第七話
「遅かったか……」
ノイ州軍の将軍ネレースは、口惜しげな声を絞り出した。
彼の視線の先には、惨憺たる光景が広がっている。
ロウラン国の西部に位置するノイ州。その東部、シスイ村。人口二百人ほどの農村である。晴れ渡る青空の下、男たちは農作業に精を出し、女たちは炊事や洗濯をし、子供たちは広場で元気に走り回り、それを老人たちが微笑ましげに眺めて──いたのだろう、つい数刻前までは。
だが今や、村は半壊状態だった。扉や壁を叩き壊された家、火を点けられたのだろう、黒々と焼け落ちた家、まだ燃えている家もある。煙と木材の焦げる臭い。それに混じって血臭と屍臭がした。
村のあちこちに死体が倒れ伏している。検分すると、どれもが剣で斬られたか刺されたかしたものだった。若い男が多い。近くに鍬や鋤が転がっているところをみると、抵抗して殺されたのだろう。生き残った村人たちは打ちひしがれたように座り込み、力なく頭を垂れていた。どこからか、幼子の泣き声が聞こえてくる。
盗賊に襲われたのだ。場所から考えて、ガコウ山の勢力だろう。率いるのは、
「灼眼……!」
歯ぎしりしながら、ネレースはその名を口にした。灼眼。ここ半年で急速に勢力を増してきた盗賊集団の頭である。ノイ州にもたびたび出没しては略奪を繰り返している。特に東部はガコウ山に近いこともあって被害が多い。
州府も無策ではない。州軍のうち六千騎を二千騎ずつ三組に分け、分担して各地を巡回させることで盗賊の出現に備えている。ネレースもその二千騎を率いる一人だ。今回、巡回中に知らせを受けて急行したのだが、一歩遅かったようだ。
灼眼の行動は素早い。まさに風のように襲来し、略奪し、風のように去ってゆく。それを捕捉することは容易ではなかった。
「……みんな、じゃ……」
ネレースの近くに座り込んでいた老人が、震える声で言った。
「みんな持って行かれてしもうた……金銭も、食い物も、女子も……」
「……」
「なあ、兵隊さんや……なんで、なんで儂らを護って下さらなんだのじゃ? なんで儂らがこんな目に遭わねばならんのじゃ?」
返す言葉もなく立ち尽くすネレース。老人は顔を上げた。恨みのこもった視線がネレースを突き刺す。
「儂らは、ちゃあんと年貢を納めとる。家計が苦しい時も我慢して、決まった額を、決まった日までに、ちゃあんとな。その代わり、州王様は儂らを護って下さる。そうじゃなかったんかい?」
「申し訳……ない……」
ネレースは頭を下げた。それが精一杯であり、それしかできない自分をネレースは恥じた。まったく、この老人の言う通りだ。民の租税で軍は養われている。その民を護れない軍に、一体何の意義があろうか。
(やはり、元を断たねば……)
備えるだけでは駄目だ。灼眼の居場所はわかっているのだから、そこへ攻め込み、灼眼を討ち取るのだ。そうすれば民衆も、灼眼の襲来に怯えずに済む。こんな悲劇を繰り返さずに済む。
だが、ノイ州王はそれを許していない。ガコウ山のあるナル州に軍を送ることは、法に反するというのだ。
ノイ州王は決して暗愚な州王ではなかったが、良くも悪くも法に縛られた人物であった。法を重んじ、法に則って州を治めてきた。それは正しい姿勢ではあるのだが。
(だがその法ゆえに、我々はガコウ山を攻めることができぬのだ)
軍をもって他州を侵すべからず。法はそう定めている。つまりノイ州軍がガコウ山に攻め込むことは、ナル州に対する領土侵犯に当たるのだ。これが今、ノイ州王を縛っている。
(ナル州が灼眼を討ってくれれば何の問題もないのだが……)
法律上、ナル州にあるガコウ山を攻めることのできる州軍はナル州軍だけだ。他には、その行動範囲を国内全土に定められている討捕軍。だがこれは今、どこにいるのかわからない。噂では先日ガコウ山に攻め入り、逆に撃退されてしまったとも聞く。となれば、頼みはやはりナル州軍ということになる。
ところが、ナル州軍はなぜか動く気配がない。それがネレースには苛立たしい。むろん彼は、ナル州王が灼眼と結んだ醜悪な密約のことなど知る由もなかった。
「法を超えた判断というものが必要な時なのだ、今は……」
ネレースの呟きを、近くにいた部下が聞きつけて歩み寄ってきた。
「何か仰いましたか、将軍?」
「いや、こっちの話だ」
部下を下がらせて、ネレースは考える。
法を超えた判断。あの、法を至上のものと重んじる州王にそれができるだろうか。
それを思うと、ネレースは暗澹たる気分になる。これまでに何度も、ネレースはガコウ山攻めを進言してきた。だがその度に州王はそれを退けてきたのである。
しかし、このまま手をこまねいていては被害が増えるばかりだ。躊躇している場合ではない。
州都に帰還したら、もう一度州王に談判しよう。そう決意するネレースであった。
夕刻、ガコウ山。
頂上に近い洞窟の入口で、灼眼は酒を呑んでいた。隣に女を侍らせている。年の頃は三十前後か。長い黒髪で、美人といってよい顔立ちだが、どこか垢抜けないのは田舎育ちだからだろう。今日、ノイ州の小さな村から攫ってきた女である。
抵抗は無駄だと観念したのか、女は大人しく灼眼の隣に座り、酌をしている。灼眼は女の剥き出しの肩を抱き、柔らかな肌の手触りを楽しんでいた。
その時、灼眼を呼ぶ声がした。見ると、一人の小柄な男が斜面を駆け上って来る。
「どうした、猿」
猿、とはむろん男の本名ではない。猿に似ているからというので灼眼が付けた渾名だ。非力だが、すばしっこく目も良いので見張りに使っている。
「お頭、大変だ! 麓に人が! 大勢だ!」
「軍か? 規模はどのくらいだ?」
灼眼は目を輝かせて立ち上がった。戦は彼の望むところである。敵が大軍であればなおのこと血湧き肉躍るというものであった。
だが、灼眼の期待は外れた。猿によると、どうも軍隊ではなさそうだと言うのである。
「軍でないのなら、何だ?」
「それがどうも、同業者らしいんで……」
訝しみつつも、灼眼は山を下りることにした。手下を引き連れ、麓へと馬を走らせる。
果たして、そこには二千人からの人々がいた。ほとんどが男で、武装している。だが服装も装備もばらばらだ。馬に乗っている者もいれば、徒歩の者もいる。人々の人相を見ると、なるほど、同業者の匂いがした。
猿が飛び上がって叫ぶ。
「やいやいお前ら、ここから先は灼眼様の縄張りだ! 何しにやって来た! 事と次第によっちゃただじゃおかねえぞ!」
その挑戦的な物言いに人々は殺気立ったが、それを制して進み出た一人の男がいた。
ずば抜けた長身の持ち主であった。痩せぎすで、手足が長い。彫りの深い顔立ちで、長く突き出た顎が特徴的であった。
「俺はゴコウ。この連中をまとめている。灼眼というのはあんたか?」
「俺だ」
猿を押し退けて、灼眼が前に出る。灼眼も大柄なほうだが、ゴコウと名乗った男はさらに背が高い。自然、灼眼が見上げる形になる。
「どうやら俺たちと同じ盗賊のようだが、ここへ何しに来た?」
「俺たちはオン州で盗賊をやっていたんだが、恥ずかしいことに、州軍に根城を潰されてしまってな。ここまで逃げ延びてきた」
オン州はロウラン国の北西部にある州で、ナル州とも境を接している。
「俺を頼って来たわけか?」
「まあ、そうだ。あんたが噂通りの器なら、傘下に入ってもいいと思っている」
「ほう。して、その器をどう見極める?」
灼眼の問いに、ゴコウはにやりと笑った。腰に吊るした剣をとんとんと叩く。
「これしかなかろう」
「なるほど、剣で語れ、か。面白い」
灼眼も口許に笑みを刻むと、剣の柄に手を掛けた。両者、同時に剣を抜く。
手下たちは後退り、二人のために場所を空けた。群衆の輪の中で、灼眼とゴコウが対峙する。ゴコウが剣を構えた。だが灼眼は自然体で、剣をだらりと下げたままだ。
「……構えないのか?」
「これでいい」
「……そうか。ならゆくぞ」
ゴコウは正眼の構え。剣尖が目線の先でぴたりと止まる。交差する視線。手下たちは誰からともなく無言になった。
「ハッ!」
静寂を打ち破る気合の声と共に、ゴコウが上段から打ちかかった。白銀の刃が雷光のように閃いて、灼眼の頭部に落ちかかる──寸前、剣が止まった。灼眼は動かない。両腕は下げたまま、微動だにしなかった。
「……なぜ避けない?」
「殺気がねえ。止めるのがわかった」
「……なるほど」
ゴコウは剣を引いた。一歩退き距離を取る。そして再び正眼の構え。
「正統の剣術だな」
灼眼が言った。
「ちゃんと剣術を習った者の太刀筋だ。違うか?」
「違わない。幼い時から俺は剣術を学んでいた」
「つまり、それなりの身分ってわけだ。落ちぶれ貴族か?」
「まあ、そんなところだ」
ほろ苦い笑みを、ゴコウは浮かべた。貴族から盗賊へと身をやつした男の心境はどういうものであろう。本人はそれ以上語る気はないようで、口許を引き締めると、剣を握った手に力を込める。
再びの静寂。
ゴコウが動いた。体重を乗せた踏込みと共に、鋭い突きを繰り出す。剣先が空気を切り裂いて灼眼の胸元に迫る。
次の瞬間、甲高い金属音がして、ゴコウの動きが止まった。その目が見開かれる。灼眼はゴコウの突きを避けるのではなく止めていた。手首を翻し、剣の平で受け止めたのである。尋常の技ではなかった。
ゴコウはいったん剣を引くと素早く左から斬りかかる。これを灼眼は弾く。次は右。またも弾く。上段から斬り下ろし、振り切ったところから跳ね上げて斬り上げる。この二段攻撃はほんのわずかな動作で躱された。
右、左、左、右、上、左、右。間断なく打ち込まれる斬撃を灼眼はすべて弾き返した。その間、体勢は乱れず、一歩も下がらない。
そして──。
「シャアッ!」
灼眼は吠えた。と同時、豪剣が唸りを上げてゴコウの剣に激突する。火花が散った。凄まじい衝撃。ゴコウの腕に痺れが走り、思わず剣を取り落とす。地面に跳ねた剣の傍で、ゴコウは痺れた腕を押さえ、片膝をついた。
勝負あった。ただの一撃で、灼眼はゴコウを屈服せしめたのである。
「……俺の負けだ。あんたの器、見せてもらった。俺たちはあんたに従おう」
ゴコウの言葉に、灼眼は鷹揚に頷いた。
「受け入れよう」
こうして二千人の盗賊が灼眼の傘下に加わった。この時点で、ガコウ山の勢力は五千を超えたのである。
その頃、ラエルは北へと向かう旅の途上にあった。目指す五峰連山はまだ遥かに遠い。
緩やかな起伏が連なる丘陵地帯の中央を、南北に街道が走っている。道の左右は一面の花畑だ。名も知らぬ小さな黄色い花が咲き誇り、六月の夕陽を浴びて映える様は、さながら茜色の絨毯のようであった。その絨毯を北から吹く風が時に弱く、時に強く揺らめかせ、花の香を撒き散らしつつ吹き渡ってゆく。
詩人ならば一篇の詩でも詠みそうなほど美しい光景だが、生憎とラエルは詩人ではない。草花に興味もなかったので、周りの風景を愛でるでもなく、黙然と馬を進めている。
と、ラエルが表情を変え、不審げに目を凝らした。
ラエルの遠く前方を、車馬の列が進んでいる。隊商のようであった。その隊商に接近する騎影を認めたのである。数は三十騎ほどか。茜色の丘の向こうから躍り上がり、車馬の列に突っ込んでゆく。夕陽に一瞬煌めいたのは、騎影がかざした剣であろうか。
程なく、悲鳴や怒号、喊声や刃を打ち交わす音が風に乗って流れてきた。人馬の群れに、隊商が襲われている。
「野盗か」
呟くと、ラエルは馬腹を蹴った。一声嘶いて、馬が走り出す。
助ける義理はないが、放ってもおけない。ラエルは馬を急かした。主人の意を受けて馬は疾駆する。速い。並みの馬ではない。ヨウ州にいた時、手柄を立てた恩賞として贈られた駿馬だ。くすんだ白い毛並みをしており、ラエルは「白風」という名を付けていた。
接近すると、こちらの姿を認めたのだろう、「盗賊です! 助けて!」と叫ぶ声が聞こえた。盗賊たちは粗末な皮鎧に身を包み、偃月刀を振り回している。隊商の護衛と刃を交えているが、多勢に無勢だ。隊商の護衛は十人もいない。
「待ってろ!」
叫んで、さらに距離を詰める。とその時、横合いから別の騎影が踊り出た。敵か、と思ったがそうではない。黒馬に跨ったその男はラエルに目もくれず、真っ直ぐに盗賊たちのほうへ向かっていった。
巨漢であった。剥き出しの腕は盛り上がった筋肉ではちきれんばかりだ。鎧の類は身に付けていない。得物は背中に背負った大剣。本来両手持ちの剣だが、男はそれを片手で扱うつもりのようだ。なぜそれがわかったのかというと、男には右腕がなかったからだ。
隻腕の男は大剣を抜いた。両脚で馬体を挟んだ状態で、速度を緩めず、盗賊たちの群れに突進する。
ぶん、と大剣が唸りを上げると、長大な刃が盗賊の顔面に激突した。次の瞬間、果実を割り砕くような音がして、盗賊の顔の上半分が吹き飛ぶ。凄まじい剣勢であった。盗賊は血と脳漿を撒き散らしつつ馬上から転落する。
さらに一撃、鋭い突きを繰り出す。大剣は鎧の継ぎ目から盗賊の胸を貫き通し、背中から剣先が飛び出した。それを乱暴に引き抜くと、前後から血を噴出させて落馬する盗賊には見向きもせず、三人目の獲物に相対する。
ラエルも少し遅れて戦場に到着した。腰から抜きざま、斜めに剣を疾らせ、盗賊の首筋を切断する。虹のように噴き出す鮮血を躱しつつ二人目に肉迫。すれ違いざま、胴への一撃で斬って落とす。三人目はラエルの一撃目を防いだが、二撃目は防げなかった。顔面を打ち砕かれ、もんどりうって土煙の中に消えてゆく。
二つの暴風が盗賊たちの間を吹き荒れた。隻腕の男とラエル、二人の剣が白銀の軌跡を描く度、盗賊たちは血と絶叫の尾を引いて馬上から吹き飛んだ。一人、また一人。見る間に盗賊たちは数を減らしてゆく。
かなわじと見たか、ついに盗賊たちは逃げ出した。仲間の死体を捨て、蜘蛛の子を散らすように逃げ散ってゆく。ラエルも隻腕の男も後を追わなかった。刃についた血を払い、剣を鞘に収める。
「ありがとうございます、ありがとうございます!」
隊商の頭らしき商人が進み出て、ラエルと隻腕の男の手を取って感謝した。護衛の兵に死者が一人、負傷者が三人出たが、これはむしろ、このくらいで済んで幸運と思うべきであろう。
商人はお礼と称して金貨を差し出した。この時代、金貨一枚あれば一ヶ月は遊んで暮らせる。それを二枚ずつ。金銭はあって困るものではないので、ラエルは遠慮なく受け取った。だが隻腕の男は違った。金銭より食糧がいいというのである。
「はいはい、ただいま」
商人は気前良く、袋に一杯の食糧を詰めて黒馬の背に乗せた。
礼を済ませると、商人は馬を励まし、急いでその場を立ち去った。こんな物騒なところは早く抜けてしまいたい、といった心境であったのだろう。それを見送って、ラエルは隣の男を見遣った。
筋骨隆々たる体躯。年齢は三十代半ばというところか。顔つきはその身体つきにふさわしく逞しいが、目許は涼しく、どこか気品のようなものを感じさせる。
「強いな、あんた」
「おぬしもな」
短く答えて、男は黙りこくった。しばしの沈黙。ラエルも口数が多いほうではないが、この隻眼の男も無口な性質らしい。
「名は?」
今度は男が口を開いた。
「ラエル。あんたは?」
「ウルジュ」
西方の響きだな、とラエルは思った。ティルク国、あるいはさらに西の国から流れてきた者だろうか。
「四太子とも呼ばれていたが、その名は捨てた」
「四太子?」
「世迷言だ。気にするな」
そう言って、ウルジュと名乗った男は手綱を引いた。軽く馬腹を蹴って馬を進める。
「ではな」
「……ああ」
そのまま振り返りもせず、隻腕の男は去って行った。街道を外れ、東へ。花々が咲き誇る中へと踏み入ってゆく。
その後姿をラエルは何とはなしに見つめていたが、やがて馬首を巡らせ、北への旅を再開した。
ラエルとウルジュ。この二人の男の運命が交わるのは、まだ先のことである。