気にパワーバランスが崩壊しかねない。
「ふう」
彼は嘆息し、思考を現実へと戻す。
考えたところでどうしようもない。既にオガサワラショトウへの侵攻は決定しているし、彼は前線部隊の参謀長に過ぎない。その種の問題を考えるのは、彼の職分を超えている。
と、そこへ轟音が響き渡り、鳥たちが一斉に飛び立つ。
参謀長が音源を探して頭上を見やると、怪鳥が我が物顔ではるか上空を舞っていた。
オガサワラショトウが現れたのと時を同じくして見られるようになった、巨大な鳥。ワイバーン等よりも遥かに巨大で、全くはばたかない。その代わりに翼の部分に、回転する小さな羽が四個ついている。この怪鳥がどういった生物なのかについて、王立研究所が調査中のようだが……。今のところまったく分類不能で、新種らしい。
この怪鳥が何であれ、オガサワラショトウと同時期に出現したということは、そこに生息しているのだろう。
この怪鳥は、その大きさから危険ではないかという意見もあるにはある。だが、軍を持たないオガサワラショトウの住民が平然と生活できていることから、その外見に反して温和な性格なのだろうというのが王立研究所の見方だ。
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