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4 朝食は差し向かいで美味しく、兄の部屋は奇襲すべし

「…おはよー…」


 かすれた声が耳元でした。

 おはよ、と私は返す。短い髪をぐちゃぐちゃに乱したサラダの顔が、間近にあった。ああそうだ、昨夜は泊まっていったんだっけ。

 ベッド生活で、客用のふとんなんて無いから、彼女が食事したついでに泊まっていく時にはどうしてもそういうことになる。

 季節が季節だから、まあ悪いものではない。人の体温というものは、心地よいものだ。

 彼女はふとん生活者だ。起きるとそのふとんを丸めて、カバーを掛けてソファ代わりにしている。そしてやっぱり客用ふとんは無い。逆に私が彼女の所に泊まると、時々私はふとんからはみ出ている。

 ベッドの時には高さがあるんだ、という意識があるのだろうか、彼女の寝相は大人しい。ただ問題は一つある。

 私は実は少し前から目覚めている。だが身体を起こすことができない。抱きつかれているので、動けないのだ。彼女のくせだった。

 ごめんごめん、と当初は言った。

 だが言ったところで、眠っている時のくせというものを変える訳にはいかない。

 まあいいか、と妥協したのは私の方だった。実際、抱きつかれているのはそう悪い感触ではない。女の子の身体はほわほわとして柔らかい。重いと言ったところで、男のそれとは違う。

 たださすがに、あんたは男にもそんなことをしているのか、と言ったことはある。するとこう答えた。


「人によるよー」


 私はその時にはさすがに首をかしげた。すると彼女は面倒くさそうに答えた。


「しつっこい人は、きらい」


 サラダはそれ以上は言わなかった。なるほど、そういう意味では、私はしつこさとは縁が無い。だいたいそういう仲ではないのだ。

 んー、とようやく腕を解くと、彼女は大きくのびをする。短いTシャツとショーツの間から、へそがのぞいた。

 私もようやくベッドから降りる。既に頭は覚めている。

 時計は十時半を指していた。

 昨夜はあれからずるずるとTVを見たり、他愛も無い話をして、気が付くと日付変更線を過ぎていた。

 そのうちに彼女がうとうととしだしたので、ベッドにうながした。シャワーを浴びて戻ると、既に彼女は夢の中だった。


 チン、とオーブントースターのタイマーが鳴る。

 問答無用でこんな朝はチーズトーストだった。ケチャップをたくさんつけているので、ピザトーストと言ってもおかしくはないくらいだ。ある時には、ピーマンやオニオンの薄切りや、ハムやベーコンの切れっ端も載せる。


「あたしさー、ここのケチャップ好き」


 昨日の食卓の続きで、布を掛けたままのテーブルに、大きなトレイを置く。トーストはそこに無造作に置く。三枚のトーストを半分に切った奴を、私達は適当に取って食べた。トーストは焼きたてがいい。さく、というあの感触がたまらないのだ。


「何かさあ、ガーリックずいぶん効いてない?」

「効いてるよ。うちの母親が作った奴だから」

「へー、ケチャップって作れるんだ」

「何かねえ、町の婦人会か何かで、そういうのやるのもあるんだって」

「婦人会、ねえ」


 さくさくさく。口の回りをケチャップだらけにして、彼女は3/2枚目に手を出した。


「町内会みたいな奴、よねえ」

「ご町内の公民館活動って奴かなー。あたしもよくは知らないんだけど、あのひとはよくそのテの活動に顔出してたから」

「ふーん、活動的なんだあ」

「暇なのよ」


 さく。そしてミルクを一口。


「うちのおかーさんはそういうことはしなかったなー」

「へーえ?」


 珍しい。彼女が自分の母親のことを口にするのは。私はつとめてさりげなく疑問符を投げかける。


「手が荒れるよーなことは嫌いだった人なんだよねー」

「ふうん? 何か優雅じゃない」

「優雅、って言うのかなー、ああゆうの」


 肩をすくめる。あ、もうこれ以上話す気はないな。


「あ、もう一枚もらっていい?」

「あんたよく食うねえ」


 4/2枚目に手を出そうとしている。まあいいよ、と私は答えた。こんなものは作るのは別に手間はいらないし、私はそんなに沢山は食べない。


「何、今日は彼氏と会う日だっけ」

「うん」


 だから気合い入れなくちゃ、とごはんを食べるらしい。これから戻って、お風呂に入って、ちゃんとメイクして服も選んで、午後の約束があるのだという。


「何、あんた今の彼氏ってどんな奴?」

「どんな、って。ミサキさんどうゆう人だと思う?」

「…って」


 予想がつかない。


「前のユウスケ君は、確かバイトの大学生だったよね、割と軽い感じの。で、その前のエグチ君は夜はクラブ通いして昼は結構肉体系のバイトのフリーターで」

「どーしてそういうことばかり覚えてるのかなー。ユウスケは細身で目が鋭い奴だった、とかエグチは背が高くて濃い顔してた、とか、そういうことは覚えてくれないのにさー」

「だって、あたしとあんたじゃ好みが違うんだもの。仕方ないじゃない。あたしはあーんまり濃い顔とか好きじゃないから、目と頭が覚えようとしなかったのかもしれないよ」

「ふうん。でもあたしミサキさんの好みって知らないもん。ミサキさんの好みってどんな奴なの?」

「あたしの好み?」


 はて。そう言えば。

 私は天井を見上げる。


「そんなものあったかなあ」

「って、自分のことでしょ」

「自分のことだって、判らないものは判らないのよ」


 私は乱切りにしたバナナをフォークでつく。その時となりのオレンジにも傷をつけたらしく、ほんの少し香りが飛んだ。普段はまるごと一つの果物しか摂らないけれど、人が居る時にはフルーツサラダ。


「変なの。だってつきあったことのあるひとは居るって言ったじゃない」


 そう言えば言った気もする。


「別に好みだからつきあった、って訳じゃないわよ」

「って変なの。だいたい好みだから、とかそうゆうんじゃないの? ミサキさん結構ガード固いしい」

「ガード、固いかなあ?」

「固いよお。ってゆーか、面倒だと思ってない?」

「あんたねえ」


 図星だ。苦笑する。

 だから時々困るのだ。見てるようで、この女は良く見てるのだ。

 彼女はぱっと手を広げた。


「それじゃあ人生華が無いよお」

「華、ですかね」


 思わず私は吹き出した。いきなり何か古風な。開いた手を今度は拳にして彼女は力説する。


「笑い事じゃあないよぉ。短い人生なんだから、楽しまなくちゃ」

「あたしは別にそういうことにあんまり楽しみって感じないもん。それこそ日々をつつがなく暮らすのに精一杯だよ? ほら、欠食児童に餌付けするとかう」

「あたしは児童か! ふうん? まあミサキさんがそうゆうことなくても楽しいなら、別にあたしの知ったことじゃーないけどさ」


 全くだ。


「で、ミサキさんは今日はどうすんの?」

「あたし?」


 さて。どうしようかな、と首をかしげた。特に何をしようという気も無い。


「まあちょっと買い出しに出かけようかな」

「それだけ?」

「兄貴の様子でも見に行こうかな」

「様子? でもおにーさんにも彼女とか居るんじゃないの?」


 うーむ、と私は腕を組んだ。果たして「彼女」なのか。そのあたりが今は少し気に掛かっているのだ。本当に「そう」なのか。


「うん、居るのかもしれないけれど、まあそれはそれとして。居たら冷やかしに」

「悪趣味ー」

「そうゆうのができるのが、きょうだいの特権なんだよ」

「へーえ」


 心底不思議そうに彼女は目を丸くした。

 今までのつきあいの中で、きょうだいに関する話も出てきたことはない。

 私が兄貴に関して話すと、いちいち驚いてみせるところを見ると、彼女は一人っ子らしい。

 一人っ子がよく東京で一人暮らしをさせてもらえたなあ、と当初は思ったものだ。

 私が東京に出られたのも、ひとえに兄貴が居たからだ。

 彼は別に両親に対してどうこうしている訳ではない。正直、勘当状態と言ってもいい。だが私が放任されているのは、彼という存在があるからだ。

 長男である彼は、とにかく居るだけで、私の自由をくれた。それと同時に、確実に、はじめから、私の何かを奪っていた訳だが。

 まあそれはともかく、私が東京に就職を決めた時に、母親に言ったこの言葉は効果的だったはずだ。


「兄貴を探すからね」


 彼は居場所を全く実家に教えなかった。そのまま七年その調子で居れば、失踪者として死亡届が出せそうなくらいに、見事に姿をくらましていた。

 まあそれは親の目から見て、だ。

 私からしたら、網の張り場所は予想できたのだが。人を雇ってまで探す気はなかったのだから当然だろう。

 その程度には、「いつか帰ってくる」という気持ちが両親にはあったのだろう。ふうん、と私はその様子を見て思ったものだ。ふうん。


「おにーさんはでも、よく彼女を変えてるんじゃない?」

「どうして?」

「や、そんな感じがしたから」


 彼女はオレンジを刺す。


「好きもの?」

「ってゆーか、切ないギターだし」


 へえ、と私は残ったミルクに濃い紅茶を注いだ。


「ミサキさんも何か楽器やればいいのに。暇つぶしできるよ」

「ざーんねんながら、その才能は無いの」

「そぉ?」

「そうなの」


 そうなのだ。どうやら神様は、私達きょうだいの遺伝子から、音楽の才能という奴をすっぱり分けてしまったらしい。

 まあそれは他の部分にも言えることだ。私にはたやすくできるデスクワークという奴が彼にはできない。

 長時間集中することができる、という能力は共通しているのだが、その方向が全く違っているのだ。

 両親の遺伝子の、どのあたりを私達はこうやって分割してしまったのだろう?

 親父も母親も、若い頃のことは全く知らない。もしかしたら音楽をやっていたことがあったのかもしれない。もしかしたら、結構遊んでいたのかもしれない。だけど彼等は言ったことが無い。聞いたことも無い。


「小さい頃、ピアノとかオルガンとか習わされたりするじゃない。ああゆう奴、どうしても駄目でね」

「おにーさんは?」

「奴は『男の子』だったからね。そういうのは強制されなかったの」

「男の子だから、駄目なの?」

「ウチの母親は、割と子供をこう育てたい、という型があったみたいでね。あたしは小学校に上がったあたりで、オルガンやらない? ピアノ習いたくない? とか言われたのよね」

「習ったの?」

「一応ね。一年くらい。だけど駄目だったなあ。ピアノの先生が、いつも困った顔してたし」


 何が駄目だったか、と言っても一口では言えない。

 無論聞く音楽、歌う音楽は好きだったに違いない。今の今まで。

 ただ、それと実際に楽器を演奏する、というのは別だ。指が全く動かなかった訳ではない。そういう手先の部分は私は結構小器用にこなしていた。では何が、と言えば。


「ピアノの先生が言ったのよね。何か困る、って」

「困る?」

「教えにくかったみたいよ」

「どういうこと?」


 私は彼女のカップにも紅茶を注いだ。


「ああゆうのは、ちゃんとこうやってああやって、って習うにも手順があるみたいなんだって。だけどあたしはどんどん先に先に進んで行こうとしちゃうから」

「扱いが困った?」

「らしいね」


 それは今でもそうだ。ただ今は、それをある程度自覚しているから、何とか済んでいるだけ。

 会社の新人研修の時なんかそうだった。

 困ったことに、渡されたマニュアルは、実に薄かったのだ。

 いや、無論それだけではないことは判る。

 ただ、そこに書かれていることはそこに書かれていることであり、それを読んでしまうことは、実にたやすい。

 ついでに言うなら、私は速読という奴ができる。学生時代はそれがずいぶん役に立った。

 だがそれを会社というところで下手に使うと。

 先輩OLは、自分が予想した時間よりはるかに早く目を通してしまった私に対して、不審の目を向けた。

 あ、これはやばい、と私は思った。慌ててすいませんここ飛ばしてました、と言って、結局同じ文章を三回くらい繰り返して読んでたことを覚えている。

 ああ面倒だ。


「だからそれはそれでいいんだけど、そういうタイプの子だから、じっくりと音楽に取り組むのは無理だろう、ということを母親に言ったらしいのね」

「そうかなあ。単に人に習うのが上手くないだけじゃないの?」

「あたしもそう思うよ。今ならね。だけどガキの頃じゃあそんなこと、判る訳がないじゃない」


 どうやら人に習う方が自分で問題も解き方も探して行くことよりも楽だと思う人が多数派だなんて。


「でもさー、それだったらあたしはミサキさんの方に近いと思うよ」

「ふうん?」


 にやり、と私は笑った。


「だってさー、ガキの時にさ、よくあたしも先生に変な質問して嫌われたもん」

「変な質問?」

「何で電流が流れるんですか、とか」

「それが変?」

「電流って電気が流れる、ってことじゃん。流れるものをまたわざわざ流れるって言うのって変じゃん。何でそういうんですか、って聞いたら、怒ってそれはそういうものだ、って言われたよ」

「…それはそーだろ」

「でもあたしには変だったんだもん。何かむずむずしたのよね。コトバ的に」


 でもその気持ちはすごくよく判る。


「そこで、その先生が、せめて『それは言葉としては変だが、昔そう決められてしまったものなんだ』とか言ってくれてたらね、納得したと思うんだけど」

「そこで怒ったのが嫌だったんだ」


 そ、と彼女はうなづき、カップを手にした。その気持ちは良く判る。そこで彼女が問いたかったのは、ただ単に言葉のことだけではないのだ。


「そういうものが多いんだよね。結局。何か良く判らないけれど、そう決まってる、ってこと。じゃあどーしてそれがそうなってる、って聞くと、答えられないから怒る訳でさ。判らないなら判らないって言えばいいのに。そーしたら信用できるのにさ」

「仕方ないよね。先生って立場からそんなことは言えなかったでしょうに」

「でも人間として信用できない人の言葉って、なかなか覚えることができないよね。あたしそれから理科駄目になったもん」


 極端な奴だ。



 しかしよく考えてみれば、そんな私達より、もっと極端な奴が居た。

 私の住むマンションから、小さな公園をはさんだ向こう側に、兄貴の住むアパートがあった。確か家賃が5万足らずとか言っていた。よく見つけたものだ、と私は思ったものだ。

 外付けの、二階に向かう階段を上ると、がんがん、と音がする。風向きによっては雨が吹き込む通路を抜けて、彼の部屋の前に立った。

 はて一体私は何しに来たんだっけ。

 確たる理由というものは無い。別に無くても、妹なんだから、様子を見に来たとか何とか言えばいいのだろうが。ただ実際、私がやってきたのは出歯亀的な興味なのだから。

 ともかくチャイムを鳴らした。ぴんぽんぴんぽん。居れば一分足らずで彼は出てくる。出なければ居ない。それでいい。

 一分経って、出て来ない。じゃあ居ないのか、と思って私は引き返そうとした。ん? 気配はある。首を傾げて、もう一度チャレンジする。ぴんぽんぴんぽん。


「どなたですかー?」


 おお、この声は。


「美咲です。留守番ですか?」


 わざとらしいが、あえて言ってみる。案の定、扉は開いた。小柄な青年が、そこには居た。


「ああ美咲ちゃん。ケンショーは…」

「まだ寝てる?」


 にっこり、と私は笑顔を作る。


「…あ、昨日ちょっと皆で呑んでて」

「でしょうね。あれ、じゃあ他の人達も?」


 白々しい。


「…や、別にここで呑んだ訳じゃあないから」


 うんうんうん、と私は大きくうなづく。ちょっと失礼、と私は中に入り込んだ。確かにそうだ。散らばっている靴も、兄貴と、ハコザキ君のものしか無かった。


「…おい誰か来たのかよ?」


 狭い部屋というものは、こういう時に不便だ。ベッドが部屋の奥にある、と言ったところで、丸見えなのだ。


「はあい」


 ベッドの上には、上半身を起こした兄貴が居た。

 頼むからそのままの姿勢を崩すなよ、と内心つぶやく。上半身は裸で、その下も何となく予想がついた。

 まあよくある光景だ。だから驚かない。今更兄貴の裸なんぞ見たところでどうってことは無い。

 ただ朝っぱらから、そんな露骨なものは見たくないだけだ。女の子のふわふわした胸とかだったらともかく、何がかなしゅーで。


「その声… 美咲か?」


 兄貴は目を細めてこちらを向く。彼の視力では、六畳間の向こうに居る私の判別はできない。


「おはよー兄貴。また、なの?」

「…またとは何だよまたとは…」


 ぶるん、と彼は頭を振る。低血圧なのだ。起き抜けはこれでもか、とばかりに機嫌が悪い。

 長い金髪が顔の前と言わず後ろと言わず、少し間違えば絡まってしまいそうな程だ。基本的にはさらさらヘアであるのが救いと言えば救いだ。猫っ毛が入ってでもいたら、直すのに一苦労である。


「え、ええと、美咲ちゃん、お茶でもどう?」

「ありがと」


 私は再びにっこりと笑った。ふん、と兄貴は半ば閉じた目のまま、両眉を上げた。

 勝手知ったる他人の家。ベッドの脇に置かれている座卓のそばに私は陣取った。

 いつも思うのだが、この男の部屋は、案外片付いている。何の飾りも無いベッドに、冬になったら活躍する炬燵の座卓。窓際にはTV。カーテンは遮光を兼ねているので、暗色だけど、そう悪い印象ではない。

 押入をクロゼット代わりにして、上の段の半分には服をずらりと掛けてある。あと半分にはオーディオ。CDとかデッキとかそんなものが置いてある。下の段には楽器。ギターにギターにギターにアンプ。

 こんなものまで弾いてるのか「ぞうさん」まである。

 他に何があるんだ、というくらい、彼の部屋でぱっと目に入るのはそれだけだ。

 まあしかし確かにそれ以外、必要ではないのかもしれない。

 部屋というものが、食う寝るところに住むところ、というならば、彼の場合、確かに必要なのはそれだけだろう。

 「食う」ためのものは、部屋の端に作りつけてある台所スペースに集約されているし。

 1ドアの冷蔵庫。自炊も全くできない訳ではないらしい。

 時々私も、総菜をたくさん作った時にはタッパーに入れてお裾分けする時もある。

 一人分のちゃんとした料理、というのは実に作りにくいのだ。

 ちゃんとした肉じゃが、とかちゃんとしたうま煮、とか作った時には、どうしても四人分、とかのレシピを見てしまうものである。

 持ってくと、助かる、とか言いつつ、その冷蔵庫に入れている。

 こういうあたりが結構見かけと一致しないところなのだが、この男は、案外マメなのだ。とは言え、収納に血道を上げるタイプではない。無駄なものは買いもしないし置きもしないだけなのだろう。

 そんな台所スペースで、ハコザキ君は鍋で湯を沸かしていた。やかんは無い。小鍋とでかい鍋とフライパン。それだけあるだけでも立派である。そんな小鍋で湯は湧かすらしい。


「…俺にも一杯くれ…」


 ふとんの中でずるずるとスウェットの下を履いたのだろうか、兄貴はベッドからずるずると降りて床にべたん、と腰を下ろした。


「何がいい? コーヒー? お茶?」


 どうやらその二種類しかないらしい。コーヒー、と兄貴は言った。一緒でいいよ、と私も答えた。シンク下の扉を開けると、ハコザキ君はお中元かお歳暮でもらったギフトのような箱の中から、一人用のコーヒーパックを三つ出した。


「珍しいものがあるじゃない」

「…ああ、家にあったから持ってきたんだ」


 ハコザキ君はさらりと答える。何処の「家」なのだろう。


「ハコザキ君、東京育ち?」

「こいつはそうだよ…」


 面倒くさそうに兄貴は答える。


「のよりさんも?」

「お前何しに来たんだよ」


 兄貴は髪の間からじろ、と視線を飛ばす。相変わらず目つきの悪い男だ。


「そりゃあ、またか、と思ってね」

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