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3 最初に兄のバンドを見たとき

 私がハコザキ君とその彼女ののよりさんに会ったのは、去年の夏だった。

 それは同時に、私がRINGERというバンドと出会ったことでもある。

 正直、兄貴を捜し当ててからも、彼等の音にはさして興味がなかった。

 彼と私は昔から好きな音楽も違っていた。お互いの部屋から流れてくる音はいつも違っていた。扉は閉ざされていた。

 私は兄貴の弾くようなうるさいギターの音は好きではなかった。

 彼は彼で、中学時代私がよく聞いていたFMで流れていた音楽に、何でこんなのが売れるんだろう、と首をかしげていたものだ。もっとも彼は、それが何で売れるのか、は割合簡単に答を出したものだったが。

 だから彼のバンドであるRINGERに関しても、正直、食わず嫌いのようなところがあった。きっとギターの音がばりばりに入って、ドラムがどこどこ言ってる、メロディなんて何処の世界、というな音楽をやっていると思ったのだ。

 ところが、だ。

 ドラムスのオズさんにある日呼び出された。「ACID-JAM」に来て欲しい、と。私は何だろうな、と思いながら、仕事帰りに地下鉄で幾つかの場所にあるそのライヴハウスに向かった。ライヴハウスは初めてだった。

 故郷で私が行くライヴ/コンサートと言えば、たいがいがホール・クラスのものだった。私の故郷はある程度の「地方都市」だったので、それなりのアーティストがやってくる。

 私はその中でも、2~3000人クラスのホールや、体育館クラスのアーティストのコンサートにしか行ったことがなかった。そのくらいの価値があるものではないと、見に行っても仕方がない、と思っていた。親から出る小遣いで見に行った訳ではない。バイト代で見に行ったのだ。

 友人の中には、「お母さんお願い♪」とコンサート代を捻出させた、と嬉々として言っていた奴も居たが、それは何か違う、と私は思っていた。

 いや、その時一番楽しい時間を過ごしたい、だからそのために行動する、というのは正しいと思う。だけど、親からもらう金で、手放しで遊ぶことができるか、というと。私にはできない。

 意識の問題だ。私にはできなかった。どこかで負い目のようなものを感じてしまう。

 小遣いは、子供の頃から多くはなかった。というか、決まった小遣いは無かった。中学時代までそうだった。必要だったらその必要の旨を告げてもらう、という感じだった。決して貧乏、という訳ではない。言ったら言った分だけはくれた。私の母親は、そのあたりはきっちりしていたのだ。

 おそらく友達と遊ぶお金が欲しい、と正直に言えば、彼女はそのための資金をくれたろう。「遊ぶこと」それが私にとって必要だ、ということが彼女には理解できただろうから。彼女は理解しようと努めただろうから。

 だが私にしてみれば、そうなってしまうと妙に言えなかったのだ。必要以上のお小遣いをもらうことはできなかった。親が稼いだ金なのだ。一応夜遅くまで働く父親の姿は知っているだけに、本を買うから、このCDが欲しいから、そんな自分の快楽のための理由を言うのが嫌だったのだ。

 いや、もう一つある。母親にその理由を言って、自分の好みが彼女に暴かれるのが嫌だった、というのもある。

 私は別に母親を嫌いではなかったが、妙に気を許せない存在だったような気がしている。

 隙あらば私のことを全て把握しようとしているような、そんな視線を感じていた。

 今は離れているからまだいいが、一緒に居ると息詰まるような感触を覚えるのは確かだ。

 だから高校に入ったら、バイトを始めた。たくさんは要らなかったから、週末だけの短いものだった。

 うちの学校はバイトが自由だった。成績のレベルが市内でも高かったせいかもしれない。学校が生徒を信用していた、と好意的に私はとっている。まあシビアに読めば、それで下がるような成績だったら居る資格が無いぞ、ということでもあったが。

 だいたい月に2万くらいだったろうか。夏休みにはもう少し集中的にやって、貯めた時もあった。

 そうしてようやく、私は自分のためにお金を使う、という行動を覚えた。あれは学習が必要なのだ。ショッピングにしても、服や雑貨を選ぶのも、本やCDを選ぶのも。

 兄貴は。彼は私が中学に入る頃には、当時としては立派にはみ出した存在となっていた。ただ彼の偉いところは、音楽に関する資金は、学校には殆ど行かなかったが、ちゃんとバイトで捻出していたということだ。

 ギターもアンプも、その他もろもろのバンドに関するものは、自分の身体で稼いだ金で手に入れていた。そういう所が私達は妙に似ている。そして似ていると思ったら、少しばかり嫌な感じがした。

 初めて足を踏み入れたライヴハウスは、ひどく狭苦しいところだった。入った瞬間、あちこちで吸われている煙草のにおいが鼻についた。

 オズさんは楽屋に通じる扉から手招きすると、後ろの方で見ておいで、と言った。このひとは最初に会った時から親切だった。兄貴と一番付き合いが長いメンバーだというのだから、全くもってよく出来た人だ。感心する。

 「後ろの方」に回ろうとして、何となく私は周囲の視線を感じた。だが当初それが何なのか、私にはよく判らなかった。

 カウンターでウーロン茶を買って、ちびちびと呑みながらライヴの始まるのを待っていた。

 退屈だった。知り合いも居ない。かと言ってそこでわざわざ喋る相手を作ろうという性格ではなかったし、流れている音楽は私の趣味ではない。

 打ちっ放しのコンクリートの壁は、湿ったにおいがしたし、エアコンも効きすぎで、半分むき出しの腕は少し鳥肌が立っていたくらいだ。

 やがてフロアが暗くなり、ステージに人の気配がし始めた。近くに居た女の子達が移動する気配があった。私はそのままぼうっとステージを眺めていた。

 兄貴と違って私の目はいい。勉強や仕事で酷使してると思うのだが、よほど目の回りの筋肉が強いのか、視力が落ちる気配はない。

 暗いステージの上に目を凝らすと、右側に、見覚えのある金髪が居た。相変わらず悪趣味な恰好だ、と思った。

 やがて、フロアからの一人の声を皮切りに、メンバーの名が次々に呼ばれ出した。

 ハコザキーっ。

 オズさーん。

 マドノさーん。

 ケンショーっ。


 ケンショー?


 私は眉を寄せた。誰だそいつは。ステージには四人。ハコザキ君がヴォーカル、オズさんがドラムスということは知っていた。マドノさん。ああそうか、とこの間オズさんから「円野さん」という人を紹介されたことを思い出した。

 と同時に、私は兄貴の名前が憲章、だったことをやっと思い出した。

 一致しなかった。私にとって兄貴はノリアキ、なのだ。

 憲章だから音読みでケンショー、なのは確かなんだが、少なくとも私はそんな名で呼んだことは一度たりとてなかった。

 オズさんも私には、加納が加納が、と名字で彼のことを呼んでいた。なるほどノリアキ、だと何処かのお笑い芸人の様だ。ケンショーねえ。私は眉を片方だけ上げて、ストラップの調子を確かめている兄貴を眺めていた。

 やがてライトが点いて、ドラムスティックが幾つか鳴った。

 前方でゆさゆさと女の子達が揺れ出す。おや。

 その時の私の表情は、結構鳩豆だったかもしれない。

 あらあらあら? ポップではないの。

 思った以上に、兄貴のギターは大人しかったのだ。

 それはもちろん、私がよく聞くようなポップスの「大人しい」とは違う。そういうのと比べれば、格段にうるさい。だが、彼がよく聞いていた音楽に比べれば、ずいぶん静かだった。

 と言うか、「歌もの」だった。

 割と小柄なハコザキ君は、マイクを手でもてあそぶようにしながら、叫ぶでもなく、気取るでもなく、ただふわふわと歌っていた。

 決して上手い、という歌ではなかった。ただ、変に絡みつくような感触があった。

 着ているものも、普段着の延長のようなチェックのシャツと、黒の革パン。それ以外何の装飾も無い。髪は短い。と言うか、伸びかけ。染めても色を抜いてもいない。一体何処から連れてきたんだ、という普通の男の子だった。

 実際その「普通の男の子」はまだ何処かぎこちなかった。

 歌っている時だけはのびのびしているけれど、歌が終わってしまうと、どうこの空間を扱っていいのか、戸惑っていた。所在なげに、他のメンバーに目で助けを求めたり、意味も無く笑おうとしていた。私はそれに気付いた時、思わず苦笑した。

 素人に毛が生えた程度、と言ってもいい。

 ただ、一度だけ、どき、とする瞬間があった。

 今日はこれが最後です、とハコザキ君が言って始めた曲は、激しい曲だった。この日彼等が演奏したのは八曲だったが、その中で一番激しい曲だった。兄貴もここぞとばかりにばりばりに手を細かく動かしていた。

 オズさんはあちらにこちらに手を忙しく動かしていたし、ベースはベースでリズム隊、というのはやや違った音の動かし方をしていた。

 その上でハコザキ君は漂っていた。

 そんな激しい曲の中で、身体をゆったりと揺らせていた。首をゆっくりと回した時、汗ばんだうなじが視界に入ってくる。そして少しだけ前に落ちかけた髪を指で煩そうにかき上げた時。

 ほんの少しだけ、笑った。

 どき、と心臓が飛び跳ねた。

 一瞬なのだ。ほんの一瞬。

 その瞬間だけ、ハコザキ君は「普通の男の子」ではなかった。確信犯の、正気の目をしていた。

 どうしてそう感じたのかは、判らない。ただ、その表情に気付いてしまった時、彼の声と彼の動きと彼の言葉はいきなり私の中でかちりと音を立ててはまった。

 気が付くと、前の方に寄っている女の子達は、そんな彼の方を見てじっと立ちすくんでいる。それまではずっと踊っているかのようだったのに。

 なるほど、と私は思った。



 終演後、私は再び楽屋と通じる扉から手招きするオズさんに呼ばれた。

 その時もまた視線を感じたので、ちら、と振り向くと、汗びっしょりになった女の子達が、こちらを見ていた。見ながら、ぼそぼそ、と何か友達同士で喋っていた。


 ああ、そうか。


 羨望の視線、という奴だ。彼女達はどんなに好きでも、オズさんに手招きはされないだろう。私は別にファンでも何でもないのに。後ろで冷静に様子を見ていただけだというのに。


 どうしてこっちはこんなに好きなのに。


 そんな気持ちが、ちょっとした視線の中に含まれている。努力ではどうにもならないもどかしさ。私は良く知っているのだけど。

 でもそんなことにいちいち同情してはいられないので、そのままさっさと楽屋へつながる扉をくぐり抜けた。

 楽屋の前まで行くと、小柄な女の子がぺこり、と私に向かって軽く頭を下げた。場違いだなあ、と私は思った。

 普段着も普段着、どちらかというとホームウエアという奴に近い恰好で、彼女は立っていた。コットンのTシャツに、チェックのジャンパースカート。素足にサンダル。ナチュラルメイクにセミロングの髪。

 何処の若奥さんだ、という恰好が、逆にこの場所では生々しかった。誰の彼女だろう、と私はすぐに考えついた。


「あ、のよりちゃん、紹介するよ。こちら美咲ちゃん。ケンショーの妹さん」

「ああ!」


 そう言えば、と言いたそうに「のより」さんは胸の前で手を叩いた。


「美人だからそうじゃないか、って思ってたんです」


 私はそれを聞いて思わず顔を歪めた。美人と言われるのは嬉しいが、何でそこで「妹」が浮かぶのだ、と。

 とりあえず初めまして、とか何とか挨拶をしておくが、どう話を続けていいものか、私は迷った。するとさすがオズさんだ。すぐに助け船を出してくれた。


「あ、美咲ちゃん、こっちはのよりちゃん。ウチのヴォーカルのハコザキの彼女」

「彼女って、やだあ」

「だってそうでしょ」

「くされ縁って言うんですよお」


 にこやかに彼女は言いながら、オズさんの背中をはたく。私はそんな彼女の声を聞きながら、あれ、と思う。何か何処かで聞いたことがあるような。


「ステージ、見てましたよ。ハコザキさん、人気ありますねー」


 あたりさわりの無いことを言っておく。


「ちょっと私としては困りものですけどねえ」


 ふふ、と彼女は笑う。


「困りもの?」

「だって、やっぱり面白くないじゃないですか、『彼女』としては」

「何だよ、さっきはくされ縁って言ってたじゃないか」

「言葉の綾ですよお」


 再びばん、と彼女はオズさんの背をはたく。


「まーさーか、あいつがバンドのヴォーカルなんかするって思ってなかったんですもの」

「…そういうものですか?」


 そうよ、とのよりさんはうなづいた。


「二ヶ月くらい前に、いきなり『俺ヴォーカルやらないかって誘われちゃった』ですもん。私どう言ったものかっと思っちゃったわ」


 はあ、と私はうなづいた。そういうものか。だとしたら、彼のあの「普通の男の子」ぶりは実によく判るというものだ。

 だがそれと同時に、あの一瞬は。

 のよりさんは、それを知っているのだろうか、とその時私は思った。


「のよりさんは、ステージを見たことは?」


 彼女は首を横に振った。


「何か、あのフロアの雰囲気が駄目なのよね。だから終わるまで引っ込んでいるんだけど。来ない時もあるわ」

「薄情なんだよなー」


 いつの間にか、「普通の男の子」がそこには居た。のよりさんの背後からそっと忍び寄ると、声と同時に彼女を後ろから抱きしめる。彼女はそんな彼の手をぺち、とはたくと、何をやってるんだか、とつぶやいた。


「ほら薄情だよなー」


 そう言いつつ手を離さないこのひとは、彼女と頭半分と変わらない身長しかなかった。下手すると私より小さいのではないか、とまで思えたくらいだ。

 甘えたがりのようで、幾ら彼女につれなくされようが、べたべたとくっついたままだった。彼女もいつものことだ、とつれないままにも、別に振り解こうとはしなかった。

 何となく、いいなあ、と思った。

 何故そう思ったのか、は判らない。私自身にそういうことは滅多に無かったからかもしれない。

 付き合っていた彼は、私に向かって甘えるようなことはなかった。私自身もそういうことはなかった。最初の付き合いが「友達」だったせいかもしれない。私が甘い関係を嫌いなのだ、と彼は思っていたのかもしれない。今になってみては判らない。


 …望んでいたのだろうか?

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