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第三話

 斬り合いが終わっても、軍にはやることがある。戦死した味方の収容、負傷者の手当、敵の首級(しるし)の検分などである。

 戦死者が多数に及んだ場合、遺体は戦場に葬られることもあるが、今回の戦で死亡した将兵の数は三百に満たず、荷車に乗せて運ぶことが可能であった。遺体は一時的な防腐処理を施された上で、いったん州都まで搬送された後、遺族の元に返されるか、州都郊外の軍人墓地に埋葬されることになるであろう。

 負傷者は陣中で手当を受ける。陣の一隅には大きな天幕が張られ、即席の野戦病院が設けられていた。そこで医療要員の治療を受けるのだが、むろん彼らの手に余るような重篤者もいる。その時は、従軍治癒術師の出番ということになる。

 治癒術師とは、呪術によって傷や病の治療を行う者のことである。呪術とは自らの体内に宿る竜脈を制御し、マナを操って超常の力を発する術であり、これを行う者を広範に呪術師と呼ぶ。治癒術師にかかれば深い裂傷でもものの数分もあれば塞ぐことができるし、折れた骨もたちどころに元通り繋いでしまう。呪術を操るには素養と修練が必要なため、その数は決して多くはないが、軍隊の出動には数人の治癒術師が同行するのが通例であった。

 そして首級の検分は主将と副将が行う。雑兵の首級はない。すべて部隊長格以上の武将である。その数は十六を数えた。ティルク国の記録によれば、この戦で戦死した武将は主将グンジュをはじめ、副将ムルシュ、サバト、グィレン、テムジ、ヤクト、トバシュ、部隊長ラムシュ、レイテド、ブラジ、バレン、ツィハン、スーリシュ、ユグト、カムジ、ケトシュ、アマージ、ザルバド、メヌシュの十九名とされている。数が合わないのは、首が回収できなかったか、戦場を離脱後行方不明になったかのどちらかであろう。いずれにせよ、多くのティルク武将が異国の野に屍を晒したのである。

 簡素な木製の長卓に、十六の首級が並ぶ。首には札が掛けられ、討ち取った者の名がそこに書かれている。不気味な光景であるし、検分する方も愉快な気分ではないのだが、首級は論功行賞の重要な判断材料となるため疎かにはできない。主将リリエンソールと二人の副将は、淡々として勝利者の任を果たしていった。

「それにしても凄まじいですな。一人で副将四人を討ち取るとは」

 副将イルムが感心しきりといった表情で言う。隣に立つリリエンソールが顔を向けた。

「ラエルか」

「さよう。此度(こたび)(いくさ)、功績の一番は彼ではありますまいか」

「そうだな。だが……」

 リリエンソールは苦笑した。

「本人は不本意そうだったぞ。ろくな敵手(あいて)にあえなかった、とな」

「ほほう。ティルクの将軍も彼にかかっては形無しですな。それほどに強いですか、彼は?」

「強いな。事によると私以上かも知れん」

「まさか、ご冗談を」

 もう一人の副将アークスが笑う。

「冗談ではないぞ。まあ実際に立ち合ったとしたら、おめおめ負けるつもりはないがな」

 そう言ったリリエンソールの瞳には一瞬だけ真剣な光が宿ったのだが、二人の副将はそれに気づかなかったようである。

「一介の傭兵に負けてもらっては困ります。リリエンソール将軍はヨウ州軍の主将。それに相応しい威厳を保っていただかねば」

「ははは、肝に銘じておくよ。それよりもラエルだがな、本人はまだまだ満足しておらぬようだぞ。もっと強くなりたいと思っている」

「はて、それほどまでに強さを求める理由とは何でしょうな?」

「さてな。聞いたことはないが……」

 リリエンソールは辺りを見回した。先程までラエルはリリエンソールらの後ろから黙って首級を眺めていたのだが、今は姿が見えない。確か肩を負傷していたから、治癒術師の元へでも行ったのであろうか。


 リリエンソールの想像は半分的中していた。

 ラエルには治癒術師の治療を受けるつもりはなかったのだが、当てもなく歩いて野戦病院となっている天幕の前を通り掛かった時、一人の治癒術師に呼び止められたのである。

「肩を怪我してるじゃない!」

 叱るような口調でそう言うと、その治癒術師はラエルの手首を強引に引っ掴んだ。

「大したことはない。もう血は止まった」

 ラエルの抗弁を、治癒術師は無視した。掴んだ手首を引いて、天幕の中に引っ張り込む。

「ほら、そこに座る!」

「大したことないと言っている。俺は他人(ひと)より傷の治りが早いんだ」

「いいから、早く!」

「……」

 憮然として、ラエルはその場に腰を下ろす。その治癒術師の言葉には抗い難いものがあった。あるいは、相手が見知った女性であることも関係していたろうか。

 そう、その治癒術師は女性だった。年齢はラエルとそう変わらないだろう。長い栗色の髪を後ろで一つに束ねている。くっきりとした瞳、整った鼻梁、薄い桜色の唇。肌は白磁のように白い。美しい女性であった。彼女の名はミラルダ。リリエンソールの妹で、ラエルとも顔見知りである。

 ミラルダはラエルの服の袖を(まく)って傷を露わにすると、水桶で絞った手拭で傷口を洗った。それからじっと傷に見入ると、そっと手を伸ばし、細い指で傷口の周りに触れる。鈍い痛みがして、ラエルは微かに眉をしかめた。

「ひどい刺し傷……それに肩の骨が砕けてるわ。大したことなくないじゃない」

「大したことない。あの時の傷に比べれば……」

「あの時の傷?」

「何でもない。それより治療をするならさっさと済ませてくれ」

「誠意のない言い方だなあ」

 ミラルダが口を尖らせた。

「こんな美人の治療を受けられるんだから、もっとありがたがりなさい」

 さらりと自らの美貌を肯定してみせる。自分で言っていれば世話はない、とラエルは思ったが、ミラルダが美人なのは事実なので、口に出しては何も言わなかった。

 ミラルダは傷口に両手をかざすと、目を閉じた。ひとつ深呼吸をして、意識を一点──体の芯へと集中させる。そこから体内を血管のように広がる竜脈を感じ取り、その中に流れるマナを活性化させる。やがて掌に熱が宿ると、それに呼応して両手が薄緑色に輝き始めた。

 光が触れると、温かな感触と共にラエルの肩も輝きを発した。ミラルダの術にラエルの体内のマナが反応しているのだ。光は心臓の鼓動の如く脈動し、明滅を繰り返す。マナが活性化し、自然治癒力が促進されているのだということを、ラエルは知識として知っていた。

 骨折の鈍い痛みと、刺し傷の鋭い痛みが引いてゆく。見ると、淡い緑色の光の中で、傷口が両端から徐々に塞がっていった。

 そうして数分が経った。ミラルダが手を離すと、輝きはふっと消えた。傷口は完全に塞がり、肌にほんの少し薄赤い筋が残るだけとなった。

「はい、お(しま)い」

 ぱん、と軽く肩を叩かれる。ラエルは肩を回してみた。痛みも違和感もない。砕けた骨も元通りになったようだった。

「便利だな、呪術ってのは」

「治癒術だって万能じゃないわ。助けたくても助けられない人もいるのよ。あなたのは治せる傷だったからいいけど、あんまり無茶しないでよね」

「何故だ?」

「何故って……それは」

 そこで口(ごも)るミラルダ。なぜか頬が少し熱くなって、思わず顔を背けた。今の表情をラエルに見られたくなかった。

「よ、余計な仕事が増えるからよ。それよりあなた少し汗臭いわ。血の匂いもする。ついでだから、身体を拭いていきなさい」

「ここは戦場だ。仕方ないだろう」

「いいから拭く!」

 声を荒げて、手拭を押し付ける。ラエルは仕方ないといった様子で手拭を受け取ると、上衣を脱いで上半身裸になった。引き締まった身体。その右の肩口から胸にかけて、斜めに大きな傷痕が走っている。

 それを見たミラルダが目を(みは)った。

「ひどい傷……それが『あの時の傷』なの?」

「そうだ」

 ラエルの返事は短い。

「あなたのことだから、ちゃんと治癒術師の治療を受けなかったんでしょう。そんなにくっきりと傷痕が残ってるなんて」

「医者にはかかった。それで治った。言ったろう、俺は他人より傷の治りが早いんだ」

 言いながら、ラエルは手拭で返り血と汗にまみれた身体を拭いてゆく。

「見せなさい。傷痕も消してあげる」

「駄目だ」

 再び短い返事。強い拒絶の意思がその声にはこもっていた。

「駄目って……どういうこと?」

「この傷は消してはならないんだ。これは戒めだ。半端な強さで奴に挑んではならないという……自分への」

「奴って……誰?」

 ミラルダの質問には答えず、ラエルは手拭でゆっくりと傷痕をなぞった。彼の意識は時を遡っていた。半年前──あの屈辱の地へ。


 一滴、また一滴と血が(したた)る。

 地面に片膝をついた姿勢で、ラエルは傷の痛みに耐えていた。右の肩口から胸までをざっくりと斬られ、傷口を押さえた左手の指の隙間から鮮血が溢れ出ている。血は手の甲から腕を伝って肘の先から滴り落ち、足元に赤黒い池を作っていた。

 ぎり、と歯を喰いしばって立ち上がろうとする。だが身体が重い。脚に力が入らない。ともすれば自分の血の池に倒れ伏してしまいそうになるのを、必死で堪えている。

 血にまみれた右手から剣が滑り落ちた。硬い金属音が、仄明るい空洞に無機質に響き渡る。

 剥き出しの岩肌に打ち付けられた燭台。その先端で揺れる炎が、対峙する二人の男を橙色に照らし出していた。

「もう立てんか」

 二人のうちの一人──立っているほうの男が、もう一人──片膝をついたラエルに向かって言った。

 燃えるような赤い髪。太い眉の下で血のように輝く紅い瞳。かつてラエルの家族を惨殺した仇が、ラエルを見下ろしている。

 灼眼(しゃくがん)。その男はそう渾名(あだな)で呼ばれていた。本名は知らない。男は名乗りもしなかったし、ラエルも知ろうとしなかった。その男が間違いなく家族の仇であれば、それで十分だった。

 ラエルは強くなった。あの日以来、必死に生き延びて、必死に己を鍛えた。師と呼べる者はなく、自己流で剣を振るった。振るい続けた。時に冒険者として妖魔と戦い、時に傭兵として人を斬った。ひたすら実戦に身を投じ、腕を磨き続けた。それもすべてたった一つのことを成すため──復讐のためだった。

 そうして、機会は訪れた。冒険者ギルドの窓口「冒険者の店」で、灼眼の居所を知ったのだ。ガコウ山。ナル州の北端にあるその山の中腹に、灼眼の根城はあった。

 ラエルは単身、そこへ殴り込んだ。灼眼の手下らしき盗賊たちが邪魔をしたが、(ことごと)く斬り捨てた。十二人目を斬ったところで、灼眼本人が現れた。彼は手下を下がらせると、一対一の勝負を持ちかけてきた。ラエルにとっては望むところであった。

 家族の仇、村の人々の仇。十三年間抱き続けた憎しみのすべてを刃に乗せて、ラエルは斬りかかっていった。

 だが、灼眼の強さはラエルのそれを上回っていた。十合、二十合と剣を打ち交わすうち、ラエルは防戦に追い込まれ、追い詰められ、そして袈裟懸けに上体を斬られた。対する灼眼は、頬と腕に軽い傷を負っただけである。

「まだ、だな」

 灼眼は言った。

「まだ、お前は強くなれる。そのはずだ」

 ラエルは答えない。答えられない。出血がひどく、気が遠くなりかけている。意識を現実に繋ぎ止めておくのが精一杯であった。

「生き延びてみせろ。そして強くなれ」

 あの時と同じ台詞だった。

「強くなって、復讐に来い」

「……っ」

「楽しみにしているぞ」

 不敵に笑って、灼眼は去って行った。

 それから後のことは、よく覚えていない。あの出血でどうやって生き延びたのか。生まれながらの強靭な生命力がそれを成さしめたのだと想像するしかないが、ともかくラエルは自力で山を下り、麓の村で医師の治療を受け、命を繋いだのだ。

 自分の力はまだ、灼眼には及ばない。その事実はラエルを打ちのめしたが、いつまでも敗北感に浸っているほど、ラエルの復讐心は弱々しいものではなかった。

 次こそは必ず(たお)す。

 その誓いを胸に、再びラエルは旅立ったのである。

 それが、およそ半年前のことだった。

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