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第二話

 ヨウ州はロウラン国の南西端に位置する州であり、西方の州境はそのまま隣国ティルクとの国境となっている。

 ティルク国はロウラン国の西に広がる草原の国で、国民は遊牧を主産業として生活を営んでいる。だが彼らは同時に剽悍(ひょうかん)な騎馬民族でもあり、しばしば国境を侵してロウラン国に侵入し、略奪をはたらいていた。

 そのため、国境にはいくつかの監視砦が設けられ、ティルクの侵入に備えていた。常駐する兵力は各砦におよそ五百。ティルク人は百人ほどの小集団で行動することが多いため、大抵の場合はこの戦力で対処することができた。だが皇暦三二六年五月八日、監視砦が発見したティルクの集団はこれまでとは違った。国境に接近しつつあったのは、数万に及ぼうかという大軍勢だったのである。

 とても監視砦の兵力で対抗できる数ではない。砦は近隣の村の人々を収容して門を閉ざし、守りに徹する一方で、州都シンヨウに救援を求めた。急報を受けたヨウ州王フレイホーンは直ちに軍の派遣を決定。フレイホーンは周到な男で、国境付近の有事に備え、常に一定数の軍勢が出動できるよう準備を整えていたのである。

 かくして五月十一日朝、ヨウ州軍一万が西方国境に向け州都シンヨウを出立した。率いる主将はリリエンソール。副将はアークスとイルム。両名とも堅実な用兵をする武将で、リリエンソールは信を置いている。実戦ではアークスが右翼、イルムが左翼の各隊を率いることになっていた。

 早朝の陽光が一閃すると、甲冑の群れが白銀色に輝きわたり、一万の軍勢が行軍する様はあたかも地上に光の河が現出したかのように見えた。だがそれも一時のこと、数日後に彼らの(きら)めく甲冑は乱舞する風塵と敵味方の血にまみれることになるであろう。


 風が鳴っていた。

 五月のこの季節、西方には北から風が吹く。ヨウ州の西方国境付近は西へティルクへと広がる大草原の一部である。果てしなく続く緑の野を、冷気を帯びた風が強く吹き渡る。波打つ草々がざわざわと音をたて、風音と交じり合って人馬の聴覚を騒がせた。

 馬上で、ラエルはややくせのある黒髪を乱暴にかき上げた。

「兜は被らないのか、若いの?」

 ラエルと馬を並べていた壮年の兵士が声をかけてきた。ラエルはちらと視線を向け、

鬱陶(うっとう)しいんだ」

 とだけ答えた。そうして眼差しを前方に戻す。壮年の兵士は苦笑して肩をすくめた。無愛想な奴だ、と呟いたようである。

 五月十六日。

 ヨウ州軍一万は西方国境まであと半日というところで進軍を停止し、布陣した。千歩ほどの距離を隔てて人馬の群れが見える。ティルク軍であった。

 この時ティルク軍を率いていたのは、グンジュという男だった。鋭い眼に鷲鼻、大きな口。隆々たる筋肉を誇る巨漢である。巨大な黒馬に跨り、大剣を背負っている。国王の一族でもなければ名家の出身でもない。一兵卒から将軍にまでのし上がった男であった。

 率いる軍勢は三万。グンジュは敵軍がおよそ一万と聞いて、

(いくさ)にもならん」

 と一笑した。

「俺が狙うは皇帝の首だ。あれしきの小勢、瞬きする間に蹴散らしてくれるわ。ゆけ!」

 号令一下、ティルク軍は敵軍を踏み潰さんと全軍一塊となって真正面から突撃した。十二万の馬蹄が大地を鳴動させ、大津波の如き勢いで押し寄せてくる。ティルク軍が使うのはどれも巨大で重く、突進力に優れた騎馬である。並みの馬では、当たればひとたまりもなく弾き飛ばされてしまうだろう。

「だがその反面、機敏さに欠け、急な動きの変化には対応できない」

 落ち着き払った声でそう言ったのは、リリエンソールである。

「そうだな、フライエル?」

「は、はい」

 答えたのはリリエンソールの斜め後ろに馬を立てた若者であった。ヨウ州軍の軍師を務める青年である。鎧は付けず、腰に細身の剣を()いただけの軽装だ。軍師は実際の斬り合いには参加しない。それも理由の一つであるが、今一つにはこの青年、鎧を身に付けた途端に馬上で平衡を保つことができなくなるという欠点があるのだった。

「敵の数はおよそ三万。本音を言えば同数は欲しかったところだが……」

「でも実際、ここには一万しかいません。手元にある戦力で何とかしていただかなくては……」

「わかっているよ、フライエル。だからお前の策を採るのだ」

「リリエンソール将軍」

 指示を求める副将の声。リリエンソールは頷いた。

「作戦に変更はない。全軍、前進せよ!」

 (とき)の声が大気を震わせる。総勢一万のヨウ州軍は凸型の陣形を取り、ティルク軍を迎え撃つべく前進した。

 それを見たティルクの将グンジュが嘲り笑う。

「馬鹿め。我らに真正面から攻めて敵うと思っているのか。敵将は愚劣なり!」

 屈強な黒馬を駆るグンジュを先頭に、ティルク軍は怒涛の猛進を見せる。舞い上がる土煙の中、無数の刃が陽光を反射して煌めいた。

 ヨウ州軍も突進する。両軍の距離は急速に縮まり、草原の只中で激突した。激しく打ち交わされる刃と刃。響き渡る雄叫び。悲鳴。咆哮。馬の(いなな)き。だが数の差と騎馬の突進力の差はたちまち戦況に現れた。全軍一丸となったティルク軍の激烈な突撃に正面からぶつかっていったヨウ州軍は、反対に蹴散らされ、隊列を乱して後退する。凸型であった陣形は無様に横に広がり、もはや立て直すこともできないように見えた。

「脆弱なり! 脆弱なり! 一気に踏み潰せ!」

 グンジュは両手持ちの大剣を片手で軽々と振り回しながら吠えた。敵兵の血にまみれて哄笑する姿は鬼神のようだ。もはや勝利は得たりと信じて疑わない。

 しかしグンジュは知らなかった。ヨウ州軍の動きはティルク軍に押されて陣形を乱したように見えて、実は予定された作戦行動であったことを。

 (おおとり)が翼を広げるように、ヨウ州軍は後退しつつ大きく横に広がる。広がる。そして軍勢は三隊に分かれた。中央が応戦しつつ後退を続ける一方で、左翼と右翼が大きく弧を描いて前進し、素早く敵の側面に回り込む。その動きに気づいたティルク軍はこれを迎え撃とうとするが、重量のあるティルク馬は機敏に向きを変えることができない。その間に左右両翼のヨウ州軍は槍先を揃えて突進し、ほぼ同時に敵の両側面を()いた。

 いかな屈強の騎兵でも、体勢の整わぬところへ攻められてはかなわない。瞬く間にティルク軍は陣形を乱す。左右から同時に攻め込まれたため、それを防ごうとティルク兵たちは横へと向きを変える。陣の左に属していた兵たちは、左からの攻撃を防ごうと左へ。右に属していた兵たちは、右からの攻撃を防ごうと右へ。

 左右両側面からの攻撃に対応しなければならなくなったティルク軍の前進速度は目に見えて落ちた。重騎馬の長所である突進力が失われたのだ。これこそリリエンソールが待っていた勝機であった。

「ゆくぞ!」

 後退を続けていた中央の隊がリリエンソールを先頭に反撃に転じた。彼が直接率いる中央隊は、リリエンソール自身が選び抜いた精鋭中の精鋭である。突撃の勢いは凄まじく、自慢の突進力を失ったティルク軍はこの突撃を弾き返すことができなかった。リリエンソール率いる精鋭たちは、錐をもみ込むようにティルク軍の奥深くへと斬り込んでゆく。

 ティルク軍は乱れに乱れた。三万もの軍勢ももはや連携した行動を取ることができず、三方から攻めるヨウ州軍に次々と打ち減らされてゆく。断末魔の悲鳴。舞い散る血飛沫。大地に転がり落ちる屍。それらのほとんどが、今やティルク兵のものだった。

「馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な……!」

 グンジュは狼狽えていた。こんなはずではない。味方は三万。敵はその三分の一。負けるはずがなかった。一撃で蹴散らしているはずだった。

 だが、現実はどうだ。潰乱の危機に陥っているのはこちらのほうではないか。

「なぜだ。なぜ、こうなったのだ……!」

 その時、一頭の純白の騎馬がグンジュを目指して一直線に駆けてきた。その背に銀色の鎧を(まと)った長身の武将を乗せて。

「貴様が主将だな?」

 銀鎧の武将が言った。

「私はこの軍を率いるリリエンソールだ。匹夫(ひっぷ)よ、選べ。今すぐ軍をまとめて国へ逃げ帰るか、さもなくばここで屍となって朽ち果てるか」

 グンジュの両眼に怒気が閃く。

「ほざいたな、青二才。この俺を匹夫と!?」

 大剣がうなりを上げてリリエンソールに襲いかかる。人馬を諸共に両断せんばかりの強烈な斬撃だったが、リリエンソールは難なくそれを剣で受け止めた。激突した刃と刃が火花を散らす。グンジュは力で押し切ろうとするが、リリエンソールも負けてはいない。この細い身体のどこにそれほどの膂力(りょりょく)があるのかと、かえってグンジュのほうが驚愕した。

 リリエンソールは不敵な笑みを口元に刻む。

「兵法の基礎すら知らず、数と重量に物を言わせて突進するのみの浅薄さ。これを匹夫の勇と言わず何と言う?」

「うぬっ、おのれ!」

 グンジュはますます怒り狂い、大剣を振るった。その攻撃すべてをリリエンソールは剣で受けた。にもかかわらず息は上がらず、汗一つかかず、表情には余裕すらうかがえた。

「兵法も知らなければ、剣術の基礎も知らぬと見えるな」

「なにっ」

「動きに無駄が多すぎる。それでは私の剣は受けられんぞ」

 言うや否や、リリエンソールは攻めに転じた。その斬撃は稲妻の如く鋭い。リリエンソールの言葉通り、グンジュは彼の剣の動きについて行けなかった。リリエンソールの剣が白銀の軌跡を描く度、グンジュの身体から血がしぶいた。

「どうだ。国へ帰る気になったか?」

「否! 戯言(ざれごと)をほざくな!」

「そうか。では仕方がない」

 剣光一閃。

 あっという間にグンジュの首は胴から離れ、馬蹄が巻き上げる土煙の中に消えていった。

「よくもグンジュ様を!」

 怒気をはらんだ声と共に、リリエンソールの胴を狙って剣が突き込まれてきた。リリエンソールは馬上で身体を捻ってその突きを(かわ)す。

「俺は副将のムルシュだ。グンジュ様の遺志は俺が継ぐ!」

「別の生き甲斐を見つけたがよいと思うが」

 苦笑して、剣を構えるリリエンソール。だがその時、リリエンソールを押し退けるように馬を進ませてきた人物がいた。

「獲物を独り占めするな。こいつは俺に譲れ」

「ラエルか」

「雑兵ばかり斬っても鍛錬にならん」

「出しゃばる気か、孺子(こぞう)!」

「ああ、出しゃばるさ」

 ラエルは剣を一振りした。血の滴が飛んで足元の草に点々と散る。これまで斬って捨てた敵兵の血である。

「副将と言ったな。ならそれなりの技倆(うで)はあるんだろう。相手をしてもらおうか」

「任せてよいのだな」

「こいつは俺がもらうと言った。行け!」

 ラエルが言うと、リリエンソールは全軍の指揮を執るため前線へと馬を走らせて行った。

「いきがるな、孺子!」

 ムルシュが剣を振るう。ラエルはそれを弾き返した。甲高い金属音が響き渡る。今度はラエルが打ち込む。ムルシュが受ける。だが受け損ねた。肩口から僅かに血が跳ねる。

「ぬっ」

 ムルシュが怯んだ、その隙を突いてラエルが猛然と攻め立てる。たちまちムルシュは防戦一方に追い込まれた。ラエルの斬撃は速い。四方八方から疾風の如くムルシュに襲いかかる。五合、十合。必死にムルシュは受けるが完全ではない。肩、腕、脇腹、脚と鎧が覆っていない箇所に次々と傷を負い、消耗してゆく。

「ま、待て……!」

 ついにムルシュは悲鳴を上げた。

「待ってくれ、頼む……!」

 ラエルの剣が止まった。その刃は今まさにムルシュの首筋に叩き込まれようとしていた。ムルシュは拝むような仕草で懇願する。負けだ、参った、今すぐ国に帰る、だから見逃してくれ、と。

「……ちっ」

 ラエルは失望の色をありありと浮かべて剣を引いた。その時だった。

「馬鹿め!」

 ムルシュが狂喜に満ちた顔で嘲笑った。同時に剣を突き出す。ラエルは咄嗟に身を引くが間に合わない。その剣尖はラエルの左肩に深々と突き刺さった。だが。

 狂喜の表情はそのまま凍りついた。ラエルの右腕が閃くと、その手に握られた剣がムルシュの額を貫いたのだ。しばしの沈黙。嘲笑を口元に貼り付かせたまま、ムルシュの身体がぐらりと揺れ、そして落馬する。騎手を失った馬は一声嘶くとどこへとも知れず走り去った。

「……フン」

 小さく鼻を鳴らして、ラエルは左肩に刺さった剣を右手で掴む。そして無造作に引き抜いた。鮮血が流れ出すが、意に介さない。剣の刃についた血を払うと、手綱を引いた。

「副将でこれか。他にましな奴がいるといいんだが……この分ではあまり期待はできないな」

 そう呟くと、まだ残っている敵兵目掛けて馬を走らせて行った。

 勝敗は決した。将を失ったティルク軍は混乱を続け、戦意を喪失し、我先にと潰走を始める。唯一ヨウ州軍がいない方角──すなわち後方、西の果てへ。

「追撃!」

 リリエンソールは命じた。もとより楽に逃げさせるつもりはない。しばらくは再び国境を侵す気にならぬよう、徹底的に痛めつけておく必要がある。

 ヨウ州軍は逃げるティルク軍の後背から攻めたて、何度も何度も噛み付いた。草原には緩やかな起伏があるのみで、逃げ込める山も身を隠せる谷もない。剣で斬られ、槍で突かれ、矢で射られ、ティルクの兵たちは次々と落馬し地面に転がった。

 舞う血煙。響き渡る絶叫。ヨウ州軍は追撃の手を緩めない。三万を誇ったティルクの軍勢は、ようやく国境を越えて母国へと逃げ込んだ時、僅か二千にまで打ち減らされていた。これに対し、ヨウ州軍の戦死者は三百に満たない。

 ティルクにとっては惨敗。ヨウ州軍にとっては完勝である。敵軍を国境の向こう側に追い返すと、リリエンソールは軍をまとめ、戦後処理を始めた。

 こうして草原の戦いは終わったのである。

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