11 めぐみ君登場、サラダの酷評
おや可愛い、とその時私は思った。
何か服貸してくれ、と兄貴が私の所に電話してきたのは、夏に差し掛かった頃だった。
新しいヴォーカルの子を、も少し派手にしてみたいから、何かいい知恵あったら貸してくれ、という意味のことを電話の向こうの声は言っていた。
と言うことは、ちゃんと活動を始めたということで。
七月。実際には六月あたりから、その新しい子を入れてライヴをしていたらしい。ただその具合がいまいちはかばかしくないらしい。それでとりあえず外見を変えてみよう、と思ったらしい。
「亜鳥恵です」
とその子は言った。なるほどその名前によく似合っている。男の子にしては華奢だ。
そして声。ああ確かに兄貴の好きそうな声だ。ハコザキ君とものよりさんとも何処か似た、微妙な上がり方をする、何処か神経質そうな声。感情がそのまんま出てしまう、そんなタイプの声だった。
さすがに同じタイプが三人続けば判るというものだ。
「よろしく。あたしは美咲よ」
「出来のいいケンショーの妹」らしく、私はその子に向かってにっこりと笑った。彼もそれに応えて笑おうとしていたようだけど、何か上手くいかないらしく、顔が引きつっているのが判る。なるほど緊張しやすい質なのだな。何となく同情する。
私は自分のクローゼットの中から、彼に合いそうなサイズのものを少し引き出してみた。私は肩幅が少し広めで、この子は世間一般の男子よりは狭いので、サイズの点ではクリアできる。
「一応俺の服も幾つか持ってきたんだけど」
近いというのは、こういう時便利だ。そして私の部屋の方が広いからと言って、私達はここでいきなり彼を着せ替え人形と化しているのだ。
兄貴発音するところの「あとりめぐみ」君は、合わせられるごとに鏡を見ては、首をひねっている。女物のブラウス、似合わなくはない。だけど何か、違うらしい。ただ彼の口から出るのはそのことではなく。
「美咲さん、運動でもしていたの?」
「あたしは高校でスポーツ少女って奴だったからね」
そう言いながら、彼に少し派手なエスニックな首飾りを掛けてみる。
「あ、こうゆうのは似合うかもしれないね」
「だけどお前の服はあんまりそういうの無いだろ?」
それはそうだ。サラダの影響でたまたま持っていたが、基本的には私の趣味ではない。
「…でもやっぱり何か違うわね。やっぱりちゃんと、めぐみちゃんに合ったものを買った方がいいわよ」
「お前もそう思うか?」
「そりゃあね」
そしてめぐみ君は鏡の前でやっぱり首をひねっていた。
*
盆休みの週に、久しぶりに出かけたライヴで、私はめぐみ君のステージを初めて見た。会場は、夏休みの学生達と、盆休み中のOLで結構な数になっていた。
と言うか、この日は数バンドが「盆祭りイヴェント」ということで出ていたのだ。兄貴のRINGERは8バンド中6番目だった。その出演バンドの中ではまずまず、という位置だった。この出番だと、演奏時間がその前のバンドより少し多い。新規の客や、他バンドの客にアピールするには好機会というものだった。
そしてそのステージの上で、めぐみ君はメッシュの長袖と網タイツの上に、黒いエナメルのビスチェと短パンを履いていた。
こう来たか。
はあっ、と私はため息をついた。ひと時代前の黒系、という奴。だがそれがもう嫌になるほど似合っている。
似合っているから、ため息なのだ。「どうしたものか」と言いたくなってくるのだ。
ただその「どうしたものか」という気持ちがどういう意味なのか、私もまたいまいちよく判らなかったりするのだが。
ともあれ、ステージの上のめぐみ君は、確かに兄貴が惹き付けられるだけあった。無論歌の上手さとかはさておき、だ。
彼の声は、確かに、ハコザキ君やのよりさんより、何か周囲をぐいぐいと巻き込んでしまうような力があった。決して強くはない。音だって、不安定で、外すこともまだ多い。
だけど、それでも何か、つい耳が聞いてしまう、何か。あの主張の強いギターの音にかき消されない何か、があったのだ。
そして、彼の動き。存在感。やっぱりこれも、強くは無いのだ。
だけど目が行ってしまう。それは伸ばした腕の白さだったり、軽く後ろに傾けた首だったり、そんな些細なことなのだ。単純に「色気」と言ってしまうと身も蓋もないが、私の頭の中で、一番近い単語はそれだった。
薄い化粧をしているせいだけではない。化粧することによって、私の見たことのある素顔の彼からは判らなかった部分がにじみ出ている、と言ってもいい。それが、育ちきっていない少年めいた身体のせいで、効果倍増、というところか。
まあようするに、そのメイクとか衣装とかは、彼には本当に似合っていたのだ。
これでまたこのバンドの方向性が訳判らなくなってきた。
音は大して変わっている訳ではない。歌詞もだ。こうころころ変わると、ヴォーカルが歌詞をつけている暇が無いだろう。先代のも先々代のも、そして自分自身が作ったものも、どんどん交えて歌うしかない。
そうすると、どうしても「前のヴォーカル」と比べるのがたやすくなってしまうのだけど。
兄貴はヴォーカルがどんな恰好をしようが、自分のスタイルを変えない。時代遅れと言われようが、おそらく彼の耳には聞こえてこないだろう。幸せな奴だ。
でもまあ。私は少し効きすぎる冷房に両腕を抱く。願わくばこの子が長続きすることを。
何でそう思ったのか、その時の私にはさっぱり判らなかったのだけど。
*
「へえ、これが今度のヴォーカルの子? 可愛いじゃん」
私の部屋にあった写真を見て、サラダはあっさりそう言った。
「可愛いと思う?」
「そーゆうメイクはいただけないけどさあ」
そう言ってはい、と写真を戻す。
「やっぱ駄目?」
「似合うから余計にさあ、何か、変じゃない」
「変かなあ」
「無理してるように見えるけど」
どき、と私は心臓が飛び上がるのを覚えた。サラダの指摘は結構鋭い。いや、かなり鋭い。しかもそれが無意識なあたりが怖い。
私なんぞ、いちいち理屈をこね回してしまうのだが、彼女の場合は直感だ。直感で出てきたものに、理由を後付けするというタイプらしい。
だから好きなことは、どんどんとにかく実行してしまうのだそうだ。コンビニでいい音楽が流れてきたな、と思ったら、店員に流れていた有線の番号を聞き、何月何日の何時頃に流れていた曲は何ですか、と電話するのだ。
「だってそれだけの手間で、聞きたい曲が判るんだよ?」
もっともである。ただ私だったら、とりあえずそこで店員さんに聞くのを躊躇するかもしれない。
絵を描きたいと思ったら絵を描き、ある色ある形の服が欲しいと思って、だけどそれが無かったら、見よう見まねで自分で作ろうとしてしまう。多少針目がおかしかろうが、そのあたりは構ったものではないらしい。
「それらしく見えればいいのよ」
「…」
「だっていちいち皆服に近づいて、縫い目がどーとか本当にまつり縫いだとかチェックする?」
まあそれはそうだが。
「だったら見た目さえ何とかなればいいのよ。着るのはあたしなんだもん。誰に迷惑かける訳じゃーなし」
そう言って着ていたのは、オレンジのサーキュラースカートだった。ほらほら広がる広がる、とくるくる回ってみせたものだ。
「何かさあ、明るい服着ると、明るい気分になるじゃない」
「そう?」
「ミサキさんそーいえば、あーんまり明るい色の服無いね。今度作ろうか?」
「…そ、それは…」
ちょっとばかり縫い目に不安があった。
「だってさ、ミサキさん美人なのに、何かそれを隠そう隠そうとしてるように見えるんだもん」
「え?」
「確かに落ち着いて見えるけどさあ。近づきにくいって感じもするよ? 少なくとも男とかにはさあ」
「別に男にいちいち近づいてもらおうとは思わないわよ」
「うん、それはよく判る」
「そういうあんたは最近どうなのよ。彼氏のほうは。別れたんだっけ?」
「うん。あ、そーいえばそーだった!」
あはは、と彼女は笑った。
「いや、だって、あたし楽しくなりたくて、誰かと居るのが好きなんだもの。ここんとこミサキさんと一緒に居るのが楽しかったから、男と知り合うの忘れてた」
冗談、と私は少し苦笑する。
「冗談じゃないよぉ。あれはあれ。これはこれ」
「そういうもの?」
「そういうものだって。…あれ、話飛んだね」
そういえばそうだ。
「…だから、服って結構、着たひとの気分を左右させるものだと思うのよ。だから、その新しいヴォーカルの」
「めぐみ君」
「そう、めぐみ君ってさあ、この服に、見せたい自分を合わせてるってことでしょ?」
そうかもしれない。少なくとも、あの時この部屋にやってきた、何処か所在なげな彼と、このエナメルの彼は別人のように見えた。
「それはそれで、悪くはないんだけどさ。パフォーマーとしては。だけど」
「だけど?」
「自分で本当に、そういう自分を見せたい、と思ってればね」
「そうじゃない、と思うの?」
「そうじゃない、って思わない? まああたしは写真見てるだけだし、ミサキさんの話からしか聞いてないから判らないけどさあ」
私はうなづいた。
「だけどできれば、長続きしてほしい、と思うのよ。だっていつまでもヴォーカルが定着しないって言うのは、結構ネックだと思わない?」
「弱点だよねー。だってヴォーカルって、バンドの顔じゃん。それがころころ変わってちゃさあ。あ、ユニットとかならいいんだけどさ。アレグロ・アレグレットなんて、確か今のヴォーカル、三代目だって聞いたし」
その名前は私も聞いたことがある。結構老舗のおしゃれな二人組ユニットだ。ファッションも、音楽も、ある種の人々からは一目おかれている、というような。
「あーなってくると、ヴォーカルが変わったら変わったで、お部屋の模様替えのようなものだものね。だけどミサキさんのおにーさんのバンドって、違うじゃん」
大きくうなづく。違う。確かに違う。何だかんだ言っても、彼は「おしゃれー」なものとは無縁だ。むしろ泥臭いと言ってもいい。
「その子の声ってどんな感じ?」
「前の前のヴォーカルの歌、覚えてる?」
「ああ、あのハコザキ君ってひと。一緒に朝ご飯したね」
「タイプとしてはあれと同じなのよ。それがもっとウェットになった感じ」
「結構痛い声?」
「イタイ? って言っちゃ可哀相よ。一生懸命だし」
「違う違う、イタイじゃなくて、痛いだってば。切ないとか、そういう感じ」
ああ、と私はうなづいた。そういえば少し前までは私もそういう使い方をしていたような。
「…ミサキさんには何だけど、ああいう声じゃない方が、いいんじゃないかなあ、あのバンドの曲って」
「そう? いつもの直感?」
「うん。おにーさんのギターって、テクニック重視のばりばり、という感じじゃないじゃん。どっちかというと、何か歌いたいものを、声の代わりにうたってる、って感じだよ」
そうでなくてあんなフレーズ弾かないと思う、と結構古い洋楽ロックなんかも聞く彼女は断言する。
「どっちかというと、歌えたら歌ってるタイプじゃあない? たまたま歌えないから歌わないだけで。ミサキさんのおにーさんって」
思わず目を見開く。
「何でそう思うの?」
「だから、音がそう言ってるんだってば。ほら、結構ギタリストって、若い頃聞いた、憧れのギタリストのフレーズを真似ることあるじゃない」
ほらあそこなんかすごいよね、とあの大御所ロック・ユニットの名を彼女は出す。譲れないものを一つ持ってることが自由だ、と言った彼等だ。
その結果馬鹿売れして、コンスタントにその地位を守り、結果、彼等はそんな風に明らかに自分の大好きだったバンドを真似たような音をがつーん、と出して、なおかつそれでも自分達の音として認めさせるような表現方法を手に入れている。
まあそれはいい。そんな風に、露骨に自分の好きだったものの出自が判るようなギタリストが多い、とサラダは言いたいのだ。
「だけどおにーさんのギターって、何かそういうの無くって、好き勝手に弾いてる、って感じなのよね」
「だってそれは、オリジナルの曲だし」
「でも、ねえ」
そう聞こえるよ、と彼女は念を押す様に言う。
「主張バリ入りまくりなんだよ。だけど何か、あの声のタイプは、絡みつく感じじゃん。ギターに絡みつくヴォーカル、じゃ弱いと思う」
「じゃあサラダはどういう声がいいと思うの?」
「横並びでがん、とギターと一緒に突っ込むタイプ」
例えば、と彼女は幾つかの例を出した。へえ、と私は感心する。それは彼がよく出ているライヴハウスに多いタイプではなかった。むしろ、ストリートミュージシャンとか、Tシャツにワークパンツをだらだらさせながら、顔を歪ませて轟音の中で歌う、そんなタイプだった。
「そのくらい、がーっと行った方が、いいんじゃないかなあ」
なるほど、と私は思った。
「でもまあ、あたし等が言っても仕方ないことだけどさ。選ぶのはおにーさんでしょ」
そうなのだ。何だかんだ言っても、当の兄貴がそういう声に惚れないことには。
…しかしその好みって奴は、そう簡単には変わらないと思うのだが…
絡みつく声に、私は思わず、めぐみ君の白い腕を連想していた。




