日本転移
キリスト暦2015年3月21日午前4時00分(日本標準時)
日本国
この時、突如として日本列島全体を濃霧が覆った。
急激に視界が奪われたことによって、何人かのドライバーが急ブレーキを踏み、交通事故を起こした。とは言え、時間が早朝と言うこともあって、交通量はそれほど多いということもなく、多数の交通事故が発生したわけではなかった。
問題はむしろ、霧と同時に発生した通信障害だった。これにより、携帯電話が使用不能となり、特に山間部で発生した交通事故については、緊急通報が不能となった。
また、深夜発着の貨物便などが機位を失うなどと言ったことも発生したものの、暫くすると霧は晴れたため、大事故に至ることはなかった。
他にも、海外と繋がるネット回線などが不通になるなどして、ネットユーザーや証券マンを慌てさせるなどの一幕もあった。
とは言え、細かなトラブルは日本中で発生していたものの、日本国民の多くは依然睡眠中であり、事態の進行に気付いてすらいなかった。
キリスト暦2015年3月21日午前4時10分
岐阜県 山中 県立高等学校 天文部
「何だったんでしょう? さっきの霧?」
横から副部長が問いかけてくる。
確かに、先程の霧は異常だった。いくら山の天気が変わりやすいからと言っても、何の前触れもなく突如としてあれほどの濃霧に包まれるとは……。
「凄かったな! さっきの霧」
「まったく前が見えなかったでやんす」
「おお! 時計まで狂ってる!」
問題児が何やら騒いでる。
まあ、どうせいつものことだし、すぐに収まるだろう……。
ん?
時計が狂ってる?
自分の時計を確認してみる。指している時間は、午前7時30分。
確かに狂ってる。
電波時計なのに……。
水でも隙間から入ったんだろうか?
「あれ? 部長のも7時半になってますね」
これは、横から私の時計を覗き込んだ副部長の台詞。
副部長が示したスマフォの時刻表示を見る。確かに、副部長のも同じ時間を指してる。
偶然?
狐につままれたような気分になって、顔を見合わせる。
「部長! 空が!」
これはミドリの声。普段マイペースでおっとりしているミドリにしては、珍しく切羽詰まった感じだ。
つられて空を見ると、そこには先程のモノとは似ても似つかない夜空が広がっていた。
「え?」
「変わってますね? 星の配置が……」
「何でしょう? これ?」
三人で顔を見合わせる。
普通、星空と言うものは直ぐには変わらないものだ。それに、変わるにしても、地球の回転に合わせて規則的に移動する。こんな無茶苦茶で見たことのない配置になるなど、あり得ないはずだ。
「うひょう! 星座が動いてる!」
「異世界転移だ!」
「ビバ! 異世界!」
問題児たちが適当なことを言って大喜びしている。
馬鹿な連中。
異世界なんて、そんなのあるわけないのに。
キリスト暦2015年3月21日
日本国 東京 首相官邸
「ふうむ。つまり、何かね。我が国は異世界に飛ばされた。君たちはそう言いたいのかね」
彼は内心頭を抱えていた。
今年で70歳にもなる彼は、様々な問題に直面してきたし、不測の事態が起こっても柔軟に対応できる程度の経験を積んできた。そう自負していたのだが、それはどうやら幻想だったようだ。
『日本列島は異世界へ移動しました』
今だかつて、そんな出鱈目な報告を受けた総理大臣が日本にいただろうか?
いや、いない。きっといない。多分いない。いないはずだ。いないよね?
そんな思考が頭をよぎる。
だが、彼の脳内一人漫才など知らぬとばかりに、部下の報告は続く。
「異世界に来ているかどうかは不明です。現在の状況を端的にまとめると、星の配置が換わり、衛星とのリンクが途絶え、周辺諸国が行方不明になり、諸外国との通信が一切不能になっているというだけですので。異世界転移と言うのは、少々発想の飛躍が過ぎるのではないかとも思われます」
「いや、官房長官。それは普通、異世界に転移したとしか考えられない状況だろう」
官房長官の間抜けな回答に、彼は思わず異世界転移説を支持する発言をしてしまう。
それを聞いた官房長官は、ニヤリと笑う。
しまった。してやられた。
彼は慌てて軌道修正をはかる。
「それか、担当者たちが揃って白昼夢を見ていたかだ!」
だが、残念ながら白昼夢説はあっさりと否定される。
「総理。天体の移動は白昼夢ではありません。日本中で、天文マニアたちが国立天文台に状況説明を求めてパニックを起こしています。まあ、パニック状態なのは国立天文台も同じですが……」
「それに、四方へ飛ばした自衛隊の哨戒機からも、周辺地形の大幅な変更が見られるとの報告も上がっています。勿論、画像データ付きで」
それは彼も承知していることだった。
つい昨日まで存在していた筈の朝鮮半島や、台湾、中国大陸に樺太。状況確認のため、領空侵犯を覚悟して飛ばした哨戒機はそれらの陸地を発見することが出来ず、帰還していた。そうしてその一方で、小笠原諸島近海や東北地方東部に出現した謎の陸地。
普通、一晩でこれほどの地形変動が起これば、地震計や津波計に何かしらの異常が発生しているはずなのだが……残念なことに、それらの観測機器はいかなる異常な兆候も記録していなかった。
「諦めて下さい、総理。ことがこうなっては、認める他はどうしようもありません」
はあ。
思わず溜息が漏れる。
何でだ? 僕が何をしたというんだ?
彼はあんまりな状況に、不貞寝したくなる。しかしながら、いつまでも現状を認めない訳にはいかないし、国民への発表を遅らせる訳にもいかない。と言うか、事態が発生したのが午前4時ごろと推定されているので、すでに12時間も経過している。現在でも遅すぎるぐらいだ。
流石に、彼もそのぐらいのことは分かっていた。ただ、余りの事態に再確認に再確認を繰り返し、公式発表をずるずると遅らせていたら、いつの間にかこんな時間にまでなっていたというだけでなのだ。
まあ、状況はどうあれ、現在の日本は外国からの各種資源の輸入が停止しているのだ。無論、幾らかの備蓄はあるが、それらはそう多い訳ではない。
可能な限り早急に、自給体制を構築するか、輸入元を見つけなければいけない。
そうして、それまでの間は配給制を実施して消費量を抑えなければならない。当然、何の説明も無しに配給制度を復活するなど出来ない訳であるからして、国民への説明は必要不可欠だった。
だが、ここで一つ別の問題がある。
「僕がやるの?記者会見?」
「当たり前でしょう!」
「当然です」
「総理なら大丈夫です!」
「頑張ってください」
「総理がやらなくて誰がやるというんです?」
誰かが代わりにやってくれてもいいのに……。
何で味方がいないんだ?
ここは首相官邸で、僕が首相なのに……。
賢明にも、彼はその愚痴を口に出すことはしなかった。
誤字脱字などがあれば、ご指摘いただけると幸甚です。