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第五話

 歓声が岩天井に響き渡った。

 ガコウ山。その中腹に空いた洞窟の奥に、巨大な空洞がある。剥き出しの岩壁にいくつもの燭台が打ちつけられ、その先に灯った炎が洞内を橙色に照らし出している。灯火が揺れる度、そこに集った人々の影が岩肌の上で踊るのだった。

 二人の男を、人々が十重二十重に取り囲んでいる。人数は千人ほどであろうか。ある者は拳を突き上げて怒声を張り上げ、ある者は手を叩いて喝采し、またある者は両手を口に添えて野次を飛ばす。騒然とした空気の中、二人の男は武器を持って対峙していた。

 ガコウ山を根城とする盗賊たちである。

 なおガコウ山の盗賊たちはこの空洞に集まった者たちが全てではない。ガコウ山の内部は洞窟が網の目のように走り、巨大な空洞もいくつかあって、そこにも人がいるのである。この時期、ガコウ山に住む盗賊たちの総数はおよそ三千人であったと推測される。

 また、一口に盗賊といってもその出自は様々である。根っからの盗賊のみならず、食い詰めた冒険者や傭兵、借金から逃れてきた市井の民、反政府活動家、差別され迫害された少数民族の出身者、重税に耐えかねた農民など。これらの人々を、(かしら)である灼眼(しゃくがん)はほとんど無制限に受け入れた。女子供、老人もである。そして戦ったことのない者には武器を与え、訓練を施した。戦いに堪えない者には洗濯や食事の支度、武器の手入れなどの雑事をやらせた。

 略奪行に出掛ける時、灼眼は無理強いしなかった。略奪をしたくない者は来なくてよい、というわけである。略奪に参加しなかった者にも、金品は与えなかったが食糧は分け与えた。そのためいつしか「ガコウ山に行けば食いはぐれない」「食うに困ったらガコウ山に行け」という噂が近隣に広まり、それがまた、ガコウ山に人を集める結果となったのである。

 この日、すなわち五月二十五日の夜、灼眼は杯を手に、千人の観衆と共に「賭け試合」を見物していた。

 二人の男が一対一で戦い、どちらが勝つか賭けるのである。二人の手にあるのは短剣。これで先に相手に傷を負わせたほうが勝ちだ。試合だからといって刃を潰したりはしていない。文字通りの真剣勝負である。もっともガコウ山にも治癒術師はいるので、負傷をそれほど恐れる必要もないのだが、万が一ということがある。死んでしまっては、治癒術といえど蘇生はできないのだ。そういう生と死の境目にいる感覚がたまらない、という類の人間か、よほど生死に鈍感な人間でなければ、こんな試合には出られないだろう。今対峙している二人は前者のようだった。その表情には、今の状況を楽しんでいる風がある。

 二人は防具をつけていない。身を守るのは、左手に持った小さな盾のみだ。それをかざして相手の攻撃に備えつつ、じりじりと間合いを詰めてゆく。

「殺す気でかかれよ。でないと面白くねえ」

 灼眼が言う。彼は一段高くなった岩棚の上に胡坐(あぐら)をかいていた。杯に注がれた熱い液体を一口に飲み干す。

「言われなくても……」

 片方の男が呟いて、舌なめずりした。もう片方の男も、口許に歪んだ笑みを刻んでいる。

 互いに一撃を出し合って、相手の盾で防がれたところだ。両者とも、次撃を打ち込むべく相手の隙を(うかが)っている。

 緊張の水位が高まる。それにつれて歓声は小さくなっていった。やがて訪れる無音の時間。観衆は固唾を飲んでその瞬間を待った。

 だが、静寂を打ち破ったのは試合中の二人ではなかった。一人の盗賊が、息を切らせて空洞に駆け込んできたのである。

「大変だ、お頭!」

 観衆の視線が一斉にその盗賊に向けられる。灼眼は不快そうに太い眉をしかめた。

「何事だ、興醒めな」

 盗賊はなおも言い募る。

「それどころじゃない、軍隊が!」


 月明かりの下を、騎馬の群れが進んでいる。

 細い山道だ。幅は馬が三頭並んで歩ける程度。鬱蒼(うっそう)とした森に左右を挟まれ、緩やかに上っている。

 道の先、前方に巨大な影が見える。それは天を()くような威容の山──ガコウ山だ。かつては霊場として崇められたこともある山だが、今や盗賊の巣窟と化していると聞く。

 先頭に馬を歩ませるのは討捕大使(将軍)ロシュー。率いるは討捕軍。盗賊の討伐、あるいは捕縛を任務とする軍隊だ。その数三千。すべて騎兵である。

 この時ロシューは五十二歳。初老の域に入ろうかという年齢で、後ろに撫でつけた灰色の髪にも白いものが混じり始めているが、顔つきはなお逞しく、瞳に宿る光は円熟した落ち着きを感じさせる。

「さて、ガコウ山の盗賊……どれほどのものかな」

 ロシューの呟きに、隣に馬を進めていた巨漢の男が答えた。討捕副使のガズニーである。

「略奪の時、灼眼が率いているのは二百騎から三百騎と聞きます。根城に残っている者がいたとしても、総数はせいぜい倍というところでしょう」

「ふむ、そうだとよいが……」

 顎に手を当てるロシュー。

「何か気になることでも?」

「多すぎる兵力は(かえ)って足枷(あしかせ)になるものだ。風のように襲来し、風のように去る。灼眼とやらがそのように動いているとしたら……」

「わざと少ない兵力で動いていると?」

「その可能性もあるということだ。いずれにしても、敵を過小評価するのは危険だ。用心して進むとしよう」

 その時である。

 唸りを上げて飛んできた槍が、道の真ん中に突き立った。ロシューの馬が驚いて(いなな)き、(さお)立ちになる。

「どう、どうっ」

 手綱を引き、馬をなだめながら、ロシューは坂の上を見遣った。部下たちも馬の足を止め、それぞれの武器に手をかける。

 坂の上に騎影があった。一騎ではない。だが正確な数は坂の下からは窺い知れなかった。

「ここから先は俺の縄張りだ」

 太い声が降ってきた。先頭の男が発したらしい。堂々たる体躯、燃えるような赤髪。鋭く光る眼は血のように紅い。なるほど、とロシューは胸中に呟いた。あれが灼眼か。

「どこの軍隊だ。ここをこの俺、灼眼の領地と知って入って来たのか」

 腹に響く声だった。強烈な威圧感に、気の弱い者なら気死してしまったろう。だが、むろんロシューは気弱とは縁遠い男だった。

「私は皇帝陛下の聖恩により討捕大使を拝命したロシューである。むろん、ここがおぬしの根城と知ってやって来た」

「ほう。して用件は何だ?」

「我ら討捕軍は、盗賊の討伐、捕縛が任務だ。だが無用な血を流すことは望まない。よって降伏を勧告する」

「降伏だと?」

「そうだ。降伏せよ。そして公正な裁きを受けるのだ」

「断る!」

 灼眼は大喝した。微塵の揺るぎもない声だった。

「俺は何者にも屈服せん! 盗賊の討伐、捕縛が任務だと言ったな。ならばやってみるがいい。この灼眼を屈服させられるかどうか、やってみろ!」

 そして、腰間(ようかん)の剣を抜く。白銀の刃が月光をはね返して煌めいた。

「降伏を拒否するのだな」

(しか)り!」

 馬腹を蹴って、坂道を駆け下る灼眼。盗賊の群れがそれに続いた。馬蹄の轟きが地を揺るがし、喊声(かんせい)が夜空に響き渡った。

「やむを得ぬ。突撃!」

 ロシューが馬を走らせた。腰から剣を抜き放つ。副使ガズニー以下、討捕軍の部下たちも武器を構えてロシューに続く。

 坂の中腹で両者は激突した。先頭を走っていた者同士、灼眼とロシューが刃を交える。

(シャア)!」

 咆哮と共に打ち込まれた斬撃を、ロシューは剣で受けた。凄まじい剣勢。腕が痺れ、ロシューは鞍上でよろめいた。そこへ第二撃。身体を捻ってどうにかこれを(かわ)す。躱しながら一撃を放ったが、軽く弾き返されてしまった。

「こいつは強い……!」

 ロシューは戦慄した。灼眼の剣を受ける度、腕に重い衝撃が走る。対してこちらの剣はいとも容易く跳ね返されてしまう。五合、十合と打ち合ううち、ロシューは次第に押されていった。

「大使!」

 ロシューの危機を察して、部下の一人が加勢に来た。だが。

 ただ一合。部下の剣は音高く弾き飛ばされ、素手になった部下は灼眼の剣に喉を貫かれた。血飛沫を上げて落馬する部下を見て、ロシューは怒りに震えた。

「おのれ!」

 猛然と打ちかかるが、(ことごと)く灼眼に跳ね返される。そして灼眼の反撃が始まる。鋭く重い斬撃。受ける度に体力を消耗してゆく。

 この時、戦闘に参加していたのは先頭集団の十数名で、たちまち乱戦になり、激しい斬り合いが展開されたが、狭い道ゆえ、後方集団は前に出られず、戦闘に参加できないでいた。

 討捕軍の後方集団は焦った。大使が危地にあるらしいことがわかっても、助けに行けないのである。森の中を騎馬で進むことはできない。ならば徒歩になってはどうか。徒歩で森の中を進み、敵の側面を衝くことができれば、あるいは──。

 だが彼らがその案を実行に移すより先に、状況が動いた。弓弦の音がけたたましく響き、無数の矢が左右の森の中から飛び出してきたのである。討捕軍の兵士が幾人も矢を受けて馬上からもんどりうつ。

 盗賊たちが側面から討捕軍を攻撃してきたのである。伏兵であった。左右の森の中に潜み、弓に矢をつがえて機会を待っていたのだ。

 討捕軍の後方集団は乱れたった。再び矢の応酬。それを盾で防ぎつつ射程から逃れようとするが、狭い道で密集しているため容易に動けない。さらに盗賊たちは狡猾(こうかつ)だった。矢を盾で防がれると見るや、狙いを馬に定めたのだ。馬の身体に次々と矢が突き立つ。一頭、また一頭と馬が倒れてゆく。悲痛な嘶きが響く中、人間たちは馬と共に横転し、あるいは投げ出されて地に転がる。そこへ斜め上から矢が降り注いだ。木の上にも盗賊たちが潜んでいたのだ。それを防ごうと盾を上げると、今度はがら空きになった胴を真横から狙われる。討捕軍の兵士たちはなす術なく矢の驟雨(しゅうう)の下に倒れていった。

 やがて矢が尽きると、盗賊たちは森を飛び出した。白刃をかざして討捕軍に襲いかかる。すごい数だ。千人、いや二千人はいようか。次々と木々の間から湧き出てくる。灼眼は正面よりむしろ伏兵のほうに人数を割いたのである。討捕軍も迎え撃つが、左右から挟み撃ちにされ、状況は不利であった。

 後方の異変にロシューは気づいた。気づいたがどうしようもない。反転する余裕は今のロシューにはなかった。

 灼眼の剣が眼前に迫る。ロシューはそれを受け止めていたが、腕が悲鳴を上げていた。力で押し切ろうとする灼眼。じりじりと押されてゆくロシュー。吐く息は荒く、胸は激しい動悸で張り裂けそうだ。

「ここまでよく耐えた。だがそろそろ限界のようだな」

 灼眼の声にはまだ余裕がある。技倆(ぎりょう)の差をロシューは思い知った。この男は強い。自分よりも遥かに。

 ──やられる!

「大使!」

 副使のガズニーが割って入ってきた。灼眼とロシューとの間に馬を躍り込ませ、灼眼の剣を渾身の力を込めて弾き返す。

「撤退をお命じ下さい、大使!」

 ガズニーが叫んだ。

「撤退!?」

「さよう、この戦は負けです。この上は一騎でも多くを生かすのみ。ここは私が防ぎますゆえ、お早く!」

 灼眼が斬りかかってくる。ガズニーはそれを受けた。腕に痺れが走るが、耐えた。ガズニーの膂力(りょりょく)はロシューを上回る。防戦に徹すれば、しばしの時間が稼げるはずであった。

「さあ、お急ぎを!」

 灼眼と(つば)迫り合いをしながら、ガズニーは脚を伸ばし、ロシューの乗馬の腹を蹴った。馬は嘶いて走り出す。

「やむを得ぬ」

 ロシューは観念し、馬首を巡らせた。

 この戦は負けだ。味方は狭い道で動きが取れず、隊列は伸びきって、戦力を集中させることができない。対して敵は、この地形を利用して伏兵を敷き、討捕軍を前、右、左の三方向から攻め立てている。このまま戦闘が長引けば、味方の損害が増えるばかりだ。

「撤退、撤退──!」

 叫びながら、ロシューは後方へと馬を走らせた。

「撤退する。撤退だ!」

 かくして討捕軍の敗走が始まった。二、三度剣を振って目の前の盗賊を牽制すると、次々と馬首を巡らせて走り出す。むろん馬を失った者は自分の脚で走らねばならない。

 ロシューはいったん先頭に立って道を示すと、部下たちを先に行かせた。自分はその場に留まり、味方を援護する。盗賊たちに囲まれている部下がいると、すかさずそこへ躍り込み、血路を開いて逃走を助ける。追いすがってきた盗賊たちは手痛い反撃を被ることとなった。ロシューの剣が右に左に閃くと、鮮血を散らせて盗賊たちが倒れ込む。灼眼に圧倒されはしたが、やはりロシューも非凡な剣士なのである。

 ロシューは多くの味方を助け、多くの敵を(ほふ)った。そして頃合いを見て自らも遁走する。ようやく盗賊たちの追撃を振り切ったのは、夜も明けかかった頃であった。

 雲間から曙光が差し込む中、ロシューは生存者を確認した。生き残ったのはおよそ二千五百名。

 その中に、討捕副使ガズニーの姿はない。


「行くのか」

 聞き知った声がして、ラエルは振り返った。

 ヨウ州州都シンヨウ。その城門前である。馬の背に乗せた荷を確認していたところ、声を掛けられたのだ。

 視線の先には一組の男女の姿があった。リリエンソールとミラルダの兄妹だ。兄は穏やかな笑みを浮かべているが、妹のほうは怒ったような、()ねたような表情をしている。

「何よ、急に除隊届なんか出して」

 やはり怒ったような、拗ねたような口調でミラルダが言う。

 今朝、ラエルはヨウ州軍の事務所に赴き、除隊届を提出した。それをどこからか聞きつけて、二人はやって来たのだろう。

「シンヨウが嫌になったの?」

「そういうことじゃない」

「だったら……」

 なおも言い募ろうとするミラルダを、兄が制した。

「ミラルダ、人にはそれぞれ事情というものがあるのだ。私としても、君を手放すのは惜しいが……」

「軍は大丈夫だろう。あんたが指揮していればな」

「ははは、買い被られているな。だがまあ、否定はしないでおこう。私にも多少の自負はあるのでね」

「路銀はあるの?」

「今日までの給料と恩賞をもらった。路銀としては十分だ」

「そうか。それで、シンヨウを出てどこへ行く?」

「北へ」

 ラエルの返答は短い。

「五峰連山の塔へ」

「五峰連山とはまた遠いな。しかし、塔とは?」

「五峰連山には塔があるらしい」

「その塔には何があるの?」

「わからん」

 ラエルは(かぶり)を振った。

 あの日──謎の老婆に「塔へ行け」と言われた日の翌日、ラエルはシンヨウの冒険者の店「白馬亭」に足を運んだ。そしてそこで五峰連山の塔に関する情報を求めた。老婆の言葉に、聞き捨てならない何か、老人の戯言(ざれごと)と片付けられない何かを感じていたのである。

 果たして、情報はあった。一刻(二時間)ほど待たされたが、店の主人は奥の資料室から戻ってくると、一枚の古い羊皮紙をラエルに示して見せた。そこには五峰連山の中心には塔があり、その頂に至れば竜の祝福が得られるという言い伝えと、それに挑んだ冒険者たちの記録が綴られていた。

「結論から言えば、塔の頂に着いた奴はまだいない」

 そう店の主人は言った。

「それどころか、塔の内部に入った奴さえいない。入口の扉が、これは石でできてるらしいんだが、えらく頑丈で、どうやっても開かないんだそうだ。いっそ壊そうとした奴もいたらしいが、失敗に終わってる」

 だから「竜の祝福」とやらがどんなものなのかもわからないし、行く価値があるのかどうかもわからない、というのが店の主人の結論だった。

 だが、ラエルは行くことにした。行かねば、と思ったのだ。それは自分でも驚くほど強い思いだった。切望、渇望といってもいい。自身の内側、心身の奥深いところが塔へ行くことを望んでいる。そんな気がした。

 ラエルは(あぶみ)に片足をかけると、身体を跳ね上げ、馬上の人となった。

「どうしても行くの?」

「ああ」

「また……来てくれる? シンヨウに」

「気が向いたらな」

 そう言ってラエルは馬を歩ませる。そのまま振り返りもせずに城門を出た。リリエンソールとミラルダの二人がそれを見送る。

 こうしてラエルは北への旅路についたのである。

 ミラルダは長く、その背を見つめ続けていた。

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