6 最初の逃亡者ハコザキ君――と一緒に甘味談義
「はい?」
扉ののぞき穴から見えた姿に私は首を傾げた。タンクトップの上に、半袖シャツを一枚引っかけただけの姿。
「ハコザキ君?」
扉を開けた。夏。八月の暑い夜。毎日毎日、天気予報では明日の気温は30何度、と繰り返す。今夜も熱帯夜だった。…夜明け前だというのに、こんなに大気が湿っている。ねまきにしている長いTシャツの背中がじっとりと張り付いている。
そう、夜明け前。時計を見ると、まだ四時台だ。雨だれのように時々聞こえたチャイムの音で目が覚めた。
半ば夢うつつの状態で、非常識な、と怒る理性と、何かあったのかしらと考える気持ちがせめぎ合いながら、それでも扉に向かっていた。何度か無視しようかと思ったのだが、そのたびにぴんぽん、と一滴、チャイムが鳴ったりするのだ。
いたずらだったら本格的に無視するか、警察を呼んでやろう、と思いながら、扉ののぞき穴から通路を見たのだ。そうしたら。
「…」
ハコザキ君は、何とも言えない表情で、そこに立っていた。
「…どうしたの、こんな時間に… 兄貴に何かあったの?」
彼は黙って首を振った。口元が、笑っているように上がる。
「え… と、ごめん、美咲ちゃん、ちょっと、お金、貸して欲しくて。もちろん後で返すから」
「お金?」
「財布、忘れてきちゃって」
忘れてきて、って。こんな時間に。何がどういうことなのか、私にはよく判らない。
「何処かに行くの? それとも、何処かに行ってきて、鍵忘れたの?」
ううん、と彼は首を横に振る。どうにもこうにも言いにくそうだ。
私はとにかく入って、と手招きをした。こんなところで、こんな早朝話をしているのはご近所迷惑というものだ。一番のご近所のサラダはそう簡単に目を覚まさないことは知っているが。
「クーラー、点けないんだ」
入った途端、彼はそう言った。うん、と私はうなづいて、彼をキッチンの椅子に座らせる。起きたばかりのベッドのある部屋には、何となく入れたくなかった。私のにおい、と言うべきものが、六畳の部屋の中に漂っている。網戸にして開け放した窓から抜けてくれるまでは、ハコザキ君をこの中に入れたくはなかった。
ベッドを直して、網戸もすっぱりと開け放してしまう。背中を風が通り抜ける感触があった。
ちら、と振り向くと、椅子の上にちょこんと座る彼は、いつも以上に小柄に見えた。
「コーヒーでも入れる?」
私は問いかけた。え、とその時彼は弾かれた様に顔を上げた。
「暑い時に熱いコーヒーってのも悪くないわよ。それとも濃く入れて、氷コーヒーにする?」
「あ、熱い奴でいい…」
「眠いの?」
また問いかける。どうも視線の具合が頼りない。私はそれ以上は問わないで、黙ってコーヒーメーカーに豆をセットした。ゆっくりと、香りが漂ってくる。
「あ、それあそこの」
彼は顔を上げた。え、と私は問い返す。
「こないだ、行ったんだ。最近流行なのに全然知らないからって」
誰がそんなことを言ったの。判るのに、私はそう問えなかった。
「やっぱり流行りものって、活気があるよね。俺結構流行りものって好きなんだけど、ずっと忘れてた。凄いよね、カップがさ、Mサイズ、ううんあそこじゃMじゃなくてトール、だっけ? 360ミリリットルもあるなんて知らなくってさ、何か判らないもの頼んだら、無茶苦茶甘くて、口が曲がりそうだった」
きっとあのコーヒーショップのことを言っているのだろう、と私は思った。
雨後の筍のようににょきにょきと現れてきている、エスプレッソの店。
私も結構好きで、あちこちの支店を見つければ入って、そこの濃いコーヒーやら、やたらにでかいスコーンやら、サーモンにクリームチーズのベーグルサンドを食べたりしている。
無茶苦茶その味が好き、という訳ではなかったが、雰囲気が好きだった。ハコザキ君の言う「流行りもの」的な雰囲気も好きだったのだ。
はい、と私は適当なマグカップにコーヒーを入れて渡す。ミルクと砂糖は、と聞くと、両方、と彼は答えた。
私も自分の分を入れる。眠気覚まし半分だ。今日が休日で良かった、と正直、思う。土曜日だ。昨日は確か、彼等はライヴがあったはず。
「打ち上げ、ずいぶんかかったの?」
「いいや」
彼は首を横に振った。
「打ち上げは、そんな長くは掛からなかったんだ。一次会で、いつもの安い飲み屋でごはんがてらに呑んで食べて… いつもの通りだよ」
彼等は世に出る前のバンドマンがそうであるように、貧乏だった。そうなるとおのずと、呑める場所は限られてくる。ハコザキ君はそれでも地元民であるから、兄貴やオズさんのような上京組ほどは貧乏ではないはずだけど。でもバンドのメンバーを全部かき集めて四で割れば、やっぱり貧乏だ。マドノさんだって、確か上京組だ。
「一次会、ということは二次会があったの? 珍しい」
うん、と彼はうなづいた。
「オズさんの彼女… なのかな? 紗里さんと、それとのよりが一緒だったからさ、じゃあカラオケにたまには行こう、ってことになって。人数居るし」
…バンドマンで普段音楽に浸かってる奴も、カラオケに行きたいものなのか。
「まだ歌い足りなかったの?」
「俺は足りてたよ」
ところが、と言いたそうな顔をする。だけどその続きを、どうしても言いにくそうだった。
「誰かが、言い出したの? 兄貴?」
「…や、のよりの奴が」
「のよりさんが?」
あまりそういう感じには見えなかったのだが。大人しそうな… 若奥さんという感じの。
「あいつ、ああ見えても、歌うの好きなんだ。だから俺とも、良く昔は行ってて」
そう言えば、確か兄貴がこの畑違いのひとを連れてきたのは、何処かで歌声を聞いたから、らしい。それがカラオケであった可能性は高い。
「…で、ケンショーの前で、歌いまくって」
彼は喉を詰まらせる。
「…奴の目が、いきなり真剣になったんだ。俺は正直、怖かった。こんな目、俺、見たことがあったんだ。ずっと前」
「ずっと前?」
「俺を、見つけた時」
思わず私はマグカップをワゴンの上に置いた。くすんだ色のコーヒーが跳ねた。それって。
「どうして、そんなこと」
判るの? そう聞く前に彼は遮った。
「判るよ。だって、俺は彼を見てたから。だけどケンショーの目はもう俺を見てなかった。のよりの方を向いてた。俺には判る」
断定する。
「…ハコザキ君、のよりさんに、あんた達のことは…」
「言ったことは無いよ。だってあいつは、俺がそうだったように、ごくごくまともな奴なんだ。俺が男に抱かれてるなんて、想像もできないだろうさ。それが普通の女の子の反応って奴じゃない? 美咲ちゃん」
「普通の」
「そうやって言ってしまうと、美咲ちゃんには失礼かもしれないけどさ。それでも、俺だって、奴に会うまでは、奴にそうされるまでは、そんなこと、考えもしなかったし、訳判らなかったよ? だけどそれでも何か」
彼は口を閉ざした。
私は言う言葉を無くした。
ただ、兄貴が男ともそういう関係になれる、ということを認識して以来、私は別にそれを何とも思わなくなっていたことは確かだ。ああそう言えば、普通の子は、だいたい忌み嫌うか、好奇の目で見るんだよな。思い出した。
だって。半分ほどコーヒーが残ったマグカップを持って、私は六畳の方へと移動する。南向きの部屋には、だんだん夜明けの光が斜めに射し込んでくる。
音を消える寸前まで小さくして、TVを点ける。何処の局だろう。だらだらと空模様などを映しながら音楽が流れている。今日は一日、いい天気になりそうだ。
そういえばさっきコーヒーを入れた時、豆がそろそろ無くなりそうだった。買い足しに行かなくては。ベリーの入ったスコーンも欲しい。サラダは今日は何するんだろう。誘ってもいい。そうだ誘おう。男との約束が無ければいいけど。
そんなことを考えながら、ベッドに背をもたれさせてコーヒーをすする。時々ちらちら、とキッチンの方を見ると、背もたれに腕を掛けて、ぐったりともたれていた。ワゴンの上にマグカップは置かれたままだ。
眠ってしまったのかな、と思ったら、私にもまた、眠気が少し襲ってきた。
再び目覚めた時、時計の針は十時を指していた。あれ、と私は身体のあちこちが痛いのに気付いた。変な姿勢で寝付いてしまったから、下になった部分がややしびれている。既に太陽はかなり上にある。何処に行っても店は開いている時間だ。
「あ」
キッチンの椅子の上には、まだ彼が同じ姿勢で眠っていた。大丈夫なのだろうか。おそるおそる近づいてみると、驚いたことに、ぐっすりと眠っていた。
起こすべきか。少し迷う。しかしお出かけもしたい。とりあえず玄関に向かった。サラダに今日暇かどうか訊ねなくては。できるだけそうっと、扉を開けたつもりだった。
ぴんぽんぴんぽん、とチャイムを鳴らす。
「あ、おはよー」
あっさりと彼女は出てきた。頭にバンダナを、手には軍手をつけている。そして部屋の中のにおい。
「…あんたまた、ペンキ塗りしてるの?」
「だって今日いい天気だしー。見て見て、こないだ、いい感じの椅子を拾ったんだー」
驚いてはいけない。「大きなごみ」の日に彼女が何かと抱えてくることはある。それが部屋と趣味に微妙に合わずに、次の時にはまた出しに行くことも。どうやら今回持ってきたものは、彼女の趣味と、この部屋の広さにも釣り合ったらしい。
「へえ、結構がっちりしてるじゃない」
「うん。でもさすがに座るとこが汚れてたしねー。まあだから皮を張り直して、足と背白くしようと思ってさー」
なるほど。私は塗り直された椅子をまじまじと見る。そう言えば私もその「大きなごみ」の前を通り過ぎた記憶がある。
「で、ミサキさんどしたの? 朝ご飯のお誘いにしては遅いし」
「ところがそれなんだよね」
「朝ご飯は食べちゃったよー」
「別に食わなくてもいいって。あそこのコーヒーショップにつきあって欲しいの。豆も切れたし。ついでに」
ああ、と彼女はうなづいた。
「そぉいうことならいいよー。あたしも行きたい」
「じゃあ着替えてくるわ。あんたも五分で用意してよ」
「五分ーっ」
「一番近いとこだよ。いちいち顔作ってく?」
「じゃなくて、ペンキ」
ああ、とうなづいたのは今度は私だった。
「三十分待って。そしたらいいとこまで塗ってしまうから」
「三十分ね。じゃあそしたらうちに来てよ」
「はーい」
自分の部屋に戻ると、TVの音が聞こえてきた。音量が上がっている。
「お帰り」
「ただいま… じゃなくて」
六畳の方で、ハコザキ君はぼんやりとTVを眺めていた。
土曜の朝の番組は、ローカルな情報番組だったりすることが多い。そんな他愛もないローカルな名所やらショップを、けたたましい女性アナウンサーが紹介している。彼はそれを見ているのか見ていないのか、どちらとも言えない視線で、ぼんやりと眺めていた。
「…ねえ、ハコザキ君お腹空かない?」
「え?」
「もう少しして、隣の子が来るから、そしたらちょっと、朝ご飯食べに行こうよ」
「…って俺、お金」
「だからあなた、借りに来たんでしょ? ついでよ。駅近くのコーヒーショップだから、ついでにそこから帰ればいいわ」
ありがとう、と彼は言った。
「電車代だけ? 足りる?」
「うん。うちの最寄りの駅からは歩いてそう掛からないからね」
「なら良かった」
本当に。
「…で、ハコザキ君、兄貴には今日はもう、会わない気?」
「今日、というか」
彼は苦笑する。
「俺はクビになったんだよ。ようするに。だったら、そうそう簡単に顔を合わさない方がいいよね」
あっさりと言う。
「…でも昨日そういうことがあったばかりじゃない」
「彼が俺をバンドに連れ込んだのも唐突だったよ。同じ勢いがあったもの。俺には予想がつく。のよりがどう出るかは判らないけれど… ケンショーの勢いに、あいつが呑まれないなんて保証はないんだ」
「勢い、でそうなってしまうの?」
「美咲ちゃんは、あいつの勢いが絶対に掛からないひとだからさ、そう言えるんだよ」
私は眉をしかめた。
「ケンショーにとってはさ、声なんだ。結局全部。声さえ気に入ったら、外見も性別も何も関係ないだろ。その声が欲しくてこれでもかとばかりに迫るんだ。だけど、手に入れられないのは困るから、無理強いはしない。手に入れることが、何よりも大切だから、それが駄目になってしまうようなことはしないんだ。あれは天性だよね」
…そう… なんだろうか。私はそんな兄貴の姿は知らない。
「で、結局、ほだされてしまうのは、こっちなんだ。俺が、そうなってしまったんだぜ? のよりは女だ。男の俺すらそうなってしまう勢いだっていうのにさ、のよりがそれを拒めるとは思わないよ。別にケンショーは嫌いなタイプじゃないんだ。あいつ」
「そうなの?」
「だから、美咲ちゃんには絶対に掛からないから」
だから判らないんだよ、とハコザキ君は続けた。それは、私が彼の妹だから、ということだろうか。それとも声が対象外、ということだろうか。
ぴんぽんぴんぽん。
チャイムの音で私は我に返る。そうだサラダが来るんだった。
「用意できたよー。あれー?」
ひょい、と彼女は玄関から奧をのぞきこんだ。
「あれ、お客さん居たの?」
「ま… あね。だから一緒に、と思って」
「ふうん」
両眉がひょい、と上がる。
「あ、見覚えあるひとだー」
「ほら、あんたも知ってるでしょ、兄貴のバンドの、ヴォーカルの」
「元ヴォーカルだよ」
彼は即座に訂正した。
「ふうん。何だか判らないけど、まあいいか。とにかく行くなら行こうよ。あんまりお昼に近くなると、混むよー」
それはそうだ。彼女は正しい。
*
三人分の場所をキープしてから、私達はカウンターに注文しに行った。コーヒー豆とスコーンを幾つかテイクアウトにして、ブランチ代わりのベーグルサンドを、「今日のコーヒー」と一緒に頼む。ミルクをたくさん、が私の趣味だ。
「おまたせー」
サラダはシナモンのスコーンと、ハコザキ君があまりの甘さに参ったラテをトレイに載せていた。その彼、こんな店なのに、リーフティだった。
「ちょっと昨夜飲み過ぎたからね」
そう言って笑う。あまりこのひとを昼間に見たことは無かったが、改めて見ると、結構整った顔をしている。顔も小さいし、全体的にこぢんまりとまとまってるんだなあ、と感心する。兄貴のバンドのヴォーカリストとしてしか認識していなかったから何だが、そのバンドの続きで身につけているTシャツと皮パンが、馬鹿馬鹿しい程似合わない。うーむ。
「それでサラダ、ペンキ塗りは済んだの?」
「うんだいたい。どうせこれで乾かさなくちゃならなかったから、ちょーど良かった」
言いながら、両手に持ったスコーンにさく、とかぶりつく。
「あたしはブルーベリーの方が好きだな」
「あたしもどっちも好きだよ。チョコチップもいいよね」
「あれはちょっと甘過ぎ」
「菓子なんだもん。甘すぎるくらいの方がいいよ」
そういうものかな、とハコザキ君は半ば呆れたようにつぶやいた。そーだよ、とサラダはほとんど初対面の彼に、あっさりと答えた。
「よく『甘さひかえめ』とか言うじゃない、TVのグルメ番組とか、ローカルなお店情報でさ。『甘味を抑えたヘルシーなデサートです』とかさ」
「それが気にくわないの?」
「くわない」
どん、と彼女はテープルを叩いた。
「だって菓子って別に健康のために食ってるんじゃないもん。美味しいから、楽しいから食ってるんだよ。なのにそこにいちいちそんなリクツ付け加えて何が楽しいんだって言うの?」
「甘すぎるのが好きじゃないひとだって居るじゃない」
「でも菓子の基本は甘いことなのよっ」
おお、ほとんど拳を握りしめている。
「ミサキさんほら、銀座のあのデパートのモンブラン、食べたことある?」
「…あんたが言うから、一度行ったけど」
「どおだった?」
果たして何処まで本気なのか判らないが、口調は怖いくらいだ。
「どぉって…うん、確かに一口二口は美味しいのよね。だけど半分でいい、と思った」
そう。確かに私は半分でリタイヤした。銀座のあるデパートの中にある喫茶店のモンブランが、すごく美味しい、という彼女のすすめで、私も一度、会社の子と連れだった時に食べてみたのだ。
結構その喫茶店は混んでいた。まあ銀座のど真ん中で、なおかつ一階入り口に面した場所、ならば当然なのだが。仕事が退けてからの夜だったからまだましだった、と言えよう。これがこんな休日の昼間だったら、一体どれだけ待つのやら。
皿に乗せられてきたモンブランは、ちょん、と決して大きくなくて、これでこの値段かあ? と地方出身の私など、一瞬眉を寄せたものだった。だが、一口食べた時、うっ、と思わず私はうめきそうになった。
強烈な甘さと、強烈な幸福感が一気に口に広がったのだ。甘さと幸福感を横並びにするのはおかしい、というかもしれない。だけど、その時私が感じたのは確かに幸福感だったのだ。たとえば練乳をスープ・スプーンで一匙だけ口にした時の、あの強烈な甘味と、同時に広がる感覚。それとよく似ていて、いや、それ以上に強烈だった。
だが練乳は一匙だから幸福なのである。モンブランも同様だ。一口、二口、…紅茶がストレートで良かった、とこれほど思ったことはない。辛いカレーを食べる時の、あの白いラッシーのように、一瞬であの味を消してしまうくらいのものでないと、このモンブランを全部食するのは難しい、と思ったものだった。一緒に来た会社の子が甘いもの好きで本当に助かった、と思った。無論「自分のものは自分で」なのだが、普段「甘味あっさり」ものを好んで食べているひとだったら、さすがにこれはきついだろう、と思った。
「でも菓子ってのはそういうものであるべきだと思うのよ」
サラダは力説する。
「和菓子って結構そうだと思わない? あれって結構純粋に甘味、よね」
「でも色々種類はあるよ」
ハコザキ君も彼女の熱意にあてられたのか、会話に加わってくる。
「ううん、確かに種類はあるけれどさあ、和菓子って基本的に砂糖の甘味一つで勝負するって思わない?」
「砂糖の甘味一つ?」
「だって色や形は違っても、だいたい材料は豆じゃない。そりゃあういろうだのすあまだの団子だの、そういうのはあるけとさあ、練りきりとか」
「ああ」
私もハコザキ君もうなづく。コーヒーショップでする話題だろうか、と思いつつ、ついつい引き込まれていた。
「味がほとんど一緒だから、外見にこだわったんだと思うのよ。春には春の形、秋には秋の形」
「くわしいね、君」
ミルクをたっぷり入れたリーフティをすすりながら、ハコザキ君は目を丸くする。でかい目だなあ。
「ううん別にこんなの、くわしいうちには入らないよ。でも好きだったら、結構いろいろ、覚えるものじゃない?」
「好きなら」
彼は少し首をかしげた。
「…そうか、好きなら、か」
そして目を伏せる。あ、まつげ、長い。
「そうだよな、好きだったら、いろいろ覚えてしまうものだよな。…あ、美咲ちゃん、俺、オーダー追加していい? サーモンとクリームチーズのサンド」
「…いいけど?」
彼はありがと、と言ってにっこりと笑った。