表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/16

第十五話

 払暁。

 闇に染まっていた空が白みがかり、遥か東に霞む山嶺の陰から、太陽が朝焼けとともに昇ってくる。

 ロウラン国皇都セイラン。百二十万余の人民をその城壁の中に呑み込む巨大な街並みを、曙光が照らしてゆく。七月の陽は(まばゆ)く強い。だが夜明け間もないこの時刻、セイランの大部分の人々は未だ微睡(まどろ)みの中にいた。

 皇帝ハルシ二世もまた、皇宮の奥の寝室、豪奢な天蓋のついた大きな寝台の上に横たわっていた。窓から差し込む光に顔を撫でられ、わずかに身じろぎする。皇帝は右手を伸ばした。そしてそこにあるはずのものがないことに気づき、ゆっくりと目を開ける。

 皇帝の右隣で同衾(どうきん)していたはずの女性は、寝台にいなかった。むくりと身体を起こして室内を見回すと、露台に佇む妻──皇妃イシュラの姿を見い出して安堵の息を漏らす。

「……何をしておるのだ、イシュラよ?」

 夫の声に、妻は振り返って微笑んだ。

「朝日を見ておりました。早く目が覚めてしまったものですから」

 眩い陽光を背後から受けて、皇妃の薄い夜着が透けて身体の線が見える。しなやかな肢体。皇妃の美しさは、出会った頃と少しも変わらない。皇帝は寝起きにもかかわらず、欲望が湧き起こるのを感じた。

「こっちへ、こっちへ来い、イシュラ」

「はい?」

 僅かに小首を傾げる皇妃。腰まで届く長い黒髪がさらりと揺れる。

「抱きとうなった。抱いてやる。だからこっちへ来い」

 まあ、とイシュラは口許を手で覆った。

「今朝の朝焼けは、とても綺麗ですのよ」

「そんなものはよい。今、(ちん)はそなたが欲しいのだ」

「もう、しようのない人」

 軽く笑って、皇妃は寝台に歩み寄った。繊手が胸元に伸びて、夜着の紐を解く。夜着はするりと足元に落ちて、白い裸身が露わになる。そうして寝台に上がると、皇帝は待ちかねたように妻の肢体をぐいと引き寄せ、抱きしめた。皇帝は始めから裸である。

 贅を凝らした寝台の上で、二つの肉体が絡み合う。皇帝は満足げな吐息を漏らした。

「ああ……朕は幸福じゃ。こうしてそなたを抱き、好きな酒を呑み、舞いを見て、詩を吟じて……何一つ憂うことがない」

「わたくしも幸福ですよ。でも、世の中には不幸せな人もたくさんいますのよ」

「そんなことは知らぬ。官吏が悪いのだ。朕は悪くない」

 皇帝は子供のように口を尖らせた。その口を、イシュラの唇が優しく塞ぐ。絡み合う舌と舌。唇が離れる時、唾液が一筋、つうっと糸を引いた。

「そうですね。官吏が悪いのですね。陛下は何も悪くない」

「そうだ。だがのうイシュラよ、朕は思うのだ。幸せも不幸せも、本人の心次第だとな」

「心次第?」

「そうだ。不幸せな者は、自分が不幸せだと思っておるから不幸せなのだ。自分が幸せだと思っておれば、どんな境遇にあっても幸せでいられる。そういうものではないか」

 そう言って、妻の頬を愛しげに撫でる。

「のうイシュラよ、真理ではないか?」

「さあ……」

 頬を這う夫の手に自分の手を重ねて、皇妃は言う。

「わたくしには難しいことはわかりません。でも、陛下がそう仰るのなら、きっとそうなのでしょう」

 そうして、夫の胸に顔を預けた。

「だからな、イシュラよ。本当は憂う必要などないのだ、民のことなど。言うではないか、世はすべて事もなし、とな」

「……なければ困るのですよ」

 微かな呟き。

「ん? 何か申したか、イシュラよ?」

「いいえ、何も」

 頭を振って、皇妃は夫の裸の背に両腕を回す。そして耳元で甘く囁く。

「わたくしは、今のままの陛下が好き。どうか変わらずにいて下さいな」

「おお、変わるものか。いつまでも、そなたの愛する朕でおるぞ」

 皇帝も妻の背に腕を回す。

 そして中原で最も高貴な男女は、曙光が差し込む中、悦楽に耽ってゆくのであった。


 七月十八日の朝が明けきった頃、コウ州の州都ロウショウに早馬が着いた。先に盗賊の討伐に出動した、主将バクラム率いるコウ州軍からの伝令である。

 コウ州王オウルは起きて間もなかったが、伝令の到着を聞くと急いで身支度を整え、謁見の間に姿を現した。すでに州宰のトムナが玉座の脇に控えており、(きざはし)の下には伝令の兵士が片膝をついている。

 オウルは玉座に腰を下ろすと、兵士に顔を上げるよう命じた。

「バクラムからの伝令とか。内容は何だ?」

「は、他でもない盗賊討伐の件にございます」

「聞こう」

「申し上げます。バクラム将軍率いる我が軍は、昨日、ノニア平原にて盗賊の軍勢と交戦、これを敗退せしめてございます」

 おお、とオウルは喜色を表した。待ちに待った報告であった。だがあまりに喜ぶのも威厳がないと思い直し、すぐに厳格な表情を取り繕う。

「勝ったか。まあ当然の結果ではあるがな」

「本当に勝ったのだな?」

 州宰のトムナが念を押す。御意、と伝令が答えると、ほっと胸を撫で下ろした。バクラムを主将に、ジルグとタシロを副将にと選んだのは彼だ。もし負けていれば、責任を取らされるところだった。

「ただし」

 と、伝令は続ける。

「何だ、他に何かあるのか?」

 オウルが太い眉を寄せた。

「はい。盗賊の軍勢は敗退しましたが、なお多くの盗賊が逃亡。北へ、おそらくガコウ山へ逃げ帰るものと推測されます」

「逃がしただと!」

 オウルは玉座から半ば腰を浮かせた。

灼眼(しゃくがん)は、灼眼はどうした! 討ち取ったのであろうな!?」

「恐れながら」

 伝令の兵士は頭を垂れ、肩を縮こませた。その態度が返答になっていた。

「愚か者め。灼眼を逃がしてしまっては意味がないではないか。バクラムは何と言っておるのだ」

「ご、ご安心下さい。必ずやガコウ山で灼眼を討ち取り、その首を土産に帰還すると」

「バクラムがそう言ったのだな」

「は、はい」

「よし、信じよう。もう一度だけ機会をくれてやる。必ずや灼眼の首を予の前に持って来いと、バクラムにはそう伝えろ」

 そう言って、オウルは伝令を下がらせた。

 玉座に深く座り直し、舌打ちをする。

「しぶとい奴め……」

「さすがに、一筋縄ではいきませぬな」

 と、トムナ。

「だが我が軍が勝ったと言うなら、灼眼の戦力もほとんど残っておるまい。ガコウ山で片は付く。時間の問題だ」

「であれば良いのですが……」

「でなければおぬしの責任だな。今のうちに辞表を書いておくか?」

「で、殿下……!」

「冗談だ。真に受けるな、愚か者が。案ずるな、ガコウ山で必ず片は付く」

 そして灼眼は討たれ、首になってここに現れる。首はしばらく市中に(さら)した後、野に棄ててやろう、とオウルは考えた。棄てられた首は野犬の餌にでもなるだろう。卑しい盗賊には似合いの惨めな最期だ。

 そうして、朝廷には灼眼討伐の手柄を報告する。莫大な恩賞が下賜されるだろう。同じく灼眼の被害に悩まされていたノイ州やナル州から謝礼金をふんだくるのもよい。国庫は潤い、オウルは念願の水晶宮の建設に着手することができる。

 水晶宮。それはロウショウ郊外に建設予定の離宮である。巨大で贅を凝らした、それでいて典雅な宮殿になるはずであった。

 未来は明るいように、コウ州王には思われた。州宰のトムナは慎重な男であったが、その彼もまた、灼眼討伐は近く成されると思っていた。

 だが彼らは知らない。伝令の兵士が伝えたことは、事実と微妙に異なることを。むろんバクラムがそう言わせたのである。バクラムですら見抜けなかったのだ。ノニア平原での紅巾(こうきん)軍の後退が、敗退ではなく戦略的撤退であったことに。

 すべては灼眼がコウ州を獲るための作戦であった。コウ州軍はノニア平原で紅巾軍を敗退させたと思い込み、ガコウ山で決着を付けようと北上するだろう。その隙に灼眼は少数の精鋭を率いて南下し、ロウショウを衝く。灼眼には端からコウ州軍と決戦する気などなかったのである。

 灼眼は現在、ロウショウ付近に潜み、突入の機会を(うかが)っている。そのことを知る者は、コウ州側には誰もいなかった。


 一体、どれくらいの時間歩いただろう。

 暗い洞窟、いや隧道(すいどう)を奥へ奥へと進んでゆく中、ラエルはふとそう思った。時間の感覚がないではない。だが同じような景色が続くうち、鈍ってきているのは確かだ。今は昼だろうか、それとも夜だろうか。時折休憩を挟みながら、一日近くは歩いている気がするが、それを確かめる術はない。

 方向の感覚はある。隧道は最初北へ向かい、それから緩やかに弧を描いて今は北東に向かっているはずだ。目指す五峰連山からは離れていってしまっているが、道がこれしかないのだから仕方がない。セレンの使い魔、ブラヒの先導とセレンが持つ灯りを頼りに、二人は黙々と足を動かした。

 セレンが持つのは短い木の棒だ。隧道の入口付近に残っていた、橋の残骸から拾ったものである。その先端にセレンが魔術をかけ、薄青い灯りを灯している。そのため、自然、歩くのはセレンが前、ラエルが後ろという順になっていた。

 使い魔のブラヒは時折主人のもとに戻ってきて、先の様子を伝えてくれる。ブラヒは(ふくろう)であり人語を話さないが、見たもの、聞いた音などを直接主人の頭の中に伝えてくるのだという。今もブラヒはセレンの左腕にとまり、主人へ情報の伝達を行なっていた。

 セレンがラエルを振り返った。

「この先に、嫌なものがあるらしい」

「嫌なもの?」

 梟が嫌がるものとは何だろうか。ラエルには見当もつかない。詳しい説明を求めたが、セレンは苦笑して頭を振った。

「どうやら目には見えないもののようだ。ブラヒが感覚を伝えてきたが、私にも、嫌な感じ、としか言いようがない」

「妖魔の類か?」

「わからん。だが妖魔だとしたら厄介だな。肉体を持たない存在か、姿を消す能力を持っている奴か……」

「姿を消すだけの相手なら、気配を探って感じ取ればいいだけだ。問題は……」

「肉体のない、霊的存在の場合だな。剣は効かぬし、除霊はむしろ呪術の範疇(はんちゅう)だ」

「魔術で何とかならないのか?」

 セレンは再び頭を振った。

「言ったろう、私の魔術には期待しないでくれと。本格的な修行などしたことがないんだ。私のたかの知れた魔術ではどうしようもない」

「そうか……だが、俺たちには選択肢がない」

「そうだな。進むしかない。妖魔でないことをせいぜい祈るとしよう」

 そして二人は、再び歩き始めた。

 隧道は横に狭く、縦に長い。幅は人が二人、かろうじて並べる程度。高さは二ルセ(約六メートル)ほどはあろうか。目を凝らせば、鍾乳石らしきものが天井から伸びているのが見える。この隧道は、天然の洞窟を利用して造られたもののようだ。その中を、魔術の灯りを頼りに二人は進む。妖魔が出るかも知れないとあって、二人とも剣の柄に手をかけている。ブラヒは先導はせず、セレンの肩にとまっていた。

 そうして四半刻(約三十分)ほどが経ったろうか。突然、セレンがぴたりと足を止めた。その背に危うくぶつかりそうになって、ラエルもやや慌てて立ち止まる。

「どうした?」

「ここだ」

 ラエルの問いに、セレンが答えた。その顔は微妙に歪んでいる。肩にいるブラヒは、首を縮めて羽を震わせていた。

 ラエルは前方を見遣った。そこには何もない。何もいない。気配を探っても、妖魔の発する独特な気配──妖気は感じられなかった。その代わりにラエルが感じたのは、むしろ暖かく穏やかな感覚だった。

「これは……」

 この感覚に、ラエルは覚えがあった。最近では、ヨウ州の国境付近での戦いの後、治癒術師のミラルダに治癒術をかけてもらった時。あの時感じた、体内のマナが活性化する感覚に、それはよく似ている。

「妖魔じゃない」

 セレンが言った。

「これは呪術……結界だ」

「結界?」

「そうだ。この先を、蓋のように塞いでいる。マナの結界だ」

 セレンは剣の柄から手を放し、ブラヒを胸に抱いた。怯えているように見えるその梟の頭を、手袋に包まれた手で優しく撫でる。

 ラエルはセレンに代わって前に出た。セレンから魔術の灯りを受け取り、隧道の壁から天井までを仔細に調べてみる。すると。

「これは……」

 隧道の壁や天井、地面にまで、(のみ)のようなもので細かく文字が掘られていた。判読はできない。ラエルたちが普段使っている言語ではなかった。だが何の文字かはわかった。呪術で使う特殊な文字だ。セレンに使った治癒の呪符にも、同じ種類の文字が書かれている。その文字が、地面から壁、壁から天井、そしてまた壁へと細長く連なり、繋がって輪を形成していた。これがセレンの言う「結界」なのだろうか。

 少なくとも、この場に強くマナがはたらいていることは感覚でわかる。それがセレンらにとって「嫌な感じ」というのは……?

「この結界は、魔力を持つ者を拒んでいる」

 セレンが言った。

「魔術師か妖魔か、とにかく魔力を持つ者がこの場所を通れないようにだ。だから私やブラヒには不快な感覚となる」

「通れないのか?」

「いや、たぶん大丈夫だ。私の魔力も、使い魔に過ぎないブラヒの魔力もたいした大きさではないからな。不快ではあるが、通ることはできるだろう。これはもっと……もっと大きな魔力の持ち主を拒むものだ」

「拒む……か。どっちなんだろうな」

「ああ。ここから先へ行かせたくないのか、この先にいる何かをこちら側に出したくないのか……」

 いずれにしろ、このような結界があるからには、これはただの隧道ではない。この先に何が待ち受けているのか、見当もつかないが、注意して進む必要がありそうだった。

 結界を、まずはラエルが通った。もともとラエルには魔力などないので問題なく通れた。通り抜ける瞬間、心地よささえ感じたほどだ。続いてブラヒを抱いたセレン。彼女らが感じていた不快感は通る瞬間に苦痛に変わったようで、「うっ」という呻き声が噛み締められた唇から漏れた。きぃ、と聞こえたのはブラヒの悲鳴であったろう。

「大丈夫か?」

「ああ……行こう、慎重にな」

「そうだな」

 そして二人と一羽は、謎の隧道をさらに奥へと進んでいったのである。


 陽が西に傾いていた。

 あと半刻(約一時間)もすれば、ロウショウの西方、カラディ山脈の峻険な峰々の向こうに沈むだろう。西の空は夕焼けに染まり、中天で蒼穹と溶け合っていた。

 ロウショウには、州都を守備するため一万の軍勢が常駐している。だが一万の兵すべてが常時展開しているわけではない。州都を囲む城壁の上に五百の兵が見張りに立ち、同じく五百の兵が城壁の外を巡回している。これが昼間と夜間の交代制になっているので、平時、展開される兵力は一日二千というところであった。

 荘厳な音が大きく州都に響き渡った。街の中心部にある巨大な時計塔の鐘の音である。鳴ったのは一回。一更(午後六時頃)を知らせる音だ。兵が交代する時刻である。昼間、異状は何もなかった。州都はいたって平和である。昼間担当の兵士たちは大きく伸びをしたり雑談を交わしたりしながら、撤収の準備を始めた。

 だが、その時。

 東の城壁上にいた一人の兵士が、何かに気づいた。城壁の外、遠くに土煙が舞い上がっている。おそらく馬が走っているのだろう。土煙の大きさからして、一頭ではない。かなりの数だ。こちらに近づいてくる。

「おい、あれ……」

「んー?」

 肩をつつかれ、隣にいた兵士が面倒臭そうに応じる。彼は立ちっぱなしの警備で疲れていた。早く交代して兵舎に帰り、一眠りしたいと思っていたのだ。重い瞼を擦り、城壁の外を見遣る。

「何だ、馬か。ずいぶんな数だな。それにやけに急いでる……」

 兵士は手で目庇(まびさし)をつくり、目を凝らした。

 馬には人が乗っていた。騎馬の集団。何か紅いものがちらほらと見える。それが旗だとわかった時、兵士の顔色が変わった。

「……紅巾!」

 今、コウ州を騒がせている盗賊の集団。彼らが紅い旗を掲げ「紅巾軍」と称していることを、この兵士は知っていた。

 即座に彼は叫んだ。

「盗賊だ! 盗賊が攻めてきたぞ!」

 だが、周囲の兵士たちの反応は鈍かった。もとより担当の勤務が終わり、緊張の糸が解け、気が緩んだところである。

「盗賊だって? 本当かよ」

「ここは州都だぜ? 盗賊が暴れてるのはもっと辺境のはずだろ」

 などと言い交わし、容易に動こうとしない。

「馬鹿者! あれが見えんのか!」

 そう叱咤したのは、彼らの上官である。真面目が服を着たような男で、交代の時刻になってもなお気を緩めていなかったのだ。

 隊長に一喝されて、兵士たちは城壁の外に目を遣った。そして見た。急速にこちらに接近しつつある騎馬の集団と、(ひるがえ)る紅い旗を。

「ただちに全隊に連絡! 城門を閉めろ!」

 隊長の言葉に、弾かれたように兵士たちは動き始めた。盗賊襲来の報が口伝えに伝えられ、州都の東西南北の四つの城門が閉まり始める。城門の扉は金属製で、高さ二ルセ(約六メートル)、厚さは四半ルセ(約七十五センチメートル)に及ぶ。それを歯車を使った仕掛けで開閉するのだが、必定、その動きはゆっくりとしたものにならざるを得なかった。

 その間にも盗賊集団は州都に迫ってくる。だがどうにか間に合いそうに、隊長には思えた。

 城門が閉じてしまえば、分厚く高い城壁に阻まれて盗賊たちは州都に入れない。後は城壁外を巡回している部隊の仕事だ。盗賊たちを殲滅するか、追い払うかしてくれるだろう。

 隊長は安堵し、自分の隊が担当する東門を見た。そして目を剥いた。

「なぜここの門は開いているのだ!?」

 東門の扉は、一度は確かに閉まりつつあった。だが今、それは再び開こうとしている。

 隊長は城門に駆け寄り、城壁上から下を見た。城門の脇に小屋がある。扉を開閉する仕掛けを操作するための小屋だ。その小屋の周囲で、見知らぬ男たちが門を守る衛兵たちと切り結んでいる。喊声(かんせい)剣戟(けんげき)の響きが城壁の上まで聞こえてきた。

「さては、内から手引きする者がいたか!」

 隊長はそう悟って、部下を十人ほど引き連れ、剣を抜いて地上への階段を駆け下りた。門が開いたということは、すでに仕掛けの操作小屋は敵の手に落ちているのだろう。一刻も早く小屋を奪還し、門を閉じなければ。

 階段を下り切ると、手近な敵に駆け寄って斬りかかる。金属と金属がぶつかり合う甲高い音。隊長の剣は相手の剣で止められた。

「貴様たち、盗賊の仲間か!」

「御明察。しばしこの門をお借りする」

 隊長に答えた男は、ずば抜けた長身の持ち主だった。左腕に紅い布を巻きつけている。紅巾軍のゴコウである。

「ふざけたことを! 州都で略奪をはたらく気か!」

「略奪? そうだな、奪うのは確かだ。だが我が主の獲物はただ一つ……」

 ゴコウは膂力(りょりょく)に任せて隊長の剣を押し切り、弾いた。隊長の体勢が崩れる。

「州王の座!」

 言葉と斬撃が同時だった。真横に()いだゴコウの剣は隊長の喉笛を切り裂いた。鮮血が虹のような軌跡を描き、隊長の身体はのけ反って地面に倒れる。起き上がろうとして果たせず、口から血の泡を吐いて隊長は絶命した。

「隊長がやられた!」

「よくも隊長を!」

 部下たちはいきり立ってゴコウに殺到した。そこへゴコウの手下たちが加勢に入り、たちまち斬り合いが始まる。

 一方、城壁外を巡回していた部隊は、急報を受け東門へと急行していた。巡回部隊は二手に分かれている。盗賊襲来の知らせを受けた時、一隊はロウショウの西側に、もう一隊は北側にいた。西側にいた部隊が東門に達するには、州都を半周しなければならない。間に合ったのは北側にいた部隊であった。東門の前に慌ただしく展開する。その数二百五十。

 これは襲来した盗賊──灼眼の狙い通りであった。五百の兵を一度に相手にせずにすむよう、時機を見計らっていたのである。そしてその半数程度であれば、容易く撃破する自信が灼眼にはあった。

 (げき)を構え、汗馬に鞭をくれて灼眼は城門に迫る。その後ろには二百の騎兵が猛然と続く。対するコウ州軍は突然の実戦に浮足立ち、陣形を整える暇もない。勝敗は最初から決まっていたようなものであった。

 灼眼らは凄まじい勢いで突進し、二百五十の敵を一撃で粉砕し、突破してしまった。そして、そのまま開け放たれた東門を潜って州都に突入する。

 石畳に馬蹄を轟かせて灼眼らが通り過ぎると、ゴコウは手下たちに撤退を命じた。後は城門が閉じようが開こうが関係がない。ゴコウとその手下たちは素早く退き、州都の雑踏の中へと逃げ込んでいった。

 州王の城コウ・カスレは、東門から伸びる大通りを真っ直ぐ西へ行った先にある。丘の上に建っているので、その威容が東門からでも見て取れた。そこを目指し、灼眼は先頭に立って馬を馳せる。

 大通りを行き来していた民衆は驚き慌て、逃げ惑った。悲鳴と怒号が交錯する。蹄にかけられて吹き飛ばされた者もいた。正体不明の騎馬集団の暴走を止めに入った警吏は、灼眼の戟に頭部を打たれ、転倒したところを続く馬の足に踏み潰された。二百の騎馬が暴風のように駆け抜けた後、石畳に残ったのは血塗れの肉塊であった。

 灼眼は笑った。さながら獲物を見定めた猛禽の笑いであった。

「待っていろ、コウ州王。今、玉座を奪いにゆくぞ……!」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ