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18 サラダの生きるための逃走

「嫌いだからよ」

「どうして」

「あそこであたしは、窒息していたから」


 窒息しそう、ではない。していた、と彼女は言った。


「最初は、小学生の時だったよ。教師は自分の体面のほうが大事で、あたしをたった一つの質問からずっと、嫌っていたよ。そんなの、態度で判るよね。今のあたし達くらいの年齢の教師だったよ。男で」


 あの時コーヒーショップで言ってた。電流が流れるっていうのはおかしい、と反論したサラダの子供の頃。彼女は口元を歪めた。


「大人げないよね。子供が怖かったんだよ、その教師。だからあたしを嫌うように、同じクラスの連中をたきつけたんだ。別に、嘘を吹き込んだ訳じゃあないよ。でも確実に、皆あたしを嫌いになってった。そりゃそーよね。あのくらいの、今じゃなくて、あの頃の小学生ってそうじゃん。先生が何だかんだ言って、結構左右するじゃない」


 それは。私はそのあたりをするすると逃げたが、確かにそれは、感じられた。今ではない、同じ時代。


「だんだん遊んでくれる友達もなくなって、あたしは学校に行くのが怖くなったよ。だってそうじゃない。授業では先生にできないと判ってることを指されて、できなければなじられてさあ。そんなこと、当たり前だっちゅーの。でもそんなこと、今なら判るよ。だけどその頃のあたしに判る訳がないじゃない。それを誰かに言おうと思っても、誰も聞いてくれない。誰も、よ?」


 四面楚歌、という言葉がぱっと脳裏に浮かんだ。


「とうとう学校に行きたくない、って泣いてわめいたわよ。家でも。だけどそれをどうしてもさせてくれなくて、母親は引きずってまで、あたしを学校に連れてった。だからあたしは学校に行ってから逃げる方法を考えた。だけどそれを学校が母親に言うのよ。そうすると今度はそれをさせないように監視がつくのよ。朝から晩まで!」


 そんな話、誰が普通、聞きたい? と彼女は苦笑する。続けて、と私は彼女の肩を掴んだまま、促した。


「逃げ場が無い、と思った。だから、逃げるにはこれしかない、って…」


 彼女は言葉を切った。


「三階の窓から、飛び降りたのよ」


 私は思わず目を見開いた。


「…って」

「あたし、生きてるでしょ?」


 彼女は笑った。どうしてここで笑えるのだろう。


「だけど、それで終わりじゃないのよ? 確かに事件が起きてしまったから、教師のやってたことは、上の連中、校長とかね、結構判ってきたみたい。だからその教師はクビになったのよね」

「それは… 良かったっていうことよね?」

「それ自体、はね」

「まだあるの?」

「あるの。って言うか、それが始まりよね。確かに教師はいなくなったわ。だけど、クラスの連中はだから、ってあたしを手のひら返したように仲良くすることなんてできる?」

「ううん」


 私は首を横に振った。できっこない。私達の頃にもいじめはあった。そして一度あったいじめられる対象を、これこれこういう訳でそれは間違ってましたから明日から仲良くしなさい、って言ったところではいそうですかと言うことを聞ける訳がない。そして大人のように、表面上だけでつきあってくことができる程器用でもない。


「その教師が悪いってことが判ったけれど、だけどそいつも、確かにあたしの中にある部分を大げさに言ってただけなので、大本はあたしの中にあったのよ。でもそれは普通なら見過ごされるとこよ。大げさだから嫌われる。だけど、一度立ったものは修正できないのよ」

「…ずっと」

「そう、ずっと、あたしは小学校で、仲間はずれ扱いだったわよ。三階から飛び降りるなんて、危ない奴、とか何とか言われて、それまでより、下手すると、遠巻きにされて。って言うか、お家のほうが、できるだけあの子とは付き合ってはいけませんって言ったみたいよねー。不安定な子と居ると不安定になるって。確かに不安定だったわよ。誰のせいだと思ってるのよ」


 彼女の目がぎらぎらと輝いてきた。


「それでも小学校は、何とかだましだまし行ったわよ。だけど中学校はもう駄目。本当に駄目。田舎だったから、幾つかの小学校が集まって、中学校一つになってたんだけど、周りの小学校から来た子は、そんな詳しい事情なんか知らないじゃない。もう始めっからあの子は危ない、って自分達の噂でも、親からの話でも聞いててね。一学期、保たなかった」


 どう言っていいものか、私は困った。


「今だったら、引きこもり、っていうのかなー。外に出るのが、怖かったよ」


 今の彼女からは、想像ができない。


「心地よかったのは、自分の部屋の中だけだった。食事とか風呂とか、そういうのは仕方ないから、家の中歩き回ったけれど、できるだけ親とも顔会わせたく無かった。だってあの時、何もしてくれなかった。逆にあたしを疑った。あたしを守ってくれなくてはならない人達なのに、あたしを見捨てたのよ。聞こえが悪いから、って」


 きちんとしているという母親の姿がふと目に浮かぶようだった。手を綺麗に保っているという。


「でも自殺もできない。だって今度失敗したら、もっとあたしは絶望することになるじゃない。どうしようどうしよう、って毎日毎日考えてた。本当に、毎日毎日、よね。運動不足だから、ろくに食欲も湧かなくて、痩せちゃったわよ。それでいて、二の腕だけぷよぷよになったりしてね」


 笑えない冗談だ。


「二年、そんな生活してたのよ。退屈だから、教科書ぱらぱらしていたし、本は読んだから、国語とか社会とかはまだいいけど、人に教わることができないから、数学とか理科とかもう駄目よね。あたしの理系ってそこで終わってるのよ。でもおかしいよね。あたし今の生活で、それで困ったことなんてないよ」


 彼女は笑った。半ば誇らしげに。


「ホント、筋肉思いっきり落ちたのよ。…ホントに、外に出るのが、怖かった」


 ぽつん、と彼女は言った。


「ところが、よ」


 そして顔を上げた。


「何かある日、妙に朝早く目が覚めちゃったのよね。明け方、って時間。カーテンを半分開けたまま寝ちゃったみたいで、日が射し込んで、目が覚めちゃったみたいなの。何かすごく空が綺麗だったんで、窓を開けたら、空気がひんやりとして、気持ちいいの。こんな時間だったら人は居ないわよね、ということで、そーっと外に出てみたの。辺りを見渡して、それで戸を開けて。何考えてたなんて、今のあたしには判らない。たぶんその時のあたしにも判らなかったんじゃないかなあ。ただもう、空が綺麗だったのね。…でつい、自転車に乗ってしまったら、何かもう、止まらなくて」

「止まらなくて?」


 くす、と私はようやくその時笑った。


「そう。止まらなかった。学校へ行く道筋じゃあないのよ。全く逆方向。ただそっちから太陽が昇ったのよね。そっちへ行きたかったのよ。光がある方向」


 ああ、と私はうなづいた。


「…気がついたら、太陽が空の真ん中にあった」


 サラダは苦笑した。


「そこが何処なのかさっぱり判らなくてさあ。とりあえず来た道を帰ればいいって思っても、よく考えてみれば、適当に空見て来たんだから、どっちがどっちかさっぱりわかんないのよね。しかもうちなんかど田舎だから、走ってたあたりには、まるで家なんか無いのよ。どうしようかと思ったわよ。…どうしたと思う?」


 私は首を横に振った。判らない。


「何か、戻る気無くしちゃって」

「え」

「そのまま真っ直ぐ、またどんどん走り出しちゃったのよね。何か妙に、アタマがすっきりしてたのかもしれない。どうでもいい、と思ってしまったのかもしれない。とにかく行けるとこまで、行こうと思っちゃったのよね」

「はあ」


 それって、ほとんど家出ではないか。


「ま、さすがに夜になって、どうしようかとふらふらしてたら、結構学区って広いのよね。で、あたしを直接知ってる訳じゃないけれど、変だと思った人が居たのかな。どうしたのって引っ張られて、それでウチに連絡されてしまって、冒険はおしまい」

「冒険」

「そう思ったんだと、思うのよね、きっと。でもそれで、ようやくあたしは外に出られた。でも学校には相変わらず行けなかった。毎日自転車で、走り回ってたよ。人が居ないとこ、人が居るとこ。今だってどーしてかさっぱり判らないんだよ。でも何か、それでどーでもいい、って思ったのかもしれない」

「どーでもいい?」

「あたしが何してよーが、勝手に回りは動くのよね」


 うん、と私はうなづいた。


「だったら、あたしが何してよーが構わない訳じゃない。何でそこで誰かに遠慮しなくちゃならないんだ、と思ったわよ。誰のためでもないのよ。あたしまず、あたしのために、動かなくちゃ、駄目だ、と思った。あたしがまず、あたしを抱きしめなくちゃ、駄目だと思ったのよ」

「自分を」

「誰もその頃、あたしにそんなこと、してくれなかった。学校の連中はあたしを嫌ってたし、家族だってそーよ。この歳になって何、って顔で見るのよ。だから期待するのやめた。代わりに、あたしがまず、あたしをぎゅっと、抱きしめてやることにした」


 にやり、と彼女は笑った。


「でもそーやって外に出られるようになると、今度は母親がやいのやいの言い出したのよ。外に出られるなら、学校にどうして行けないの、って。このままじゃ受験もできない。体裁も悪いって、言うのよ。ようやくそこまで息がつけるようになった娘にね。ようやく、なのを全く判ってないのよ。だからその時にはあたしも言い返した。母さんはあたしがどれだけ辛かったのか、判らないの? って」

「お母さんは、判ったの?」

「ぜーんぜん」


 ふるふる、と首を横に振る。


「そんなこと言ったって、こっちの身にもなってみなさい、って言ったね。その時思ったね。ああ駄目だ、って。このひとには通じない、って。そうしたら、急に気が楽になった。このひとにそんなこと求めても、駄目だ、って」


 似てる、と私は思った。それももっと私より、シビアな。


「だから今度はさすがに、もう少し遠くまで逃げたな。…おばさんが、こっちに居るのよ。東京」

「東京に?」

「母親の妹なんだけどね。何かあたしが閉じこもったって聞いてから、時々電話くれて。もし本当に息が詰まりそうだったら、いつでもおいで、って行ってくれてた。だから、あたしは逃げた」

「逃げた、の?」


 うん、と彼女はうなづいた。


「逃げるが勝ち、っていうのもあるじゃない。ねえミサキさん、とにかく最後に生きてたほうが、勝ちなのよ」

「生きてたほうが」

「うん。どんなに逃げて逃げて逃げまくっても、その時に力をたくわえたり、傷を治したりしたら、いつかは何処かで反撃できるかもしれない。反撃しなくても、いつか逃げ通せるかもしれない。もしかしたら、向こうが根負けして、先に死んでしまうかもしれない。とにかく、最後に生き残ったほうが、勝ちなのよ。人からどう見えるかなんて、どーだっていい。あたしはあの場所に居たら、いつかまた絶対息ができなくなって、もっと高い場所から飛び降りるかもしれない、って思った。それは嫌だった。そんなことしたら、最初にあたしを貶めた奴の思うがままじゃない。だけど、気持ちってのは弱いから、そこに居るだけで、どんどんどんどん傷がついてってさ、生乾きのまま、また次の傷がつけられて、いつまで経っても痛み続けるじゃない。そんな状態で、誰に反撃したとこで、痛みばかり気になって勝ち目なんかありゃしないのよ。だったら逃げよう、って思えたのよ。その時やっと」

「やっと」

「全く迷ってなかった訳じゃあないよ。おばさんにも迷惑じゃないか、って思ったりもした。ただそのおばさんはすごく正直なひとだったのね」

「正直?」

「無論迷惑はあると思う、なんてずけずけと言うしね。だから電話口でたじろいでたら、こう言うの。『でもワタシはあんたが結構好きだったから、死なれるのはやだ』」

「は」


 それは何と言うか。


「確かにそうなんだよね。母親も、時々言ってた。あんたはまりえさんそっくりだ、って。まりえさんってのがおばさんの名前なんだけど、ウチの母親とは、仲がいい悪いじゃなく、合わなかったみたいなの。だから今だったらこうも思えるよ。母親は、自分の娘なのに、自分と性が合わない妹のほうに似てるってのはしゃくに障るよね。確かにそれはそうかもしれないよ。今だったら、判る。でも」


 彼女は目を伏せた。


「そんなこと、子供に何の関係がある? 産んだのはアナタで、そのあたしがたまたま遺伝の関係でそういう気性だったとしても、そんなこと、あたしに何の関係がある?」


 …期待されていた息子。自分達の子供だから、いつかはマトモな生活になるだろうと期待する両親。放っておいてくれ、と兄貴は無言で抗議した。それでも未だに両親には判らない。


「おばさんのとこに、飛び出したのは15歳の時。転校手続きをしてくれたし、保護者もちゃんとしてくれた。そりゃあ色んなこと、自分でしなくちゃならなかったけど…それが良かったんだね。成績なんか無茶苦茶悪かったけど、あ、美術と国語は良かったよ」


 あはは、と彼女は笑う。


「進学したくなければしなくていい、って言ったし、したいのだったら、できる範囲のことはしてあげる、って言ってくれた。だからあたしは高校じゃなくてね、美術系の専門学校行ったんだけど」

「あ、それで」


 うん、と彼女はうなづく。ポストカードに描いてた絵は、全く下地が無かった訳ではないのだ。


「ただ、その学校行ってる時に、おばさんが結婚することになったの」

「結婚? …ってそれは結構」

「遅いって言うか。でもずっと付き合ってたひとらしいよ。実際よくそのひとのとこに泊まりに行ってたりしたし。何かさあ、その二人は見てても気持ち良かったな。その相手のひとは、おばさんとは違って、ごくフツーの会社のひとなんだけど」

「え? おばさんって何してるの?」

「雑誌の編集だって言ってた。ただ何の雑誌かは結局教えてくれなかったけど」

「へえ」

「そういうことしたくて、田舎から一人出てきて、ずっとやってきたひとなんだよね。でまあ、時々同僚らしい男のひとも来たりするんだけど、ぜーんぜん色気もへったくれもないの。だけどその相手のひとには違ったんだよね。何か可愛いの」

「か、わいい?」

「で、そのひともおばさんをすごく甘やかすんだよね。あ、すげえいいなあ、ってあたし思ったなあ。その相手のひとが普段会社でどういうひとなのか、とかあたしまるで知らないんだけどさあ、二人とも三十代後半、とかまるで思えないほどにらぶらぶなのよねえ。こーんな感じに髪の毛とかわしゃわしゃしたりさあ」


 そう言って彼女は、私の髪をくしゃくしゃにした。心地よい、柔らかな手の動き。


「だからその時思ったなあ。何か、こんな感じに、誰でもいいから、シアワセになりたいなーって」

「こんな風?」

「普段がどんなにきつくても、そのひとと居る時には、のんびり気持ちよく、ふわふわとやってくの」


 のんびり気持ちよく、ふわふわ。それは私も好きな時間だ。


「それがあれば、他の時間がどれだけきつくても、何とかなるじゃない。あたしはさあ、ミサキさん、別に何が欲しいこれが欲しい何になりたいなんて思ったことないよ。ただこうゆう時間がいつもあって、それが一生続けばいいな、ってそれだけなんだもの。それが悪い、なんて、誰にも言わせたくないよ。だってそれが必要なんだもの」


 生きてく上で。それが省略されている、と私は思った。

 確かにそうなのだ。そんなもの、と思うひとは思えばいい。だけど私達は知ってる。私達は何処かでその人達が何の苦労もせずに得てきたものを与えられなかったか、無くしたか―――

 いずれにせよ、その「無いもの」をいつも何処かで欲しがってるのだ。


「ねえ、あたしはミサキさんと居る時間が、好きだよ。あなたと居る時間が、今までで一番楽しい」

「誰よりも?」

「誰よりも」


 そういえば、と私も思い出す。それでも彼女はずっと、私の近くに居たのだ。のよりさんが消えた時も、私が何処かおかしくなっていた間も、ずっと。


「いちばん夢が見られるもん。小さい店を出して、好きな雑貨を集めて、好きな音楽を流して、美味しい食事とお茶とお菓子があってさあ」

「椅子やテーブルは中古の家具屋に行って?」

「拾ったっていいよ」


 彼女は笑った。


「窓が大きいところでさ。緑をたくさん置いてね。あちこちに置くスタンドのかさはあたしが作ってもいいな。それで、近くに住むアーティストの作品なんかも飾っちゃってさ。あたしのカードもあちこちに飾るんだ」

「壁にはペンキを塗らなくちゃならないね。それとも打ちっ放しのコンクリート?」


 その調子、とばかりに彼女は黙って笑った。


「花を切らさないようにしようね。ありきたりかもしれないけれど、あたしかすみ草好きだな。ガーベラとかはグラスやびんに一本挿しにしてね」

「鉢植えのグリーンもいいけど、吊り下げるのもいよね」

「でもきっと手入れが悪くてずるずる床まで落ちてしまうよ」


 あはは、と私達は笑った。

 ああそうか、と気持ちが暖かくなってくるのが分かる。夢を二人で見られるのはこんなに心地よい。

 そしてその見ている夢は、次第に具体味を帯びてきている。


「あまり大きくなくていいのだから、普通のビルの一室でいいのよ。ただ歩く通りに面しているほうがいいのよね。そうでなきゃ、ちゃんと常連がやってこれるような店にしなくちゃ」

「でもそういうとこって入りにくくない?」

「隠れ家みたいな店って、最近結構できてきてるのよ。でも最初のひとが入りにくいのは確かに良くないよね。二階くらいで、ちょっと見上げたら、カフェがあることに気付くくらいのものがいいよね」

「窓から旗でも吊す?」



 言い忘れたが、兄貴の新しいヴォーカリストとは既に顔を合わせていた。彼が出ていく少し前のことだ。私は、と言えば、久しぶりに同居人が居る状態に、少し浮かれていたに違いない。

 私は兄貴が予約している、というスタジオに、スーパーで買った缶ジュースと箱スナック菓子を一杯に抱えて行った。

 正直、どんな子なのか、非常に気になっていたのだ。オズさん情報では、何とそれは現役高校生だ、ということだったから。

 そして出会い頭にぶつかった。何だよ、という目で一瞬少年は私を見た。


「あ、新しい子達?」

「あ、ケンショーさんの妹さん?」


 ケンショー「さん」。そうかそういう存在なのか、と私は改めて思った。と言っても、一回り違うのだ。敬意あって当然ってとこか。

 私はとりあえず先制攻撃を打ち出した。


「あの馬鹿にさんなんて付けなくてもいいわよ!不肖の兄貴、生きてる!?オズさんお久しぶり!ねえねえ君達、少年達よ、甘いもの平気?」


 私は一気に言い放った。


「み、美咲ちゃん、いつもにも増して元気だね」


 オズさんは冷や汗混じりで私に笑顔を向けた。引きつっているってば。そして不肖の兄、はいつものことだと平然としている。


「俺は平気」


 腕組みをしたヴォーカルの彼は、すぱっと言った。


「俺は好きですよ」


 こっちがベース、というのがやや驚きだった。どっちかというと、今までの兄貴のシュミからしたら、こっちがヴォーカルではないかと思ったくらいだ。


「本当! ねえ、じゃあ練習の後、暇?」


 二人は顔を三秒ほど見合わせ、うなづいた。


「実はこの先のホテルで…」

「それは駄目っすよ!」


 間髪入れずにヴォーカルの少年は口を挟んだ。私はすかさずべし、と頭を軽くはたく。


「いてーっ!!」


 声がスタジオ中に響いた。どき、と心臓が一瞬跳ねる。めぐみ君や前のヴォーカル達とは、少し響き方が違う。私は得意の外面を作る。


「阿呆! 何考えてる青少年! ホテルのレストランで、ケーキバイキングがあるの!」

「あ、ティールームですね」

「うん、ケーキ、好きは好きなんだけど、やっぱりちょーっとバイキング一人じゃ行きにくいじゃない…」


 めぐみ君が居る時に、サラダは誘いにくかった。だから正直、誰かと一緒に行きたかったのは確かだ。


「だから付き合ってほしいと?」

「さすがに二人分、全額出すとは言えないけど」

「俺、いいですよ。お茶代程度なら出します」


 先にベースの子が笑いを浮かべながらそう言った。


「あ、じゃ俺も。その位なら」

「本当? 良かった。何しろうちの猫は甘いもの苦手で」

「猫?」

「うん、うちの同居人。可愛い子よ」


 それは嘘だ。めぐみ君は甘いものが平気だ。いや、好きと言ってもいい。ただ、昼間のケーキバイキングに付き合ってくれないことは本当だ。バイトに思い切り気合いが入っている彼に、それを言い出すことはできなかった。


「でもケンショーさんやオズさんじゃまずいんですか?」


 ベースの子はは軽く首を傾げた。


「…兄貴連れてくのは不毛よっ」


 本当は、こっちが甘いものは苦手なんだけどね。


「それに兄貴、良かれ悪しかれ、結構目立つののよねえ。恰好悪い訳じゃないし、ポリシーがあんのは判るけど、何っかほら、バランスが悪いと思わない?あれとあたしが並ぶと」

「…うーん」


 高校生達は顔を見合わせた。やがてヴォーカルの子は、肩をすくめて答えを返した。


「ま、つまりは俺達の方がいいセンスしている、ということですか?」

「そ。それにやっぱり食べ頃の男の子二人も連れていくのって、結構おねーさんの夢なのよ♪」


 冗談だけど、さ。

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