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2 美咲自身の恋愛観と、妹から見た兄のヴォーカル遍歴

 昨日ではなく、その前の土曜日、ライヴハウスに彼女を連れて行った。

 私は滅多に行かないのだが、兄貴からチケットを押しつけられていたのだから仕方がない。

 兄貴はRINGERというバンドでギターを弾いている。

 いや、自分がギターを弾くためのバンドを彼は作った、という方が正しいかもしれない。

 中学高校と音楽にはまってはいたが、ここまで行くとはさすがに私は思っていなかった。何せ高校卒業と同時に、家を飛び出したのだ。

 それから約四年、行方が知れなかった。

 当初は怒って焦った両親も、私が短大を卒業したあたりには、既に何も言わなくなっていた。

 仕方ない、と思ったのかもしれない。

 しかし私には仕方なくなんてなかった。だから東京に出たらすぐに彼を捜した。

 音楽を、バンドをするために家を飛び出した訳だから、探す方向は限られてくる。

 彼が聞いていた音楽から、方向性は何となく判っていた。そこからだんだんと捜索の輪を縮めていったのだ。伊達に高校時代、学年で毎度ベスト5の成績を取っていた訳ではない。短大に行くと言ったら担任は嘆いたものだ。

 そしてある春の日、ライヴハウスで突き止めた彼の部屋を訪ねた。

 驚いたことに、私の今のこの部屋とそう遠くなかった。

 私がこの部屋を選んだのは、駅からそう遠くない距離と、家賃と広さの関係、それに日当たりだった。

 彼の部屋は、私より、サラダの部屋より小さい。

 1Kは1Kなのだが、マンションではなく、アパートの1Kなのだ。鉄筋ではなく鉄骨なのだ。

 隣の部屋の音が露骨に響いてくるような、気を付けないと、扉の木の端で棘をさしてしまうとか、開けたら部屋が丸見え、とか、六畳にそのままキッチンがくっついているような、そんな部屋だった。

 さすがに彼は驚いた。もっとも私も驚いた。

 私の記憶の中の彼も髪は長かったが、少なくとも腰まであるような男ではなかったはずだ。しかも金髪だ。悪趣味だ。

 もう少し何とかしようがないのか、と思ったが、子供の頃から彼が私のいうことに本当の意味で耳を貸したことなんて無いので、言わなかった。代わりに言ったのは、こんな言葉だった。


「何とかまだ生きてるじゃない」


 私の本音だった。

 死んでいて欲しい、と思ったことがある訳ではないが、ロクでもない生活をしているだろう、とは思っていた。

 たぶんそうしていて欲しい、と思っていた。


「今のヴォーカルは確か、ハコザキ君って言ったかな」

「ハコダテ君?」

「ハコザキ君。どういう耳をしてるんだあんた」

「彼女居るのかなあ?」

「何よそれ」


 その時ようやく彼女はくるりとこちらを向いた。皿とふきんがそれぞれ手にある。その皿とふきんを胸の前で抱えて、目線は天井を向く。


「だって結構恰好よかったしー。声いい男って、あたし好きだよ」

「残念でした。ハコザキ君には彼女が居ます」


 私はへへへ、と笑って彼女に答える。

 本当に残念でした。この女は惚れっぽい。そしてそのたびにちゃんとアタックして、…勝率は30パーセントだという。

 ちなみに私は、と言えば。勝率は50パーセントだ。…過去に二人好きになって、一人と付き合ったことがあるのを言うのなら。

 ただし今は誰も居ない。故郷を出てくる時に、ケンカ別れして、それっきりだ。忙しい日々の中、思い出すこともなかったのだから、本当に好きだったのかも疑わしい。

 正直、何をもって「付き合う」というのか、私にはよく判らないところがある。

 短大の時のクラスメートの中には、その定義を「時間とSEXを共有する」とした子も居たが(もっともその子はそんな言葉で表現はしなかったが)、私は首をひねった。何故首をひねったのかは未だに判らない。


 ただこれだけは言える。

 恋愛は苦手だ。


 クラスメートがよく口にする、別れたのくっついたの、浮気したのコンパで見つけようだの、はっきり言って、面倒くさい。

 けど口にしたことはない。

 そう言ってしまえば、それこそクラスメートの間では、自転車にわざわざ乗ってきた子同様、同情と優越感と、そして一抹の不安を感じさせる視線で見られる。そんなことを私はつい読んでしまうからだ。

 そう、優越感というのは確実にある。

 自転車の子に対しても、だいたい皆まずこう言うのだ、雨風の日には。


「こんな日には大変よね」


 すると自転車の子は首を傾げた。

 何故そう言われているのか判らないのだ。すると問う方も期待はずれで困った顔をする。問いかけた方は、心配を全くしていない訳ではないだろうが、そうだね大変だよ、という答えを期待しているのだ。

 そう言われて安心するのだ。自分達の行動は正しいんだ、と。だが、彼女達の期待通りの答えはまず返って来ない。

 自転車に乗って来る子にとって、雨も風も、下手すると台風も雪も、それは予想されていることだし、そんなこと承知で走っているのだ。

 確かに大変かもしれないが、言われる程のことではないのだ。本人に聞いたのだから間違いない。彼女はその時にはその時仕様の恰好と時間を用意していたし、台風になど巡り会った日には、追い風で馬鹿みたいに進む、とはしゃいでいたものだ。

 ただ私は彼女と違って、そんな視線の意味をつい読んでしまうので、自分がその立場になることはできない。だから一応口は合わせてきた。

 それでも一応「付き合って」きた男は居たのだから。その誰かの定義の様に。


 出会ったのは高校時代だった。ただ学校は違った。受験勉強のために、三年の夏、図書館の閲覧室をよく利用していたのだが、その時の場所取りの列で退屈だったので話をしたのがきっかけだった。

 私と彼は話も合った。合ったからこそ、「付き合って」いたのだ。読む本とか、聞く音楽とか、映画とか、そんな話をとりとめなくしていた様な気がする。正直、私はそれだけで良かった。楽しかったのだ。

 短大のクラスメートに対して、何処か壁を作っていたように、私は高校のクラスメートとも、何処か一線を置いていた。「友人」はだいたい他のクラスに居た。その方が気楽だった。クラスが違う子達は、だいたい話が合うから続くのである。

 彼にはそんな友人達と同じような気楽さがあった。だから私の意識の中では、彼は長いこと、「男友達」だった。その位置を壊したのは彼だった。

 その位置が壊れてからも、私達の付き合いは続いていた。ただ、私の中では彼の存在は分裂していた。

 どうして昼間の楽しい「友達」が、夜、面倒くさい「恋人」というものにならなくてはならないのか、いまいち理解できなかった。

 いや、理解したくなかった。


 「友達」を無くすのが嫌だったから、「恋人」ともずるずると付き合っていた。


 だけどそれはいつか終わるだろう、と予感のある付き合いだった。

 そしてその読みは当たっていた。いや、読みというよりは、私自身が終わらせた、と言った方が正しいのだろう。


 私は地元の大学に進んだ彼が、そのまま地元の企業に就職したいタイプであることを知っていた。わざわざ口にしたことは無かったが、彼がそういうタイプであることは知っていた。兄貴とは逆だった。

 大学でも単位を一つも落としてなかった。追試も受けなかった。もしその授業を一度も受けたことが無かったなら、ノートを借りまくり、コピーを取りまくり、絶対落とさないタイプだった。

 兄貴だったら、本当に好きな科目だったら、自分の力だけでやって、たぶん落ちる。…いや、別に兄貴がどうということではないのだが、彼はそういうタイプだった、ということだ。

 それはそれで、要領がいいということなのだろう。

 実際にはちゃんと授業には出ていた。ただ、そういうこともできただろう、と私は思うのだ。

 何だろう。

 だから、実際には「どの部分」が嫌だ、ということではないのだ。

 ただぼんやりと、「何か違う」ということが、自分の胸の中にたまってきた。

 ただ私も私だったので、それを口にはしていなかった。言っても判らないだろう、と何となく感じていた。何だろう。言葉が通じない、という気持ちが私の中には確実にあったのだ。それはあきらめに近い。


 一番決定的だったのが、別れた時だった。

 短大の二年の夏、就職先が決まった、ということを彼に言ったら、彼は露骨に嫌な顔をした。

 何でそんな顔をするの、と私は訊ねた。

 リクルートスーツの私は、カフェで向かい側に座る彼に、首を傾げた。私にとってはめでたいことだった。めでたいに決まっている。いくら外面のいい私としても、それなりに努力というものをしたのだ。資料を集め、きちんとした恰好で、勉強も重ね、何社も何社も訪ねた。確たる目的もない「就職」というか「就社」は、不況のこの時代、短大卒はハンデだ。

 そう、私は就職に何の目的も持っていなかった。職が無いと食っていけない。だから職につく。それだけだった。この歳になって親に食わせてもらおうとは思っていなかった。それに、食わせてもらいたくもなかった。家を出たかった。だったら、いっそのこと。

 だからそれでも彼におめでとうの一つも言ってもらいたかったのかもしれない。少しは期待していたのだろう。

 だが彼の表情は期待通りにはならなかった。

 問いただすと、彼の表情の理由は二つあった。

 一つは、彼に就職活動のことを言わなかったこと。もう一つは、その場所が東京だったこと。

 東京だったら、反対していた、と彼は言った。

 私は何故、と訊ねた。お前俺ともう会わない気か、と彼は言った。

 私は答えに詰まった。

 どうしてそういう問いが来るのか、さっぱり判らなかったのだ。どう答えていいのか判らなかったので、黙っていた。彼が次に言う言葉で、対応を決めようと思った。そうしたら彼はこう言った。


「もういいよ」


 私はもっと困ってしまった。何を彼が言いたいのか、ますます判らなくなってしまったのだ。

 だから仕方なく、それがどういう意味なのか、彼に訊ねた。

 別に会わない気はない。だけど会える時間が少なくなるのは確かだろう、と付け加えて。事実だった。

 彼は悲しそうに首を横に振った。そして言った。


「無理して俺に付き合わなくてもいいよ」


 無理は。

 していた。

 それは知っていた。

 自分のことだ。

 だけど彼が私のことを好きなのも知っていたから、その手を振り解くことをしなかった。振り解く理由もなかった。

 私はそうなの、と答えて、席を立った。そうする以外、私には浮かばなかった。

 それで終わりだった。あっけない程、簡単に。


 後になって、電話が来た彼の友達から話を聞いた。彼はどうやらずっと私に地元に残って欲しかったらしい。

 戻ってくる気はないのか、と友達は訊ねた。

 私は無理だ、とその友達に言った。

 そうだろう、と友達は言った。そしてこう付け加えた。

 奴はあんたのこと、まだ好きなようだ、と。私は仕方ない、という意味のことを言った。友達は低い声で言った。


 あんたは冷たい女だね。


 そう言われても、困る。困るのだ。


 確かに私が彼の前で見せていた私の姿は、彼が望むものに近かったかもしれないが、私が実際にそういう人間であるか、というのは別なのだ。

 見せていた私が悪いと言ってしまえばそれまでだが、普通誰だって、相手によって対応は変わるものではないのか?

 そこで文句を付けられても困るのだ。


 そしてそういうのが恋愛というものに含まれるのが普通、だというのなら、私にとってそれは面倒なものだ。無くて済むのなら、無くてもいい。

 だいたい毎日、それどころではなく忙しいのだ。仕事もだが、それ以外にしても。


「ハコザキ君の彼女、ってどういうひと?」


 食器洗いが一段落したらしく、彼女は水道を止めた。


「どういうひとって」

「んー。ミサキさんから見てどういうひとかなあ、って」

「…や、あたしも大して会ったことがある訳ではないけど」


 それに。

 正直、その二人が本当にちゃんと続いているのか、…私には断言ができない。

 と言うよりも。


「うん、可愛いひとだよ」

「へえ」

「ハコザキ君自体が、そんなに背が高い方じゃないけどさ、少しそれより小さいくらいだから、可愛らしいカップルだなあ、って思ったことがあるけど」

「確かに小柄と言えば小柄だよね。でも声とか大きかったよね」

「まーね。兄貴の奴は声にはうるさいから」


 違う。


「声には?」

「そ。奴はねー、ろくでなしだけど、音楽だけには厳しいから」


 そう言いながら、違う、と私は自分につぶやいた。

 声だけじゃないのだ。


 サラダを連れていったライヴの日、私は兄貴に少しばかりの用事があったので、終演後、会いに行った。

 彼には私が寄って行くということは言っていなかった。ハコザキ君のために、私のクローゼットからブラウスを貸していたので、それを引き取りに行ったのである。

 ハコザキ君の彼女の「のより」さんは、彼より小柄なので、ブラウスのサイズは合わない。

 私は学生時代ずっと運動系の部活をやっていたので、筋肉と肩幅が発達している。女物のブラウスとは言え、男の彼が着ることができるサイズとなっていたのだ。

 貸すのは構わなかったけれど、ちゃんとクリーニングして返してくれるのかまで保証はない。だったら自分で引き取って洗濯した方がいい。

 廊下で楽器ケースを運んでいた、ドラムスのオズさんに出会って、兄貴の居場所を訊ねたら、まだ着替え中だ、と控え室を指さした。じゃあちょうどいい、と私は控え室に向かった。

 ノックをしようとしたら、扉の隙間から薄暗い廊下に光が洩れていた。着替えするのに不用心だよなあ、と思いながら、そっと私は中をのぞき込んだ。

 そして数回、瞬きをした。

 私のブラウスを着た誰かが、兄貴に抱きしめられていた。

 それがどういう意味なのか、すぐには理解できなかった。

 抱きしめられているだけではない。ギターを弾く長い指が、そのブラウスの襟元から胸に入り込んでいる。悪趣味な長い金髪が、むき出しになった誰かの、汗ばんだ首筋に張り付いている。

 その首筋が、動く。顔がこちらを向く。

 約二分、私は硬直していた。私のブラウスを着ているのが誰なのか、その時ようやく思い出したのだ。ちょっと待て。


 代々のヴォーカルが、兄貴と付き合いがあったことは、私も知っていた。それはよくあることだ、と思っていた。ただ、それまでの代々のヴォーカルは女であることが多かったのだ。それもどれも何処かよく似た声の。


 そう言えば、不思議なことに、兄貴には外見の好みというのが存在していなかった。代々のヴォーカルの女達も、何処に共通点があるんだ、というくらい、顔もスタイルも違っていた。


 「呉尾ちゃん」はトランジスタ・グラマーだったし、「入江さん」は言っては何だが、幼児体型だった。「とおこさん」は醤油顔の化粧の上手いひとだったし、「藤江さん」はノーメイクのボーイッシュなひとだった。

 なのに皆、声だけは何処か似ていて、そして兄貴と付き合っていた。


 男がヴォーカルになった時もあったのだが、私はその時代はよく知らなかった。

 ハコザキ君が、私の知るRINGERの最初の男性ヴォーカルだったのだ。

 …男性、だよね。

 その時私はその事実を思い出すのに時間がかかった。事実と認めた後が大変だった。扉をそっと閉じて、その事実の意味を何度も何度も頭の中で繰り返した。


 私のブラウスを着ている誰かと兄貴はまたそういう関係にある+私のブラウスを着ているのはハコザキ君である=ハコザキ君は兄貴とそういう関係にある


 つまりはそういうことで。

 ということは、兄貴は相手の性別を気にしない人だったということで。


 …さすがに私もそれをきちんと把握した時、驚いた。驚いた、というより混乱した。何で、と思った。私のそれまでの世界に、「そういうこと」は存在しなかった。

 いや、中学高校短大時代、何処かにあったことはあったのかもしれない。

 ただ私の視界には入って来なかったのだ。無関係の世界だった。意識すらしなかった。芸能関係でそういう話を聞いても、何処か風変わりなクラスメートがそういう内容のコミックを読んでいたとしても、それはあくまで自分とは関係無い、何処かの世界の出来事だ、と感じていた。


 なのに。よりによって、兄貴が。


 そしてその一方で、あいつならそれもありだな、という自分が居ることにびっくりしていた。

 外見を気にしない兄貴のことだから、性別も関係ないのかもしれない。

 兄貴は結構な近眼で、小さな頃からそれを平気で通してきた。彼の視界はいつも不鮮明なのだ。見たいと思うもののためにしか、眼鏡を掛けようとはしない。傲慢な奴だ。

 だから音や声の方に敏感になったのだ、と本人から聞いたことがある。

 顔や姿は化粧や服でごまかせるけど、声はごまかしが聞かない、とも聞いたことがある。

 実際、そうでなければ、「とおこさん」と「藤江さん」をどちらも同じくらいに好きになれる彼の感覚というのは理解できない。「とおこさん」は付けている化粧品のにおいが半径五メートル以内に入ると判るような人だったし、「藤江さん」は普段でもシャンプーリンスは嫌いでせっけん一つで全てを洗ってしまうような人だ、と聞いたことがある。

 だから何だろう。

 彼にとっては、胸のあるなしも、下のあるなしも、大した問題ではないのかもしれない。かなり呆れたが、一晩寝て起きたら、それもありだよな、と考える自分が居た。


 ブラウスはまだ返ってきていない。

 だけどそのことを、ハコザキ君の彼女ののよりさんは知っているのだろうか。私の疑問と懸念はそちらへと既に移ってい

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