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第四話

 皇暦三二六年五月二十四日。

 主将リリエンソール率いるヨウ州軍は、州都シンヨウに帰還した。国境を侵したティルク軍を撃退しての、堂々たる凱旋である。城門をくぐり、王城ヨウ・カスレへと向かう大通りを行進する勝利者の列を、民衆は歓呼をもって迎えた。沿道に居並ぶ人々の数は、五千人を下るまい。

「何でも三倍の敵に完勝だと。さすがはリリエンソール将軍だ」

「策を立てたのは軍師のフライエル様だというぞ。まだお若いのに、大したもんだ」

「お二人とも大した御方じゃ。お二人がおられる限り、西方国境は安泰だて」

 そのような会話が交わされる脇で、子供たちが憧れと興奮の入り混じった瞳を甲冑の列に向けている。

「俺、大きくなったら軍に入る! 手柄を立てて、将軍になるんだ!」

「俺も、リリエンソール様みたいに強い将軍になりたい!」

「ぼ、僕も!」

「バーカ。お前、まだ馬にも乗れないじゃないか。将軍は騎兵って決まってるんだぞ」

「れ、練習するもん! 大人になるまでに乗れるようになるもん!」

 かまびすしく言い合う子供たちから少し離れたところからは、黄色い歓声が飛ぶ。

「リリエンソール様あー!」

「きゃーっ、目が合った! 今、リリエンソール様と目が合ったわ!」

「リリエンソール様ー、こっち向いてえ!」

「相変わらず人気ですな」

 笑みを含んだ副将イルムの言葉に、リリエンソールは苦笑を返しただけで、口に出しては何も言わなかった。

 行進は王城まで続いた。王城の裏手には広大な練兵場があり、将兵たちはそこに集まって整列し、待機する。やがて彼らの前に姿を現した人物がいる。ヨウ州王フレイホーンである。将兵は一斉に地に片膝をついて主君を迎えた。

 フレイホーンはこの時四十二歳。壮年だが、州王の中では若いほうである。やや耳と口が大きいが、まず端整といってよい顔立ちで、長身を薄青い長衣に包み、同色の冠を戴いている。

「皆、ご苦労であった」

 フレイホーンは将兵の労を労うと共に、戦死者に対し哀悼の意を表した。それから生きて帰還した者には功績に応じた恩賞を、戦死者の遺族には弔慰金を与えることを約して王城へと戻っていった。

 その後、副将アークスの「解散!」の号令で軍は解散となった。将兵たちは兵舎へ、あるいは州都に邸宅のある者は自宅へと帰って行く。中には生きて帰った祝いに一杯やろうと街へと繰り出していく者たちもいるようである。ラエルも飲みに行かないかと誘われたが、断った。酒を飲んで騒ぐのは得意ではないし、興味もなかったからである。彼の関心は唯一、戦いにのみあった。戦って強くなること。むろんその先にあるのは灼眼との戦いだ。灼眼を斃す。そのためだけに、ラエルは生きているのだ。実戦に身を投じ、戦い、己を鍛え続けるこの日々を。

 とはいえ、ここヨウ州では当分大きな戦は起こらないだろうとラエルは予測している。三万の軍勢をもって西方国境を侵犯したティルク軍は手酷い敗北を被った。あれだけ痛めつけられれば、ティルクもしばらくは国境を侵そうという気にはならないだろう。だとすれば、ラエルとしては新たな戦いの場を探さねばならないところだが、あいにくと心当りはない。

「冒険者の店にでも行ってみるか……」

 冒険者の店。それは冒険者の互助組織である冒険者ギルドの窓口であり、冒険者を相手に仕事の斡旋や情報の売買などをしている。ラエルも冒険者としてギルドに登録しており、いくつか仕事をこなしたことがある。冒険者の店へ行けば、何か手頃な仕事か情報があるかも知れない。何か──戦いを伴う仕事か、あるいは戦いに繋がる情報が。

 ラエルは心を定めて、練兵場を後にした。


 ヨウ州の王城ヨウ・カスレ。その二階にある玉座の間で、三人の人物が向かい合っている。

 縦に長いその部屋の奥、(きざはし)の上の玉座に座するのは州王フレイホーン。その脇に控えて立つのは州宰(州の宰相)を務めるトゥーレ、階の下に敷かれた赤絨毯に片膝をつくのは将軍リリエンソールだ。

 リリエンソールはここで、西方国境での戦いについて正式に復命した。報告を受け、頷くフレイホーン。

「よくやってくれた、リリエンソール将軍。これでしばらくは国境も静かになろう」

「復讐戦を挑んでくる可能性も捨てきれませぬ。ご油断なきよう」

 冷静なリリエンソールの言葉に、フレイホーンはまた頷く。

「わかっている。だがまあ、一段落と言ってよかろう。内憂外患と言うが、ひとまず外患はな」

 そう言って、脇を見るフレイホーン。州宰トゥーレと彼の視線が交差した。何やら意味ありげな言い方に、リリエンソールは眉根を寄せた。

「外患は……? 州王殿下、では内憂とは?」

「内憂か。ふむ……おぬしも共有するか?」

 フレイホーンの目配せを受けて、トゥーレがリリエンソールに歩み寄った。その手に持った書状を差し出す。受け取って、リリエンソールは書状を開いた。

 そこにはこうあった。

「規定の額を、期限までに納めるべし」

 そして財務尚書の署名と捺印。リリエンソールは書状から目を上げ、主君を見た。

「殿下、これは……」

「朝廷からの返書だ。今年、農民の租税を減免したことは知っていよう」

「昨年が不作であったゆえと聞き及んでおりますが……」

「うむ。不作となれば当然、農民の収入は減るからな。例年と同じ租税額ではきつかろうと思ったのだ。むろんその分、今年の我が州の収入は減る。これも当然のことだな。官庫にもあまり余裕はないゆえ、財政は厳しくなる」

「は……」

「そこでだ。先日、朝廷へ今年の上納金の減免を申請した」

 ロウラン国の各州に封じられた州王は、その州の住民から租税を徴収する権利を持つ。その代わり、朝廷に対し毎年一定の額を納めなければならない。これを上納という。その減免を申し入れたとフレイホーンは言うのである。

「その返答がこの書状だと」

「そうだ。朝廷の官吏ども、臨機応変とか柔軟な対応とかいった言葉とは無縁らしい」

 苦々しげにフレイホーンは吐き捨てた。州宰も渋い表情である。

「ただでさえ、我が州は西方国境の守りに多額の費用がかかっている。その辺りの特殊事情も考慮してもらいたいものなのだが……」

「望みは薄い、ということですか」

「頭の固い官吏の横行する今の朝廷ではな」

 嘆息と共に(かぶり)を振るフレイホーンだった。

「皇帝陛下が後宮に(こも)り、国政を顧みなくなって久しい。せめて宰相がいれば、まだしもましな(まつりごと)が行われたろうが……」

 宰相ラマート。「鉄面の宰相」と渾名(あだな)される辣腕(らつわん)の政治家であったが、現在は獄中の人である。謀叛の嫌疑をかけられたのだが、本気でそれを信じた者は、少なくとも心ある人の中にはいなかった。宰相は相手がたとえ皇帝であっても(はばか)りなく諫言(かんげん)する人であったから、あまりに多くを諫言して(うと)まれたのだろう、というのが専らの噂である。

 フレイホーンもその噂を信じた。自分も皇帝に諫言して疎まれ、皇帝の従兄弟でありながら辺境の州王に流された身であるから、そのようなこともあろうと思うのだ。

 もっともフレイホーンは、ヨウ州王に封じられたことを後悔はしていない。以前は朝廷に勤めていたが、そこで出世するよりよほど充実していると思う。むしろ官吏の吐き出す腐毒から離れられて清々しているくらいだ。

 だが、いくら辺境に逃れても、政に携わる立場である以上、官吏の害毒とは無縁ではいられぬらしい。今回の返書などを見るとそのように思う。そして憂慮するのだ。

 この国は一体、どこへ向かっているのだろうか、と……。


 なぜ、こうなったのか。

 この日何度目かの呟きを、ラエルは発した。声には出さずに、である。

 州都シンヨウの大通り。石畳を敷き詰めた広い通りの両側には、様々な店が軒を連ねている。八百屋、肉屋、魚屋、食堂、酒場、宿屋、武具屋、雑貨屋、服飾店、質屋、劇場……ロウラン国の中心である皇都とは比べるべくもないが、シンヨウの中心街もそれなりの賑わいをみせていた。多くの人々が笑いさざめきながら行き交う中を、ラエルは歩いている。その肩には、中身を満載した大きな布袋を担いでいた。

「ふふ、助かっちゃった」

 ラエルの少し先を歩いていた女性がくるりと振り向いて微笑した。長い栗色の髪がふわりと風に舞う。ミラルダである。

「こういう時、男手があると便利よね。私じゃ、その半分も持てないわ」

 ミラルダに会ったのは、練兵場を出てすぐのことだ。冒険者の店に行こうとしていたラエルの手を取って、

「荷物持ちが要るの」

と言った。続けて、

「あなたに頼みたいの。お願い」

と。

 ラエルは断ろうと思った。早く冒険者の店に行きたかったし、雑用など御免だった。だが断れなかった。(とび)色の瞳で真っ直ぐに見つめられて「お願い」と言われると、「あ、ああ……」としか言えなかったのである。

 かくしてラエルはミラルダの買い物に荷物持ちとして同行することになった。

 買い物といっても、私的なものではない。ミラルダが買い求めたのは薬草である。今回の(いくさ)で医療要員が使った分を補充したいというのだ。

 一口に薬草といってもその種類は様々である。そのまま口に含むもの、乾燥させて粉末にするもの、磨り潰して液状にするもの、有効成分を取り出して水に混ぜるもの。裂傷に使う薬、打ち身に効く薬、解熱剤、麻酔薬。それらをミラルダは店でてきぱきと選んで注文し、受け取っていった。もちろん最後にこれらを持つのはラエルである。

 そういうわけでラエルが担いでいる布袋には、小袋に小分けにされた薬草がぎっしりと詰まっているのであった。はっきり言って重いが、これも鍛練と無理矢理自分を納得させる。

 それにしても、一体なぜこうなったのか。

 また自問してみるが、やはり答は出ない。断ろうと思えば断れたはずだ。だができなかった。なぜか。自分の心理が、ラエルにはわからない。わからないことが、彼を憮然(ぶぜん)とさせるのだった。

 と、不意に誰かに見られているような気がして、ラエルは足を止めた。

 その時だった。

『力が欲しいか、若いの?』

 しわがれた声が聞こえた。否、聞こえたというのは正確ではないかも知れない。なぜならその声はラエルの耳ではなく、頭の中に直接響いたような気がしたからだ。

「誰だ!?」

 錯覚ではない。確かに頭の中で自分以外の声がした。その経験したことのない感覚に驚きかつ戸惑いながら、ラエルは周囲を見回す。

 すると、視界に何か引っ掛かるものがあった。

 ラエルの右手、雑貨屋と宿屋の間の細い路地。薄暗いその奥に小さな塊がある。目を凝らすと、塊と見えたものは人のようだった。背の低い──老人か。だが暗がりの中、輪郭がぼやけて判然としない。老爺か老婆かもわからなかった。

 ──こいつだ。

 ラエルは悟った。こいつだ。視線の主も、不思議な声の主も。理由はわからない。だがなぜかラエルにはそう思えた。

『力を求めるか、我が子よ?』

 また声がした。声色からすると老婆のようだ。しかしそれにしても、この老婆は何を言っているのだろう。

 我が子、などと呼ばれる筋合はない。ラエルの父母は十三年前、灼眼(しゃくがん)の手にかかって惨殺されている。以来、彼は天涯孤独であった。あるいは耄碌(もうろく)でもしているのであろうか、この老婆は。

 だが聞き捨てならないのは前半の言葉だ。

 力が欲しいか。力を求めるか。老婆はラエルにそう問うてきたのである。

 ──欲しいさ。

 ラエルは胸中に呟いた。

 欲しい。力が欲しい。灼眼を(たお)せるだけの力、灼眼を超える力が。それを求めるかと問われれば、答は是だ。俺は力を求めている。

『ならば、塔へと行け』

 ラエルの胸奥を読み取ったかのように、声は告げた。歌うような抑揚で続ける。

『北の果て五峰連山の只中にかの塔あり。その頂に至らば、竜の祝福が得られるであろう……』

「竜の祝福……?」

 どういうことだ、と問おうとして、ラエルは目を(みは)った。老婆の姿がない。忽然と消えてしまった。ラエルの視線の先には、今や無人の路地が伸びるのみであった。

 茫然と立ち尽くすラエルを呼ぶ声がした。ミラルダだ。ラエルが立ち止まったのに気づかず、ずいぶん先まで行ってしまっていたようだ。駆け戻ってきたらしく、息が弾んでいる。

「ラエル、どうしたの?」

「あ、ああ……」

 訝しげな視線を向けてくるミラルダに曖昧な返事を返しながら、ラエルはまだ路地から目を離せずにいた。

 謎の言葉を残して消えた老婆。あれは一体何だったのか。幻覚や幻聴の類か。それにしては、ラエルの頭に響いた声は明瞭だった。

 五峰連山……塔……竜の祝福……。

 そこに「力」があるというのだろうか。そこへ行けば「力」を得られるというのだろうか。

 五峰連山……塔……竜の祝福……。

 老婆の残した言葉を反芻(はんすう)しながら、ラエルは無人の路地に視線を注ぎ続けていた。

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